第六話『共喰い 上』其ノ壱
その瞬間、僕は唐突に思い出した。
闘う力を持たない弱者が、圧倒的な力を持つ強者に支配されるのは、この世では当然の摂理だと言う事を__
__
学園内高等部普通科__
「はい、それじゃあ後ろから回してー」
竜胆先生の声を合図に教室内は一気に動き出す。後ろから用紙を受け取ると、僕も前の席へと答案用紙を回し、その解放感から一つ息を吐いた。
今日で前期中間テストが終了し、明日からいつも通りの授業が再開する。だから今日はテスト期間最後の午後休となる。そのため学園内はいつもの何倍も騒々しかった。
テストが終わった途端、生徒達は素早く席を立ち教室を出て行く。その足取りは解放感からかいつもより軽く弾んでいる。でもそれは僕も同じで、昼食を口実に狼君と弥子君に会いに行こうと少しばかりそわそわしながら席を立った。
「____回道さん」
いつかの日と同じように凛とした声に名前を呼ばれた。顔を上げるとそこには泉波さんが僕を見ていて。
「泉波さん、どうしたの?」
「突然すみません。この間の進路希望の話なのですが、回道さん文学部に決められたのですね。それも日文科に」
「あ……うん、そうなんだ」
あの日____泉波さんの提案で学園内を見て回ることにした日、僕は彼女に連れられて沢山の学科を見て回った。その中で、僕は最後に見た日文科を大学棟から進む学部に決めたのだ。この学園に来てから沢山の言葉に救われて、僕ももっとこの国の言葉を識りたいと思った。最も、その大半の理由は言葉について語る彼女に心動かされたのが大きいのだが……。
「この国の言葉が、とても綺麗だと思って……。僕ももっと言葉を識りたいと思ったんだ」
「まあ!素敵ですわ。私も大学棟からは文学部ですの。ですから回道さんも同じだと聞いて……、また一緒に学べますわね」
「泉波さんも……、嬉しい」
どこか嬉しそうにそう言った彼女に、僕も素直に嬉しいと思った。彼女だけじゃない、クラスメイトだって、この学園の人達はとても暖かい。優しい人達ばかりで、むしろそれが怖いとすら感じる程に。
「回道さん、良い出逢いがあったのですね」
そう言われて、僕は彼女を思い出した。学科が違うのか、あれ以来この広い学園で彼女の姿を見かけたことはない。名前も歳も学科も……、何もかも知らない訳だから当然なんだけど。それが余計に、あの日の出来事が幻なのではないかと思わせた。
「……回道さん?」
「……っあ、うん!泉波さんのおかげだよ、ありがとう」
ぼーっとしていた僕は泉波さんの声にハッとしてそう返した。泉波さんは「いえ、私は何も」とやはり謙遜して、あまり動かない表情筋を優しく緩めた。
「____っお、おい回道、高専寺達来てるぞ」
「へ?」
突然肩を叩かれて振り返ると、何やら興奮した様子のクラスメイトがいた。「お前のこと呼んでる……」と言われて扉の方を見ると、そこには会いに行こうと思っていた狼君と弥子君が僕の方を見て立っていた。僕は泉波さんに一言告げてその場を離れ、二人の元へと駆けて行く。
「ふ、二人とも、どうしたの?」
お互いの学科試験に集中するため、テストの間僕は二人に会うことがなかった。だから約1週間ぶりに見る二人の姿に少し声が上擦ってしまった。
「ちょっとお前に話があってさ、一緒に来てくんね?」
「話?」
__
学園内保険診療所 医務室____
2人に連れられて来たのは、学園に立つ大きな保険診療所だった。狼君はガラッという音を立てて勢い良く扉を開ける。
「廃人、連れて来たぜ」
慣れた様子で中へと入って行った2人に、僕も釣られて中に入った。そこには2人に廃人と呼ばれた白衣姿の男性が、椅子に浅く腰掛けて煙草を吹かしていた。
「……てめーら、入る前はノックしろって言ってんだろ。何回言や分かんだ」
「わりーわりー、次からはそうするワ」
「てめーらの次は何回あんだよ」と、目付きの悪い目で此方を見た男の人は眉を顰めてそう言った。全く悪いと思って無さそうな狼君は言葉だけの謝罪を口にし、ドスンと脚を組みながらソファーへと腰掛けた。
そんな状況に戸惑う僕に、小さく手招きした弥子君が隣にきた僕の肩に手を置いて言う。
「そんな事より廃人、連れて来たよ」
目の前にズイっと立たされた僕に、男性は咥えていた煙草を手に持って僕を見た。
「てめーが回道か。わざわざ来てもらってわりーな」
「い、いえ……」
相変わらず眉を顰めたままの男性は、僕にそう言うと癖のある黒髪を揺らしながら顎でソファーを指し、そこに座れと促した。
立ち上がって窓を開ける男性を横目に、僕はソファーに腰掛ける。そして同じく隣に座った弥子君に「あの人は…?」と気になっていた事を問い掛けた。
「この人は稲見 仁、保険診療所の医師で臨時医学部講師だよ」
「……お医者さん?」
再び椅子に腰掛けて煙草を吹かす男性__稲見先生は顔色の悪い顔で此方を見た。その細い体と、顔色の悪さからはこの人が医者だなんて想像出来ないけど、羽織っている白衣が彼が医者である事を示していた。
「あとこの人、SS級の異能力者」
………………………………。
「え゙」
SS級って……………………、
「SS級!!!?」
狼君や弥子君達よりも上の幻のSS級!!?この人が!?
とてもそんな風には見えない稲見先生は、僕の大きな声にさらに眉間の皺を濃くした。そんな稲見先生の様子を見て、僕は慌てて口を塞ぐ。
この人は一体、どんな能力者なんだ……。
そんな気持ちが顔にまで出ていたのか、僕の顔を見た弥子君が可笑しそうに笑った。
「わかる、廃人がSS級には見えないよね」
「……その、廃人っていうのは…?」
僕がそう聞くと、弥子君は狼君と2人で悪巧みをしている時と同じような悪戯な顔をする。
「死んだ目でいっつも煙草ばっかり吸ってる重度のニコチン中毒者の稲見 仁だから、廃人______いてっ」
ナイスネーミングだとでも言わんばかりにそう言った弥子君に、稲見先生はポケットに刺していたボールペンを見事おでこに命中させた。
「んな話はどうでもいい。さっさと本題に入るぞ」
そう言って稲見先生はデスクにあるパソコンをいじった。暫くカタカタとタイピングをした後、パソコンの画面を僕達の方へと向けた。そこには僕の顔写真と一緒に、全身写真や人体模型図等が映し出されていた。
「これは……?」
「これはお前についての調査資料だ」
「僕の?」
「どうして……」と、疑問を投げ掛けた僕を稲見先生は相変わらずの死んだ目で見る。
「てめーの能力は未登録だからな、研究するのは当たり前だろ。編入時にした血液検査もそのためだ」
「あ……」
その時は気にも留めていなかったけど、そういえば編入時に血液検査してたな、と僕は今になって思い出した。
「科学部の実験好きな変態共のせいで余計に時間かかったわ、クソが」
「そ、そうなんですね……」
煙草を吹かしながら不機嫌そうに稲見先生は言った。長い前髪から除く瞳はいつもより鋭く光っている。……それにしても口が悪いなこの人。
そんな事を思いつつ、僕は隣に座る弥子君に「ねえ、科学部の変態共って……?」と問いかける。
「大学棟にある科学部は、その名の通り観察や実験を通して様々なものを研究する学部なんだけど。そんな学部なだけあって、研究熱心な人達ばっかりなんだよ……それも変態級にね」
「……なるほど」
「特に回道は不死身の能力者だからね。そんな能力者の血を研究するなんて、彼等にとってはご褒美だ」
げんなりした顔の稲見先生を見るだけで、相応苦労したのなんて容易く想像できた。
「今は回道の血で我慢してるけど、回道の姿なんか見かけたら飛びかかってくるだろうから気を付けてね」
「え」
さらりととんでもない事を言ってきた弥子君に顔が引き攣る。飛びかかってくるって、科学部は野生動物か何かなのだろうか。
「まぁ、その変態共のおかげでてめーの身体について分かった事がある」
「今日はそれを伝える為にてめーを此処に呼んだんだ」、そう言った稲見先生に僕は漸く自分が此処に呼ばれた理由を知った。稲見先生は画面に映し出されている人体模型図へとマウスを動かし、僕を見ながら口を開く。
「まずその不死身の身体についてだが、傷の治る速度は同じじゃねぇ。傷が浅ければ浅いほど速く修復し、深い傷になる程修復は遅くなる。
それから普通の傷と違って、妖の力によって付けられた傷は格段に修復スピードが落ちる。
……お前、前回の御役目でかなりの深手を負ったらしいが、思い当たる事はねーか?」
「……!」
そういえば、あの妖が出す黒い靄を吸い込んで肺が切り裂かれた時、中々肺の傷が治らなかった。その時はただ目の前の事にいっぱいいっぱいで、傷の治りが遅いことなんて気にも留めていなかった。
「……あるみてーだな」
「はい……。妖の力によって切り裂かれた肺の傷が、中々治りませんでした。だから、その後に受けた傷も…………って、あれ?」
その時の事を思い出していると、僕はもう一つ思い当たる事に気付いた。
そういえば、あの時_
「それが二つ目に分かった事だ。てめーの身体はどんだけ致命傷を負わされても死なねーし、例え塵も残らねーぐらいに消し炭にされたとしても、またどこからともなく再生する。
……ただ、てめーの能力は万能だけど優秀じゃねぇ。一度に全ての傷を修復する事は出来ねーんだよ。だから一度に複数の攻撃を食らった場合、一番最初に食らった傷から修復しようとする」
何かに気付いた僕の声に被せて、稲見先生はそう言った。先生の言った通り、僕はあの時肺の修復が追い付かないせいで、次に受けた沢山の傷の修復が全く出来ていなかった。今までただ死なないとしか知らなかった自分の能力に、僕はごくりと唾を飲む。
「つまりてめーの能力は、妖によって致命傷を負えば、それは妖に敗北する大きな要因になる」
「……っ」
稲見先生に確信を突かれ、僕の額には冷たい汗が滲んだ。先生が言うように、僕はあの時傷の修復が追い付かないせいで妖にのまれそうになったのだ。たまたま狼君と弥子君に助けて貰って何とかなったけれど、僕一人だったら確実に敗北していた。
明るみになった能力の欠点に、僕は目に見えて肩を落とした。そんな僕を稲見先生はちらりと横目に見ると、煙草の煙をゆっくりと吐き出した。
「だから、攻撃を食らわねー術を身に付けろ」
「……へ?」
聞こえた声に顔を上げると、稲見先生は画面に視線を向けたまま僕に言う。
「自分の欠点が分かったんなら、まずはそれを補う努力をしろ。落ち込むには、まだ早すぎんだろ」
ぶっきらぼうに、吐き捨てる様にして言われたその言葉は、言い方に反してとても優しかった。
「素直じゃないね廃人、元気出せって言ってあげればいいのに」
「…………んな事思ってねーよ」
「またまたぁー、ほんとツンデレなんだから」
「ほんっとに可愛くねーなてめーは!」
「あいたっ」
揶揄うように言った弥子君に、額に青筋を浮かべた稲見先生は、声を荒らげながら近くにあったファイルで勢い良く頭を叩いた。
…………どんだけ懲りないんだ弥子君は。
「すぐ叩くんだから廃人は……」と、頭をさする弥子君と目が合うと、彼はいつものように笑って。
「こんな感じだけど、廃人はツンデレで結構優しいんだよ」
「だからちげーって言ってんだろ!!」
ダンッとデスクを叩いて言った稲見先生に弥子君はケラケラと楽しそうに笑う。全くと言っていいほど学ばない弥子君に僕は苦笑いを浮かべた。だけど、稲見先生が優しいと言うのは僕もそうだと思ったから。
「……稲見先生、ありがとうございます。僕、ちゃんと頑張ります」
「……おー」
僕をちらりと見た稲見先生は、やはりぶっきらぼうにそう答えた。
煙草の煙が、室内を舞う。先生が開けた窓から、暖かい風が入ってくる。その風が僕達の元にやって来て、優しく髪の毛を揺らした。
「あ、飲みもん忘れた」
そんな中、狼君の声が風を切った。
そういえば先程から全然喋っていなかった狼君に視線を向けると、狼君は机の上に昼食を広げてもぐもぐと口を動かしていた。
「まったてめーはァ!!此処で食べんなって何回言や分かんだ!!!」
「ぶっ」
弥子君の時と同じく声を荒らげた稲見先生が、口を動かす狼君の頭をまたもやファイルで叩いた。狼君は口の中のものを飲み込んだ後、同じように頭をさすりながら口を開いた。
「別にいいじゃねぇか。廃人だって食べてんだろ」
「俺はいいんだよ、俺は。おら、ちゃんと見ろ、飲食禁止って書いてんだろーが」
稲見先生は、コンコンと後ろの壁に貼ってある貼り紙を叩いてそう言った。そんな稲見先生を見て、狼君は肩肘をついて悪戯に口角を吊り上げた。
「そうだな……、ついでに禁煙とも書いてんな」
「………………」
狼君の言うように、飲食禁止と書かれた貼り紙の横には、室内禁煙と書かれた貼り紙が並んでいる。狼君の言葉に稲見先生はゆっくりと煙草を口から離した。
「りんどーに知られたらまた怒られるな」
「てめー……っほんっっとに可愛くねーな!」
煙草を口から離して額に青筋を浮かべた稲見先生は、眉を釣り上げてそう言った。そんな稲見先生達を見つめる僕に、弥子君が優しく教えてくれる。
「廃人、りんどーとは幼馴染でさ。俺達と同じように幼稚舎からこの学園にいるんだよ」
「そうなんだ。………………弥子君達は、昔から竜胆先生と稲見先生と知り合いなの?」
「……………」
軽い気持ちでそう問い掛けた僕に、弥子君は酷くその目を見開いた。言葉を詰まらせた弥子君は、スッと僕から視線を外して立ち上がる。
「……うん、とても小さな頃から知ってる。二人共、俺達の兄貴みたいなものだよ」
その静かな声は、どこか寂しさを孕んでいて儚げだった。立ち上がった弥子君の顔は見えない。そんな弥子君が僕にはどうにも寂しそうに見えて、そっとその腕を掴んだ。
「弥子君……?」
見上げるようにしてそう言った僕を、弥子君はいつも通りの笑顔で見下ろした。その笑顔からはさっきまでの寂しさ微塵も感じなくて、あれは僕の気の所為だったのだろうか。
「俺達も狼と一緒にご飯食べよ」
「う、うん」
そう言った弥子君に連れられて、僕達も狼君と同じようにご飯を広げた。僕達も怒られるかも……と、ちらりと稲見先生を見ると、同じく此方を見ていた先生と目が合う。
「…………次はねーからな」
いやほんとに優しいなこの人。
ペットボトルの水を狼君に手渡しながらそう言った稲見先生に、僕は素直にそう思った。「てめーら恭平に煙草の事いうんじゃねーぞ」と、吐き捨てる様に言った稲見先生は新しい煙草に火をつけた。
僕達四人しかいないこの医務室には、お昼ご飯の良い匂いと稲見先生の吹かす煙草の匂いが混じって宙を舞っている。
知り合ったばかりの稲見先生は、言葉と態度こそ乱暴だけれど、その中身はとても優しい人で。そんな稲見先生と一緒にいる時の狼君と弥子君は、小学生の子供のように幼く見えて。小さな頃からの知り合いだという彼等を、僕はなんだか羨ましく思った。




