事件発生
恐れていたことが起こった。塚チンの元へ密告者が当局に行くと言ってきた。ヘタをすると当局に連行されかねない。絶体絶命のこのピンチにも慎伍は秘策があると言う。心底ほっとした。さすがは我が組長、頼りになる男である。
翌日のことである。遂に恐れていたことが起こった。
一時間目の調理実習のあと、二時間目は古文である。このクラスにおいて最も暑苦しいラインナップである。授業とは名ばかりの角刈り筋肉教師への朝食づくりのあとの塚チンの授業である。この教師、古文を愛するあまり、生徒たちも自分と同じ熱量で古文に接しているに違いないなどという甚だ迷惑な勘違いをしている。その熱い思いには僕らも食傷気味で、授業前にはある種の圧迫感を感じるようになっていた。
「慎伍、ちょっといいか」
塚チンがドアを細く開けて慎伍を呼んだ。いつもの塚チンらしからぬ振る舞いである。授業が始まるのになんで入ってこないのか。
「先生、授業は?」
僕の問いに塚チンは、
「悪い、自習しててくれ」
とだけ告げるとすぐにドアを閉めた。
「えっ」
耳を疑った。塚チンが授業を自習にするとは……。こんなことは初めてだ。これは余程のことが起こったに違いない。
「やりぃ」
椅子の上に立ち上がって泰三が喜びの声を上げる。ことの背景など何も考えもせずに喜びを体全体で表す泰三を見ていて心底うらやましく思った。一時間自習になっただけで、この喜びようである。
密告者の話であろうことは想像に難くない。が、前回慎伍から話を聞いて以来、僕ほどの男がのほほんと時を過ごしていた訳もなく、密告者についてもある程度、予測はつけていた。
怪しい人物は二人。一人は平野である。もちろん、あのバスでのことはD組以外は知り得ぬ情報である。しかし、相手は平野である。知りたいことはどんな手段に訴えてでも手に入れるはずだ。水清寺で夜目を生かしてお宝を独り占めしたように。もしかしたら体中から得体の知れない触手を伸ばして情報をかき集めているかもしれない。
手を組んだ以上、D組が女子高生を見ることができたとしても、それを告発することはルール違反である。しかし、そんなことは平野にとって何でもない。躊躇なく告発するだろう。そういう男である。
その点、同じ組長でも槌田は絶対にそんなことはしないし、豚也はそこまで頭が回らないだろう。
一番怪しいのは何と言っても前野である。帰りのバスの中で一人文句を言っていた奴が、三起也以外でただ一人女子高校生を見られなかったのである。僕に言わせれば完全に逆恨みなのだが、このところの奴の行動は見ていると何をやらかしても不思議はない。
僕の卓越した洞察力、推理力を持ってしてもこれ以上のことはわからない。でも慎伍だけに責任を負わせるなんてことはあってはならない。慎伍の力にならなければ。それができるのは僕しかいない。未だ大口を開けて喜びを爆発させている泰三を見て強く思った。
二時間目が終わり、慎伍が帰ってきた。思った通り顔色が悪い。しかし、僕の顔を見ると笑顔を繕った。
「どうかしたのか?」
僕は慎伍を廊下に連れ出して聞いた。
「密告者が当局に行くと宣言したらしい」
「ウ、ウソだろ」
思わず声が震えた。とうとう最悪の事態になった。これまで女性を求め、果敢な行動に出た勇者の話は聞いたことがあるが、その者が今も市内にいるという話は聞いたことがない。彼らがその後どうなったかなど、恐ろしくて想像すらできない。等兄ちゃん改め太兄ちゃんの話が現実のものとなったのだ。僕たちが存在そのものを消される可能性も否定できない。冷たい汗が背中を伝った。
「なぁに、予想通りだ。心配はいらない」
言葉を失っている僕に言った。心配がいらないわけがない。それとも何か慎伍に秘策でもあると言うのか。
「今回の件に関しては、百パーセント俺が計画したことだ。みんなには関係ない」
「お前一人で罪をかぶる気か」
言った直後、著しい違和感を感じた。罪ってなんの罪だ? 僕らは何か悪いことをしたのだろうか? ただ、パーキングに寄っただけである。結果としてあの女子高生がバスを間違えて入ってきただけなのだ。
「お前は、いや僕たちは何も悪いことはしていない」
僕が言うと慎伍は、
「そうだな。しかし、この街ではこれで罰せられるんだ」
僕には後に続ける言葉が見つからなかった。
「それより今度の日曜だろ、泰三が壁を超えるっていうのは。俺たちも行くぞ」
「お前、泰三の心配してる場合じゃないだろ」
「その件は大丈夫だ。俺が何も考えていないと思うのか?」
「……秘策でもあるのか?」
「ああ」
「どんな」
「見てのお楽しみだ」
と言って親指を立てた。どうやら、本当らしい。心底ほっとした。さすがは我が組長、頼りになる男である。
塚チンはよほどショックだったのだろう。具合が悪いと言って早退したということだ。




