第六話『共喰い 上』其ノ参
カキーンッと甲高い音が建物内に響いた。
紙風船と木製バットを取り出した悠太君は、いつかの日と同じように紙風船を握った右手を左腕に添えて妖の方へと向けると、能力を使ったのかピィィンと聞いた事のある音を鳴らした。音の後、握っていた紙風船を手離すと、即座に木製バットに持ち直して全速力で妖の元へと駆けて行く。
そして____
カキーンッという甲高い音と共に、妖の硬そうな身体に木製バットをめり込ませた。まるで野球ボールを打つかのように、綺麗なフォームで何度も何度もバットを振るう。
その異様な様子に呆気にとられていると、隣に弥子君がやって来た。
「なかなかユーモアのある祓具だよね」
「弥子君……」
悠太君を見ながらそう言った弥子君の顔には小さく笑みが浮かんでいる。
「やっぱりバットが、悠太君の祓具なの?」
「そうだよ。仲平はああやって、妖の特徴に合わせて能力を発動して、あのバットを使って祓うんだ」
「だから、野球みたいな音してるでしょ?」と妖を指差した弥子君に、僕もそちらへと視線を向ける。確かにヘルメットのように硬そうな身体は、なかなか攻撃を通しそうにないのに、まるで紙風船とヘルメットの平均値をとったかのような質感に変わって、確実にバットは衝撃を与えていた。
「やっぱり悠太君、凄いや……」
僕は心の底から感心の声を漏らした。
「ていやっそいやっ」とバットを振るう悠太君の姿に、この御役目は悠太君一人で良かったんじゃ……?だなんて思っていると……。
着実に、そして段々と悠太君の動きが鈍くなる。
どうしたんだろうと思っていると、その動きはついに止まってしまう。見ると悠太君は、ゼーゼーと肩で大きく息をしていて、
そして____
「た、体力の限界です……っ」
「嘘でしょ!!?」
此方を振り返った悠太君に僕は声をあげた。悠太君は心底疲れ果てた顔をして、僕を見ている。そして僕は思い出した、彼の体育の成績が2だと言う事を……。
こ、これが体育2か……と、僕の心には寧ろ感心の気持ちが芽生え始めていると、ダメージの回復した妖が悠太君の背後で足音を鳴らした。
「悠太君!!危ない!」
そんな僕の声と同時に、妖は前脚で悠太君を壁に吹き飛ばした。
ドガァンッという大きな音と共に建物全体も大きく揺れる。壁に叩きつけられた悠太君の姿は瓦礫と土煙に隠されて見えない。体力の限界によって悠太君の異能力が解けたのだろうか。妖の力は先程よりもずっとずっと強いように感じる。
「っ悠太君!!!」
「……ぐ、けほっ……ッ」
「血が……っ、大丈夫!?」
駆け寄った悠太君は、頭を強く打ったのか額から血を流していた。傷付いても治る僕の身体とは違って、傷付けば簡単に死んでしまう身体が怖くて堪らない。そんな震える僕の手を、悠太君は優しく包み込んだ。
「大丈夫ですよ廻君……、ちょっと怪我しちゃっただけです」
「でもっ、悠太君の身体は僕みたいに治らないんだから、怪我なんて……」
「廻君…………」
ただ焦る僕の言葉に、悠太君は目を見開いて何か言いたげな顔をする。何だ……?と口に出そうとした瞬間、妖は尻尾を鞭のように使って僕達目掛けて振りかざした。
「ぅわッ」
悠太君に覆い被さるようにして姿勢を低くする事で尻尾はすぐ上の壁に当たり、僕達は何とか尻尾の攻撃を受けずに済んだ。
でも、ずっと避け続けていても意味が無い。何とか妖の目を潰して祓わないと……。
「早く、祓わないと……。目は、一体何処に」
「それなら、もう見当はついてます」
「え……」
ごしごしと乱暴に額の血を拭った悠太君は、少しふらつきながら立ち上がる。いつもの笑顔とは違う、真剣な表情をした悠太君と目が合う。
「だから、僕達二人で祓いましょう」
ピィィンと再度音を鳴らして、先程と同じように悠太君が異能力を使った。その音を合図に妖の元へと駆け出した僕は、まずその鞭のようにしなる尻尾目掛けて刀を振り下ろした。
ザシュッと嫌な音を鳴らしながら尻尾が切り落とされる。「キュエッ」と気持ちの悪い呻き声をあげて妖は暴れるが、やはりその身体が消える事はないようだ。
すぐに僕は妖の左前脚の方へと移動し、滑り込みながら前脚を胴体から切り離した。「ギュェェエッッ」と奇声を発して妖が暴れる。
僕はすぐさま次の右前脚を狙って駆け出すが、ドシドシと暴れる妖の右前脚が近くにいた悠太君の体を吹き飛ばした。勢い良く壁に叩き付けられた悠太君が、「ガハッ」と口から血を吐き出してズルズルと床に倒れ込んだ。
「悠太君ッ!!」
僕は急いで方向転換をして悠太君の元へと走り出すが、叩き付けられた拍子に悠太君の能力が解けたのか、妖はその右前脚を使って僕を掴み上げ固いコンクリートの床に叩きつけた。
「がぁッ」
勢い良くコンクリートへと叩き付けられれば、僕の身体でも簡単に骨が軋み、上手く空気が吸えなかった。
「ッ廻君!!!」
即座に動く事が出来ない僕に、妖はその蛇のように長い舌を伸ばして勢い良く僕の左肩へと突き刺した。文字通り串刺しにされた僕は「ぁぐッ」と呻き声を漏らす。
そして次の瞬間____
バァンッと何かが弾け飛ぶような音と共に、左側からびちゃびちゃと大量の血が飛び散った。
「ッッぁあああ゙あ゙あ゙!!!!!」
刹那伝う、体験した事ない猛烈な痛み。今までのどの暴力からも感じ事のない激痛に涙が滲む。
その場所を抑え込むようにして庇おうとするが、そこには何も感触はない。そっと左肩の方を覗き込むと、肩から下の腕が内側から爆散するように跡形もなく無くなっていた。初めての光景に歯がカチカチと音を立てる。視覚で自覚すると、痛みは何倍にも膨らんで僕に襲いかかって来た。
「っそんな……、廻君ッ!!」
酷く焦ったような悠太君が、此方へと駆けて来る。
駄目だ、このままじゃ妖が祓えない____。
僕は痛みに震える歯を強く噛み締めて、右手で刀をグッと握った。僕の身体の真上では、妖がその蛇のように長い舌を見せびらかしながら目を動かしている。
僕は刀を握る右手に全ての力を込めて、その妖の顔目掛けて刀を強く振りかぶった。
__
「見当はついてるって……悠太君、あの妖の目が何処か分かったの?」
やはり額の傷が痛むのか、悠太君は小さく顔を歪めた。
「あの妖は子供なんです」
「子供?」
じわりとまた流れ出てくる血が、悠太君の額を伝って流れる。
「自分の宝物を見せびらかして喜ぶ……子供と同じ。だから、その宝物が奪われそうになった途端、それを自分の中に隠すんです。実際あの妖を叩いた時、僕を目の前にしてそれを見せびらかす事はしませんでした」
悠太君の言わんとしている事に、僕も漸く気付く。流れる血を拭う事はせず、悠太君は真っ直ぐに僕を見た。
「僕に考えがあります。だから一緒に祓いましょう、廻君____」
__
その瞬間、妖は口の中に舌を引っ込める。
____ああ、悠太君の予想通りだ。
僕が振りかぶった刀はザシュッと妖の口を割いて、だらーんとだらしなくその口を開けさせた。
「悠太君ッ!!っ今だよ!!!」
僕の声に此方へと駆け寄る足を止めた悠太君は、ハッとした顔をして一瞬躊躇する顔をしたけれど、意を決した顔で妖の元へと駆け出した。
僕に口を切り裂かれたことで閉じるのことの出来ない妖の口からは、僕の腕を爆散させた舌が動いている。額から血を流しながら妖の元へと一直線に駆け出した悠太君は、強く地面を蹴って飛び上がる。そして怯えたように動き回る妖の舌目掛けて大きくバットを振りかぶった。
バコーンッッ!!と音を立てながら、悠太君のバットが妖の舌を叩き割る。ぐちゃりと気持ち悪いの悪い音と共に潰れた舌に、妖は奇声を発した。みるみるうちに妖の蜥蜴のような身体は膨れ上がり、そして僕の腕を弾き飛ばした時のように四方八方に爆散した。
ビシャビシャと妖の血液のようなものが飛び散って、僕達や辺り一帯を赤く汚す。爆散するようにして弾け飛んだ妖は跡形もなく消え、周囲には赤色だけが残った。しかしそれも束の間、ジューッと蒸発するようにして、周辺を汚した赤色は徐々に消え去った。
「廻君!!!!」
ぼーっとしていたのか、僕は駆け寄ってきた悠太君の声に意識を取り戻した。片腕を無くして上手く起き上がれない僕を、悠太君が震える手で抱き起こしてくれる。
「すみませんっ、僕が能力を解いちゃったばっかりに、廻君が……っ」
今にも泣き出しそうな顔をして悠太君はそんな事を言う。
何でそんな事を言うんだろう。悠太君がそんな顔をする意味が、僕には分からない。
だって、僕は____
「大丈夫だよ……、悠太君。僕、死なないから。だから全然大丈夫。腕だって、もうすぐ治りそうだし……」
そう言って、僕は骨が生え徐々に元の形を取り戻しつつある左腕を見る。稲見先生の言った通り、妖から受けた傷はなかなか治りにくい様だったけれど、それでも確実に修復しようとしていた。だから僕は大丈夫だよ、という意を込めて、痛みを必死に堪えながら悠太君に視線をやると、酷く顔を歪めて僕を見る悠太君がいて。
「違うじゃないですか……。どうして、廻君はそうやって……」
「悠太君……?」
その言葉は怒気を帯びて。いつもの笑顔じゃなくて、とても不愉快そうに顔を歪めて。
悠太君はどうして、どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるんだろう。
ジャリッと誰かの足音が聞こえて、僕達は同じ方向に振り返った。一体いつから見ていたのか、其処には建物を出て行った筈の作業員の姿。
僕達は迷わず彼の元へと駆け寄った。
「ど、どうしたんですか!?外に出たはずじゃ……」
「……っき、君達が残った、まま……だったから、心配に、なって……」
問い掛けた悠太君に彼は酷く怯えた顔をして答えた。
どうしたんだろう、何か様子が……
「あの、大丈夫ですか__」
「ヒッば、化け物っ……」
恐怖と嫌悪____。学園に来てからは、誰も僕をそう呼ばないから。誰も僕を嫌う事がなかったから。
それは、久しぶりに聞いた、名前の無い僕の名前。
酷く怯えた顔をしてそう言った彼が、いつから其処にいたかなんて分からない。でも、すっかり元通りに治った右手を差し出した僕に、恐怖で怯えた顔をした彼を見れば、そんなのすぐに分かる事だった。
「っ……、廻君はッ__」
「悠太君」
何か言おうとした悠太君を僕は言葉で引き止めた。
「帰ろう」




