バスガイド 三木正美
バスガイドは劇団筋肉集団の筋肉粒々の俳優三木正美であった。
まさかの先制攻撃に旅行にかける意気込みややる気が急速に減退する生徒たち。
その後も刺激的な歌を敢えて聞かせるなど、生徒をあおる塚チン。
生徒は生徒で練りに練った作戦を実行する。
我々の戦いは既に始まっているのだ。
まず生徒からバスに乗り込んだ。バスガイドはまだ校舎の中のようだ。いよいよ生の女性を間近で見ることができる。しかもバスガイドである。バスガイドと言えば、男子中高生の憧れと相場が決まっていると何かの本で読んだ。途端に緊張してきた。十一月だというのに、手の平は汗でグッショリである。
「運転席と座席も目隠しシートを貼ったプレートで遮断されてるな。おまけにトイレ付きだ。その横にも扉があるな。荷物入れだろうか」
慎伍が目ざとく言った。バスの構造についてさまざまな角度から検証している。
「そうか」
僕は実にいい加減な返事をした。確かに運転席と座席は全面目隠しシートで仕切られている。だから大きな前面ガラスからも外を見ることはできない。でも、外が見えなかろうが、トイレが付いていようが、そんなことはもうどうでもいいのだ。
「おっはよう!」
塚チンがバスのステップを上がってきた。後ろにもう一人の足音が聞こえる。今までに聞いたことがないような楚々とした足音。興奮は頂点に達している。落ち着け、落ち着け。そして遂にバスガイドが姿を現した。
その姿は想像以上に細く可憐……ではなかった。なんだかとてもたくましい。男子高校生の中にあって、一番隆々とした筋肉を身につけている。季節を勘違いしているとしか思えない半袖の制服から伸びた腕は太く、根のような血管が走っている。そして座席の先頭に立つと、ゴツい手でマイクを握り挨拶を始めた。
「私の名前は三木正美です。ミキもマサミも女性みたいと間違えられるんだけど、正真正銘の男でぇす」
確かに名前は女性をイメージさせるが、見た目はゴリゴリの男である。アゴは割れ、髭剃り跡が青々としている。こんなオッサンがなぜカツラをつけ、スカトゥーンをはいているのか。麗しの女性がこんな男性ホルモンの塊であるはずがない。このオッサンに涙まで流したのかと思うと、言葉も出ない。
「折角の修学旅行だから盛り上げんといかんと思ってな。劇団筋肉集団の皆さんにお願いして、女装してもらうことにした。皆さん魅力的なバスガイドになるため一生懸命努力してくださったそうだ。どうだ、なかなかいい趣向だろう。アッハッハ」
塚チンが豪快に笑う。何がアッハッハだ。普通の高校生ならそれなりに盛り上がるかも知れない。でも、我らは茂田市の高校生なのだ。この日をどんなに待ちわびたことか、市外から通ってくる塚チンにはわかるまい。
「バスの運転手が小さい頃からの夢でした。だから、このお話をいただいたときはうれしくって。運転席にも座らせていただいたんですよぉ。運転手のお兄さんにも操作方法なんか教えてもらっちゃったりして。でも、この制服を着た途端、わかったんですぅ。憧れてたのは、運転手さんじゃなくてバスガイドだったんだって。私も新しい世界が開けたっていうか、先生に感謝したい気分でぇす」
三木正美は我らに向かって濃厚な投げキッスを寄こした。筋骨隆々の体で妙なしなを作る三木正美を見て、旅行にかける意気込みややる気が急速に減退するのを感じた。
「相手の戦意を喪失させる。これも塚チンの作戦だ。乗るな、乗るな。平常心だ。平常心」
慎伍が言った。なるほど、我々の戦いは既に始まっているというわけだ。
いきなりこんな攻撃に出られるとは思ってもみなかった。生徒と女性と接触させないことだけに力を注ぐ防衛を主軸とした対策とばかり思っていたが、精神的ダメージを与えるため、積極的にこのような攻撃に出てくるとは。さすがに塚チン、油断ならない相手だ。
本人曰く、飯塚式古文三読法なる独自の攻略法は市内外からの評価も高く、近々書籍にする予定であるとか、ないとか。普段、好んで冗談を言うのでこの辺りの信憑性は判断がつかない。そういう教師だから、生徒たちの人気は高い。しかし、こと修学旅行に関しては、敵の中心人物である。この先制攻撃にしても塚チンのアイデアに相違ない。この旅行中、古文三読法がどんな風に形を変えて我々の計画を阻もうとするのか、気を抜いてはいけない。
しかし、我らもこの日のためにあの熱い夜を過ごしたのだ。古文三読法だろうがなんだろうが、関係ない。この積もりに積もった思いの丈をぶつけるのみである。
バスが発車した。三木正美はその後も色々と話しかけてくる。三木正美が女性のようにしゃべればしゃべるほど、我々の神経を逆なでていった。しかし、いつまでも感情を左右されるわけにはいかない。気持ちを落ち着けるべく、そっと目を閉じ、一人静かに古の都に思いをはせた……。
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……僕は表都駅そばのとある古刹を散策していた。なにせ市外に出るのは初めてのことである。こころなしか少し高揚している。僕には絶えてないことである。この表都には普段書籍でしか見たことがない寺社仏閣があちこちに林立している。
知的好奇心をくすぐられ、目の前に建ち並ぶ文化遺産に心奪われていた僕は、初めて慎伍たちがいなくなっていたことに気づいた。大方女の子でも探しにいったのであろう。
しようがない奴らだ、僕は小さく嘆息した。しかし、そんなことで僕の知的好奇心がゆらぐことは微塵もなかった。この街が持つ悠久の歴史の重みが僕を捉えて離さない。
境内をゆっくり歩きながら、僕は表の都の威厳と格調を金堂に見、人々の安寧を願った先人の思いを講堂に見た。随所に見られる匠の技を心の赴くままに満喫していた。そのときである。
「……あの」
後ろからふいに声をかけてきたのは、和服に身を包んだ妙齢の女性だった。何か僕に伝えたいことがあるものか、長いまつ毛を伏せて目の前ではにかんでいる。
僕は着物の襟をついと直して、
「失礼、気づかなかったもので」
涼やかに言った。
「あの……もしお邪魔じゃなければ、御一緒させてくださいませんか」
頬を染めてうつむいた。熱心に寺の宝物に見入っている僕を見て心奪われたのだろう。散々迷った挙句に声をかけてきたのだと思われる。やれやれ、表都に来て何度目だろう。
「すみません、このような機会は僕にとっても貴重なのです。ですから申し訳ないのですが……」
僕は心の中で詫びながら、その美しい女性に告げた。女性はハッとした表情を浮かべ、
「ごめんなさい。私ったら何を言ってるのかしら」
つぶらな瞳にみるみる涙が溢れてきた。その真珠のような涙を見て、僕はいたたまれなくなり、
「やはり御一緒することにしよう」
と言って、女性の手を取った。女性は驚いて、僕の顔を見た。僕は彼女のこぼれるような瞳に大丈夫だと、目顔で伝えた。彼女は真っ赤になりながらも、コクリとうなづくと、遠慮がちに僕の肩に頭を乗せた。彼女の髪の匂いが僕の鼻をくすぐる。その白い手を握りながら僕は五重の塔へと足を運んだ……。
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……「お前、何ニヤけてんの?」
目の前にバカ殿のアップである。折角の芳醇な時間が台無しである。
「ニヤけてない」
「いや、ニヤけてた」
「ニヤけてない」
「いや、ニヤけてた」
「じゃあ、ニヤけてた」
言うまでもない事だが、これはこれ以上不毛なやり取りを避けるための方便である。
「やっぱりな、この変態」
いかん。確実に人でなしへの道を歩んでいる。しかも僕を変態呼ばわりしている男がバカ殿とは……。情けなくてちょっと涙が出た。
相変わらず三木正美は例の口調で話し続けている。こちらとしては、これからの二日間をどう過ごすか、そのことで頭がいっぱいである。三木正美に構ってられる程、暇ではない。すると三木正美は早々に黙り込んでしまった。
「なんだ、みんな元気ないじゃないか。折角の修学旅行だぞ」
一番後ろの座席で塚チンが言った。まさか元気がないのはあなたのせいですよ、とも言えず、ただ悶々としていると「まあ、歌でも歌おうや」と座席の脇からギターを持ち出してきた。
「こんなの好きだろ」
歌い始めたのは、阿修羅伯爵の『君が好き』だ。意外にもかなりレベルが高い。思わず聞き入ってしまう。特にサビの部分の『君の指が、君の髪が、君の唇が、君の吐息が、君の匂いが』というやけに生々しい歌詞をやたら情感を込めて歌う塚チンに、我々の想像力は否が応にも掻き立てられた。
「気をつけろ。あおられてるぞ」
慎伍が声を潜めて言った。バスのほぼ中央に陣取った我々は通路を挟んでその言葉を聞いた。そのことばかりで頭がいっぱいな今の我々に敢えてこんな歌を聞かせて、それでいて絶対に女性に触れさせない。そうすれば我々の精神的なダメージは計り知れないというわけか。いかんいかん、泰三ならともかく、この僕がこうも簡単に塚チンの罠にはまるようでは修学旅行の成功は覚束ない。
その後も塚チンはラブソングばかりを歌っていた。しかも、我々にはかなり刺激の強い歌をわざわざ選んでいる。甘い声で気持ち良さげに。しかし、我々にとっては、どの歌も挑発しているように聞こえるのだった。
「そろそろ行くぞ」
茂田市を出て一時間、慎伍の合図で我々は最初の計画を遂行した。仕かけたのは、誰あろう、新次郎である。
「せ、先生、ぼ、僕、お腹が痛いんですけど」
なかなかの演技だ。彼にこんな特技があろうとは思ってもみなかった。
「お、俺も……」
「い、痛い」
「も、もうダメだ」
突然あちこちで腹痛を訴え始めた。バスの後ろにトイレが付いているのはわかっている。しかし、こう一度に腹痛に襲われては、たったひとつのトイレではどうにもならない。これではパーキングに寄らないわけにはいかない。そしてそこには当然女の人がいるわけである。もちろん、発案者は慎伍である。
ここで手を上げなければ、パーキングには行くことはできない。僕が行けなければ僕を待っている美しい調査対象の方々に申し訳が立たない。僕が手を上げたのは、そんな致し方ない理由があったからである。結局、バス内のほとんどの生徒が腹痛を起こすという異常事態になった。
「これは困ったな」
言葉とは裏腹に塚チンは落ち着いていた。すると、集団食中毒の様相を呈してきたこの状況でまったく慌てることなく、最後部の座席を両脇に引き上げた。そして、トイレの横の扉から簡易トイレを三つ取り出すと、手慣れた手つきで設置したのである。
「これで大丈夫だ。一度には入れないが渋滞してきたので、こちらの方が早いだろう。さあ順番に入りなさい」
トイレを遮断するカーテンを引きながらにこやかに笑うその笑顔が妙に癪に障った。途端にみんなの腹痛が治まったのは言うまでもない。
しかし、まだまだ旅行は始まったばかりである。あくまでも初めの作戦が破られたに過ぎない。これしきのことでめげるような我々ではない。続く作戦も抜かりなく立てている。早速泰三が動く。
「せ、先生……気分が……悪いんだけど……」
アカデミー賞ものの演技は迫真に迫り、額からは脂汗まで流れている。バカ殿の顔で真剣に演技をする泰三を見るのは笑いを誘うものがあったが、その執念たるや凄まじいものがある。
泰三が続けた。
「窓を……あ、あ、開けても……いいですか?」
これも計画のひとつであることは言うに及ばない。もちろん、窓に目隠しシートが貼られていることはわかっている。でも、窓を開ければ目隠しシートなど関係ない。窓からは、ほかの車に乗った女性が見えるに違いない。
「大丈夫か?」
塚チンはさも心配そうに言った。
「先生、僕も気分が悪い……」
「俺も窓開けていいですか……」
今度は気分が悪い大合唱である。いくら何でも不自然だ。結局、ほぼ全部の窓側の席に座っている生徒が気分が悪いという状況に陥った。くしくも顔が赤らんで見えたのは、良からぬ妄想の結果であることは明らかだった。
「気分が悪い? そりゃ大変だ。すぐに窓を開けなさい」
意外にも塚チンからすぐに了解が出た。塚チンも人の子、外の景色ぐらい見たっていいじゃないか、と思い直してくれたのだろうか。
「いいか? 開けるぞ」
窓際に座った泰三が僕に声をかける。僕はゴクリと唾を飲み込むと、大きく頷いた。泰三は深呼吸をして、おもむろに窓を開いた。
「えっ?」
何も見えない。窓を開けたというのに。どういうことだ。一瞬何が起きたかわからなかった。よく見ると、目隠しシートは、窓ガラスに貼っていない。窓ガラスの外側にもう一枚プレートがあり、目隠しシートはそこに貼られていた。朝は暗くて気付かなかったのだ。
「大丈夫か? 気分は治ったか?」
心配そうな塚チンの顔が神経を逆なでる。この旅行が終わる頃には塚チンが大嫌いになってそうな気がしてならない。こうして我らの目論見はまたしても失敗したのである。




