第六話『共喰い 上』其ノ弐
すっかり昼食を食べ終えた僕は、「食べ終わったんならさっさと出てけよ」と言った稲見先生の声を無視して医務室に居座り続ける狼君と弥子君に合わせて、ソファーの上に小さく居座り続けていた。全くもって言う事を聞かない狼君達に手を焼く稲見先生は、本当に二人のお兄さんみたいだ。
一通り騒ぎ終えた狼君が、深く息を吐きながらベットへと腰掛けた。目の前にある開いた窓から入り込んできた風が、狼君のその綺麗な銀白髪を持ち上げてサラサラと靡かせる。良く晴れた空に浮かぶ太陽が窓から射し込んで、狼君の銀白髪を金色に反射した。
「…………てめー、兄貴に似てきたな」
届かない誰かへと想いを馳せるように、稲見先生は狼君を見てそう言った。その言葉に狼君と弥子君の動きがピタリと止まる。その光景に僕は、先程まで騒がしかったこの室内の時間が、まるで止まってしまったかのような錯覚を覚えた。
何だろう、急に二人の様子が____
そう思った瞬間、ダダダダダダダッと忙しない足音が廊下から響いて来た。
何だ?と思う暇もなくそれは僕達のいる医務室へと一直線にやって来て、ガラッと勢い良く扉を開いた。
「廻君!御役目ですよ!」
「ゆ、悠太君?」
ゼーッゼーッと肩で息をしながら現れたのは悠太君だった。僕の後ろでは稲見先生が「だからノックしろって言ってんだろ」と不機嫌に言ってるけど、興奮している悠太君の耳には届いていないようだった。
「どうしたの?そんなに慌てて……」
「だから御役目です、御役目!」
肩にダッフルバッグをかけた悠太君の手には見覚えのある紙が握られていて。僕はまさか……と冷や汗を流す。
「僕達同じ御役目を担う事になったんですよ!ほら、行きましょう!」
悠太君はそう言って僕の手を掴むとグイグイと引っ張って僕を連れ出した。そのあまりにも突然過ぎる出来事に、僕は慌てて首だけ後ろに向けて稲見先生に声をかけた。
「あのっ、お邪魔しました……!」
「怪我すんなよ」
ヒラヒラと手だけを此方に向けて軽く振った稲見先生が、やはりぶっきらぼうにそう答えた。僕は手を引く悠太君に連れられるがまま、医務室を後にする。
後ろから、御役目へと向かう僕をゆっくりと追いかけるように出てくる狼君と弥子君の姿を後ろ目に。
慌ただしく医務室を出て行った回道と仲平を追いかけるため、高専寺と狐塚も腰を上げる。ゆっくりとした足取りで出口へと向かい扉を開けて医務室を後にする。先に医務室を出た狐塚の後ろで、高専寺は扉に手をかけて背を向けたまま稲見へと問い掛けた。
「……なあ、廃人」
「んだよ」
そんな高専寺に稲見は椅子に腰掛けたまま、深く煙草の煙を吐き出した。
「何で、言わなかった?」
「……何の事だ」
妙な間を置いてそう返した稲見に、高専寺は再度問い掛ける。
「とぼけんな、分かってんだろ。彼奴の身体について、まだ話してない事あっただろ。
____なあ、何で言わなかった?」
「………………………………」
__
千葉県某所____
「着きました!」
「此処って…………工事現場?」
手を引く悠太君に、御役目だと連れられて来られた場所は工事現場だった。歩道のすぐ隣に立つその工事現場は、何やら商業施設の改修工事を行っているようで、ドリルの音や重機の音が忙しなく鳴り響いている。しかしそれ以外には何の変哲もない、ただの工事現場にしか見えない。スマホと目の前の工事現場を交互に見比べる悠太君は、「此処で間違いないようです」と再確認するように呟いた。
そんな悠太君に、僕は前回の御役目の時と同じようなことを問い掛ける。
「やっぱり今回の御役目も、どんな妖を祓うかは分からないの?」
平日の昼下がり、人の疎らに行き交う歩道で、僕は隣に立つ悠太君へと語りかけた。僕の声にくるりと此方を振り向いた悠太君は、肩にかけたダッフルバッグをかけ直し、スマホ片手に話し始める。
「調べたところによると、どうやらこの工事現場では何人もの死傷者が相次いで出ているようです」
「えっ、分かるの?」
驚いた僕の声に、悠太君は「はい、調べれば分かりますよ」と、不思議そうな顔をして言う。そんな悠太君の言葉に、僕は後ろにいる狼君達を振り返った。
「でも狼君、前に詳しい事は分からないって……」
「調べねぇとそりゃ分かんねぇだろ?」
さも当たり前かのように狼君はバッサリとそう言った。
「つーか、わざわざ調べなくても其処行って祓ってくれば良くね?なあ弥子」
「そうだね」
欠伸を一つ零して当然のようにそう言った狼君に、隣に居た弥子君もスマホを弄りながら同意した。やっぱりS級の二人が考える事は僕には理解出来ないな……と痛感した僕は、再度悠太君へと向き直る。
「その死傷者って言うのは、やっぱり妖の仕業なの?」
「はい。初めはただの事故だと思われてたみたいですけど、流石に立て続けに起こる不審事故に、この辺りでは呪いや祟りなんて噂されてるみたいですね」
「呪いや祟り……」
確かに、普通の人間には妖の姿は見えていないのだから、そう思うのも当然なのかもしれない。何人もの死傷者が出ているという事実に、僕は少し身震いした。
そんな僕とは対照的に、悠太君はいつものように眩しい笑顔で、僕の手を引いた。
「まあ、とりあえず行ってみましょう!」
工事現場の中へと入ると、其処は外よりも大きな音を鳴り響かせていた。ヘルメットを被った男達が休む事なくあちこちへと動き回っている。
そんな工事現場の中、僕達は作業員に見つからないように隠れもって商業施設の中を探っていた。
「うーん…………、一体何処にいるんでしょう」
「ねえ、これって見つかったら相当まずいんじゃ……」
「勿論見つかったら追い出されちゃうんで、廻君も気を付けてくださいね」
「む、無理だよ、そんなの!」
辺りをキョロキョロと見渡して妖の姿を探す悠太君に、僕は小声で抗議した。そんな僕の声を全く気にも留めない悠太君は、キョロキョロと辺りを見渡しながら移動する。これは駄目だ……と、僕は傍にいる狼君と弥子君に「狼君と弥子君もなんとか言ってよ……」と声をかけるけれど。
「見てよ狼、こことか今にも崩れそう」
「ちょっと動かしてみようぜ」
…………一体何しに来たんだこの人達。
と、僕の御役目に着いてきてくれた二人に、僕は失礼ながらもそう思った。
この二人も駄目だと再度悠太君の方へと向き直ると、彼は少し先の開けた場所で立ち尽くしていた。そんな悠太君に僕は小さく靴音を鳴らして駆け寄ると、悠太君は大きな窓がくり抜かれた場所から、じっと上を覗き込んでいた。
そして____
「見つけました」
近付いた悠太君の声に僕も同じように上を見上げると、其処にはヘルメットのように硬そうな皮膚をした妖がギョロギョロと妖特有の目を動かしていた。尻尾が生え、四足歩行で壁を這い、時折口から蛇のように長い舌を出すその姿は、まるで巨大な蜥蜴のようだった。
作業床で作業する一人の中肉中背な従業員を覗き込むようにして、五本指の生えた手を壁に張り付けてペタペタと蜥蜴のように動き回っている。
「ひっ……」
その妖の不気味で気持ちの悪い動きに思わず声が漏れる。そんな僕とは対照的に、悠太君は「蜥蜴みたいですね……!」と心なしか目を煌めかせていた。
「シ、ゴト、ィヤダナ」
ポツリと、作業員の周りを動き回っていた妖が言葉を発した。
「ハ、ダラ、キタクナ、イナ」
「キュウ、リョ、ャスイシ」
「オ、カネホ、シィシ」
「オレ、ガ、ヤシナワ、ナ、ィト」
ペタペタと壁を這い回りながら作業員の周りで言葉を吐き続ける妖。妖の声のせいか、徐々に作業員の手の動きが鈍くなる。ついにぼーっと壁を見つめたまま動かなくなる作業員。
そんな彼の真横に張り付いた妖はピタッとその動きを止めて、不気味にググッと顔を覗き込むと____
「デモ、ゼンゼン、ミ、ァ゙ッテ、ナ゙イ」
「ッヒ、うわぁぁあああ!!!__ぅぐッ」
長い舌を覗かせた妖のその悍ましい姿が見えたのか、作業員は恐怖に怯えた顔で尻もちをついた。
そんな彼の首を妖は前脚の五本の指で掴み上げると、中肉中背な彼の体はいとも簡単に引き摺られた。首を絞め上げられて苦しそうな呻き声をあげる彼に、妖は心底楽しそうにギョロギョロと目を回す。
「や、ゃっめて、くれ……っ!」
首の手を退かそうと、口からだらしなく涎を垂らしながらもがき苦しむ彼の体は足場の外へと吊るされる。助けを乞う彼に、妖はニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべてゆっくりと一本ずつ指を離していく。足場の無くなったそこから手を離されると、彼の体は重力に従って真っ逆さまに落ちて行くだろう。そんな事になれば、彼がどうなるかなんて考えなくても分かる。
「ヒッ、やめろ……っ、し、死にたくな__」
涙ながらの悲痛な叫びも虚しく、妖は最後の指を何の躊躇もなく離した。絶望に染まる彼の表情は、勿論重力に従って真っ逆さまに下へと落ちる____
ガシッ
「ふんっ、ンぬぉぉおおおおおお!!!!」
作業床へと勢い良く倒れ込む勢いで、悠太君は落ちていく作業員の手を掴み止めた。
妖が彼の首から手を離す直前、僕達は勢い良く地面を蹴って飛び出した。妖が手を離すと同時に、僕は体当たりする形で妖に突っ込み、改修工事中の壁へとその体を突き飛ばした。同じく悠太君は作業員の元へと全力で駆け出し、何とかギリギリ落ち行く手を掴めたようだった。何とか危機は脱したものの、以前宙ぶらりんのままの作業員は、その高さに酷く怯えた声を上げている。
「め、廻君っ……助けてくださいっ。僕っ、体育は2なんです……ッ」
緊迫感溢れる悠太君の声に、僕は妖に体当たりした勢いで転がっていた地面から起き上がる。視線を動かすと作業員の手を必死に掴む悠太君の身体は今にも作業床から落ちそうになっていた。重力がかかった中肉中背の彼の身体を一人で支えるなど、男子高校生、ましてや体育2の悠太君には厳しいのだろう。
僕は急いで駆け寄って、ズルッズルッと徐々に作業床から身を乗り出している悠太君の身体を掴んだ。
「ま、まずいです廻君……くっ……僕はっ、体育2なんですっ」
「しっ、てるっっよッッ!!!」
グッと全身に力を込めて、悠太君の身体を後ろへと全力で引っ張る。ドサッと重いものが床に落ちる音をさせながら、勢い良く尻もちをついた僕達はなんとか作業員を引き上げることに成功した。
僕達は肩を激しく上下させながら、床に手を付いて怯えたままの作業員に近寄る。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……っありがとう」
「此処は危険です。今すぐ他の作業員の方を連れて、建物から離れてください」
悠太君はテキパキと手馴れた様子で指示を出し、作業員をこの場から離れさせた。そんな中、僕は叩きつけられた壁からペタペタと這い出た妖を目に、悠太君へと問い掛ける。
「悠太君、どうするの……?」
僕の問い掛けに悠太君は生返事をしながら、肩にかけていたダッフルバッグを開けた。
そういえば僕を迎えに来た時からずっと持っていたけれど、中身は何なんだろう。
ジジッとファスナーを下ろすと、悠太君は中から紙風船と木製バットを取り出した。
「……さてと、僕__久しぶりの御役目です」




