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水清寺の落とし物

結局、水清寺でも女性を見ることはできなかった。

後は朝食を取って帰るだけである。体調最悪、精神状態はボロボロ。しかし、槌田のクラスはなぜか、皆上機嫌であった。それは、水清寺で拾ったお宝が原因だった。我らD組は先頭に立って見学していたにも拘わらず、何一つ見つけられなかったのだ。

そんな中、B組の平野は夜目がきくらしく、はるかにたくさんのお宝を集めていたという。



 こうして修学旅行は最終日を迎えた。あとは朝食を食べて帰るだけである。

 最悪の修学旅行はこのまま終わるかと思われた。しかし、落ち込んでいる我々に神はさらなる試練を与えたのである。

 朝食会場に向かう我々の足取りは重かった。それもそのはず、水清寺から戻ったのが、早朝五時。布団に入っても眠れるわけがない。聞こえるのは、ため息ばかりである。中には、声を潜めて泣いている奴もいるようだ。

 これを情けないと言ってはいけない。これまでの生活はすべてこの旅行のためにあったのだ。ちょっと泣いたぐらいで責めるのは酷というものである。僕も泣きたい。

 体調最悪、精神状態はボロボロ、それでも朝食会場にやって来たのは、塚チンが起こしに来たからである。我々の目論見を木端微塵に打ち砕いた塚チンは恐ろしいほどにハイテンションだった。そして我々にそのテンションに逆らうだけの余力はなかった。

 食堂へはD組から移動を始めた。宿の廊下がこんなに長いとは、思わなかった。進んでも進んでも食堂ははるか彼方である。そうこうしているうちに後ろから槌田たちC組の連中が追いついた。

「おい、押すんじゃねえよ」

「わりい。あまり遅いんでカメかと思ったわ」

 泰三の言葉に槌田が答えた。髪型はいつものオールバック、顔も槌田の顔だが、髭がないだけでイメージが全然違う。

「よお、槌田。なんだ、お前、そのツラ。ウケ狙ってるのか?」

「バカ殿には負けるよ」

「バカ殿って誰のことだよ?」

 泰三も昨晩は風呂に入って顔を洗ったので安心していたが、朝になるとバカ殿が復活していた。鏡もろくに見ずに再び大量の日焼け止めを塗ったのだろう。

「お前に決まってんだろ。鏡見てねえのか?」

「なあに言ってんだ」

 近くに鏡がなくてよかった。この最悪な精神状態で、そのバカ殿丸出しな顔を見てショックを受けてはあまりにも不憫である。

「お前今朝は随分元気がいいじゃないか。水清寺ではわめいていたクセによ」

 空元気を振り絞って泰三が槌田にからんだ。

「なんだ、お前は。今にもくたばりそうじゃねえか。このくたばり損ないが」

 ヨロヨロの泰三に対して槌田はむしろ元気に見える。水清寺でうちひしがれたのは、槌田も同じはずだ。なのに顔は笑っている。と言うより、すごく機嫌がいい。

 槌田だけじゃない。C組の連中揃ってそんな感じだ。普段いきがってはいるが、その実おとなしいその他大勢君たちでさえ、いつもと違ってうれしそうだ。

「てめえら、一体何があった」

 息も絶え絶えに目を血走らせながら迫り寄る泰三は、我が友ながら迫力がある。

「俺らは間抜けなお前らに感謝してるだけだ」

「間抜け? なんのことだ」

 慎伍の言葉に一斉に笑いが起こる。

「お前までそんなこと言ってんのかよ。やっぱD組は間抜けばっかだなぁ」

 槌田はいちいち振り向いてC組の連中をあおっている。髭がなくなっても憎たらしさは何も変わらない。第一、D組にこの僕がいることをわかってて間抜けなどと言っているのだろうか? だとしたら、とんだ噴飯ものである。食事前だったことに感謝するがいい。

「おい、そこ、何やってるんだ? 後ろ詰まってるぞ。人の迷惑ってものを考えんのか! とっとと進め!」

 さおりんがやって来た。ものすごい剣幕だ。しかし、これは教師としての言葉ではあるまい。ただ腹が減ってるので、少しでも早く朝食にありつきたくて怒鳴っているのだ。でも図星を突くわけにもいかず、我々は朝食の準備が整った食堂へと入っていった。

 槌田は何を思ったか我らのすぐ隣に座ってきた。泰三は張り合うように槌田の隣に座った。しかたなく我々も槌田のすぐそばに座る羽目になった。

 朝食は焼き鮭と目玉焼き、ハムにソーセージ、サラダとなめこの味噌汁とタクアンというメニューである。

 我々の目的を見事に阻んだ教師陣は、楽しそうに食卓を囲んでいた。中でも我が担任の声が大きく楽しそうなのは、この旅行を通して変わらない。飢えた獣のごとく貪り食っているさおりんの横で延々としゃべっている。

 いつもならご飯三杯は食べるであろう泰三も箸が止まったままである。もちろん、我々も箸が進むわけはない。いつもと変わらないのは三起也だけである。三起也が大食漢に思えるほど、D組は箸がまったく進まなかった。

 C組は違った。ほぼ全員がおかわりをした。教師の手前声を潜めてはいるが、楽しそうに食事をしている。時折、顔を寄せて何やら話しては、盛り上がっている。我々はぼうっとその状況を見ていた。

 食欲は留まるところを知らず、しまいには食が進まないほかのクラスのおかずにまで、手を出し始めた。かと言って、平野たちがおかずを分けてくれることなど考えられない。故に矛先は自ずとD組に限定された。

「なんだ、食わないのか。しようがない奴だな。宿の皆さんが心を込めて作ってくれたのに。仕方ない。俺が食ってやるから、寄こせ」

 槌田が言った。相手は泰三である。

「冗談だろ。楽しみにとってあんだよ。誰がてめえなんかに」

「じゃあ、食えや」

「言われなくても食うよ」

 と言うと、泰三は猛烈な勢いで朝食をかっ込み始めた。さすがは泰三、途中何度も吐き気を催しながらも最後まで口の中に納めたのである。僕はというと、とてもそんな気にはなれず、おとなしく槌田に朝食を献上した。その際、泰三から小さな舌打ちが聞こえたが、聞こえないふりを装って「折角の料理だ。もし良ければ分けてやらんでもない」と付け加え、見事に面目を保った。


「それで俺らが間抜けとはどういう意味だ。お前ら一体何があったんだ」

 泰三が話を蒸し返した。

「聞きてえか」

「教えろ!」

「教えてやらなくもないが、人に教えてもらおうって態度じゃねえな」

「なんだと! てめえ」

「泰三、そこまでは協定に含まれてない。無理言っちゃだめだ」

 泰三の言葉を対面から慎伍が遮った。

「いい心がけだ。でも俺も鬼じゃねえ。お前らが誠意を見せれば教えてやってもいいんだぜ」

「いや、甘えるわけにいかんだろ」

「無理すんな、聞きてんだろ」

 槌田は嫌みな笑みを浮かべた。

「決まりは決まりだ」

「いいのか?」

 鼻で笑った。

 慎伍はそれには答えず焼き鮭を丁寧にほぐし、ひと口食べた。ご飯を口に運び、ゆっくりと咀嚼してから飲み込んだ後、味噌汁をすすった。そしてタクアンをひと切れつまむとポリポリといい音を立て始めた。みるみる槌田の表情が険しくなる。

「おい、聞いてんのか!」

 槌田が叫ぶが、慎伍は

「ん、なんか言ったか」

 とポリポリやっている。

「へへっ、さっすが」

 その様子を見て、泰三がつぶやいた。

「後悔するなよ!」

 槌田が食器を片づけようと席を立ったとき、慎伍は「待て、槌田」と呼び止めた。

「おんや、もしかして俺を呼んだのか?」

 振り返ったその顔にはもう嫌みな笑みが復活している。

「そのタクアン食わないのか。じゃあくれ」

 慎伍は槌田の持っているお盆を指さした。槌田はバツが悪そうに視線を泳がせながら、嫌みな笑みを引っ込めた。

「いや、別に嫌いってわけじゃないけど。ちょっとこのところ塩分取り過ぎだからな」

 聞いてもいないことを言うと、なぜか厨房に向かって頭を下げた。

 慎伍は槌田から小鉢を受け取るとタクアンをポリポリとやり始めた。

「あ、俺にも」

「僕も」

 泰三に続いて僕もタクアンをほおばった。子供じみたやり方だが、ここは友の顔を立てることにしよう。泰三は隣に座っている新次郎を肘でつついた。

「……僕はタクアン嫌いなんだよ」

 新次郎は文句を言いながらもポリポリを始めた。ポリポリの大合唱である。その様子を見て、忌々しそうに槌田が口を開いた。

「……本当に聞きたくないんだな」

 ポリポリポリポリポリポリポリポリ……。

「いい加減にしろよ」

 ポリポリポリポリポリポリポリポリ……。

「……お前ら、本当に嫌な奴らだな」

 ポリポリポリポリポリポリポリポリ……。

「ああ、ポリポリポリポリうるせぇ、いいから聞け!」

 耐えきれなくなった槌田がしゃべり始めた。結局、槌田は話したいのである。

「あれ、話すの?」

と慎伍。

「うるせえ。黙って聞け」

 くやしそうに槌田が言う。そして大きな咳払いの後、膝立ちをして槌田は話を始めた。

「いいか、いい物を見せてやろう。吉田!」

 副長の吉田を呼んだ。でも返事はない。

「吉田はどうした?」

「あれ、つっちゃん、知らねえの。アイツ布団の中でウンウンうなってるよ」

 槌田の舎弟の森田が言った。どういうわけか槌田を敬愛しているため、チョビ髭までチョロチョロ生やしている。この軽薄男とは中学校で三年間同じクラスという忌まわしい思い出がある。当時からヘラヘラと金魚のフンめいた男であったが、高校に入って磨きがかかったように思われる。

「布団? 何があった?」

 横目で森田を見ながら言った。

「昨日水清寺で、派手に転んだんだよ。なぜか何もないところで。下手したら骨いってるかもって」

「チッ、何やってんだ。間抜けが」

「それよりつっちゃん。いい物ってこれだろ」

「おう、それだ、それ」

 槌田はビニール袋を森田から慎重に預かると再び嫌みな視線を我らに投げてよこした。

 袋に入っているのは余程大事な物なのだろう。我々に見られないように両手で覆っている。見せたくないならば、初めから出さなければよろしい。そのまま後生大事に仕舞っておくがよかろう。

「おい、槌田。大丈夫か? こんなところで出して」

 C組のその他大勢が心配の声をあげる。

「心配すんな、なにせ俺たちは協定を結んでいるんだからよ、なあ、慎伍」

 槌田はその物をほんの瞬間、我々の前にヒラヒラ翻した。早すぎてよく見えないが、なんだろう、猛烈に惹かれるこの感じは?

「なんのマネだ。そりゃ一体なんなんだ」

 慎伍の問には答えず、

「特別サービス!」

と言ってヒラヒラのスピードを緩めた。

「えっ、まさかそれって……」

 新次郎が声を上げた。

「わかるか?」

「女物の手袋!」

「そうだ、しかも、きれいな状態で落ちてた。おそらく昨日使用してたものだろう」

 女物の手袋については「女性の実態 第五巻 ファッションに関する考察(小物)編」に記載がある。大家としては当然抑えてなければならない事項であるし、僕とて理解はしているつもりである。しかし……、実際に見ると読むとは大違いである。

 ピンクの手袋なんて生まれて初めて見た。手首のところにモフモフが付いている。おまけに甲のところにはリボンまでついている。我らの手を温めるためだけの布袋とはわけが違う。恐ろしく優雅な逸品である。見てるだけで心がフニャフニャになってくる。

「まだ温かいんだぜ。女の子の温もりを感じるよ。まさにC組の宝にふさわしい」

 はっきりと見えているわけでもないが、魅惑的な何物かが、手袋から漂ってくるのをひしひしと感じる。

「お前たち、それをどこで拾ったんだ?」

 慎伍は一人冷静に突っ込む。

「どこだと思う?」

「ま、まさか」

「気づいたか?」

「もしや……水清寺か?」

 槌田はニンマリとして

「正解」

 と言った。

 水清寺? なら、ほんの数時間前のことではないか。何ということだ。寺にこんなお宝が落ちていたと言うのか? 悔やみきれないのは、水清寺はD組を先頭に見学したという事実である。つまり我らがみすみす見逃したお宝を槌田たちが拾ったということである。

 何という間抜け! 時間を巻き戻すことができるなら、阿呆丸出しで境内を歩いていた我が横っ面を思うさま張り倒してやりたい。しかもオノレは美化委員長ではないか? 美化委員長なら境内に落ちていた物も拾ってしかるべきではないのか?

 槌田のおしゃべりは止まらない。

「いいことを教えてやろう」

 思わず耳を押えた。しかし、なぜか完全に耳をふさぐことはできなかった。どうしても指が浮いてしまう。聞きたくないはずなのに、どうしても槌田の声を拾ってしまう。

「この手袋、とってもいい匂いがするんだぜ」

 こ奴、匂いまで嗅いでいる。まるで変態ではないか。しかもその行為を恥ずかしがるどころか自ら喧伝している。なんとうらやましい。

「泰三、ありがとうな。お前らの間抜けのお蔭で俺達はこれ以上ないお宝を手に入れることができたんだからな。こんなお宝、ほかのクラスは持ってないだろう」

 黙って聞いていれば、何回間抜け呼ばわりするつもりか。いい加減腹に据えかねていたところに、槌田のドヤ顔である。しかし、その顔を舎弟のひと言が、一瞬でかき消したのでる。

「いや、つっちゃん、B組は水清寺でプニクラを拾ったらしいよ。何もないのはコイツらだけなんじゃね?」

 森田がしゃしゃり出た。

「プニクラ? なんだ、それ?」

 槌田が助けを求めるような視線を周りに投げた。

 プニプニクラブ。略してプニクラ。それは我々にとって夢のアイテムである。「女性の実態 第十三巻 素顔の中高生編」に詳細に記載してある。もちろん、我々の周りにはプニクラを撮れる場所自体がないのだ。だから、槌田のように知らない者もいる。

「プニクラとは主にゲームセンターなどに置いてある機械のことで、若い女子の間で流行っているらしい。小さなシートに写真のシールがいっぱい貼ってあるということだ。友達同士で写真を取ってできたシールを交換するんだそうだ」

 慎伍がC組の連中に変わって答えた。ま、及第点と言うところか。

「なんだと! 写真がいっぱい? そんなお宝が落ちてたのか?」

 槌田は愕然と肩を落とした。でも、それ以上に我らはショックを受けていた。あの可憐な手袋だけじゃなくて、プニクラまで落ちていたなんて。オノレの目玉は節穴か?

「……そんなお宝が……おのれ、平野の奴」

 槌田は悔しそうに拳を握りしめている。

「手袋も拾ったって。それはそれはかわいいやつらしいぜ」

 またしても森田。イヤらしい笑みを浮かべ、糸のような目で我らを見ている。こんな男に負けたとあってはご先祖様に顔向けができない。渾身の目力でにらみ返してやった。

「そんな目で俺っちを見るなよ。おお、恐っ」

 両手で自分の顔を押さえ、大げさに恐がってみせた。相変わらず猪口才な奴だ。チョビ髭が猪口才感を揺るぎないものにしている。

「白くて、本当にかわいい手袋だってさ。モフモフなんかもついちゃって。多分極上の匂いつきだぜ」

 極上の匂い? 一体どんな匂いだ? 確か「女性の実態」に書いてあったような……。くそっ、くそっ。大家としては失格だ。

「それにロケットって言うの? 中に写真が入っているペンダントみたいなやつ。可愛い女の子の写真が……」

「やかましい!」

 槌田が森田の頭をゲンコツで殴った。

「何すんだよ! つっちゃん」

「なんなんだ、てめぇはさっきから。腹の立つことばかり言いやがって。そんなに平野の自慢がしたきゃ、とっととB組に行きやがれ」

 森田が我らを逆なでするため、これ見よがしに言ったことが槌田の癇に障ったらしい。

「違うよ、ひでえや、つっちゃん。俺っちはコイツらに言ったんだ」

 森田は涙目である。いい気味だ。

「くっそー、なんだって平野はそんなに見つけられるんだ」

 もう槌田に我らをいじる余裕はない。

「アイツ、夜目がきくらしいよ。ほとんど一人で見つけてたって。お蔭でA組は何も見つけられなかったみたいだよ」

 頭を押さえながら森田が言った。

 ……夜目。さすがは落ち武者。深夜二時の水清寺で平野はただ本能の赴くままにお宝を漁っていたのだ。おそらく奴は瞬きなんかしない。地面に這いつくばって、目玉をぎょろぎょろと動かし、次々にお宝をゲットしたのだ。お宝を見つけても、奴は喜びを全身で表したりしないはずだ。ほんの少しだけ口角を上げてニヤリと笑うのだ。口元からは銀歯が鈍い光を放っていたことだろう。深夜二時の水清寺は奴の独壇場だったに違いない。

「つっちゃん、そんなに腹が立つなら、さおりんにチクッちゃえばいいじゃん。すぐに没収だよ」

 またぞろ森田が小賢しいことを言うと

「だまれ!」

 再び、槌田がゲンコツを食らわせた。

「協定を結んだって言ったろ。そんな汚ねえことができるか」

 と言うと、とっとと食器を片づけて食堂のおじさんにお礼をして出ていった。槌田の後ついていく森田の姿は、まさに金魚のフンの面目躍如たるところである。

 今更ながら慎伍があの組長会議の日に言ってたことが思い起こされる。平野が一番手強い。その通りである。

「気づいたか?」

 慎伍が話しかけてきた。

「何を?」

「吉田だよ。やったのは平野だ」

「えっ?」

「アイツ、平野に石ぶつけたろ。仕返しさ」

 背筋が凍った。夜目の効く平野にとって気づかれずに吉田を転ばすことなど造作もないことに違いない。ふと、あの悪夢のような咀嚼を思い出した。我らのような柔い精神の持ち主ではあの咀嚼の主には勝てるわけがない。あの咀嚼は誰にも止めることはできないのだ。


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