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慎伍の彼女

僕は学校で慎伍に呼び出され、ジャンボにいた。

学校での慎伍は様子がおかしかった。いつも冷静な慎伍がどこか怯えている。

聞くと彼女ができたと言う。藻田市では考えられないことである。しかも今日連れてきていると言う。

現れた彼女はあの修学旅行で会った彼女であった。

 学校終わりに僕はジャンボにいた。というのも慎伍に呼び出されたからだ。

 それは明らかにいつもの慎伍じゃなかった。授業間の休み時間、慎伍は振り向きざま

「今日午後五時、ジャンボに来てくれないか。話がある」

 とだけささやき、こそこそと教室を出ていってしまった。僕にひと言の質問もさせずに、まるで人目を避けるように。常に冷静沈着、めったなことではあわてることのない慎伍がどこか、怯えている。

 あまりに気になったので、三十分も前についてしまった。珍しくジャンボはガランとしている。マスターはいつもと変わらず穏やかな笑みで僕を迎えてくれた。この笑顔に迎えられると僕はほっとするのだ。

 ぬるいコーヒーを飲みながら、あの慎伍をここまで悩ませることをあれやこれやと想像してみるが、まったく見当もつかない。そうこうしているうちに当の慎伍が来た。辺りを気にして、しきりに視線を泳がせている。やはりいつもの慎伍じゃない。

「どうした? 珍しいな慎伍、思いつめたような顔をして」

「お前にだけは言っておこうと思ってな」

 やはり慎伍の表情は硬いままだ。そして、目の前の僕の水を手にすると、

「……これ、もらってもいいか……」

「……うん」

 こっちにまで慎伍の緊張が伝わってくる。水を一気に飲み干すと慎伍は重い口を開いた。

「……実はな」

 声が小さい。つい僕も前のめりになる。

「彼女ができた」

「はっ?」

 この街ではおよそ考えられない話である。一瞬聞き間違えかと思った。

「お前、一体何を言ってる。熱でもあるのか」

「論より証拠、今日連れて来てる」

 慎伍は僕の背後の窓に向かって、手招きを始めた。すぐに扉を開く音がした。僕はなぜだか後ろを振り返ることができなかった。僕の思いとは裏腹に足音がだんだんと近づいてくる。聞きなれない品のある足音。それは僕の席のすぐ後ろでピタリと止まった。

「こんにちは」

 とろけるような心地よい声が聞こえてきた。彼女の登場とともに周りには甘い香りが漂ってきた。意を決して振り返り、僕はそのまま固まった。目の前に現れたのは、忘れもしない、修学旅行の最終日にクラスのバスに入ってきた女子高生だったのだから。

「どうした」

 慎伍は僕のあわて振りを見て笑っている。

「ど、どうして……」

 のどが詰まりそうだったが、やっとの思いで声を出すことができた。

「あのとき、メモを渡しておいたんだ。修学旅行に備えて自分の住所、電話番号、メルアドを書いたメモを用意しておいたから」

「えっ! ウソだろ」

 思わず声が裏返る。慎伍はたったあれだけの時間で女の子にメモを渡していたというのか。さすがというよりも、何だか裏切られたような気がした。

「……で、でも、ど、どうやって」

「……壁には抜け穴があるんだよ、秘密のな」

 一段と声を潜めて慎伍が言う。そんな話は聞いたことがない。小学校以来の親友だと信じていたのに。こんな大事なことを僕にまで秘密にしていたとは……。

「どうしたんですか」

 話せずにいる僕に、彼女が話しかけてくる。いちいち愛くるしい声で。

 改めてこの状況を考えると、これはすごいことである。目と鼻の先に生の女子高生がいる。彼女は神々しいほどに輝いていた。しかも慎伍の彼女だという。今までの人生の中では考えられないシチュエーションである。

 今度は女の子から目が離せなくなった。いけない、変な奴と思われる、と視線をほかに外しても、また視線が吸い寄せられてしまうのだ。いけない、いけない。僕が冷静になれなくてどうする。これでは女性研究に身をささげた先人たちに顔向けができない。

「あまりジロジロ見るな。美樹が減る」

 慎伍が言った。彼女の名前は美樹と言うらしい。そしてあろうことか、慎伍は彼女の肩に手をかけたのだ。猛烈な嫉妬が僕を襲った。

「慎伍、そういうことを人前でするのはどうかと思うが」

 絞り出すように言った。冷静を装っても、声が微妙に震えている。

「いいじゃないか。お互いに愛し合ってるわけだし、なあ、美樹」

 そう言うと肩にかけた手をぐっと寄せた。彼女は顔を赤らめ、うれしそうにしている。その仕草は驚くほど可愛いものだった。いつの間にそんな間柄になったのか。

「浮気なんかしないでね」

「するもんか、俺は美樹に出会うために生まれてきたんだ」

 歯の浮くようなセリフを平然と言ってのけた。この間まで同じ環境にいたくせに、この差は一体なんだ。

 僕という存在を無視して、二人は完全に自分たちの世界に入り込んでいる。いやな予感がする。

「……美樹」

「……慎ちゃん」

 見つめあう二人。そして、その距離が近くなっていく。

「おい、慎伍! 人の目の前で何やってる。公衆道徳を弁えないつもりか」

 たまらず叫んでしまった。

「ああ、悪い悪い。まったく気づかなかったよ、なあ美樹」

「ええ、まったく」

 美樹ちゃんも可愛い顔をして失礼なことを言う。

「でも、お前も野暮な奴だな。この場面で止めるか、普通」

 慎伍はメガネの中央を中指でピッと押しながら見下すような視線で僕を見た。コイツ、こんなにいやな奴だったっけ。

「そうそう、お前にもいい話があるんだ。感謝しろよ」

 いやらしい笑みを浮かべて恩着せがましく慎伍が言った。

「彼女の親友を紹介してやるよ」

「えっ。本当か」

「迷惑ならいいんだ。泰三にでも紹介するから」

「いや、そんなことはない。ま、紹介してもらうことにしよう」

 いつもの調子で言った。

「何言ってんだ。ド変態のクセしてよ」

 慎伍が鼻で笑った。まさか、慎伍からこんなことを言われる日が来るとは……。泰三にも言われたことないのに。でも、ここで文句を言うと紹介してもらえなくなるかもしれないので、涙を飲んで耐えた。

「感謝しろよ。友達の中でも飛び切りの美人だそうだ」

「マミは別格よ。まるで芸能人みたい。だから慎ちゃんが好きにならないうちに彼氏を作ってもらわないと……」

 彼女が甘えたような声を出す。だが、僕の関心はもう既に友達のマミちゃんのほうへ移っていた。ついさっき、ド変態呼ばわりされたことも忘れて。飛び切りの美人。別格。芸能人。心地よいワードが頭の中を巡っている。

「マミちゃんというのか。かわいい名だ」

 さらりと恥ずかしいことを言ってしまった。興奮を抑えて何とか話してはいるが、極度の緊張と相まって、自分でも何を言っているのか、わからない。

「マミはあだ名なの。本名は……」

「あれ、あの子じゃないか。本当にすごい美人だな。お前にはもったいないな」

 美樹ちゃんの話を遮って慎伍が僕の後ろの窓を差す。

「もう、そんなこと言わないでよ、慎ちゃん」

 二人がまたイチャつき始めた。でもそんなことはもうどうでもいいのだ。

 可愛らしい足音が聞こえる。心臓がバクバクしている。近づくにつれ、甘酸っぱい香りがしてきた。僕はこっそりその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「こんにちは」

 美樹ちゃんよりさらに可愛らしい声だ。

「ここ、座っていいかしら」

 マミちゃんは僕の隣の席を引いた。僕はドキドキしながら、その顔を見た。

「美樹の友達の正美です。マミって呼んでね」

 僕は死んだように固まった。そこにいたのは、三木正美だった。甘酸っぱいと感じたのは、三木正美の体臭だった。突然、猛烈な吐き気が襲ってきた。

「慎ちゃんのお友達ね。よろしく」

 いきなり、三木正美が抱きついてきた。あのたくましい腕で。たちまちミシミシと背骨が音を立て始める。

「や、やめろ。は、放せ」

「うらやましいぜ。彼女を大事にしろよ」

 苦しがってる僕を慎伍は優しい視線で見守っている。なぜ、そんな温かい目で僕を見るんだ。

「やめろ! なんだその包み込むような視線は」

 気味が悪くなって視線をそらす。そらした先にはマスターがいた。マスターはさらに穏やかな視線で僕を見つめている。堪らず、視線をずらすと今度は慎伍の温かい視線が待っている。

 薄れゆく意識の中で、ああ、我が子を見守る母の視線とはこのようなものだろうか、という思いが、ふと脳裏によぎった。そして慎伍はいきなり美樹ちゃんのアゴを左手で持ち上げ、美樹ちゃんにキスをしたのである。キスの後、美樹ちゃんは慎伍の肩に頭を載せた。その横で慎伍は母の視線で僕を見ている。

 意識が朦朧としてきた。三木正美は興奮して、鼻息が荒くなっている。このままだと、命が危ない。僕は声を限りに叫んだ。

「助けてくれえええええええぇ」


「どうした? こんな夜中に」

 父親が入ってきた。夢だった。ほっと胸をなでおろす。もう十一月も半ばだというのに全身汗びっしょりだ。

「いや、何でもない。ゴメン、起こしちゃって」

「慎伍君と喧嘩でもしたのか」

「いや、何で?」

「おのれ、慎伍って何度も叫んでたからさ。すごい剣幕だったぞ」

 どうやら、僕は慎伍の夢を見てうなされていたらしい。その度に慎伍の名を叫んでいたのだろう。さっき夢に出てきた慎伍も随分奇妙な奴だった。あの視線はなんだったんだ。

「あと三木正美って誰だ」

 布団の中で呆けている僕に父親が言った。僕はそんなことまで言っていたのか。

「僕、そんなこと言った?」

「はっきり言ってたよ。好きな子でもできたか」

 僕がなんと返していいかわからずに困っていると、

「ゴメン、この街で恋愛なんかできるわけないよな」

 と言って出ていった。


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