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ようこそ! 夢の屋へ

宿に着いた。宿は小汚く、四方は山に囲まれ見事なほど何もない。ここまで、綿密な計画はすべて失敗に終わり、生徒たちはイライラしている。

そんなとき、慎伍が声を上げた。珍しく興奮している。聞くと歓迎ボードに女子高校と書かれていると言う。解読作業が必要なほど字は汚いものだったが、確かに「女子高校」と書いている。塚チンたち先生はまだ気づいていない。千載一遇のチャンスだ。

しばらくして塚チンが気づいた。ホテルへと走っていく塚チンを生徒が一丸となった止めに入る。泰三、新次郎、僕、豚也、槌田それぞれが一丸となった。慎吾が撒いた種が実を結んだのだ。

 程なく宿に着いた。宿は予想通り小汚く、四方は山に囲まれ見事なほど何もない。それでも、きれいな女将さんや仲居さんが迎えてくれると淡い期待をしてしまう。見上げると僕らの思いとは裏腹にバカバカしいほど晴れあがっている。

「いらっしゃいませ。夢の屋へようこそ」

「らっしゃい」

「しゃせ」

 魚河岸じゃあるまいし、やかましいことこの上ない。なんでこう男の声というのは、耳に心地よくないのだろう。やはり出迎えてくれたのは男・男・男であった。

「さぁ、着いたぞ。今日は市内の采女高と子山高も同じ宿だから仲良くするんだぞ」

 采女高も子山高も茂田市内の男子校、かの鈴木某、佐藤某の高校である。つまり全員男。どこまで行っても男・男・男である。

 おまけに歓迎ボードは字が汚すぎて読めない。我が芝県立尾崎戸辺高等学校も、言われてみれば、読めなくもないといったレベルである。

「何だこのホテルはきったねえなぁ。こんな宿泊まれっかよ」

 腹立ち紛れに泰三が言った。無理もない。綿密な計画に基づいた我々の行動はことごとく失敗し、挙げ句の果ての女人禁制である。イライラしない方がどうかしている。

「第一、字が汚いってのは誠意がない証拠だよ。こんな宿ならうちにいた方がマシだ」

 字というものはその人となりを表すと言う。泰三の言うこととはいえ、あながち見当違いとは言えまい。ただバカ殿の顔で真剣に話すので、気を抜くとつい吹き出しそうになる。

 その時。「おいっ!」慎伍の声。珍しく興奮している。

「どうしたの? お金でも落ちてた?」

 新次郎が気のない返事をした。

「バカ! よく見ろ」

 慎伍は歓迎ボードを指差した。ボードには四校の高校名が書いてある。見れば見るほど汚い字である。品性の欠片も感じられない。この文字を読むには解読作業が必要である。

「あのボードがどうしたのさ」

 ボードを指差し、新次郎が言った。

「よく見ろ。あれ女子高って書いてないか」

 声を潜めて慎伍が言った。

「えっ!」

 我々は一斉にボードに目を凝らした。それでもミミズののたくったような字は何が書いてあるかわからない。慎伍もよくこんなへたっくそな字が読めたものである。

「どこに女子高って書いてあるんだ」

 泰三はアゴに手を当てて考え込んでいる。

「いいか、塚チンは采女高と子山高が泊まるって言ってた。左上が俺たち尾崎戸辺高等学校だろ、おそらく右上が采女高だ、そして左下が子山高、そうすると右下は……」

 確かに左上は尾崎戸辺高等学校と読めなくもない。采女高と子山高もその字を当てはめてみればそう読める。すると右下の文字は……。

「おおっ!」

 皆が声を張り上げた。

「しい、しいっ。騒ぐな」

 慎伍がみんな皆を抑える。塚チンにバレては何をされるかわからない。

 采女高の二文字目と子山高の一文字目を組み合わせると女子になる。右下には『高等学校』の前にその二文字目と一文字目が書かれている。その前の文字はわからないが、確かに女子高等学校と書いてある。

「マジかよ。こんなことあるのかよ」

 泰三の声はちょっと震えている。

「こんな宿泊まれないんじゃなかったの」

 新次郎が言った。

「うちにいた方がマシとも言ってたぞ」

 慎伍も意地悪く突っ込む。

「失言であります」

 またまた敬礼のポーズをとって泰三が笑った。皆も笑った。楽しい。なんて素晴らしい修学旅行だ。

「でも、どうしてだ?」

 僕にはどうしても腑に落ちなかった。これほどまでに徹底してきた学校が女子高と同じ宿にするとは考えられない。

「わからないけど、もしかしたら単純にホテル側のミスかもしれない」

 慎伍が言った。なるほど、そういうこともないとは言いきれない。

「何言ってんだよ」

 泰三が横入りしてきた。

「神様の贈り物に決まってるだろ」

 なぜか格好よく言った。ただ、如何せんバカ殿顔だ。

「そうだな。神様の贈り物だよ」

 慎伍も賛成した。とにもかくにも我らに絶好の機会が訪れたのである。

 言いようのない期待感で胸が熱くなる一方、ある種の不安も拭い去ることができない。僕の行ってきた研究は正しかったのか。我らは鼻にもかけなかったが、鈴木某の言うように乳房が四つあったら。それが腹部についていたら。僕の研究者としての誇りは露と消えてしまうだろう。

 否、今更何を言ってる。どんな結果になろうとも検証あるのみである。それが研究に身をささげる者の姿勢に他ならない。

 ふと塚チンが視界に入った。いつの間にか歓迎ボードのそばにいる。ボードを凝視して、盛んに首を傾げている。マズい。まだ気づいてないようだが、この分だと時間の問題だ。

「おっ、あれじゃね」

 泰三が叫んだ。指さす方に目を向けると山道を下ってくるバスが豆粒ほどの大きさで見える。会社のロゴだろうか、白い車体にピンクで文字が書かれているのがわかる。こんな上品なバスは市内では見かけない。間違いない。女子高のバスだ。

 みんな声を殺して喜んでいるが、隠しきれるものじゃない。そのうち、何人かの教師がいつもと違う雰囲気を感じ始めた。

「マズいな。何人か気づき始めたぞ」

「そうだな」

 僕は慎伍の言うことを上の空で聞いていた。慎伍が警鐘を鳴らしたのはわかっているが、女子高生を乗せたバスがすぐそこまでやって来ているのだ。この一大事にバスから目を離せるわけがない。

「塚チンが気づいたぞ」

「そうか」

「そうかじゃない!」

 再び適当な返事をした僕に慎伍が怒鳴った。

「ここで塚チンに動かれたら、女子高生が帰っちまうんだぞ」

「そりゃ困る」

「ふざけんな」

「やだよ、そんな」

 僕も泰三も新次郎もチラッとだけ慎伍のほうを見て言った。

「見ろっ!」

 慎伍が指さす方を見ると、塚チンがホテルの入口に向かって走っている。こりゃ、本当にマズい。

「妨害しろっ」

 我々は軍師の采配の元、塚チンの進路を塞ぐべく出陣した。入口の手前で陸上部の泰三が塚チンに追いついた。

「先生、相撲取ろ」

 泰三は何の脈略もなく塚チンの腰にしがみついた。そのまま、ずんずん押していって、入口から遠ざける。

「泰三、相撲ならあとでいくらでも取ってやる。先生、今急用だ」

 泰三とがっぷり四つに組みながら言った。それでも泰三は構わず技をしかける。

「ちょ、ちょっと待て、泰三」

 聞こえぬふりをして、泰三が左下手投げを繰り出した。しかし、こう見えて塚チンはバリバリの体育会系である。素早く泰三の投げをすかすと豪快な右上手投げをお見舞いした。泰三はグエッという断末魔を上げて、あえなく敗退した。次は新次郎の番である。

「先生、しりとりしよ」

 体力に自信のない新次郎らしい作戦だ。

「りんご」

 しりとりの王道をいくワードで新次郎はしりとりを始めた。しかし、塚チンは丸無視で新次郎の前を素通りした。次は僕の番である。あまりに早い展開に何をしたらいいのか、まったく思いつかない。

「先生、相撲……」

 言ったそばから塚チンは僕のすぐ目の前で両手をバチンと叩いた。僕が一瞬怯んだ隙に塚チンは前に進んで行った。僕は何が起こったかもわからず、ただ茫然と塚チンの後ろ姿を見送っていた。

 自分の無力さに腹が立った。堂々と勝負を挑み、豪快に敗れるならまだしも、泰三を真似て相撲を挑み、あろうことか猫だましにひっかかるとは。まだ新次郎の方が時間を稼いだのではないか。なんと情けない。

 僕が自己嫌悪の闇に深く沈んでいると、

「先生、相撲とろうぜ」

 豚也が塚チンの前に立ち塞がった。尾戸校の最終兵器である。

「た、琢也」

 百八十センチ百六十キロのダイナマイトボディはだてじゃない。恐るべき圧迫感である。さすがの塚チンも二の足を踏んでいる。これで塚チンは止められた。誰もがそう思ったそのとき、塚チンがとあるひと言を叫んだ。

「琢也、三かける三は?」

「三かける三?」

 途端に豚也の動きが止まった。

 うまい。不覚にも心の中で叫んでしまった。この場面での三かける三のかけ算は絶妙である。これが七の段や八の段であった場合、豚也は早々に答えをあきらめ相撲に戻ってきてしまう。でも、三の段なら、それも両手を使えば答えが出るかけ算なら一生懸命答えを求めるはずだ。その証拠に豚也はまだ両手を使ってウンウンうなっている。

「……は、八かな?」

 自信のない豚也の声が聞こえてきたときには、塚チンはとっくに先を走っていた。

 しかし、我々の行動を見て志を同じくする仲間たちが立ち上がった。塚チンは多くの生徒に囲まれて入口に到達できない。ほかの教師も同様に道を阻まれていた。

「おお、同士たちよ」

 慎伍が叫んだ。いがみ合ってきた生徒たちがひとつになった瞬間だった。慎伍が撒いた種が実を結んだのである。慎伍の苦労を知り尽くした者としては胸に染みるものがある。

 そうした間にもバスはどんどん近づいている。バス会社のロゴが見えてきた。その名も「プリンセス交通」。我々のプリンセスを乗せたバスは全部で二台。

「本当だ。女子高って書いてある」

 視力二・○を誇る新次郎が叫んだ。彼女たちが来るのは時間の問題だ。もう大騒ぎである。僕も及ばずながら塚チンの足を両手で押えながら、バスが来るのを待った。

 その時である。欠伸をしながら屋外トイレからさおりんが出てきた。

「吉田先生、女子高生のバスだ。宿に至急電話で確認してくれ」

 塚チンの声。歌い慣れてるだけによく通る。すぐにさおりんがスマホを取り出した。

「やめさせろ!」

 どこからともなく声が飛ぶ。生徒たちがさおりんを止めに向かう。その行動は早かった。たちまち数人の生徒がさおりんを囲む。

「先生、相撲取ろう」

 槌田がさおりんに挑む。ほかの生徒も周りに群がる。豚也にも引けを取らない槌田である。ほかの生徒もいるとなれば、安心だろう。

 時を同じくしてバスに向かってまっすぐに走っていく一団が見えた。長い髪を一心不乱に振り乱し、全力で走ってはいるものの、そんなに速くない。背中からは哀愁すら漂っている。B組の平野清と落ち武者軍団である。

 我らが塚チンを初めとする教師陣と争っているのをいいことに、自分たちだけでも麗しの乙女を見てやろうという腹だ。なんというジコチュー。慎伍が言っていたとおりである。

 一方のさおりんである。もう安心と思っていたが、この考えが甘かった。家庭科教師界最強のさおりんはあっという間に槌田たち周りの生徒をすべて投げ飛ばし、悠々と電話をし始めたのである。

「チッ、あの髭なし番長め、役に立たねえな」

 泰三がここぞとばかり声高に言った。手を組んだとは言え、元来仲は悪いのである。

 たちまちフロントが大騒ぎし始めた。いやな予感がする。不思議なもので、こういう予感は必ず的中するのである。

 バスが止まった。皆固唾を飲んでその様子を見守っている。水をうったような静けさのなか、バスはゆっくりとUターンを始めた。

「ああ!」

「待ってくれぇ」

 悲痛な叫びもバスには届かない。そのままゆっくりと山の向こうに消えていった。我らは茫然とその後姿を見送った。

「クッソ、さおりんめ。もう少しだったのに」

 泰三は僕の目の前で地団駄を踏んでいる。しかし、僕はバスがUターンを始めたのは、さおりんが電話をしたからではなく、平野たちが集団で長い髪を振り乱し近づいてきたのが怖くて逃げたのではないかと思っている。

 「女性の実態」を紐解いてみても、平野が女性に好かれる要素はまったく見当たらない。もし女性の周りに平野のような男がいたとしたら、蛇蝎のごとく嫌われるに違いない。それでも奴はなんの痛痒も感じないはずだ。人がどう思おうと、自分のしたいことをするだけである。執拗に、どこまでも。あの死んだような目で、瞬きひとつせず自分の方に向かって走ってくる集団を目の当たりにしたら、たとえ運転手が男であろうとも、恐怖のあまりUターンをしても不思議はない。

 バスの運転手から、死んだような目なんて見えるわけがないと言われるかもしれない。確かに見えないだろう。しかし、感じるのだ。得体の知れぬ集団が恥ずかしげもなく撒き散らすおびただしい負のオーラを。どんなに距離があろうと、間に何があろうと関係ない。平野たちから漂うよからぬ物はすべての障害をやすやすと乗り越え、ついには運転手の皮膚をじわりじわりと侵食し、その精神に直接働きかけるのだ。その時の運転手の精神状況は想像するだに恐ろしい。


「てめえら、何やってんだよ」

 どこからともなく飛んできた石が平野の肩に命中した。平野は石を拾うと、石が飛んできた方向に首を巡らし、ずんずん進んで行った。何の躊躇もないその動きは一見して異様だった。平野が進むにつれ人垣が割れる様子はまるでモーゼの海割りのようである。

「な、なんだ、てめえ。やろうってのか」

 声を上げたのはC組の副長、吉田である。早い話が槌田の子分である。言葉は勇ましいが、明らかにビビッている。

 平野は仕返しをするかと思いきや、吉田の目の前にぬっと顔を近づけ、そのまま宿に向かって歩いていった。

 平野たち一行は罵声を浴びながらも、特に落胆した様子も見せず、無表情のまま宿に戻ってきた。どの顔を見ても悪いことをしたとはこれっぽっちも思っていない。なんという図々しさ。盗人猛々しいにも程がある。


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