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麗しの女子高生

すべてが失敗に終わったバスの中。皆ぐったりしている。ぐっすり眠っているのは塚チンと女性に興味がない三起也だけである。

するとバスがすうっと徐行を始めた。深夜の水清寺で運転手は極度の寝不足であった。

高速道路である。何かあれば女性を見ずに天に召されるかもしれない。それはあんまりだ。

そこで慎伍は運転手に仮眠を進めた。事故を起こせば首になると。

パーキングに着いた。運転手はすぐにいびきをかき始めた。最後のチャンスだ。しかし扉は開かない。運転手も起きない。そんなとき、トントン。扉をたたく音が。条件反射だろうか、運転手はすぐに扉を開けた。ステップを上ってきたのはバスを間違えた女子高生だった。


 帰りのバス。皆ぐったりしている。当初の目的を何ひとつ叶えることができず、背中から覆いかぶさるように疲労感だけがどっかりと居座っている。

 神様は二重三重と我らに試練を与え給うた。しかし、試練というものは、通常は努力の末に乗り越えられることを見込んで課されるものであって、それを乗り越えることで成長が期待できるものであろう。どう考えても乗り越えられないものを背負わせるのは、単なるいじめである。この状況をかんがみるに、神様は我らをいじめてるとしか考えられない。神様だってストレスがたまることがあるかもしれないが、何も我らの修学旅行で発散をすることもあるまい。こんなことをするのはもはや神様ではない。

 見る顔見る顔、皆眉間に掘ったようなシワを寄せている。まるで世界中の不幸を一切合切かき集め、一人で背負って立ったような顔をしている。これが一日千秋の思いで待ち続けた修学旅行の帰りのバスの中の光景であろうか。僕は遅まきながら理解した。この世には神も仏もないのである。

 朝食ではおかしなテンションではしゃいでいた塚チンもさすがに昨日(今朝?)の水清寺が効いたのか、後ろの座席で三起也と一緒に軽いイビキをかいている。

 慎伍も僕の隣でさっきからひと言も口を開かない。さすがの慎伍ももうどうしようもないのだ。誰も口を開かない。ただ聞こえてくるのは二人のイビキとその他大勢のため息である。ため息の数だけ幸せは逃げていくというが、この修学旅行でどれだけの幸せが逃げていったことやら。

「……こうなることはわかってたんだよね」

 考えてもせんないことを悶々と抱えていると、ひとり言が聞こえた。

「……地獄寺って何? 意味が分からない」

 泰三の後ろだ。つまり僕の後ろの後ろである。イライラしてるだけに妙に耳に付く。

 その後もひとり言は続いた。いい加減気になって首を伸ばして覗いてみる。するとバスが突然スーッと蛇行した。

「何だ今の?」

 慎伍が言った。皆我に返ったように車外を覗くが目隠しシートで見えるわけはない。

「運ちゃん、寝不足じゃねえのか。可哀そうにあんな時間まで運転させられてんだからよ。普通ねえだろ。こんなこと」

 半ば投げやりに泰三が答える。そりゃそうだ。水清寺を見学して、宿に向かったのは午前三時過ぎ。バスの中で我々は眠れずともうとうとすることはできたが、運転手やバスガイドはそうはいかない。そう言えば三木正美もさっきから何度も欠伸をかみ殺している。

「大丈夫かな」

 慎伍がつぶやいた。冗談じゃない。修学旅行がこんな結果に終わって最後の最後に交通事故なんてことになったら目も当てられない。高速道路である。当然スピードも出ている。万が一のことがあれば、我らは女性を見ずに天に召されることになる。いくらなんでもあんまりだ。

 しかし、我らの心配をよそに間もなくバスは正常な運転を取り戻した。

「どうやら落ち着いたようだな」

 しばらくして慎伍が言った。

「ああ」

 とりあえずほっとした。落ち着いたところで少しでも眠ろうと目をつむる。でもつむった途端に水清寺のことが頭に浮かんで眠れない。不思議なものでひとつの危機が去ると、また平野や槌田への敗北感がむくむくと頭をもたげてくる。バスの中の空気が再び沈んできた。

 すると

「……僕は最初からこうなると思ってたんだよね」

 また始まった。ひとり言である。

「なんで皆わからないんだろ。うちの学校が女の子に会わせると思ってるの?」

 ほかのみんなも同じようなことを思ってるだろう。しかし、誰もが口に出さず独り煩悶しているのだ。が、それをブツブツ口に出されては周りがたまらない。中途半端なささやき声がまたイラつかせる。僕は声の主を確かめようと再度振り向いた。

 泰三は僕の視線に気づくと、すごい顔でにらんできた。とばっちりもいいところである。声の主は泰三のすぐ後ろである。泰三も我慢の限界なのだ。

 ひとり言は続いた。いつまでも、念仏のように。とうとう泰三が切れた。

「おい、前野。さっきからブツブツブツブツうるせんだよ!」

 周りがビックリするような大声だ。泰三にしては長いこと堪えた。溜めに溜めた分、声が大きくなったのだろう。思わず、前野が立ち上がった。そのとき……。

 キキーッ。急ブレーキ。一人立ち上がっていた前野は大きく前のめる。その勢いでメガネがバスの中できれいな放物線を描いた。

「ああっ!」

 メガネが見事な着地を決めるはずもなく、無様に床に転がった。急いで前野が駆け寄る。

「し、失礼しました」

 運転手が目隠しシート越しに言った。間違いない。居眠りしかけたのだ。

 前野のメガネはレンズこそ割れなかったものの、フレームから外れてしまったようだ。

「何するんだ」

「てめえがブツブツブツブツうるせえからだろうが!」

 泰三のあまりの剣幕に、前野はそのまま黙ってしまった。そして大人しく泰三の後ろの座席に戻った。それでもなお小さな声で文句を言っているのが聞こえる。

 これを見ていた慎伍はしばらく何事か考えている様子だったが、突然席を立つと運転席に歩いて行った。そしてプレート越しにいくつか言葉を交わしたかと思うと三木正美にも何事かを告げ、座席に戻ってきた。

「どうした?」

 僕が聞くと声を潜めて

「高速で居眠りして事故でも起こしたらあなたは間違いなくクビになる。もしあなたに家族がいるなら、絶対にそれだけは避けなくてはならない。近くにパーキングがあるなら、ちょっと寝た方がいい。パーキングなどには寄らないようにと言われているかもしれないが、先生はグッスリ寝てるから何も心配はいらない、と言ってきた。ついでに三木正美にも、ちょっと寝た方がいいと言ってきた。三木正美は最初拒んだが、あなたが欠伸をかみ殺してるの何度もを見た、と言ったら了解した」

 と言った。

 僕は猛烈に感動した。我らが軍師はまだ少しも諦めてない。

「……慎伍、お前って奴は……」

 泰三はもう泣きそうである。

「これが最後のチャンスになるだろう。悔いのないよう全力で行こう」

 慎伍が言った。我々は小さくシュプレヒコールをあげた。

 程なくバスはパーキングに着いた。余程眠かったのだろう、運ちゃんも三木正美もすぐに豪快なイビキをかきはじめた。塚チンもグッスリ寝ていて、まったく起きる様子はない。チャンスは今しかない。

 大勢の人で賑わっているのが目隠しシート越しにもわかる。修学旅行の時期である。パーキングにはそれらしき集団がいる。紺色の集団はどこぞの女子高生だろうか。夢にまで見た女の子がすぐそこにいるのだ。

 我々は扉へと急いだ。泰三が扉に手をかけた。しかし、ガチャガチャ音がするだけで扉は開かない。

「何やってる。早くしろ」

 珍しく慎伍がイラついている。

「ダメだ。ロックがかかってる」

「代われ!」

 慎伍が怒鳴る。僕が泰三に代わった。祈るような気持ちで扉に手をかける。しかし、開かない。やはりロックがかかってる。様子を見ていた慎伍が急いで運ちゃんに声をかける。起きない。プレートを叩いてみる。起きない。プレート越しでは無理だ。

「そうだ。三木正美! そう言えば、操作方法を聞いたって言ってたぞ。何か知ってるかもしれん」

 叫ぶや、三木正美の肩を激しく揺らした。

「グゥオオオオオオ」

 人一倍大きなイビキが返ってきた。

 頬を叩いた。

「ンングゥゥオオゥオオオオオオオ」

 わざとやってるんじゃないかと思うほど、さらに大きなイビキだ。

「……ん、ん」

 塚チンが三木正美のイビキに反応している。

「マズいよ、慎伍。塚チンが起きる」

 新次郎の声。思わず慎伍の手が止まる。

 すると、三木正美のイビキはすぐに小さくなった。しかし、起こそうとすると怪獣のようなイビキをかく。

 慎伍は恨めしそうに三木正美をにらみ、

「おのれ、三木正美め。これでは打つ手がない」

 とうなった。

「あきらめ切れるか」

「ここまできてふざけんな」

 数人が扉を力づくで開けようとした。

「やめろ、塚チンが起きるぞ」

 慎伍が言うと皆なす術なくその場に立ちすくんだ。車内には二人のイビキが虚しく響いているだけである。終わった。もうどうしようもない。誰もがそう思った。

 その時である。奇跡が起こった。コンコン、コンコン。誰かが外から扉を叩いている。条件反射であろうか、小さな音だったが、すぐに運ちゃんは起きた。そして運転席から扉を開けたのである。トントンとステップを上って来たのは……天使だった。

「あれ、間違えちゃったかな」

 天使がつぶやいた。目の前に立っているのは正真正銘の女子高生だった。皆何が起きたのかすぐには理解できなかった。なんという魅惑的な声。なんという可愛らしい生き物。

「こんにちは」

 茫然とする我々を前に、青いブレザーに身を包んだ女子高生は照れ隠しにペコリと頭を下げ、そのままバスを降りていった。

 残ったのは女子高生の芳しい香りと恍惚状態の我々である。しばらくの間、皆口がきけなかった。無理もない。女性に対する経験値は生まれたての赤ん坊も同然である。こんな至近距離で生の女子高生を見るなど刺激が強すぎる。何も気づかずイビキをかいていたのは、塚チンと三起也と三木正美ぐらいである。

「運転手さん、そろそろ行きましょう」

 我に返って慎伍は運ちゃんに声をかけた。バスは何事もなかったかのように本線に戻っていった。こうして我々は最後の最後で麗しの乙女を目の当たりにすることができたのである。


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