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第四話『陰の名前 下』其ノ肆




 「それじゃ、御役目も無事に終えた事だし帰ろうか」

 「腹減った〜なんか食ってかね?」

 「お、いいねィ」


 3人はぞろぞろと帰路につき始める。日は傾き、空は徐々にオレンジ色に染まりつつあった。


 そんな3人に、まだこの場所でやる事が残っている僕は「あ、ちょっと待って」と声をかけた。



 3人が不思議そうに僕を振り返った時、後ろの建物から小さく物音が聞こえてきた。音のする方へと皆が視線を向けると、周りの建物が崩壊している中で不自然にも唯一無事だった建物から、あの少年が小さく顔を覗かせていた。


 「お、お兄さん……」


 建物から出ないように言った僕の言いつけを守って、少年はずっと建物の中に隠れていたのだろう。辺りがいつも通りの静けさを取り戻した事で、恐る恐る顔を出した様だった。


 辺り一帯の建物が崩壊している中、彼のいる建物だけが唯一無事だった。僕はその事に疑問を覚えたけれど、すぐに弥子君の能力を思い出して納得した。S級の妖の攻撃を防いだ時、防御力に特化している弥子君が能力を使わなかった理由__、それはずっとこの少年のいる建物を守っていてくれたからだった。


 ちらりと弥子君の方を見ると、僕の思いに気付いているのかいないのか、弥子君はひらひらと手を振って笑った。

 

 僕は少年の元へと急いで駆け寄った。








 「ごめんね!声をかけるの遅くなっちゃって……もう大丈夫だよ」


 そう言って少年の目線に合わせて膝を折ると、少年はほっとしたように胸をなでおろした。


 「…あの、ごめんなさい。僕が踏切に入っちゃったせいで、助けようとしてくれたお兄さんまで竜巻に巻き込まれちゃって……」

 「え……」

 「僕、その……なんだか踏切でぼーっとしてたみたいで……ふらふらしちゃって、それで……」


 心底申し訳なさそうに謝る少年の言葉がどんどん尻すぼみになる。そんな少年の言葉は僕の記憶と明らかに相違していて違和感を覚える。

 おかしい……、だってこの少年には妖が見えていたはずだ。大体この竜巻はただの竜巻じゃない、妖の攻撃によるものだ。それなのに一体、どうして……。


 「君、覚えてないの?この竜巻は____」

 「回道」


 「妖によるものなんだよ」、そう続けようとした僕の言葉を遮って、狼君が僕の肩に手を置いて言葉を止めた。その顔はまるでそれ以上は言うなと言っている様で僕も言葉を止めた。


 「言っただろ、御清めによって妖に関する記憶は消えてんだ。此奴のなかでは竜巻に巻き込まれたって事で記憶されてんだよ」

 「あ……」


 耳元に口を寄せ、少年には聞こえないように言った狼君の言葉にハッとする。そうだ、さっきの御清めでこの少年は妖に関する記憶が消えてるんだ。

 途中で言葉を止めた僕に、少年はキョトンとした顔で言葉の続きを待っている。そんな少年に僕は慌てて訂正した。


 「…お兄さん?」

 「なっ、なんでもないよ!君が無事で良かった」


 そう言って誤魔化すように笑うと、少年もどこかぎこちなく笑って見せた。酷く濁ったその目は、僕達の視界から逃げるように、「えっと……じゃあ、僕はこれで……」と再度お礼を告げて早足にこの場を去ろうと後ず去る。


 そんな彼に、僕はたまらず声を掛けた。

 













 「ッちゃんと見えてたから!!」
















 思っていたよりも大きな声を出した僕に、目の前の彼はもちろん狼君達も驚いた顔をした。何を言ってるんだと言わんばかりの顔をしている狼君達をよそに、少年は溢れんばかりに目を見開いて「……ぇ」と小さな声を漏らした。


 「僕は自分の意思で君を助けたんだ!踏切で待つ君の姿が、今にも消えそうだったから……」


 陰にのまれて、妖の根源に触れた時聞こえた声。その声のどれもが僕に突き刺さった。その声があまりにも僕にそっくりだったから。だから、僕は強く惹き込まれた。


 

 でもそれは、きっと彼も同じだった。



 

 「君が、全部を諦めた顔をしていたから」


 僕の言葉に少年は驚愕した表情を浮かべた。それはまるで、ずっと隠してきた秘密を他人に暴かれてしまったかのように。

 

 僕は立ち尽くしたまま動けないでいる少年の元へと足を動かした。彼の前に立つと、その小さな体はゆっくりと僕を見上げた。


 「な、んで……」

 「僕も、影だから」


 少年が息を飲んだのがわかった。僕は少年の濁った瞳をただ真っ直ぐに見つめた。そして数秒の間、僕達はただただ無言で見つめ合い続けた。

 













 「…………ぼくは、」


 数秒間の沈黙の後、少年はゆっくりと口を開いた。


 「僕は、影なんです……出来の良い兄の影に隠れて生きる、影」


 下を向いたせいで、前髪が彼の目を覆い隠した。僕達だけの空間に彼の声だけが静かに音を放つ。


 「不満なんてものは、ありませんでした。いじめとか、そんなものもなくて……家庭環境だって普通です」


 初めて彼を見た時、どうしてか、彼の顔がよく見えなかった。それはまるで地面に映し出された影のようで。僕はそんな彼が酷く気がかりだった。



 「……ただ、それだけなんです」



 沢山人がいた中で、彼だけがあの妖に惹き込まれた理由。


 

 それは________










 

 「誰にも、僕は見えていないんです。学校でも、家でも……、どこに行ったって僕は()()()()()()()()で、僕は僕になれない……」



 彼も()だったからだ。



 誰かの影になって生きる、そんな影だった。誰かの放った光で浮かび上がって、彼自身の顔は、きっと誰も見ようとしなかった。




 「そういえばそんな奴もいたなって……、そうやってみんな僕を忘れていく。僕が居なくなったって、きっと気付かない。みんなの毎日は何も変わらない……ただそこに、僕という存在だけが消えてなくなるだけ」




 彼の言葉が痛いほど突き刺さる。これから彼が言おうしている言葉を、僕は容易く想像出来てしまうんだ。




 「……誰の記憶にも残らないのなら、何で……、何で僕は此処にいるの………っ」




 おそらく彼の奥底に眠る、消えたいという感情が妖に強く魅せられたのだろう。その隙間に妖は入り込んで、彼を唆し死に誘い込んだ。そうやって誘い込まれた彼は、生と死の境界線を簡単に超えてしまう。

 


 あの影の妖は、そうやってこの踏切を通る人間を何人も自殺へと誘い込んだのだろう。弱い部分に憑け込まれた人間は、いとも簡単にその()を選んでしまうから。


 

 酷く震えた声が僕の鼓膜を揺らした。相変わらず濁った瞳はきっと何も映し出していないのだろう。

 願うように問い掛けられた言葉の答えを僕は持ち合わせていない。


 だから____





 「……分からない、僕にはその答えは分からないよ。僕も君と同じように自分の生きてる意味を探してる途中だから」

 「……え?」


 「お兄さんも?」とでも言いたげに彼は僕を見上げた。今にも泣き出しそうな瞳に力を入れて、堪えるように彼はそう呟いた。



 「だから聞きに来たんだ、君のこと」



 まだまだ幼い僕よりも小さな手を握る。


 



 消えてしまわないように、散ってしまわないようにと。


 そんな願いを口に出すのは、あまりにも無責任な気がしたから、せめてこの手から伝わるように、と。


 そう、勝手な願いを込めて____。


 


















 「君の名前は、なんて言うの?」















 きらり、彼の瞳が水に反射して光る。濁った瞳が徐々にぼやけてその瞳に薄い水の膜を張る。



 「…………き、」



 風に掻き消されそうな程、小さな声が僕の耳に届く。一つも聞き逃すことがないように、僕はそっと耳を澄ました。



 「は、るき……、僕のっ、名前は……、齋藤(さいとう) 春輝(はるき)っ」



 堪えていた涙が遂にその瞳から溢れ落ちた。溢れた雫を追いかけるように、全ての濁りを洗い落とすように、また一つ、また一つと頬を伝って滑り落ちていく。



 彼の口から零れた「齋藤 春輝」という名前が、彼を形創って、そして彼自身に成っていく。






 「……やっと顔が見えたね、春輝君」





  子供のように涙を流す彼__春輝君の顔が見えた。それは出来の良い兄の弟でも、誰かの影でもない、ただただ自分を見つけて欲しかっただけの、春輝君の顔だった。







 僕はそんな君の名前が知りたかったんだ。







 

 子供のようにボロボロと涙を流す春輝君に、何故か僕も同じように涙が溢れた。


 「僕は回道 廻、僕も君と同じ影なんだ。……でも、そんな僕をみんなが見つけてくれたんだ。だから僕は、回道 廻になった」


 そういうと春輝君は僕の後ろにいる狼君達を見た。後ろでずっと静かに見守っててくれる狼君達が、僕を「回道 廻」として形創ってくれた。

 

 そんな風に、僕も春輝君の()を救いたいと思ったんだ。




 

「春輝君、僕にはちゃんと春輝君が見えてるよ」




 

 

















"「祓」は誰かを救う御役目だ。救われた人間は自分を救ってくれた人間を確かに記憶する。


 誰かを救うことは誰かの記憶に残ることなんだよ"



 




















 いつかの竜胆先生の言葉を思い出す。きっと竜胆先生の言っていた事はこういう事なのだろう。


 

 濁りが全て落ちきった瞳にはしっかりと鮮明に僕が映し出されていた。








 「……っ廻さん、見つけてくれて、ありがとうっ」









 そう言って涙を流しながら笑った春輝君の笑顔は、その名前の通り、春の陽気のように暖かくて、太陽のように優しく輝いていた。















 

 







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