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第四話『陰の名前 下』其ノ壱










 その瞬間、辺りは異様な静けさに包み込まれた。その静けさに、まさか間違えた……?と僕の背中には冷や汗が伝う。


 しかし、それは杞憂だった様で。瞬きをした次の瞬間、刀を突き刺したその黒い影からはブワッと妖の身体の様な黒い靄が物凄い勢いで溢れ出てきた。

 栓を失ったかのようにどんどん溢れ出る靄に比例して影はどんどん小さく収縮していく。やがて全ての靄が出尽くす頃には、影はもうすっかりなくなり、靄は宙を舞って……。


 そして、空気に溶けて完全に消えてしまった。












 

「これで、終わったの……?」


 地面に刀を突き刺したまま、僕はぼーっと空を見上げて呟いた。


 「お疲れ〜」


 呑気な狼君の声と共に、2人は座り込んだまま動けない僕の元へと駆け寄ってくる。


 「ちゃんと出来たじゃん、回道」


 そう言って弥子君は僕の肩に腕を回して、傷だらけで動けない僕を支えながら起こしてくれる。


 「僕、ちゃんと祓えたの……?」

 「バッチリだよ、全部自分で出来てたじゃん」


 僕を見て優しく笑った弥子君に僕はやっと肩の荷がおりる。張り詰めていた緊張の糸が解け、ドッと疲れが押し寄せた。


 「2人が教えてくれた、妖の…、心の目の話を思い出したんだ。妖の目は弱点だっていう話……。それで、さっき妖が自分の影を隠そうとしたのを思い出して、気が付いたんだ」


 「だから、2人のお陰だよ」と、僕がそう言うと2人は顔を見合せて、それからまた僕の方をみて笑った。


 「それでも自分で考えて祓ったのは回道なんだから、もっと自分に自信持ちなよ」


 そう言った弥子君の言葉に僕は何だか照れくさい様な気持ちになって、赤く染まったであろう顔を誤魔化す為に2人から視線を逸らして無理矢理話を変えた。


 「そういえば奥墨さん、何処に行ったんだろう?」

 「あー、そうだな」


 「あの人自由だからな」と言った狼君は気怠げに一つ欠伸をした。

 僕は辺りを見渡そうとぐるりと首を動かした



 その時____



















 

 背後に得体の知れない、ゾッとした気配を感じた。



 僕と同じく2人もそれを感じ取ったのかさっきまでの雰囲気は消え去り、強張った顔で後ろを振り向いた。僕も一拍遅れて、震えてカチカチと鳴る歯を噛み締めながら後ろを振り向いた。


 そこには人型の影が一つ、ゆらりとこちらを見据えて立っていた。僕達と全く同じシルエットで人間の様であるものの、それは文字通りの影で、真っ黒な全身は顔まで黒く塗り潰されていて、その中で不気味に揺らめく目だけが光っていた。

 その見た目は人間とさして変わらないけれど、その影の纏う異様な雰囲気が、その正体が妖であるという事を告げていた。


 「それを祓ったのはお前か」


 さっき祓った妖とは違って人型の妖はスラスラと言葉を話した。自分の意思で言葉を組み立て、形成し、こちらに問い掛けてきたのだ。僕が祓った妖とは明らかに格が違うと肌で感じる。全身の震えが止まらない。

 

 竜胆先生に教えてもらった階級をこの妖の特徴に当てはめていくと、この妖の階級はもしかして____


 「S級か」


 僕の言葉を代弁するように狼君が静かに言った。その言葉と共に2人は素早く前に立ち、僕を守るように覆い隠した。


 「多分奥墨さんの御役目はコイツだな」

 「その奥墨さんが見当たらないんだけど……どうする?祓う?」


 震えるほど恐ろしい妖がすぐそこに居るというのに、2人はさして気にも留めず言葉を交わしている。

 その次の瞬間、ゾワッと全身の鳥肌が立つ。僕が後ろを振り向くよりも速く、その影は僕の後ろへと移動していた。


 「お前に聞いている」


 その声と共に辺り一面を覆い尽くす程の黒い風が僕目掛けて凄まじい速度で迫ってきた。避ける暇も与えないその強烈な速度に、僕は咄嗟に腕で受け身の体勢をとってぎゅっと目を瞑る。







 ドゴォンッッと何かがぶつかる様な音が響き渡り、地面が大きく揺れた。しかし僕の体にはいつまで経っても何の衝撃もやって来ない。そっと目を開けて周囲を見渡すと、パラパラと瓦礫や硝子の破片が宙を舞い、地面は無惨にも抉り取られ、辺りの建物は崩壊していた。だかしかし、僕達の立っているこの場所だけが地面が抉られる事もなく無事だった。


 それもその筈。僕の前にはつい先程まで前に立っていた狼君の背中があったからだ。狼君はその握り締めた拳を解きながら、「チッ、汚れた」と自身の制服を見て不機嫌そうに呟いた。どうやら彼は、その拳を振りかぶって正面からあの突風を消し飛ばしたらしい。そのお陰で、僕達の立っている場所だけは無傷で済んでいたのだ。


 その圧倒的すぎる力に呆気にとられていると、狼君は人型の妖に話しかけた。


 「お前、言葉は話せる癖に待ても出来ねぇのか?」


 口角を上げ、妖を挑発するかの様に狼君は妖しく笑みを零した。狼君の言葉に妖はぴたりと動きを止める。そんな妖の様子に、狼君は「馬鹿正直」と、さらに目を細めた。真っ黒な影で塗り潰さたその顔は、何も見えていないのに、怒りの感情がひしひしと伝わってきた。


 「邪魔をするな」


 そう一言呟いた妖の目は、真っ直ぐに狼君の姿を捉えていた。

 

 すると突如、地面がガタガタと大きく揺れ始める。それと同時に強い風が妖の元へと集まり始め、周囲に散乱した瓦礫や硝子の破片なんかがその風に乗って妖の元へと集まっている。何が起こるんだ……?と妖の頭上を見て気付く。

 



 何だ、あれは…………黒い、竜巻____?




 沢山の瓦礫や硝子の破片を含んで、大きく、そして凄まじい勢いで吹き荒れる竜巻。その大きさはこの辺り一帯をすっぽりと覆い隠してしまう程で。

 あんなものを食らったら簡単に全てが塵にされてしまう。しかもあんなに大きな竜巻、さすがの狼君や弥子君でもこの辺り一帯全てを守りきる事なんて、絶対に出来ない。


 

 ……どうしよう、逃げ場がないッ


 

 そんな僕の気持ちも虚しく、妖はその巨大な竜巻を迷うこと無く僕達の方へと勢い良く押しつけた。



















 



 







 

 その時____



 

 「____陰術(いんじゅつ)投影(とうえい)』」























 その声と共に、突如僕達の目の前は大きな大きな黒い陰でいっぱいになった。その大きな陰はまるでブラックホールの様に、一瞬で妖の巨大な竜巻を全て飲み込むと、次の瞬間、妖に向かってその竜巻を跳ね返した。

 有り得ない速度で自分の放った攻撃を跳ね返された妖は、避ける事も叶わず自分の黒い竜巻に巻き込まれてしまった。



 

 何だ……?何が起こったんだ?



 


 一変する状況に、僕は到底理解が追い付かない。竜巻を跳ね返した大きな陰はどこかに吸い込まれるように、跡形もなく消えて無くなってしまった。


 「悪ィな、遅れちまった」


 背後で聞こえた聞き馴染みのある声に振り返ると、そこには番傘を差した真っ黒な陰がゆらゆらと揺れる陽炎の様に立っていた。


 「お、奥墨さん……」


 桁違いの妖の力に、すっかり怯えてしまっていた僕は震える唇で彼の名前を紡いだ。どうやら先程妖の攻撃を跳ね返したあの大きな陰は、奥墨さんの能力によるものらしかった。

 奥墨さんはのんびりとした足取りで僕達の元まで歩いてくると、ちらりと僕を見て「ちゃんと祓えたんだな」と優しく僕の頭を軽く撫でた。その優しい手つきに酷く安心した僕は漸く震えが止まる。


 「2人にも手間かけたな」


 僕の頭から手を離した奥墨さんは、狼君と弥子君にそう声をかけ、僕と同じ様に2人の頭にも軽くポンと手を置いた。僕と同い歳なのにいつも大人びて見える2人が、こうして奥墨さんにされるがまま頭を撫でられている姿を見ると、なんだかいつもより幼く年相応の子供に見えた。

 

 そして奥墨さんは僕達を通り過ぎて前に立った。


 「やっぱ自分の攻撃食らったぐらいじゃ消えねェか」


 そう言って笑う奥墨さんにつられて、僕も彼の視線を追うように前を見た。そこには自分の起こした竜巻に飲み込まれた筈の影の妖が、その竜巻を消し飛ばして影の如くゆらりと立ち尽くしていた。

 奥墨さんの能力によって自分の攻撃を跳ね返された妖は完全に機嫌を損ねたらしく、怒りせいかその身体は燃え上がる炎のように揺らめいていた。対する奥墨さんは妖とは対照的に妖しい笑みを浮かべていて、全くと言っていいほど真逆の様子だった。


 妖と奥墨さんは数秒の間お互いをじっと睨み合った後、同時に地面を蹴って動き出した。その反動で辺りには土煙が舞う。目で追うのもやっとなその素早い速度に、僕は思わず釘付けになる。

 妖は自分の身体にあの黒い靄を纏わせながら、手の平からも同様に黒い靄を出して奥墨さんに放つ。しかし奥墨さんは、その広げた番傘を武器のように器用に使って、まるで影の如くひらりと靄を躱していた。そんな、瞬きひとつも許さないようなその闘いに、僕は思わず釘付けになる。


 「すごい……」

 「あの人自分を隠すのが上手ぇからさ、普段の感じじゃ全然強そうには見えねンだけど……まじで、めっちゃ強ぇんだよ」


 感嘆の声を漏らす僕の横で、狼君は奥墨さんを見つめてやや興奮気味にそう言った。狼君の言葉に普段の奥墨さんの様子を思い出していると、そんな僕をみて弥子君が笑って付け加えた。


 「影みたいにふらふらしてて自由過ぎる所が(たま)(きず)なんだけどね」

 「あぁ……」


 確かにそうかも……と、今日知り合ったばかりの僕でも奥墨さんの自由さには納得してしまった。

 

 そんな話をしていると、突然ドゴォンッと大きな音が鳴り響いて地面を大きく揺らした。その揺れに体勢を崩した僕は地面に尻もちを付きながら、土煙の舞うその場所に釘付けになった。

 どうやらその衝撃音の正体は、奥墨さんが妖を地面に叩き付けた音の様だった。地面に叩き付けられた妖の真上には、先程の妖の攻撃を跳ね返したブラックホールの様な大きな陰が空中で揺れていた。おそらく妖は、またあのブラックホールの様な陰によって攻撃を跳ね返され、自分の攻撃で地面に叩きつけられたのだろう。

 やがてその陰は小さく収縮していき、空中に溶け込むようにして消えていった。


 


 あれは……、影____?


 


 「お前、随分と人殺してンな……。顔まで黒く塗り潰されてらァ」


 瓦礫を押し退けて、地面から起き上がる妖の影を見詰めながら奥墨さんはそう呟いた。妖の背後からさす太陽が、立ち上がった妖の影を真っ直ぐに奥墨さんの元へと差し出していた。


 「……何だ、お前は」


 真っ黒な顔の妖の表情は見えないけれど、その声から嫌悪を感じる。妖の伸びた影は真っ直ぐ奥墨さんの元へと変わらず伸びていた。

 嫌悪を隠せない妖の言葉に、奥墨さんは番傘の下でニヒルな笑みを浮かべて言う。


 「俺ァお前と同じ、黒い影だよ」


 すると、薄い笑みと共に妖を真っ直ぐに見据えながらそう答えた奥墨さんの姿が突然フッと消える。文字通り、あの真っ黒な姿が全員の視界から消えたのだ。


 その時ちょうど雲が太陽を隠して、世界は一段色を落とした。

 突然視界から煙の様に消えた奥墨さんに辺りを見渡す妖と同じ様に、僕も困惑しながらキョロキョロとその姿を探すが何処にも見当たらない。


 そうこうしている間にも、時間が流れて風に乗って雲が流され、隠れていた太陽が顔を出した。現れた太陽が光を放って世界を明るく染めると、比例して僕達の影は大きく背を伸ばした。


















 

 ________影?




 

 僕はハッとして地面を凝視した。辺り一帯の地面を注意深く見ていると、見つけた。影になるものなんて何処にも無い筈なのに、ゆらゆらと地面で揺れ動いているその人影。見た事のあるシルエットのその人影は、未だ消えたままの奥墨さんの姿を探している妖の背後を静かに捕らえていた。











 

 ____あの影は、奥墨さんだ。



 





 僕がそう思ったと同時に、その影から音ひとつ立てずに奥墨さんは現れた。まるで妖の影になるみたいに。

 奥墨さんは妖の影を踏んで、その上に立った。まったく気配を感じさせずに現れた奥墨さんに、妖はまだ気付かない。


 番傘の下、口元に弧を描いた奥墨さんが右手で何やら印を結び、そして静かに喉を鳴らした。
















 


 「影術(えいじゅつ)影踏(かげふ)み』」


























 

 その声と共に、奥墨さんが踏んでいる妖の影を中心にして、何やら円上の紋様が浮かび上がった。奥墨さんの声にすぐさま後ろを振り向いた妖であったが、それは誰がどう見ても手遅れだった。



 





 ____それはあっという間だった








 

 その紋様が黒い光を放ちながらバチバチと火花を散らす様な音を鳴らすと、突然妖は甲高い奇声を発してもがき苦しみ始めた。すると影でない妖の身体にも紋様と同じような黒い光が現れ、次の瞬間には爆散するようにしてその身体は消し炭にされた。


 「き、消えた……?」


 瞬きもせずに見ていた筈なのに到底理解が追い付かない。あれほど恐ろしかったはずの妖が、影ひとつも残さずに消されてしまった。文字通り、煙の様に跡形もなく消えてしまったのだ。





















 


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