第五話『迷い猫』其ノ壱
ねえ、見えてる________?
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学園内高等部普通科____
5月も中旬に差し掛かり、全国の高校がテスト期間へと移り変わるこの頃。此処、祈納学園も前期中間テスト期間へと突入していた。
午前の授業が終わりを告げ、この時期、午後からはテスト期間のため休校となる。そのため、生徒達はテスト勉強へと勤しむ者、休みを良い事に遊び呆ける者等、その時間の使い方は十人十色であった。
そんな僕はというと、特に遊ぶ様な予定も持ち合わせていない為、勿論真面目にテスト勉強に励む予定だった。
いそいそと教科書を鞄の中へと仕舞いながら、今日は何の勉強しよう、とぼーっと考えていると。
「回道さん」
凛とした声で名前を呼ばれた。其方を向くと、其処には僕を呼んだ声の主であろう女の子が立っていた。薄水色の真っ直ぐな髪の毛は綺麗に顎の長さまで伸ばされていて、前髪を右の方へと流した彼女はその見た目からもとても凛とした印象を受ける。
確か彼女は____
「泉波さん、どうかしたの?」
声の主____|泉波 玲子さんは、僕と同い歳で、僕達高等部普通科3年生の委員長だ。
彼女は委員長の名に恥じないしっかり者で、その洗礼された所作や綺麗な言葉遣いから、僕を含むクラスメイト達が彼女を頼る事は少なくない。そして泉波さんは普通科では数少ない僕や悠太君と同じ、B級の能力者でもある。
そんな彼女が一体僕に何の用事だろう?と問い掛けると、彼女は両腕に抱えた用紙に目を落としながら答えた。
「以前お配りした進路希望調査票を回収しておりまして、回道さんだけ提出がまだの様でしたので……」
「あ……」
そうだった、完全に忘れてた。
5月に入ったと同時に配られた進路希望調査票。それを考える暇も無い程慌ただしい毎日に、すっかりとその事が抜け落ちていた。ガサゴソと机の中を漁ると、少しくたびれた進路希望調査票がもらった時の状態そのまま白紙で出てきた。
「そうだった、ごめん。でも、僕まだ書けてなくて……」
忘れていた上に未記入のまま白紙の状態に、僕は心底申し訳無くて眉を下げる。そんな僕に泉波さんは優しく微笑んだ。
「大丈夫ですわ。此処、普通科は他の学科と違って大学棟に直属の学部がありませんもの、なかなか決められなくて当然ですわ。
特に回道さんは先月編入して来たばかりですから、進学先の学部を決めようにも、分からない事ばかりですわよね」
泉波さんの言うように、この学園では高等部課程が修了すると、エスカレーター式に大学棟へと進学する事になる。大半の学科はそのまま大学棟直属の学部へと進学するのだけど、僕達のいる普通科には直属の学部は存在しない。
だからこの時期、普通科の生徒達は大学棟にある学部の中から、自分達の進学する学部を決めなければならないのだ。
「うん、そうなんだ。選ぼうにも沢山学部があるから、結局何処が良いのか決められなくて……」
この学園にはまだ僕も把握出来ていない程の沢山の学科や学部が存在している。聞いた事のある学科を初め、初めて耳にするような学科も少なくないため、それは調べるにしても果てしなかった。
「では一度、観てきては如何でしょう?」
「え?」
名案だとでも言わんばかりに泉波さんは手を合わせた。
その洗練された綺麗な口調とは対照的に、実は泉波さんは案外表情の変化が乏しい。彼女の言葉だけを見るとまるでどこかのヒロインのようだけれど、そんな彼女の表情は固く、それがより彼女のオーラを凛と光らせているようだった。
「今はテスト期間なので午後からの授業はありませんし、これを機に他の学科を見学してみては如何ですか?」
「え、いやでも……」
「実際見てみないと分からない事もありますし、たまには休憩も必要ですわ」
「で、でも、僕テスト勉強しないと……」
「あら」
彼女の提案にそう返すと、泉波さんは少しだけ目を見開いてみせた。
泉波さんの案はとても魅力的だけど、テスト期間のこの時期にふらふらとこの学園を回るのは、なんだか不真面目で良くない事をしているようで……。
そんな僕に泉波さんは少しばかり頬を緩めて笑った。
「回道さん、授業外でも沢山勉強しているでしょう?」
「なんで、それ」
「その努力は、ちゃんと普段の生活に出ていますもの。だから、今日一日休むくらい何の問題もありませんわ」
その優しい声は静かに僕の努力を称えてくれた。そうやって生徒一人一人をちゃんと見る彼女は、誰がどう見ても委員長と呼ばれるに相応しい人物だった。
「私が一緒に案内出来れば良いのですが、生憎とこれから委員会議がございまして……」
「そ、そんな……!全然大丈夫だよ!」
申し訳なさそうに少しだけ眉を下げる泉波さんに、僕は慌てて手を振った。
午後からは丁度、狼君と弥子君、悠太君と一緒にテスト勉強をする予定だったから、その案内役は彼等に頼めばいい。弥子君は言うまでもなくテスト勉強なんか必要ないくらいに頭が良いし、狼君もその高い身体能力に加えて頭も良い、……まあ、その不真面目な性格から勉強面で真面目に取り組む様子はないようだけれど。体育2の悠太君は、座学の成績はどれも平均の3くらいのようだけど、意外にも勉強面で不真面目な彼は、テスト勉強中は勉強よりもお菓子を食べている時間の方が圧倒的に多い様に感じる。
つまり僕がこの時期に彼等に案内役を頼んでも、それを彼等は喜んで引き受けてくれるだろう。
悩んだ末、泉波さんの提案したように学園内の学科を見て回ることにした僕は、彼女に一言お礼を告げて肩にかけた鞄を持ち扉へと向かった。そうやって教室を出ようとした僕を、泉波さんの凛とした声が呼び止める。
「回道さん」
その声に彼女の方を振り返ると、綺麗な瞳が僕を見つめていた。続きの言葉を待つ僕に、彼女は凛と綺麗に微笑んだ。
「この学園は、思っているよりもずっと広いですわ。その中に、それぞれに違った沢山の方々が暮らしています。
だからきっと、回道さんも見つけられる筈です。貴方の道を照らしてくれるような、そんな出逢いを」
そのあまりにも綺麗な言葉選びに、僕は思わず息をのんだ。目を見開いたまま固まる僕に、泉波さんは背中を押すように優しく言葉を紡いだ。
「素敵な出逢いを見つけられるよう、願っていますわ」
__
学園内某所____
狼君達と共に昼食を食べ終え、そこで泉波さんの提案を話すと、予想通り彼等は二つ返事で快く快諾してくれた。そのため、このとてつもなく広い学園を見て回る前に、僕達は一度自室に荷物を置く事にしたのだが……。
「…………もしかして、迷った……?」
ざわざわと騒めくこの学園内で、そう呟いた僕の声は簡単にかき消された。
一度自室に荷物を置いてから再び集合する事にしたのだが、寮を出てこれから学園を見て回る事に胸を踊らせながらキョロキョロと歩いていたせいで、僕はどうやら迷子になってしまったらしい。
いざ迷子を自覚すると、心臓は途端に慌て出した。
「ど、どうしようっ、……そうだ!狼君達に連絡を……」
そう思ってポケットを漁ってみるけれど、その感触が手に伝わることはない。「……ない」と、僕は呟きながら項垂れた。この学園に編入するまでスマホなんか持っていなかった僕には、それを常に持ち歩くなんていう習慣がどうにも身に付かない。
完全に連絡手段を絶たれた僕は、どうする事も出来ずにただぐるりと辺りを見渡した。テスト期間に伴いこの学園全体が午後から休みなだけあって、学園はいつもより騒々しい。テストまでまだ少し余裕のある今は、流石にテスト勉強をする人よりも遊んでいる人の方が多いようだった。
そんな人達を尻目に、僕はふらふらと何とか自力で集合場所まで向かおうと足を動かす。
丸くて大きな円状に建っているこの学園は、何処を見上げても立派な建物が並んでいる。まるで良く出来た玩具の世界みたいだ。外の世界から切り離すようにして、僕達を守るかのように学園全体は塀で囲われている。それが余計にこの学園を造られたものに見せていた。
そうやって辺りを見渡しながら歩いていると、現代的な建物ばかりの学園に、一際異彩を放つ異質な空間が目に止まった。
そこはパッと見た感じ森のように深く木々が生い茂っていて、木に覆い隠されたその奥は到底見えない。どう考えも異様なその森に、周りの生徒達は見向きもせず、そして近付こうともしない。騒がしい此方とは見えない境界線を引いたように、その森は風に揺れる木々の音だけをただ静かに鳴らしていた。
気が付いたら足は勝手にその森へと向かって歩いていた。どこか神秘的で悲しげなその空間に導かれる様にして、僕はその深い森の奥へと進んだ。
一際強く吹いた風が生い茂った木々の葉を強く揺らした。その音にハッとした僕は、漸く自分が何処にいるのかを自覚する。
「わっ、何で僕この森の中に……」
かなり深く森の奥へと進んでしまった僕の耳には、もう騒がしい学園の声は届いていなかった。迷った上に更にこんな森の深くへと進んでしまった事に酷く焦りを覚える。
どうしようと辺りを見渡して見ると、木々だけが生い茂る森の中、視界の端に何か建物が見えた。人が居るかもしれない、と微かな希望を胸にその建物へと近付くと、
「神社……?」
其処には歴史を感じさせる巨大な神社がそびえ立っていた。全方位を森で囲われたこの神社は、音一つも立てず、まるで人が居るような気配はしない。時間が止まっているかのように神秘的な雰囲気の神社は、何故かとても悲しげで、それでいて泣いているように見えた。
「何でこんな所に神社が__」
そう言って僕はその鳥居をくぐろうと足を踏み出した。
その時__
「____駄目だよ」
チリンッと鈴のような声が僕の耳元で鳴った。
ふわりと優しい追い風が吹いて、僕の髪の毛を揺らす。その声に僕の身体はピタリと止まった。文字通り僕のすぐ後ろから耳元で鳴ったその声は、僕の鼓膜を優しく刺激した。
全てがスローモーションのようだった。
鈴のような声に僕はゆっくりと後ろを振り向いた。つい先程まで何処にも人の気配なんかしなかったのに、その少女は当然のようにこの森に立っていた。何処から来たのか、空から来たのか、振り向いた時彼女は一瞬浮いているようにも見えた。
「其処は、駄目。其処には、入っちゃ駄目」
一つ一つ言葉を繋ぐように、微笑みを浮かべながら丁寧に彼女は言葉を紡いだ。
僕と同じ高等部の生徒だろうか。死人のように真っ白なその肌は僕と同じ高等部の制服を身に纏っている。160cm程の背丈で、腰まで伸ばされた深い赤味のかかった綺麗な黒髪は、頭の後ろで一つに結われている。小さな頭に結ばれた真っ白なリボンは、彼女のその黒髪に良く映えていた。僕を真っ直ぐに見る彼女の顔は、まだ幼さを残すもののとても綺麗で、きっと彼女の容姿は美少女と言うに相応しいのだろう。
でもそれよりも、綺麗に横に切り揃えられた前髪の下、僕を映すその猫のように丸くて大きな白い瞳が、この世界の色を反射しては輝いていて。
ああ、なんて。なんて____
「綺麗…………」
零れるように口にした僕の言葉に、彼女はその大きな瞳を微かに見開いた。たったそれだけでも彼女の瞳はきらりと世界の色を反射する。まるで、真っ白なキャンバスに色を載せるみたいに。
先程の言葉が自分の口から零れたものだと理解したと同時に、僕は漸く目の前の彼女の存在を認識した。彼女に向けて放った自分の言葉に、僕の頬はたちまち熱を持つ。
「いや……っあの、綺麗って言うのは、その…違くて!いや、違わないんだけど……っ」
慌てふためく僕に、目の前の彼女は顔を隠すように俯いた。僕の言葉が彼女を不快にさせたのかもしれない、と顔を見ようとするけれど俯いた彼女の顔は見えない。
その時、また優しい風が一つ吹いて俯いた彼女の前髪を持ち上げる。
「……二人目だ」
「え……」
彼女は、笑っていた。
どこか懐かしむように小さく呟いた彼女は、噛み締めるように微笑んでいた。
そんな彼女に僕は困惑した声をあげるけれど、次の瞬間にはもう彼女は顔をあげて先程のように優しく笑っていた。
「この森は立ち入り禁止なの。だから、此処へは入っちゃ駄目だよ」
少し首を傾けて、彼女は綺麗に微笑んだ。その微笑みのせいで彼女の言葉を理解するのが遅れる。
「…………、っえ"!そうだったの!?何も書かれてなかったから、てっきり……」
「この学園の人はみんな知ってるから」
「そ、そうなんだ……」
先月編入してきたばかりだからか、そんな事全然知らなかった。さも当たり前かのように言った彼女に僕は心の中でそう思った。
「あれ、でも君はどうして森の中へ……?」
立ち入り禁止と知っているなら、何故彼女は僕と同じように此処へ__?
そんな僕の問い掛けに彼女は悪戯な笑みを浮かべて笑う。
「見つかったら怒られちゃうね」
「!」
そうだ、この森が立ち入り禁止なら此処に入っている僕達は見付かれば確実に怒られてしまう。そして間違いなく生徒指導室行きだろう。そんな目立つような行動は極力避けて生きたいのに、どうしよう。
サァーッと青ざめる僕を見て、彼女はまたひとつ笑みを零した。
そして____
「____________」
「え……?
________ぅわっ!」
彼女が何か呟いたかと思うと、突然何処からともなく風が吹いた。それは下から上へと優しく僕達を掬い上げるようにして吹いて、僕達の体はあっという間に学園全体を見渡せる程の空へと舞い上げられた。
____そう、舞い上げられたのだ。
「うわぁぁあ!!!」
瞬く間に空へと浮かんだ自分の体に、僕は情けない声を上げた。不規則に吹く風がぐらぐらと僕の体を上下左右に悪戯に揺らす。
何がどうなってるんだ、と周囲を見渡すと、僕と一緒にいた彼女も同じように空へと飛ばされていた。ただ僕と違って、彼女は見えない板の上にでも立っているかのように、時折風に体を揺らしながら当たり前のようにそこに立っていた。
「大丈夫、風に身を任せて」
「か、風に……っ」
「そう。空に浮かぶ、羽根のように軽く」
彼女の言うように風に身を任せるようにして力を抜くと、水の上に浮かぶかのように僕の体は風の上に立ち浮かんだ。
不思議だ、今の僕の体にはまるで重さなんか無いみたいだ。
「これは、一体…………。君の、異能力なの?」
困惑した僕の問い掛けに、彼女は何も言わなかった。ただ肯定の意を示すように僕を見て微笑んだ。
「見て。ここからだと、この学園がよく見える」
「…………ほんとだ」
彼女に言われて下を見ると、空からはこの大きな学園を一望する事が出来た。
あの巨大な神社も、歩いている人達も、大きな建物だって、ここからだととても小さく映って、まるでミニチュアみたいだ。
歩いているだけじゃ見えない景色がそこにはあった。
初めて見るその景色に思わず釘付けになっていると、彼女の鈴のような声が風に乗って僕の耳へと届いた。
「ねえ、私が案内してあげるよ」
「へ?」
「回道君、この学園の事知りたいんでしょ?」
「なんで、その事……」
「それに…、僕の名前も……」と、目を見開いた僕に彼女は可笑しそうに笑って言う。
「だって君、有名人だもん。知らない人なんて居ないよ」
「あ……」
その言葉に、この前玄雲さん達もそんな事言ってたなと思い出した。僕を見てクスクスと笑った彼女は、その真っ白な手をそっと僕に差し出した。
「ほら、こっち。早く行こう」
「う、うん」
差し出された手に戸惑いながら自分の手を重ねると、冷水のように冷たい彼女の体温に少し驚いた。そんな僕を気に留めることなく、彼女は無邪気に僕の手を握って優しく引っ張った。




