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三起也の結婚

今日は三起也初参加の上映会である。目的は六歌仙の小町である。これまで小町ほどの女性の映像が上映会に流れたことはない。映像が流れた。小さくはあるが、確かに小町である。しかし、これまでのような衝撃は受けなかった。僕たちはあのバスの中で見た女子高生によって女性の素晴らしさを知ってしまったのである。代わりに三起也の話を聞くことになった。三起也の話は僕たちの想像をはるかに超えたものだった。数日後、三起也は結婚を表明した。

数年後、新聞はフォッサマグナの東西に巨大な壁を建設するとのニュースを報じた。近く男女が別々に暮らすことになると記事は結んだ。

その後、日本の出生率がV字回復したことは言うまでもない。


 この前のように六時に慎伍のうちに集まった。勝手知ったる慎伍の家、僕らは玄関を開けると迷わず慎伍の部屋に向かって歩いていた。広い家である。途中、親父さんとすれ違った。顔を見た途端、嫌な予感がした。いつもの親父さんである。すれ違った瞬間ギヌロとにらまれた。

「おじさん。女子高生は天使の声してました」

 こういう微妙な空気をまったく読めないのが泰三である。にらみつける親父さんに対して敬礼しながら報告した。

 女性の声、強いて言うなら天使の声。まさに至言である。この至言の主である親父さんのリアクションも楽しみだろう。だが笑って敬礼しながら報告するのは今じゃない。

 親父さんはそのまま通り過ぎていった。無視である。でも、僕と新次郎はどこかほっとしていた。君子危うきに近寄らず。こういうときの親父さんには近づいてはならない。

 これで収まらないのが泰三である。部屋に入ろうとする親父さんにご丁寧にも、もう一度言った。

「おじさん、女子高生は……」

「うるさい!」

 そのまま自分の部屋に入っていった。しかもドアを乱暴に閉めて。

「こ、こわぁ」

 新次郎は心底怯えている。その横で三起也も凍りついている。

「うるさいはないよなぁ。うるさいは」

 泰三がボヤいた。

「折角報告してやったのによ。何だよ、あの態度」

 慎伍の部屋に入るなり、泰三がそのことを言いつけた。余程ショックだったと見える。

「気にしないで。ハネムーンから帰って一週間ちょっと。このころから段々機嫌が悪くなっていく。いつものこと、いつものこと」

「たったそれだけ?」

 新次郎の声が裏返った。

「だからお前、今日あまりお勧めできないって言ったのか」

「まあね。うちの親父極端だから」

 泰三の問いに慎伍は苦笑いで答える。トイレに行ったときに出会わないようにしないとな、と僕の脳裏に具体的な対応策が瞬時に浮かんだそのとき、

「……わかる」

 三起也がぼそりと言った。ほんの小さな声だったが、はっきり聞こえた。

 機嫌が悪いのは当たり前だ。あれほど魅力的な女性にしばらく会えないのだから、とでも言いたいのか、お前は? それほどまでに女性の魅力を知り尽くしているんだよ、僕は。君らとはもはや住む世界が違うんだよ、とでも言うつもりか?

 周りが驚いていることに気づいた三起也は炎のように赤くなった。やはり三起也には起こったのだ。人生観を変えるほどの出来事が。

 突然、三起也が大人に見え出した。はにかんだ笑みも、何気ない仕草も僕らとは違うのだ。なぜなら彼は経験者なのだから。経験者。なんという大人の響き。

「……三起也、お前にはわかるっていうのか? 慎伍の親父の気持ちが」

 泰三の気持ちは察して余りある。確かに泰三は三起也に女性に興味を持ってほしがっていた。まったく興味を持とうとしない三起也に腹を立ててもいた。でも彼は突如として大空へと羽ばたいたのだ。僕らが地べたを這いつくばっている間に。


「じゃ、始めるとするか。ブルーレイは持ってきたか?」

 悶々としている僕らを前に、慎伍が声を上げた。進行役はもちろん慎伍である。

「あ、うん、そうだね」

 新次郎も今のやり取りに驚いている。その証拠にカバンからディスクを取り出すときもずっと三起也をチラチラ気にしていた。

「早速始めるぞ」

 慎伍が言い始めるとその他大勢はこたつをベッドの脇に片づけた。

 上映会では座る場所を固定してしまうと、場所によっては見えやすい、見えにくいなどの不公平が生れる。上映会で見えにくい場所に座ってしまったときの失望感たるや、筆舌に尽くし難いものがある。上映会の翌日に顔を腫らしてくる連中を時折見かける。場所を巡っての乱闘があったことは容易に想像できる。そのようなことを避けるため、僕らはテレビの前には何も置かず、上映会の最中に自由に動けるようにしているのだ。茂田市では見やすい見えにくいで傷害事件が起こるのだ。

「今日の編集者は『抜けの鈴木』が五本」

 ポンコツ編集者に歓声が上がる。三起也も何もわからないながら、拍手をしている。大変な進歩である。

「『鬼の須藤』が二本、そして『地獄の近藤』が一本だ」

 対照的にこちらはブーイングである。

「『鬼の須藤』も『地獄の近藤』も真面目に仕事し過ぎんだよ」

 すぐに泰三が文句を言った。気持ちはわかる。彼らの編集ミスを見つけるのは奇跡に近い。たまには鈴木太郎の鷹揚さを見習うがいい。

「知ってのとおり、これまでこの上映会ではB級が二本、C級が四本という惨憺たる有様である。今日こそは、ぜひA級を発掘したいと思う」

 ちなみにA級、B級、C級というのは、お宝映像のランクである。A級が一番上でC級が一番下である。女性が映っている大きさや頻度(鈴木太郎の作品ではひと作品中に三つの場面で女性がマスキングされていなかったことがある)などで決まる。

 また、誰が映っているのも重要な要素である。その意味で今回新次郎が持ってきた小町の映像には初のA級作品という期待が高まっているのである。

「じゃ、始めよう。どれから見ようか」

 何が始まるのかわからない三起也は落ち着かない様子である。

「出し惜しみしても仕方ない。みんなは六歌仙の小町が見たいんじゃないか?」

 誰かが話し出す前に言った。さも他の人を気遣って出た言葉のように、自分は別に見たくないけどという雰囲気を漂わせながら。言った途端、視線を感じた。

「このスケベ」

 またしても泰三である。一体全体僕はこの男に何度こんな呼ばれ方をしなければならないんだろう。

「ス、スケベとは心外な……」

「いいの、いいの。男は皆スケベ。中にはお前みたいなスケベだっているよ」

 この言い方を認めると、僕が男性の中でも特殊なスケベということになりはしないだろうか? 百歩譲ってスケベはいい。でも、どこか変態チックな雰囲気を醸し出す言われ方には断固反対する。

「泰三、言っとくが……」

「小町でいいぜ」

 抗議すべく口を開いたが泰三に遮られた。

「オーケー。でもあまり期待しないでね」

 結局、泰三と新次郎が了承した。慎伍はいつも何も言わないし、三起也はだまったままだ。ミュージックフェスタに決定だ。釈然としないが、ここはよしとしよう。

「新次郎、何分ぐらいからだ?」

「三十三分二十三秒かな」

 慎伍は手際よくブルーレイを二十五分まで進め、そこで改めてプレイボタンを押した。三十三分なら三十二分ぐらいから見ればいいという方もいるかもしれない。でも慎伍に言わせると、その場面だけを見るのは品がないそうである。ある程度の時間を見ることで、素晴らしいクライマックスを迎えることができるんだそうだ。ちなみに慎伍は自分だけで見るときは決して飛ばしたりせず、初めからすべて見ることにしているということだ。上映会では本数をこなす必要があるため、七、八分前から見ることにしている。

 流れてきたのは、阿修羅伯爵の「君が好き」だ。塚チンが修学旅行のバスの中で歌った曲である。あのレベルの高さにはビックリしたが、やはり本物にはかなわない。相変わらず、いい声してる。人によって好き嫌いが多いアーチストだが、僕にはくどすぎる歌詞がたまらない。

 君の指がぁ 君の髪がぁ 君の唇がぁ 君の吐息がぁ 君の匂いがぁ

 すぐに違和感を覚えた。何か変だ。いつもと感じが違う。妙に生々しい。なぜだろうと考え、すぐに思い当たった。

 あの女子高生である。今までは歌詞を聞いても想像するだけで具体的な映像は何も浮かばなかったが、指も唇も髪もありありと思い浮かべることができる。匂いにいたっては女子高生がバスから降りたあと、皆競うように吸い込んだために、もう少しで過呼吸を起こすところであった。

 次はお待ちかねの六歌仙だ。男女のツインボーカルで、一人は言わずと知れた小町、もう一人は業平である。

 当然、小町は完ぺきにマスキングが施され、声も低く調整されている。調整された声はどこか不自然で、すっと耳に入ってこない。まったく興ざめである。

 業平はもちろん、マスキングなどはされていない。小町が不自然な分、六歌仙の曲は聴くこともほとんどなかった。だから業平の顔もまともに見たこともない。改めて見ると、本当に整っている。サラサラの髪、きれいな二重の目、高い鼻に小さな小鼻、引き締まった口元、非の打ちどころのないイケメンとはこういうのを言うんだろう。聞くところによると二人はできているとか。甚だ不愉快な情報である。

 六歌仙が終わり、次はトリマーズの登場だ。新次郎によるとここで小町がちょっとだけ映っているということだ。

 タマリが曲紹介を始めた。その後ろには、六歌仙の康秀が映っている。その横には業平、その隣に黒くマスキングされた人物がいる。これが小町に違いない。

「では、お願いします。トリマーズでボンバー・ボンバー」

 タマリが言った。ブルーレイの時間は三十三分二十秒。トリマーズのボーカル、カーネルサンダース軍曹がカメラの前を横切る。一瞬、画面がカーネルサンダース軍曹の体でいっぱいになる。

「ここ!」

 新次郎が言った。慎伍がすかさずリモコンでブルーレイディスクを停止した。

「ああ、過ぎちゃった」

 新次郎が顔を押さえた。再び一分程度戻してから、プレイボタンを押す。

「はい、ここ!」

 声に合わせて慎伍が停止する。

「慎伍、今度は早すぎるよ」

「わざとだよ」

 新次郎に慎伍が答えた。そして、リモコンでひとコマずつコマ送りを始めた。数コマ後、慎伍は一時停止をした。

 カーネルサンダース軍曹の脇の下からかすかに後ろのアーチストが見える。康秀そして業平、その横に見えるのは……、小町だ。マスキングされていない。

 小っちゃくてはっきりとは見えないが、まず間違いない。これは小町だ。

「小町だな」

「そうだよね、これ小町でしょ」

「ブラボー! ムッシュ鈴木」

 さすがは『抜けの鈴木』。いい仕事をしてくれる。小町ほどの女性がたとえほんの少しであっても茂田市のテレビに映るなど、かつてなかったことである。

「慎伍、評価は?」

「これは……」

 慎伍は眉間にシワを寄せて考えこんでいる。僕の心の中でドラムロールが鳴っている。

「文句なしのお宝。しかもA級だ」

 ちょっとした間の後、高らかに叫んだ。

「これがB級以下なんてことはあり得ん、完全にA級だろ。なんで期待するななんて言ったんだ?」

「だよね。みんな驚くと思ってさ」

 僕の問いに、新次郎はいたずらっぽい笑顔を浮かべた。

「さすがに鈴木太郎だ」

「期待を裏切らないよね」

「小町いいよね」

「いいよ」

「本当にいい」

「そうだな」

「……ね」

 僕らは大いに盛り上がった、はずだった。でも、会話は長く続かなかった。妙な違和感を抱えたまま、お互いの目を見て様子を伺っている。

「あのさ、これ確かにA級のお宝映像だよな」

 泰三が言った。

「何言ってるの? 小町の映像だよ。こんなの今まであった?」

 新次郎は不服そうに唇を尖らせている。新次郎にしてみれば自信のお宝映像である。当然上映会はこれ以上ない盛り上がりを見せ、上映会始まって以来、初の殿堂入りの栄誉に浴する映像になるであろうぐらいは予想していても不思議ではない。それだけ小町は美しいと言われていたし、このレベルの芸能人の映像がマスキングを免れて、茂田市のテレビで放映されることなどなかったのである。

「新次郎の言うとおりだよ。これはこれまでのお宝映像の中でも特筆に値するものだ。格が違う映像だよ」

 慎伍がすかさずフォローに入る。新次郎はいちいち大きくうなづいてみせた。

「けど、何か変じゃね」

 再び泰三。条件反射のように新次郎がほほを膨らませる。

 でも何か変だ。確かに映像は小さく、顔がはっきり見えるわけではないが、A級クラスのお宝だ。でもこれまでのような高揚感は感じられない。

「どうしたの?」

 三起也が言った。三起也が気にするほど、冷めた空気が流れていた。

「お宝映像ってこれのこと?」

 三起也のいかにも興味のなさそうなひと言は、僕らに大きなショックを与えた。これをお宝映像と呼ばずに何をお宝映像と呼ぶのか? こんな映像を見たら、これまでならカレがどのような豹変ぶりを見せるか、想像するだけで恐ろしい。夜を徹してお仕置きをしなければならないのは必定である。それなのに、体の奥底から湧き上がってくるような熱量も、鼻血が出そうなほどの興奮も感じられない。あの体全体が震えるような凄まじい衝動はどこへ行ってしまったのか。僕らに一体何が起こったというのか。

 しかし、なんとなく気づいていた。女子高生だ。僕らはあの女子高生に触れたことで、女性の素晴らしさを知ってしまった。その結果、マスキングを免れた小さな映像では満足できなくなってしまった。例えそれが、今をときめく六歌仙の小町の映像であろうとも。

 何ということだ。僕らは女子高生と触れる代わりに大きな代償を払うことになってしまった。もうあの時代に戻ることはできない。小さな映像に興奮しきったあの時代には。

「……驚いたな」

 慎伍がつぶやく。みんな同じような思いをしているのだろうか、ショックのあまり声も出ない。慎伍はその様子をひとしきり確認したあと、立ち上がると、ひとつ咳払いをした。

「諸君、君らも感じていることと思うが、我々はどうやら変わってしまったらしい。しかし、これを嘆いてはいけない。我々は進化したのだ。その証拠につい数カ月前には想像もつかなかった女性の姿をありありと思い浮かべることができるようになったではないか。これは立派な進化である。我々が一歩女性に近づいた証である。残されたミッションは運命の女性に会って愛を育むだけである」

 進化? 女性に近づいた証? 確かにさっき「君が好き」を聞いただけで女子高生の姿が思いうかんだ。もしかしたら慎伍の言うとおり、僕らは進化したのかもしれない。次は女性と愛を育むだけ。僕は一抹の寂しさを感じながらも、妙に胸が熱くなるのを感じて、あやうく拍手をしそうになった。

「我々は常に前を向かなくてはならない。そこで提案だが今日の上映会はここで終わりにして、僕らの未来のため、三起也の話を聞こうと思うが、どうだろう」

 泰三が拍手をした。僕もした。長い拍手である。最初はしなかった新次郎もしまいにはした。三起也はちょっと戸惑っている。

 そして、こたつを元に戻し、慎伍が皆の紙コップにジュースを入れ、準備を整えた。

「早速だが、三起也。まず君から順を追って話してもらいたい。一体壁の向こうはどうなってるんだ」

 慎伍は居ずまいを直して、三起也の方を向いた。三起也はちょっと照れながら、窮屈な感じで話し始めた。

「えっと、実は僕は泰三を止めるために行ったんだけど、巻き込まれて無理やりに壁の向こうへ連れられていったんだ」

 ウンウン。そこまでは皆知ってる情報である。ところが……。

「そうだよなぁ、悪かったなぁ、三起也なぁ」

 泰三がまさかの号泣寸前である。ここで泣かれては、またお預けを食う可能性もある。

「気持ちはわかるが、ここは三起也が壁の向こうで女の子とどんなことをしてきたのか、聞こうか」

 慎伍が言うと、三起也は下を向いて黙ってしまった。これは相当なことをしてきたに違いない。みるみる顔が赤くなっていく三起也を見るにつけ泰三は、

「じ、邪魔して悪かった、先を続けてくれ」

 と言った。スケベ心が勝負を制したようだ。

小さく咳払いをして三起也が続けた。顔は赤いままである。

「……ちょっと時間があったから、壁のそばの本屋に寄ったんだ。うちのそばの本屋は小さくて、ほしい参考書が見つからなかったし、何せあそこの本屋は街で一番品揃えがいいんだから。ほら、英語の勝田先生が言ってたろ。あの英文法の参考書さ」

 そう言えば、勝田先生が英文法の参考書について、話していたような気がする。でも、参考書が何だろうが、三起也のうちのそばの本屋が大きかろうと小さかろうと知ったことではない。僕らの聞きたい話はそんな話では断じてない。それにしても、つらつらとよくしゃべる。やはり、壁の向こうに行って、ひと皮むけたのだろうか。

「気づくと十二時が過ぎていた。参考書に夢中になり過ぎた。急いで外に出てみてビックリした。大勢の男たちが壁に向かって走ってるんだから。その中に泰三もいた。間に合わないと思ったけど、一生懸命後を追ったんだ。あんな思いはもう嫌だからね。運良く扉のそばで泰三が立ち往生している。僕は夢中でその腰にタックルした。ギリギリで間に合った。ほっとしたのもつかの間、それから僕はすごい衝撃を受けたんだ。……あんなのは初めてだった」

 やたら興奮して話す。ようやく話が核心に迫ってきた。そうそう、そういう話を僕らは待っていたのだ。三起也もさすがに察したのだろう。ここでジュースをひと口飲み、のどを潤した。

「とにかくすごい衝撃だったんだ。そして僕は、そのまま扉の方に流されていったんだ」

「えっ、衝撃って何の衝撃を受けたんだ、お前?」

 泰三が三起也に言った。

「だから、男たちが次々にぶつかってきたんだよ。お蔭で腰は打つし、お尻にアザはできるし、本当最悪だった。お尻のアザなんて今もはっきりわかるよ」

 と言うと、何を思ったか三起也はズボンを脱ぎ始めようとした。

「いや、アザはいいよ。きっと痛かったんだろうな。でも、話を先に進めてくれないか」

 慎伍のおかげで、三起也はズボンを脱ぐ手を止めた。すんでのところで僕らは三起也の尻を拝む羽目になるところだった。

「でも、僕はがんばった。フラフラになりながらもね。だけど僕はそこで大型ハンマーで叩きつけられたような衝撃を受けたんだ」

 大型ハンマー。これだ、これを待っていた。条件反射のように皆が前のめりになる。

「黄色い服を着た豚也のような男たちだった。がんばってなんとか扉にしがみついていたんだけどあまりに衝撃が強くて、扉の向こうへ飛ばされた。おまけにメガネまで飛ばされていた。四つん這いになって探したんだけど、中々見つからない。ほら、僕ってすごく目が悪いから、メガネがないとうちにも帰れないし」

 そうじゃない。豚也はもう十分だ。立って探そうが、四つん這いで探そうが、そんなことはどうでもいい。いつも勉強ばかりしてるクセに要領を得ない奴だ。

「するとメガネがすっと僕の目にかけられた。そして、僕は人生最大の衝撃を受けたんだ」

 人生最大の衝撃。今度は何ですかぁ? あぁあ、僕は本日三杯目のジュースを口に運んだ。

「目の前には天使がいた。天使が僕にメガネをかけてくれたんだ。僕はこれまでこんなにきれいな存在を見たことはない」

 話は突然核心に入った。あやうくジュースを吹き出すところだった。

「そして、いきなり彼女は僕に抱きついてきたんだ」

「何っ!」

 聞き捨てならない。急に皆の顔が真顔になる。

「全身の血が沸騰するかと思ったんだ。どうしようもないほど、幸せだった」

 いけない。花園でカレが蠢いている。豹変の前触れである。

「どうして、いきなり抱きついてきたんだ?」

 慎伍が言った。ありがとう、慎伍。本来であれば僕が冷静に聞かねばならぬところを、のっぴきならない事情が起きているために迷惑をかける。僕は心の中で手を合わせた。

「変態に追いかけられたんだって」

「変態?」

 追いかけられた? 嫌な予感がする。

「いきなり手を握られたんで、怖くなって逃げ出したら追いかけて来たんだって」

 もう何も言うことはない。あんなに喜んでいたのに、変態扱いとは……。やはりどこまで行っても前野は前野なのである。これでお縄になったらいくら前野が不幸が似合うとしても悲惨すぎる。

「彼女、怒ってたのか?」

 慎伍が聞いた。

「初めは」

「初めは? 怒りは収まったのか?」

「追いかけられて、逃げたお陰で僕に会えたって……喜んでた」

 言い終わったあと、これでもかというほど顔を赤くした。なんてことだ。結果的に前野は恋のキューピットを演じたわけだ。随分と貧相なキューピットがあったものである。


「彼女はとても温かかった。それにクラクラするほどいい匂いだった」

「女の子ってすごく柔らかいんだ。気づいたら、僕も彼女を抱きしめていたんだ」

 その後も次々に語られる刺激的な話に僕らは言葉を失った。三起也はもはや手の届かないところへ行ってしまった。僕らがファミレスでどうしていいかわからず、無為な時間を過ごしている間、コイツは幸せの絶頂にいたのだ。

 三起也の話は書籍からは得ることのできない臨場感にあふれていた。百聞は一見にしかず。僕らは既にそのことを修学旅行の女子高生から嫌と言うほど学んでいた。当然、実際に壁を越え、女子高生とあんなことやこんなことをしてきた三起也の話は、女性を目の当たりにしていない大家によって書かれた書よりも僕らを引き付けて離さないのである。

 僕らはただ無言で三起也の話を聞いていた。圧倒的な内容に、皆落ち着きがなくなり、チラチラとお互いの顔を見たり、ジュースを飲んだりした。レベルが違いすぎる話に、どうしていいかわからなかったのだ。


「そして、最後に彼女は手紙を書いて渡してくれたんだ」

 その言葉を最後に三起也は話を終えた。想像以上の話だった。皆真っ赤な顔をしている。こんな話を聞いた後は何をしゃべればいいのだろう。

「ちなみに今その手紙は?」

 長い沈黙の後、慎伍が言った。さすがの慎伍もメガネの奥が曇っている。興奮して汗をかいているのだ。

「一応、持ってきてるけど」

「おお!」

 喝さいが起こった。さっきの小町とは比較にならない。

 そして三起也はカバンの中から、さも大切そうに一通の手紙を取り出した。

「丁寧に扱ってよ」

「もちろんだ」

 と言うと、慎伍はどこから出したのもか、白い手袋をはめて、まるで殺人現場の証拠品でも扱うかのような慎重さで手紙を封筒から取り出した。こたつの上で広げると、たちまち男どもの顔が集まってきた。開くなり、またも喝さいが起こる。

「何だ、この可愛らしい字は」

「こんな丸くて小さい字、初めて見た」

「字まで可愛いとは何てことだ」

 このときの興奮はあのバスの中の女子高生と匹敵する。そこには名前(佐倉南ちゃんというらしい)と生年月日、身長・体重、好きな食べ物や趣味に至るまで自分に関することが詳細に書いてあった。そして、三起也に対するリクエスト、と言ってもメガネをやめて、コンタクトにすることだけが書いてあった。自分の情報は前もって書いてあって、ここだけは三起也に会ってから書き加えたのだろう。

「おい、ここ見ろよ」

 泰三が大声を張り上げた。指さす先にはハートのマークが踊っている。

「何だ? これ?」

「わからん……が、……かわいい」

 しばらく間をあけて慎伍が言った。そこは体重の欄であった。そこには『内緒❤』と書いてある。内緒ならば初めから書かなければよかろう、などと野暮を言ってはならない。

 皆の顔が赤い。見れば見るほど可憐な手紙だ。言うまでもないことだが、一通の手紙でこんなに興奮したのは生まれて初めてだ。「女性の実態」にも手紙に関するくだりはあったが、この感動を伝えるには程遠い。

「慎伍、これ映像じゃないけど、お宝になるんじゃないか」

 僕が言うと

「当然だ。今評価中だ」

 と腕を組んで目をつむった。

「評価するまでもねえ、A級で決まりだ」

 泰三が言うと

「いや……」

 慎伍が異を唱えた。

「違うってのか」

 泰三が口を尖らせる。すると慎伍は目をクワッと見開き、

「S級だ!」

 と宣言した。

「S級……」

「すげえ、S級!」

 バカバカしいほどに盛り上がった。途中、親父さんに何度か扉を叩かれるほどだった。三起也はすぐに手紙を仕舞いたがったが、その度にちょっと待てと言われ、なかなか仕舞わせてもらえなかった。


「だけど、何で南ちゃんはお前に惚れちゃったんだ?」

 泰三が言った。そこは僕も引っかかっていた。

「知らないよ、そんなの」

 仮に南ちゃんが彼氏を求めてきたとしても、男だったら誰でもいいのか。だったらその前に会った前野でもいいはずである。前野がダメで三起也を選んだ理由はどこにあるのか? 

「三起也がイケメンだからに決まってるだろ」

 慎伍はクイッとメガネを直した。そう言えば前にもそんなことを言っていた。微妙な空気が僕らを包む。三起也の手前、はっきりとは言えないが、この場の感じがすべてを物語っている。

「三起也は相当なイケメンだよ。ウソだと思うならメガネ取ってみ」

 慎伍が言うと三起也は

「慎伍、変なこと言わないでよ。新しくしたばかりなんだから」

 とメガネを両手で押えた。

「聞こえなぁい」

 泰三は鼻にかかった声で言うと、三起也が抵抗するのも構わず、いとも簡単にメガネを外した。

「えっ、誰?」

 泰三はメガネを持ち上げたまま固まっている。目の前にいるのは、サラサラヘアーのイケメンである。長いまつ毛にくっきりとした奥二重の超がつくイケメンだ。もともと髪はストレート、つうっと通った鼻にキュッと締まった口元である。目が極端に小さいところを除けば、イケメンの要素しかない。その目が度の強いメガネを外すことによって、大きくなるとしたら、もう無敵である。

「……慶ちゃん」

 新次郎がつぶやく。でも、侍ジャンプの中村慶悟なんてもんじゃない。もはや六歌仙の業平レベルである。

「……お前格好よかったんだな」

 もはや泰三は放心状態である。

「泰三、なんで気づかないの? 幼稚園からの付き合いでしょ」

「コイツ、小学校からメガネかけてたし、気づかねえよ」

 新次郎に泰三が答えた。僕もサッカーをやっていたと言うので、メガネはしていなかったと勝手に思い込んでいた。

「南ちゃんも書いてるだろ、コンタクトにしろって」

 慎伍の言うとおり、確かに三起也に対するリクエストはそれだけだった。

「返してよ」

 泰三からメガネを取り戻すと丁寧に拭いて再びメガネをかけた。いつもの三起也である。なぜかほっとする。

「でも、メガネをかけてると南ちゃんに付き合ってもらえないんじゃないか」

 慎伍が言うとそっとメガネを外した。

「うらましすぎるぞ、この野郎!」

 泰三がポカリとやった。慎伍も新次郎もやった。もちろん、僕も。嫉妬のあまり、かなり力が入ってしまったことを正直に白状しよう。

 三起也は壁の向こうに行って、僕らが誰も経験していないことを経験してきた。女の子に何ひとつ興味がなかったはずなのに、今では僕らより一歩も二歩も先を行っている。

「ちょっと待て、俺ら大切なことを聞き忘れてるんじゃね」

 思い出したように泰三が言った。

「えっ、何か忘れてたか」

 いろいろ考え始めた僕らをよそに、三起也の肩をつかみ自分の正面に向けてから改まって言った。

「み、南ちゃんって、どんな感じの娘だったんだ?」

「おおっ!」

 迂闊だった。たしかにそれは最も大切かつ聞き逃してはならない情報である。

「南ちゃん? そうだなぁ」

三起也はもう赤い顔をしている。

「天使かな」

「天使なのはわかる。もっと具体的な情報はないのか。例えば、髪型とか、目の大きさだとか、体型とか」

 三起也の答えにかぶせるように慎伍が言った。

「背はね、頭がこのぐらいだから、百六十センチぐらいかな」

 三起也は手を鼻の下に置いた。身長についてはさっきの手紙の身長欄に書いてあったので了承済みである。

「体型は?」

「細いよ。腰なんてこんなだった」

 三起也は両手で輪を作って腰の細さをあらわした。何でお前が南ちゃんの腰の細さを知ってる? ついつい下卑たことを想像してしまう。

「それで肝心の顔はどうなんだ」

 泰三がせかす。

「どうって…………きれいだ」

 三起也の顔がニヤけている。脳裏に愛しの南ちゃんの顔を思い浮かべているのだろう。

「……あんなにきれいな人は初めてだ。色は白いし、目はパッチリだし、鼻は小さいし、口元のほくろが妙に色っぽくて、唇は……」

 そのまま黙り込んでしまった。ニヤけた顔がさらにだらしなくなった。僕らの想像力は、たやすくその背景にある事情をくみ取ったのである。

「三起也、お前まさか……」

 泰三は目を血走らせている。

「したのか」

 慎伍もすごく怖い顔をしている。

「白状しろ!」

 もしかしたら僕が一番怖い顔をしていたかもしれない。

「どんな感じだった?」

 新次郎は一人だけ興味津々の目を輝かせている。やったのには間違いない。僕らにはわかる。なら、どんな感じだったのか。慎伍も泰三も僕も固唾を呑んで三起也の次の言葉を待っている。

「…………た」

 三起也がつぶやく。

「えっ?」

 泰三が聞き返す。

「……かった」

 三起也がつぶやく。

「何だって?」

 泰三が聞き返す。

「だから……柔らかかったって言ってるじゃない!」

「な・ん・だ・と!」

 これは聞き捨てならない。僕らを差し置いて、あれほど興味のなかった三起也がよりによって……。

「裏切り者!」

「うらましすぎるぞ、この野郎!」

「誰が興味がないんだ!」

「このドスケベ野郎が!」

 三起也が再びゲンコツの餌食になったのは言うまでもない。三起也は殴られながらも最後までニヤついていた。


「まさか、お前がね。信じられん」

 しばらくして泰三が言った。当の三起也は涙目になっているが、まだニヤつきが収まらない。

「ちなみに南ちゃんは何でこの場所にいたんだ? 南ちゃん既婚者じゃないのに」

 たしかにそうだ。泰三の言うとおり三起也が行った壁の向こう側はハネムーンベルトと呼ばれ、既婚者じゃなきゃ入れないはずである。

「向こう側でも壁を破ろうとした女の人が大勢いたみたいだよ」

「何で女の人が壁を破る必要があるんだ?」

「わからないか、泰三。お前は俺たちだけが女の子を求めてると思ってるだろ。だが、女の子だって俺たちを求めてる」

 慎伍はなぜか自信たっぷりだが、そんなこと言われても全然実感がない。

「女性も男性を求めているんだ。雄がいれば雌もいる。雄が雌を求め、雌は雄を求める。当然の自然の摂理さ」

 慎伍が言うと三度喝さいが起こった。知らぬ間に、求めているのは男性側だけだと信じていた僕らにとって、すごく勇気の湧く言葉だった。考えてみれば「女性の実態 第十三巻 恋愛における傾向編」を詳細に読み込めばわかることである。この僕としたことが迂闊であった。

「そうかあ、女の子も俺を求めてるんだ」

 泰三が言った。実にいい笑顔だ。だが、君を求めているとは誰も言っていない。

「じゃあ、今日はこれまでとしよう。今日の上映会は三起也のお蔭でかつてないほど有意義なものとなった。俺たちも近いうちに三起也に追いつけるようがんばろう」

 と言うと、慎伍はジュースのコップを手に立ち上がった。ほかの連中もあとに続く。

「じゃあ、諸君! 未来の愛しい花嫁に」

慎伍の声にあわせて僕らは声を張り上げた。

「乾杯!」

「うるさい!」

 親父さんは最後まで不機嫌だった。


 それからの三起也の変わりようと言ったら。まず、分厚いメガネをやめて、コンタクトになった。これは南ちゃんのリクエストだ。新次郎はそれ以来、三起也のことを慶ちゃんと呼ぶようになった。

 僕らのおバカトークにも積極的に参加するようになった。ただ時折鼻につく発言が目立つようになった。

「君たちにはわからないだろうけど、本当に天使というのは存在するんだ」

「君たちにはわからないだろうけど、女性はとてもいい匂いがするんだ」

「君たちにはわからないだろうけど、女性というのはとても柔らかいんだ」

 三起也の言うとおり、僕らにはわからないことだらけだっただけに腹も立ったが、泰三は満足そうだった。その度に「興味ない」と以前の三起也の真似をしてからかった。ただ、あれ以来上映会には参加していない。本人曰く、南ちゃんに操を立てているらしい。


 それから半年余り、僕らは三年生になっていた。三起也は一大ニュースを発表した。

「実は僕、卒業したら結婚するんだ」

 聞くところによると、壁越えから数日後、当局から電話があったという。南ちゃんは向こうに帰ってすぐ、当局に連行されていたらしい。巻き込まれて連れていかれた三起也とは違い、自ら壁を抜けてきた、言わば重大事件の犯罪者である。

 調べていくうちに三起也の名前が出てきた。南ちゃんは結婚の約束をしているというが、その真偽を聞かれたらしい。三起也は即座に結婚の約束を認めたという。僕らには内緒にしていたが、熱いキスを交わしたあと、勢いで結婚を申し込んだという。

 当局によると、通常認められないことだが、両者とも十八になるし、結婚の意思があるのだったらと、大目に見てくれたそうである。

 三起也の話は、たちまち巷の知れ渡るところとなった。アクシデントとは言え、十八歳前に壁の向こうへ行き、その場で結婚を決めたヒーローとして。

 二匹目のドジョウを狙って、壁の周辺は今日も多くの男性で混雑している。


 数年後、新聞はフォッサマグナの東西に巨大な壁を建設するとのニュースを報じた。合計特殊出生率○・七を切り、国家存亡の危機に瀕した政府テコ入れの元、少子化対策特区として異例の施策に取り組んだ茂田市が出生率五・七の驚くべき数値を叩きだした。政府は早急に対策を講じ、今回の壁建設となった。近く男女が別々に暮らすことになると記事は結んだ。


 その後、日本の出生率がV字回復したことは言うまでもない。


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