第七話『共喰い 下』其ノ参
「……ぅ」
ただ静かに時間が過ぎるこの空間に、小さく唸るような声が聞こえた。
その声に弾かれるように其方を見ると、其処には薄らとぼんやり目を開ける悠太君の姿____。
「ッ悠太君!!?」
僕は急いで駆け寄って顔を覗き込んだ。悠太君の名前を口にしながら覗き込む僕に続いて、狼君も弥子君もベットの方へと集まってくる。
少しばかりぼーっとした瞳が、僕達の姿を捉える。何回か小さく瞬きをした後、酸素マスクの下で唇が小さく震えた。声が少し出づらいのか、酸素マスクに阻まれてその声が何を言っているのか分からない。
そんな僕の顔を見てか、悠太君は先程治ったばかりの右腕を持ち上げると、ゆっくりと酸素マスクを口から外した。
「なに、聞こえな__」
「……ぶ、じで……よか…た、です」
ふわりと、安心したように微笑んだ。
まるで、あの時自分の身に起きた事なんか、少しも知らないかのように。名前を呼ぶ僕の姿を見て、心底安心したように眉を下げて笑った。
目が、熱い。何かが込み上げてくる。僕を見て安堵したその笑顔に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
どうして____
「……どうして、そんな風に笑ってるのっ……」
「め…ぐるく、ん……?」
「なんにもっ、良くなんか…ないよ!!」
大声を出した僕に、悠太君の肩がびくりと跳ね上がった。僕を見て目を丸くした悠太君が、ゆっくりと上半身を起こして僕を見上げてくる。そんな悠太君に、稲見先生が「まだ動くんじゃねーよ」と声をかけるけど、そんなの聞こえていないみたいに、悠太君はただ驚いた様に僕を見上げている。
「いつもいつも……っ、人の事、ばっかり心配して笑って……、悠太君っ…ッあのまま、死んじゃうかもしれなかったんだよ!!」
ボロボロととめどなく言葉が溢れた。
とても怖かったんだ。
最後の最後まで僕の事を気にかけて「逃げろ」ってそう言おうとしたのも、目が覚めてすぐに僕を見て安心した様に笑ったのも、その全部が怖かった。
自分は何にも無事じゃない癖に、自分の事なんか少しも顧みないで平気そうな顔して、安心した様に僕を見て笑う悠太君の優しさが、僕には何一つ理解出来なくて怖いんだ。
こんなにも大きな声は出した事が無かったけれど、止め方なんて分からなかった。怪我人の悠太君を気遣えばこんな事言うべきじゃないんだけど、でも勝手に出てくるんだ。それに比例するように、呼吸が荒くなって肩の震えは大きくなる。それでも僕の口は止まらなかった。
「……僕がっ弱いから……!狼君や、弥子君みたいに強ければっ、こんなに悠太君が傷付く事は無かった、のに……ッ」
「……廻君、」
「ッ僕なら、良いのに!僕は大丈夫だから……っ」
「廻君、聞いてください」
「…っ僕は死なないんだからッ……、悠太君が傷付く事なんてなかったんだ!!」
「____廻君!!!!!!」
初めて聞く悠太君の大きな声に、僕はやっと空気を吸い込んだ。左腕に感じる人の体温。治ったばかりの悠太君の右手が、僕の左腕を強く掴んでいて、確かな温度が服を伝って僕に届いた。
僕はいつの間に下を向いていたのだろう。
怒気を孕んだ悠太君の声にゆっくりと顔を上げると。少し吊り上がった大きな目は、大粒の水溜まりを作っていて、少しばかり震えながら僕を真っ直ぐに見つめる悠太君は、ボロボロと涙を零しながら泣いていた。
「どうしてっ廻君はそうなんですか…!僕なら良いってなんですか!僕なら大丈夫って何なんですかっ!」
「ゆ、悠太君……?」
「ッ廻君なら傷付いても良い理由なんて、どこにも無いじゃないですか!!!」
____息が、止まる。
そんな事は、言われた事も無かったし、考えた事も無かった。だって、当たり前の事だから。幾ら傷付いたって僕は死なないんだから、幾ら傷付いたって何の問題も無いんだから。
なのに僕の腕を強く掴んで、涙を流す悠太君はとても悔しそうな顔をしていて。ボロボロと零れる涙を拭う事はせずに、頬を赤くして怒ったように言葉をぶつけてきた。
やはり治ったばかりの体は辛いのか、大きな声を出した事で、悠太君は嗚咽を堪えながら大きく呼吸をしていた。
悠太君の言葉が頭に届く前に、僕の目は勝手に大粒の涙を流していた。
「廻君だって、傷付いたらちゃんと痛いじゃないですか!!どうしてそんな事が分からないんですか!!」
ボロボロと栓を失った蛇口のように、僕の目からは水が溢れ出てくる。
「廻君は化け物なんかじゃないッ、僕達と同じ人間なんです!!!」
ああ、もう____
「っふ、……うぅっ…」
ついに堪えていた声までも溢れてきた。拭っても拭っても溢れ出てくる。僕を強く見つめたままの悠太くんも、ずっと涙は零したままで。僕のものか悠太君のものか分からなくなった涙が、ベットに零れ落ちては小さな水溜まりを作っていった。
彼の真っ直ぐ過ぎる優しさが、ずっと怖かった。
彼のような善人は物語の中だけの、空想の人物だけだと思ってたから。彼が化け物に向ける優しさが何でなのか理解出来なくて、ずっと怖かったんだ。
でも、やっと分かった____
「廻君が傷付くのは、僕だって悲しいんです!!」
悠太君は、ずっと僕を人として見てくれてたからだ。
何度だって再生する化け物を、たった一人の人間として見てくれていたからだ。僕が悠太君を心配するように、悠太君も僕を心配してくれていた。そんな簡単な事に気付くのに、僕はこんなにも沢山の時間をかけた。
僕が傷付くと悲しいんだと、涙を流して教えてくれる悠太君が、今ここで変わらず生きていてくれる事が、こんなにも嬉しい。
「悠太君……っ、あの時、何にも出来なくて…ごめん……、それから、ありがとう……っ」
僕は悠太君を見て、僕の大好きな彼の笑顔を真似て笑ってみせた。
悠太君はそんな僕の顔を見て驚いた顔をした後、そっと腕を掴んでいた手を下へと滑らせて、僕の手をギュッと握った。
「僕の方こそ、ごめんなさい。……廻君、心配してくれてありがとうございます」
いつもと違って下ろした前髪が、頬を伝ってきた涙とぶつかって毛先を濡らしていた。前髪から覗く悠太君の顔は、涙でぐしゃぐしゃで赤くなっていたけれど、それは僕の大好きな眩しい笑顔だった。
カチッという音が、僕達二人の涙声が響く室内に木霊した。音の方へ振り向くと、どこから取り出したのか病室内でライター片手に煙草に火をつける稲見先生の姿。
稲見先生は壁にもたれかかったまま、咥えた煙草を吸い込んで深く煙を吐いた。
「……てめーら、ここは病室だぞ。少しは静かに出来ねーのか」
「あ……ごめんなさい」
また一つ煙を吐いた稲見先生に、僕と悠太君は声を揃えて謝った。稲見先生は僕達の方は一切見ずに、煩わしそうに煙草を吸う。
……いや、病室で煙草も駄目でしょう。
「病室で煙草も駄目だろ、仲平患者だぞ」
「目覚めてんならもう患者じゃねーよ」
僕の言葉を代弁したように言った狼君に、稲見先生はとんでもない暴論で返す。でもそのお陰で、重かった室内の雰囲気が少しだけ軽くなったような気がする。
少しだけ軽くなったこの雰囲気に、悠太君は狼君達の方へと向き直った。
「狼君、弥子君、二人もありがとうございます。二人が僕を、学園まで運んでくれたんですよね」
僕と悠太君が二人して泣きあっていた事もあってか、狼君と弥子君は悠太君が目覚めてからも話す事はしなかった。改めてお礼を言った悠太君に、弥子君は少し眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。
「……いや、お礼なんて言わなくていいよ。寧ろ、ごめん」
弥子君が小さくそう言うと、悠太君は何か思い出すかのように悲しげに眉を下げて笑った。
「……やっぱり、懐君だったんですね」
「ああ」
悠太君の言葉に、狼君が静かに肯定の言葉を並べる。
「随分背が伸びてたので、気付きませんでした」
「僕より高くなってましたよ」と、切なげに笑った悠太君が、自分の頭の上に手を当ててみせる。彼は元々この学園の生徒だったのだから、悠太君が彼の事を知っているのなんて当たり前の事なのに、その事実はどこか非現実的だった。
「……俺達が一緒だったら、二人が傷付く事はなかった」
少し俯いてそう言った弥子君に、狼君が同調するようにして顔を上げた。そして狼君は、僕と悠太君の方を見ていつもより低い声で吐き出した。
「……助けれなくて、悪かった」
その言葉は、まるでお礼なんか言われる立場じゃないって言っているみたいで。そんな二人に、悠太君は窓の外を見つめて小さく笑った。
「二人は、昔からずっと……僕のヒーローなんです。…………だから、ありがとうございます、なんですよ」
にこりと笑った悠太君が、窓から視線を戻してこちらを振り向いた。その笑顔に、狼君も弥子君も困った様に眉を下げて笑う。
「ほんと……仲平には敵わないね」
降参したように肩を落とした弥子君の顔に、やっと温度が戻る。狼君が優しく悠太君の頭を撫でると、悠太君は照れ臭そうに笑った。僕の瞳に映る二人が、いつも通りの二人に戻って、僕は静かに息を吐き出した。
「稲見先生もありがとうございます。お陰で僕、命拾いしたみたいで」
「おー」
ヒラヒラと気怠げに手を振って、やはり稲見先生は煙を吸い込んだ。
「てめーら怪我すんなって言った傍から瀕死で帰って来るし……」
「うっ……」
「すみません……」と謝った僕達は、呆れたように言う稲見先生に、揃って肩を下げた。そんな僕達に、煙草を咥えたままゆっくりと近付いて来た稲見先生は、ポンっと優しく僕達の頭に手を置くと、優しく見下ろして。
「命は大事にしろよ、その身体はてめーらだけのもんじゃねーからな」
兄のように優し気な瞳が、僕達を見ていた。頑張ったなとでも言うように、そっと優しく頭を撫でる。僕はその体温が大好きだった。
「ありがとう、ございます」
その言葉に、稲見先生は小さく笑った。
笑った顔、初めて見た____
「____施設内は全域禁煙じゃなかったっけ?仁」
突然、僕達以外の声が室内に届いた。




