いざ、ロクオンジ
表都に着いた。初めての市外である。否が応でも期待は高まる。場所はロクオンジ。勢いよく境内に散らばる生徒たち。しかし、いない。見学者が誰もいない。だだっ広い境内を、ただ風がビュービュー吹いている。しかし、しばらくして観光バスがやってきた。バスは全部で五台。盛り上がる生徒は再び境内に散らばった。しかし……、いない。女性がまったくいない。疲れ切ってバスに戻ると三木正美は聞き捨てならないひと言を言った。
その後も塚チンとの攻防は続いた。が、そのことごとくを阻まれ、遂に表都に到着した。
「これからバスはロクオンジに向かいまぁす」
あれ以来まったくしゃべらなくなった三木正美の久しぶりの発言である。気のせいか、さっきよりもヒゲが濃くなったように見える。
いよいよ本日のメインイベントである。三木正美は確かに「ロクオンジ」と言った。有名な鹿苑寺なら、絶対に大勢の観光客でにぎわっているはずだ。
「ガイドさん、ロクオンジってあの有名な金閣寺のことですか?」
待ちきれないと言った様子で泰三が手を上げる。
「そうですよ、よく御存じですね」
三木正美が言った。バスの中はまさに蜂の巣をつついたような騒ぎである。三木正美は尋常じゃないリアクションに驚いている様子だったが、
「と言いたいところですけど、もっとすごいお寺なんです」
と続けた。三木正美は軽いジョークのつもりだったのだろう。しかし、我らの落胆は想像を越えていた。我らはあの有名な鹿苑寺に行きたかったのである。さらに言えば大勢の観光客が集まる場所ならどこでも良かったのである。たちまちバス内が静まり返る。
これを説明を聞くためだと勘違いをしたのか、三木正美はペラペラとしゃべり始めた。
「今、皆さんが言っているのは鹿苑寺ですね。でも、これから行くお寺は鹿怨寺、『オン』の字が『怨み』という字になっています。このお寺は知る人が知るというコアなマニアだけが来るというとっても貴重なお寺なんです。通称地獄寺。そもそも、なぜ地獄寺と呼ばれるようになったか、今を去ること千数百年前、時の為政者、源尾床によってこの寺で色んな拷問が行われたことによるものなんです。当時は権力の座を争い、密告や讒言が盛んに行われ、それによって命を落とす者も数多くいたようです。源尾床と言えば、その乱行、暴虐な振る舞いは有名で、取り調べは、さぞ酸鼻を極めるものだったのに違いありません。というわけでこの鹿怨寺はその名のとおり、拷問にあった人たちの怨みが籠ったお寺なんです。様々な拷問器具は一見の価値ありです。私も大好きで何度も訪れていまぁす」
嬉々として話す三木正美は見ていて少々気持ち悪い。
「地獄寺? どこ? そこ?」
地獄寺なんて誰も聞いたことがない。なんで一般の高校生が見る有名な寺社仏閣てはなくて、コアなマニアだけが好む地獄寺を見にいかなければならないのか。第一、我々が見たいのは地獄ではなく、天国なのだ。
バスが砂利道に入った。小さなカーブをいくつも曲がっている。山道に入ったようだ。車体を何度もうねらせながら、バスは上へ上へと登って行った。揺れるたびに体が大きく左右に振れた。
「さすがに地獄行きだな」
慎伍が軽口を叩く。しかし、うねうねはいつまでたっても終わらなかった。
「い、いつまで続くんだ、これ?」
慎伍の顔はバスの壁に押しつけられ、ひん曲がっている。
「ぼ、僕、だんだん気持ち悪くなってきた」
新次郎は真っ青な顔をしている。
そんな中、三木正美だけはヒールで立っているにも拘わらず、微動だにしない。余程体幹がしっかりしてるのだろう。
山道が終わったと思うと、車内が急に暗くなった。木深い森の中を走っていると思われる。さらに山道を下って一時間、バスはようやく目的地に着いた。
「さあ、鹿怨寺、通称地獄寺に着きました。地獄寺は一時間見学ですから、午後三時までにバスに集合になります。コアなファンが集まる場所、地獄寺を満喫してきてくださぁい」
一人ハイテンションな三木正美が言った。
「とにかく、市外の貴重な第一歩には違いない。満喫しよう」
慎伍が青い顔で言った。
慎伍の言うとおり、ここで初めて市外の地を踏む。場所がたとえ地獄寺であったとしても、感慨深いものがある。一歩一歩ステップを降りて地上に足をつけた。女子のいる地へ降り立ったのだ。
目の前に現れたのは、もの寂しい寺である。地獄寺なんて言うから、もっとおどろおどろしい寺を想像していただけにちょっと拍子抜けの感がある。コアなマニアだけに人気というが、案外普通の観光客もいるかもしれない。
期待を胸に中門をくぐる。ひと際高い五重の塔をはじめ古の建造物が目に入った。しかし妙にガランとしている。
歩けども歩けども人の姿は見えない。塔の周りにも、金堂の周りにも、講堂の周りにも人はいない。いるのは学ランを着た我が尾戸高校の生徒だけである。
観光客はもちろん、寺の坊さんすらいない。当然、女なんかいるわけはない。やたら広い境内を風がビュービュー吹いている。
「人がいない。これは一体どういうことだ?」
思わず慎伍にグチる。人がいなければ、歴史的建造物に夢中になっている僕に見惚れた美しい女性が声をかけてくるという当初の予定が台無しである。
「……これがうちの学校のやり方だ」
慎伍が言った。その静かな口調が余計に隠された怒りの大きさを感じさせる。
その時、ちょうど後ろを塚チンが通りかかった。そして妙につぶらな目で「お前ら、今日は貸し切りだ。贅沢だな」と言った。
カチンと来た。これが精神的ダメージを狙ったものだとわかっていても、今の状況の我らには、キツいひと言だった。
ふと見ると塚チンの肩越しに能面顔がぼうっと浮かんでいる。泰三である。そのまま、ゆっくりと拳を振り上げた。
「マズい、意識飛んでるぞ」
慎伍に言うと、ひと言「任せろ」と言った。
「先生、あの建造物はなんて言うんですか」
慎伍が塚チンの腕を引っ張り、塔の方へ連れて行った。塚チンがいなくなるのを見て、急いで泰三の元へかけ寄る。
「泰三、お前大丈夫か?」
泰三の体を揺さぶりながら声をかけた。
「おお悪い、意識飛んでたわ。俺何かした?」
「……塚チンに殴りかかろうとしたんだ」
「ウソつけ、何で俺が?」
やはり、当の本人は全然気づいていながったようだ。僕の言葉に泰三は少なからずショックを受けている。このような状況が続けば、誰でも精神に異常をきたす。我らの堪忍袋はもう許容量オーバーなのだ。
慎伍が帰ってきた。幸い塚チンには気づかれなかったらしい。
泰三はすぐ慎伍のところへかけよると、
「慎伍、ゴメン。このとおりだ」
と頭を下げた。
「泰三は全然悪くない。俺たちがそれだけ追い詰められているってことさ」
「それにしても、誰もいないね」
新次郎が言った。
「バスに戻るか? もういたってしょうがねえだろう」
泰三が言った。
「今に来る。絶対に来る」
僕が言うと、泰三は不機嫌そうに
「絶対に来ねえ!」
と言ってバスに向かって歩き出した。
その時である。エンジン音が聞こえた。しかも一台じゃない。けたたましくエンジン音を響かせて、やって来たのは、五台の観光バスである。
「来たぞ、泰三。どうだ!」
「失礼しやした」
泰三は笑いながら敬礼している。寺社見学なんてそっちのけ、皆が駐車場に向かった。大型バスが五台である。当然、女性も何人かいるに違いない。生徒たちは五台のバスに別れ、乗客が降りるのを待っている。僕も慎伍たちと一緒に一号車の前で待った。
扉が開いた。一人目は……爺さんだ。仕方がない。何せここは寺である。年寄りが多くて当たり前だ。爺さんは我らを見ると不可解な表情を浮かべながらバスを降りた。これだけ大勢の男子高校生がバスの出口の前で人が降りるのを待っていれば、何事かと思われても不思議はない。
二人目。また、爺さん。さもありなん。三人目。グッと若くなった。おそらく三十代だろう。もしかしたら、二十代かもしれない。しかし残念ながら男性だ。
でも、この男性は我らに勇気をくれた。二十代や三十代もこの寺を訪れていることがわかったのだから。憧れの女性に会えるのも時間の問題である。でも、ここで邪魔が入った。言わずと知れた塚チンである。
「お前たち、こんなところで何やってる。皆さんにご迷惑だぞ」
塚チンの言うことは至極尤もである。そんなことはわかっちゃいるが、断言してもいい。塚チンが我らの立場であれば絶対に同じことをやっている。
「ほれ、サッサと寺へ戻れ」
塚チンの言葉に我らはやむなく寺に戻った。
「とにかく見つけたら、連絡しあうこと。これも想定内だ。作戦通り行こう。いいな!」
慎伍が言うと皆が「おう!」と応じた。そしてそれぞれに広い境内に消えて行った。
境内はたちまち多くの観光客であふれかえった。我らのテンションはさっきまでの比ではない。
「いたか?」
「残念ながら」
「なぁに、すぐに見つかるさ」
なかなか女性は見つからない。でも、不思議と気にならなかった。むしろ、簡単に見つかってしまうことが、もったいないかのようにすら思えた。
「いたか?」
「まだ、いないよ。でも時間の問題だな」
探し始めて十分、まだ我らには余裕があった。コアなマニアが集まる寺というだけあって、女性は少ないかもしれない。だが、大型バスで五台である。そろそろ見つかるはずだ。
「いたか?」
「いや、いない。おかしいな」
さすがに三十分もこの状況が続けば余裕もなくなる。もしかしたら、という考えが頭をよぎる。
「見つかったか?」
「まだだって言ったろう。何度も聞くな。うっとうしい」
「なんだ、その言い方は?」
当然苛立ちも募ってくる。こうなると何から何まで腹が立つ。やたらと高い五重塔も無意味に巨大な講堂も憤怒の表情を浮かべている明王も。
その後も我らは懸命に探し歩いた。泰三にいたっては、地面に伏せて金堂の床下まで探した。笑いたければ笑うがいい。しかし、我らには女性がいる場所に立っているということが奇跡なのである。やれることはなんだってやる。
時間だけがいたずらに過ぎていく。いつの間にか、あれほど吹いていた風も収まっていた。境内も、もう何周したかわからない。我らのイライラは頂点に達していた。
そんな中、我らの前に現れたのは二匹のトンボである。ふわりふわりと上下に波線を描きながら我々の頭上を飛んでいる。季節外れの来訪者を我らは見るでもなく眺めていた。
突然目の前で起こった出来事を呆然と見つめていた。早くも傾き始めた秋の日を背景にそれは夢のように映った。今目にしているものは現実に起こっているのだろうか。
交尾をしていた。なぜこのタイミングで? なぜ我らの前で? 挑発するかのように、何度も旋回しながら頭上を高く低く飛んでいる。我らはただ動けずにいた。
トンボに向かって石が飛んでいった。ふわりと避ける。少しして、石が飛ぶ。避ける。交尾はやめない。
その後、石ころが雨あられとトンボを襲ったとて、誰が我らを非難できよう。だが、トンボが高度を上げたため、皆徒労に終わった。そしてトンボは秋の空に消えていった。
「ちくしょう、太陽がまぶしいぜ」
泰三が言った。ふと見ると号泣している。
「なに泣いてるんだよ、泰三」
そう言う新次郎の目にも涙が光っている。泣いたところで、どうにもならない。気づくと僕の頬も濡れている。今日の太陽はいつにもまして目にしみる。
「お前ら、境内で何罰当たりなことをやってるんだ。もう時間だ。サッサとバスに戻れ」
塚チンが呼びに来た。
これで罰を当てると言うなら当てるがよかろう。ただ、その前に我らの言い分を聞くがいい。そうすれば貴方が罰を当てるのは我らではなく、慈悲の欠片もない教師陣だと気づくはずだ。
バスに戻った我々は言いようのない疲労感に襲われていた。泰三など、顔はやつれ、目は落ち込み、一気に十歳ぐらい歳をとったように見える。
「皆さん、お疲れ様でした。地獄寺はいかがでしたかぁ。寺の中の拷問の器具の数々に皆さんも驚かれたことでしょう。でも、それもこれも考え出したのは人間。怖いですねぇ」
三木正美はなぜかちょっと笑った。見学時間に剃ったのだろう。髭剃りあとの青々が復活している。
その後も三木正美は地獄寺について嬉々として話し続けた。無論我らに聞く元気などあるはずがない。聞き捨てならないことを三木正美が言うまでは。
「でも、男子校のみんなには、ほかのお寺の方が良かったかもしれませんねぇ。女人禁制のお寺よりかはね」
「何!」
車内が騒然としたのは言うまでもない。女性が見つからなかったはずである。我々の努力はまったくの無駄だったということだ。
「女人禁制?」
「ガイドさん、どう言うことですか?」
「なんで早く言ってくれないんだよ」
突然沸き起こった文句の数々に三木正美は戸惑っている。勘違いしちゃいけないのが、三木正美は少しも悪くないということだ。むしろ、被害者と言ってもいい。しかし、我々には、怒りのぶつけ場所が必要だった。そして三木正美の気持ちを考えられるほど、我々は大人になっていなかったのである。
「おいおい、お前らいい加減にしろよ。ガイドさんが困ってるじゃないか」
塚チンが言った。
「先生も、女人禁制なら女人禁制って言ってくれればいいじゃないですか」
慎伍が言った。そうである。悪いのは三木正美じゃない。全部この男が悪いのである。
「あれ、言わなかったっけ?」
と言うと、塚チンはカカと笑った。殺意という言葉の意味を痛感した瞬間だった。




