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慎伍の覚悟……そして。

壁のから帰ると慎伍から電話があった。三起也とともに壁の向こうに前野が流されたことで当局と接触していると踏んだ慎伍はほかの連中に難が及ぶのを避けるため、当局に行くと言う。一人で罪をかぶる気だ。僕にだけ打ち明けると言った。その日、僕は一睡もできなかった。

翌日、慎伍のいない教室で一人自己嫌悪に陥っていた。昼休み、慎伍の声が聞こえてきた。空耳とも思ったが、振り返ると慎伍がいた。前野が告発をやめたという。しばらくすると壁の向こうに行った前野がやってきた。女子高生を見たという。慎伍が死を覚悟してみんなを守ろうとしていたのに、こいつは幸せの絶頂にいたのだ。


 帰宅後、ミュージックフェスタを鑑賞していると、慎伍から電話があった。

「お前にだけ話しておきたいことがある」

 妙に真剣な声である。

「なんだ、改まって。さっきできなかったのか?」

「明日、当局へ行ってこようと思う」

 僕の質問に答えることなく慎伍が言った。

「当局? おいおい、穏やかじゃないな。三起也のことか?」

「それもあるが、主な目的はそっちじゃない。三起也は大丈夫だ。完全に巻き込まれてる。アイツ自体が被害者だからな」

「じゃ、なんだ」

「修学旅行の件だ」

「修学旅行? 何を今さら。わざわざ行く必要があるのか? 第一秘策があったんじゃないのか」

「そんなものはない」

「えっ?」

 耳を疑った。これまでの慎伍であれば、どんな無理難題に遭遇してもなんとかして解決してきた。少なくとも僕はそう思っていた。

「お前が心配していたから、とりあえず秘策があるなんて言ったんだが、でも前野が当局に行く前なら、なんとかなると思ってもいた。しかし前野は壁の向こう側に行ってしまった。おそらく当局と接触している」

「だからって、こちらから出向いて行く必要があるのか?」

「もし、アイツが当局にあの話をした場合、D組全体が罰せられるかもしれない。ことが大きくなる前に、出向いて行かないと」

「一人で罪をかぶるつもりか」

 いつか言った言葉をそのまま繰り返した。

「そうだ。実際に計画したのは俺だしな。それでみんなを巻き込むわけにはいかん」

「承服しかねる。お前一人に罪を被せて知らぬ顔をしろというのか?」

「そうだ」

「みんなで責任取ればいいんじゃないのか? いくら何でも、みんな揃って詰め腹を切らされることもあるまい」

「……かもな」

「一人首謀者のようになると極刑を食らうかもしれんぞ」

「……覚悟はできている」

 無駄だとわかっていながら言った。慎伍は頑固な奴で、一度決めたことは周りがなんと言おうが、決して翻すことがないことを僕は誰より知っていた。実際に何を言っても当局に行くことを覆すことができなかった。

「一人でカッコつけるな。お前はまだ高校生なんだぞ」

「わかってる」

 寂しげな笑顔を浮かべているのが、電話越しにもわかる。

「わかってると思うが、泰三たちには内緒だぞ。騒ぎを大きくしたくない」

「僕はいいのか?」

「お前は諦めてくれ。小学校以来の腐れ縁だ」

「……そうだな」

「でも俺は後悔してないよ。あれがあったお陰で最高の修学旅行になった」

「……ああ」

「こんなこと聞かされて不安だろうが、お前にだけは言っておきたかったんだ。お前には悪いと思ってる」

「……そんなこと言うな」

「……最期に声が聞けてよかったよ」

「……最期なんて言うな」

 そして僕は電話を切った。

「どうしたんだ、その顔は? 今の慎伍君じゃないのか」

 横で新聞を読んでいた父親が僕の顔を見て言った。

「目にゴミが入っただけだよ」

 それ以上言葉が出てこなかった。その日、僕は一睡もできなかった。


 翌日、学校に慎伍の姿はなかった。外は朝からひどい雨である。僕はぼんやりと慎伍のいない席をながめた。何を聞いても、何を見ても現実に起こっていることとは思えず、すべての感覚が鈍かった。

 慎伍のことを考えるとたまらなかった。もう当局で話をしているのだろうか? 自分一人で罪を被るために……。何ひとつ言い訳もせず。助けることはできないのであろうか。もう二度と慎伍に会うことはできないのだろうか。

 前野も三起也も来ていなかった。事態を重くみた当局に呼ばれたとのことである。

 後悔で一杯だった。いくら慎伍が頑固でも何がなんでも説得するべきだったんじゃないのか? 慎伍がダメなら、すぐに前野を説得するべきだったのだ。

 慎伍は僕たちのために命をかけて、当局に赴いたのだ。まさに刎頚の友たる振る舞いである。そんな慎伍に僕は何をしたというのか? その友情に一方的に甘えていただけではないのか? この問題は泰三は論外として、新次郎にも荷が重すぎる。しかし、僕なら、この僕であれば解決できたのではないか?

 容赦なく襲いくる自責の念に打ちひしがれ、果てしない自己嫌悪に叩きのめされ、身も心もボロボロである。

 授業中もそれは変わらなかった。ボワボワと聞こえる音が意味を成して入ってこない。濃密な液体の中を当て所なく漂っているような感じがした。

 昼になった。時間がたつにつれ、いろんなことが頭の中を巡り巡って精神状態はひどくなる一方だった。類まれなる才能を持ちながら、その才能の片鱗すら友のために使おうともせず、友を地獄へと追いやった男として、僕の名は語り継がれていくことだろう。街を歩けばどこからともなく石が飛んできて、この卑怯者の体を打つのだ。子供たちは僕を見るなり、やーい、やーい、人でなしやーい、とはやし立てることだろう。こうして僕は遂に人でなしの称号を手にするのだ。そして生涯を日の当たらない湿った場所で汚泥にまみれてミミズのごとく生きていくのだ。

 登校してから四時間がたとうとしていた。まだ四時間である。時間がたつのが異様に遅い。八十歳で天に召されるとして、まだ六十年以上ある。二十四かける三百六十五かける六十である。実に五十万時間を越える計算になる。これだけの禊の時間を生きていかなくてはならない。たった四時間でも気の遠くなるほどの時間だったというのに。これでもし長生きでもしたら……。僕は戦慄を覚えつつ、弁当箱を開いた。

 しまった。今日の当番は上の兄貴であった。いつもなら、その匂いが一気に蔓延しないように気を付けて少しずつ開けるのだが、そこまで神経が回らなかった。

 既に遅い。匂いは充満し、いつの間にか周りの席からは人がいなくなっていた。僕は静かに弁当箱を閉じた。

 ゴメン、兄さん。今日はとても食べられそうもない。今日だけは許してください。

「なんだ? この匂いは?」

 背後から慎伍の声。いかん。幻聴まで聞こえてくるようになった。もう重症である。

「よう」

 またしても慎伍の声。随分しつこい幻聴である。その声を振り払うべく僕はしきりに頭を振った。

「お前、一体何やってるんだ?」

 振り向くと慎伍が立っていた。

「慎伍! なんでお前がここにいるんだ?」

 青ざめた顔をしているが、目の前に立っているのは間違いなく慎伍である。当局にいるはずの慎伍がなぜ?

「当局はどうなった? もういいのか? もう連れていかれることはないのか? お前は無事なのか?」

 聞きたいことが山ほどあって自分でも何を聞いてるのか、よくわからない。慎伍の顔を見ているうちにさまざまなことが思い出され、迂闊にも涙が出そうになった。こんなことで泣いたとあらば大家を自認する者の沽券に関わる。大家たる者、いかなる大波が襲いかかろうとも、さざ波のごとくあしらわなければ。涙など言語道断である。

「実はな……」

「ちょっと待ってくれ」

 というわけで話し始めた慎伍を置いてトイレの個室に入った。入ったはいいが、滂沱と流れる涙は簡単には止められない。結局、十分ほどトイレに閉じこもる羽目になった。

「長かったな」

「うむ。雨の日は便が固くなっていかんな」

 とわけのわからない言い訳をする僕に慎伍はいつものように小さく笑った。

「で、どうしたと言うのだ?」

 気を取り直して、慎伍に聞いた。

「俺にもよくわからない。塚チンが言うには前野が告発をやめたらしい」

 声を潜めて言った。やはり告発者は前野だった。どこまでも人騒がせな奴である。

「なぜ今になって告発をやめたんだ?」

「わからない。……でも、助かった。今回ばかりはダメかと思った」

 真っ青の顔のまま言った。当たり前だ。慎伍はまだ高校生に過ぎないのである。

「お前は当局には行かなかったのか?」

「行くつもりで歩いていたら、通勤途中の塚チンに会ったんだ。なんでも昨晩前野から電話があったらしい。妙に興奮しながら告発はやめると言われたらしい」

「今まで慎伍は何をしてたんだ?」

「やたらハイテンションの塚チンに付き合ってた。と言っても、いろいろご馳走になっただけだけど。とにかく塚チンも心底ほっとしてたよ」


 すぐそばで、まだ当局から帰ってこない幼なじみを気づかう泰三は神妙な面持ちを浮かべている。慎伍のことが気がかりでまったく気づかなかった。道理で静かだったわけだ。

「大丈夫かなぁ、三起也」

「大丈夫だ。絶対に。アイツは巻き込まれただけなんだから」

 不安げな声を上げる泰三に慎伍が答える。

「でもさ、あっちで何があったんだろうね? 女の子見られたのかな?」

 新次郎はちょっと赤くなった。

「お、前野だ」

「……前野」

 前野が目の前をフラフラと歩いていた。下手に刺激したらまた何をしでかすかわからない、と僕らは身を低くした。

「……想像以上だった」

 問わず語りにしみじみ言った。壁を越えた際にメガネを壊したのだろう、右のレンズに大きなヒビが入っている。しかし、そんなことはまったく問題じゃないらしい。

「……僕……幸せだ」

 僕らは瞬時に了解した。奴は壁の向こうで目の当たりにしたのだ。麗しの女性を。

「み、見たのか?」

 泰三の息づかいが荒い。もう発情している。何という変わり身の早さか。前野は泰三に答えるでもなく、うわ言のようにつぶやいた。

「……色っぽかった。特に口元のほくろが……」

 むむっ。いわゆる艶ぼくろだな。艶ぼくろについては「女性の実態 第一巻 外見に関する考察編」に詳しい。僕もかねがね口元の単なる黒い点が、なにゆえ色気に加味する要素となりうるのか、検証したいと思っていたところだ。

 その後も次々に前野の口から出てくる言葉は尾戸校生には、かなり刺激的な内容だった。それは次の言葉を聞いたとき、頂点に達する。

「……柔らかかったなあ」

「何!」

 皆が一斉に前野を見た。前野はただだらしない顔をさらしている。とうとう泰三が痺れを切らした。

「オイ!」

 泰三の声にクラスの皆が振り向く。

「ああ、泰三君か。何?」

「何じゃねえ。お、お前、扉の向こうで女の子に触れたのか」

「…………うん」

「なぁにぃ!」

「……柔らかかった」

「ど、どこを触ったんだ?」

「エッ、手を握っただけだよ。嫌だなあ」

 さも幸せそうに前野が笑う。幸せな前野など見るに堪えない。前野はちょっと不幸なぐらいが似合っているのだ。

「でも、相手は人妻だろ? お前が入ったのがハネムーンベルトなら」

 慎伍が二人に割って入った。

「……女子高生だったよ……」

「何? なんで女子高生がハネムーンベルトにいるんだ。あそこは既婚者だけだろ」

「……そう言ってたよ……」

 何を聞いてもふわふわした答えが返ってくる。

「ど、どうやって握ったんだ」

「……かわいかったら握っただけだよ……」

「握っただけってお前……」

 泰三は情けないような、うらやましいような、名状しがたい表情を浮かべている。

「そしたらキャって、あっという間に逃げっちゃった。照れてちゃって、もう」

 照れちゃって? それは嫌がられたのでは? いつも後ろ向きな発言ばかりするクセに、自分のこととなると、えらいポジティブな奴だ。

「追いかけていったけど、追いつけなかった。ああ、また会いたい……」

 臆面もなく言った。ストーカー行為は完全なる犯罪である。前野進。恐ろしい奴だ。

「あ、マズい。まただ」

 と言って突然前野は鼻を押さえた。

「あ、きったね。ほれ、ティッシュやるから、保健室行ってこいよ」

 泰三からティッシュを受け取ると前野はそれを鼻に詰めて、教室を出ていった。僕らは茫然とその後ろ姿を見送った。

「……なんか腹立つ」

 泰三がぼそりと言った。

「……ふう」

 なぜか慎伍が大きなため息をついた。

「どうした? そんなため息をついて」

「よかった。これでもう密告することはないだろう。よかった、本当によかった」

 あの慎伍が心から安堵している。心なしか指先が震えている。その姿を見るにつけ、腹が立ってきた。慎伍が命がけで僕らを守ってくれようとしてるときに、何が柔らかかっただ。僕も危うく人でなしになるところだったではないか。

 ほぼ入れ替えに三起也が戻ってきた。長いこと絞られてゲンナリしているかと思いきや、案外元気である。

「みんな本当に迷惑をかけてゴメン」

 妙に素直に三起也が言った。新しいメガネをかけている。目がさらに小さくなったように見える。でも何かこれまでと雰囲気が違う。憑き物が落ちたような感じがする。

「いや、悪いのは俺の方だ。本当にわりい。お前は大丈夫だったのか?」

 泰三が珍しく平身低頭している。

「良かったな、三起也。心配したんだぞ」

「肝を冷やしたぞ」

「似合ってるよ。そのメガネ」

 慎伍も僕も新次郎も三起也の無事の帰還を祝った。

「それで、あっちで何があったんだ」

 慎伍はくるりと視線を周りに巡らすと一段と声を潜めた。その質問をした途端、三起也は虚ろな目つきで、うっすらとした笑いを浮かべたまま、忘我の彼方へと旅立っていった。コイツもか、そう思った。

「な、何かあったのか、三起也」

 泰三がわかりやすく取り乱す。

「え? 僕?」

 三起也はようやく気づくと、たちまち尋常じゃないほど真っ赤になった。

「お、お前、そんなエッチなことをしてきたのか?」

 さらに真っ赤になって三起也がコクリとうなづく。まさか、ここでうなづくとは思わなかった。この質問でうなづくとは……。よもや前野以上のことをしてきたんではあるまいな。だとしたら……許せぬ。

 壁から戻ってきたとき、三起也は『天使だ』と言った。当然壁の向こうで女性を見たであろうことは容易に想像できる。ではあるが、いくらなんでもそんな一足飛びにトントンと……。ものには順序というものがある。この僕ですら、未だ研究途上だというのに、そんな理不尽なことが許されるはずはなかろう。

「な、何をしたんだ?」

 泰三の声がうわずっている。僕らの顔が引き寄せられるように三起也に近づく。

「待て。ここではマズい」

 これからというところで慎伍が止めた。お預けを食った気分である。ガッカリ感は半端じゃない。泰三は小さく舌打ちまでした。

「三起也の話はこれまでにないほど刺激的な話になるだろう。俺たちはそれをこの教室で冷静に聞くことができるだろうか? 今ここで騒ぎを起こしちゃマズい」

 相変わらす説得力のある慎伍の話だが、期待に膨らんだ胸のうちをどう抑えろというのか。僕らがあまりにかわいそうではないか。

 ではあるが、気づくとクラスメートの多くがこの話に耳を済ませている。確かにここではマズい。密告の危機がなくなったというのに、ここで問題を起こすわけにはいかない。

「じゃあ、ひとつ提案」

 新次郎が手を上げた。

「上映会やらない? 久しぶりに。小町もまだ見てないし」

「おっ、いいね」

 早速泰三が乗ってくる。

「でも、うちはダメだからね」

 新次郎が場所の提供を断るのはいつものことだ。

「慎伍のうちでいいじゃないか。前みたいに」

 泰三が言うと

「……今日か? あまりお勧めはしないけど」

 となぜか慎伍は乗り気じゃない。

「何かあるのか、慎伍のうちで」

「別にないけど……。ま、何とかなるかな。いいよ、うちで」

 結局またも慎伍のうちで決行である。だが、皆肝心なことを忘れている。上映会はいいが、三起也が来なければ話が聞けない。その三起也はこれまで何度誘っても一度たりとも来たことはないのだ。上映会もいいが、僕としては何より三起也の話にも興味をそそられる。

「じゃあ、うちに六時な。三起也、そのときに詳しくな」

「うん」

「えっ?」

 思わず三起也の顔を見た。

「何?」

「いいのか、三起也? これまで一度だって来たことないだろ」

「いいんだよ。三起也行こうぜ」

 僕の言葉を遮るように泰三が言った。上映会のときはいつもうれしそうな泰三だが、今日はひと際うれしそうだ。

「三起也、上映会初の参加だな」

 泰三は三起也の背中をドンと叩いた。

「痛いよ、泰三」

 三起也は露骨に嫌な顔をしたが、泰三は「いいから、いいから」と、どこまでも上機嫌である。


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