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慎伍の作戦

修学旅行明けの初めての登校日。一時間目から塚チンの古文の授業である。修学旅行で生徒たちが女性を見ることができなかったことを、さも残念そうに言う塚チンだが、誰もそんなこと信じちゃいない。しかし、D組の生徒たちの頭の中は、バスの中で見た女子高生のことで一杯だった。特に泰三は顔がにやけていて塚チンに怪しまれることに。あのことがバレたら大変なことになる。泰三を助けるべく、慎伍が取った作戦とは。


 結局、ろくに眠れなかった。目をつむるとあの女子高生が現れ、僕はこれまで味わったことのない幸せに包まれた。そして、本能のまま妄想に身をゆだねていると、いざというときに急に三木正美にすり替わるのだ。まさに天国から地獄である。

 しかし、三木正美が現れなければいいというものではない。現れなければ、それ以上に僕の眠りを妨げることになる。原因はそう、カレである。

 カレはいつものカレではなかった。否、そんなレベルの話ではない。もはや大怪獣であった。秘密の花園はすぐに緊急事態に陥った。崩壊する建物、逃げ惑う人々、轟く咆哮、響くサイレン、飛び交う怒号、泣き叫ぶ声、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 僕は全力でカレを諌めようとした。が、もはや手が付けられない状況だった。僕の施した手段が功を奏し、一時大人しくなったと思っても、瞬く間に復活を遂げ、より凶暴化して蹂躙を繰り返した。いかなる手を尽くしてもカレを鎮めることはできず、手当たり次第根こそぎにしていった。カレの通った跡には草一本生えていない。まさに焼野原であった。ありとあらゆる手段を講じたカレとの戦いは夜を通して行われた。

 ようやくカレが大人しくなったのは翌日の昼過ぎのことである。もはや保護者を名乗るのも恥ずかしい。よもやこれほどまでに豹変するとは。あの大人しかったカレが……。

 旅行から帰って以来、寝不足の日々が続いている。カレの怒りが鎮まりますように。僕にできるのは、もはや祈ることぐらいである。


 修学旅行明けの初めての登校日。連日の寝不足がたたって、頭はぼうっとしている。 

 一時間目はよりによって古文。担当は言わずと知れた塚チンである。

「お早う。気持ちのいい朝だな」

 いつもの空手着に身を包んだ塚チンが言った。誰も返事を返さない。どうやら寝不足なのは僕だけじゃないようだ。

「大丈夫か。目が赤いぞ」

 心配そうな表情を浮かべる塚チンだが、誰もそんなことは信じちゃいない。

「どうだった、修学旅行は? 楽しい旅行だったな」

 ニヤケ顔で言った。塚チンからこんなことを言われて、はい、楽しい旅行でした、と言えるほど、僕らは大人ではない。最終的にはD組は最高の旅行になったが、教師たちは徹頭徹尾僕らの邪魔をしただけである。

「いや、お前たちの気持ちはよくわかる。修学旅行が終わって、期待していたことが何ひとつ実現できなかったら、そりゃ、頭にも来るだろう。だが、お前たちが今やらなければならないのは、女にうつつを抜かすことじゃない。そう、勉強だ」

 実にとってつけたような話を始めた。

「修学旅行というのは、いつもと違った環境で、自らの見聞を広め、自然や文化などに親しみ、集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことが目的なんだ」

 黙って聞いていれば随分勝手なことを言う。地獄寺や深夜二時の水清寺のどこにそんな要素があったのか。三木正美が公衆道徳の習得にどのような効果をもたらしたと言うのか。

「お前たちに女は早いということだ。だから、あえて鬼に徹した。そのため、お前たちの期待したことをことごとく粉砕したんだ。だけど先生たちは皆心で泣いてたんだぞ。今はまず勉強だ。一生懸命勉強して、さまざまな経験を積んでから、女性を知ればいい。そうすれば喜びもひとしおってもんだ」

 妙に真剣な口調で言う。でも、僕らの目論見をどのようにして妨害したのか、塚チンが大笑いをしながら話していたのを皆知っている。どの口で心で泣いていたなどと言うのか。ウソならもう少しましなウソをつくがいい。

「ケッ、よく言うぜ」

「ふざけんなっつうの」

 塚チンには聞こえない絶妙な大きさのヤジが飛ぶ。

「女性か。確かにいいものだ。あの抜けるような肌の白さ、可憐な仕草、可愛いらしい声。でもな、今は勉強するときなんだ。あと二年もすれば結婚する者もいるだろう。そのときのために楽しみはとっとけ。そのときは心から祝福をさせてもらおう」

 バカバカしい。こんな話、まともに聞いてる者などいるもんか。そう思って後ろを振り返った。マズい。誰も聞いてないには違いないが、半数近くがニヤニヤしている。さっきまで文句を言っていたはずなのに。

 おそらく、さっきの塚チンの話にあった女性の魅力のくだりだ。あれが皆の顔を間延びさせているに違いない。修学旅行に行く前ならば、そんな話を聞いても、想像するのが精いっぱいだった。ところが今は違う。僕らは知ってしまった。女性の素晴らしさを。塚チンのひと言でD組の連中はやすやすとあのバスの中へと旅立ってしまったのだ。

「おい慎伍。マズいよ」

 斜め前の席で、仏頂面で話を聞いている慎伍に向かって小声で話しかけた。

「どうした」

 振り向いた途端にニヤケ面の面々が目に入ったのだろう。僕が説明する前に

「もういい。わかった」

 と言った。

「ん、何か変だな。どうしたんだ、お前たち。何で笑ってるんだ」

 塚チンが言った。そりゃそうだろう。話している内容とまったく関係なしに、半分もの生徒がニヤけているのだから。

「おい、泰三。どうした? 何かいいことでもあったのか」

 ニヤケ面の中でも特に重篤な泰三が指された。未だ夢の中の泰三は指名されたことに気づいていない。

「あれ、間違えちゃったかな」

 突然、泰三が言った。しかも、可愛らしい声色で。あの女子高生がバスの中で言った言葉である。女子高生を思い出して、無意識のうちに声が出たのだ。

「あのバカ、夢と現実の区別がついていないぞ」

 慎伍は頭を抱えた。

「なんだ? 何を間違えたんだ」

 塚チンが当然な質問をした。いきなり、泰三が変な声色でトンチンカンなことを言い出したのだ。変に思って当たり前である。

「えっ、なんだ、お前ら? 何で俺を見てるんだ」

 泰三がクラスの皆に言った。自分が指されたことも、無意識のうちに自分が女子高生の真似をしてしまったことも気づいていない。

「お前たちもお前たちだ。何か変だぞ。なぜニヤけてるんだ。先生、別に面白い話をしてるわけじゃないぞ」

 塚チンが言うと

「先生」

 いきなり慎伍が手を高く上げた。

「どうした? 慎伍」

「質問があるんですけど」

「ちょっと待ってろ。こっちが先だ。お前たち、修学旅行で何かあったのか」

「源氏物語は紫式部の作品じゃないって本当ですか」

 慎伍は構わず質問した。

「……ふむ。一般には紫式部が書いたと言われているが、そういう説もあるのは本当だ」

「どういう説なんですか」

「光源氏のモデルになった人物が書いたものだとか、一部分だけ別の手が加わってるんじゃないかという説、中には娘が書いたんじゃないかという説もあるな」

 塚チンはウソつきだが、古文の教師としては優秀だし、何より古文を愛している。慎伍からの質問に対しても嬉々として話し始めた。

 それからも慎伍は次々に質問を繰り返した。その度に塚チンは懇切丁寧に質問に答え、古文への思いを熱く語った。未だ半数の生徒はニヤケていたが、まったく気づいていない。

 慎伍の機転の利いた質問のお蔭で僕らは危機を逃れた。ちなみにこの作戦を遂行できるのは僕らのクラスでは慎伍しかいない。

「いや、久しぶりに充実した授業だったな。それにしても慎伍はよく勉強してる。皆も見習うように」

 塚チンはとても気分よく教室をあとにした。根は単純な男である。ニヤけ問題はもう忘れているだろう。


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