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根の庭  作者: 畑野春樹
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3/7

プセウドリトス・ミギウルティヌス

根の庭には、初めて訪れた人が少し驚く植物がある。


花がきれいなわけでもない。葉が茂っているわけでもない。むしろ、植物らしくない姿をしているものも多い。


その中でも、プセウドリトス・ミギウルティヌスは、なかなかの変わり者だった。


灰色がかった肌は、ごつごつとしていて、まるで乾いた石のように見える。小さな塊が地面に置かれているだけで、知らなければ植物だとは思わないかもしれない。


花は小さく、赤紫色。見た目の無骨さに似合わず、妙に印象に残る花を咲かせる。


ただし、育てるのは簡単ではない。


水をやりすぎれば腐る。寒さにも弱い。風通しが悪くても調子を崩す。日当たりは必要だが、強すぎる直射日光も避けたい。


気難しいというより、こちらの都合に合わせてくれない植物だった。


その日、根の庭にやって来た佐伯理恵は、四十代半ばの女性だった。


小さな鉢をいくつか育てている。仕事は事務職で、休日は家で過ごすことが多い。数年前に離婚し、今は一人暮らしをしている。


植物を始めたのは、部屋に何か緑が欲しいと思ったからだった。


最初は観葉植物だったが、いつの間にか塊根植物や珍しい多肉植物に興味が移っていた。


根の庭には、半年ほど前から時々来ている。


「こんにちは」


温室の奥で鉢を動かしていた緑川が顔を上げた。


「おや、いらっしゃい。今日は何を探しに来たの」


「ちょっと見たいものがあって」


理恵はそう言って、入口近くの棚を通り過ぎ、奥の小さな鉢が並ぶ場所へ向かった。


そこに、目当ての植物があった。


「これです。プセウドリトス」


「ミギウルティヌスだね」


「名前が難しいですよね。何回聞いても覚えられない」


「私も最初は舌を噛みそうになったよ」


緑川は笑いながら、鉢を手に取った。


「これ、育てたことあります?」


「あるよ。今もいくつか育ててる」


「やっぱり難しいですか」


「難しいね」


緑川はあっさり答えた。


「私、もう二回失敗してるんです」


「二回も?」


「一回目は水をやりすぎて。二回目は、今度こそと思って水を控えすぎたのか、気がついたら調子が悪くなっていて」


「なるほど」


「今度こそ、と思っているんですけど」


理恵は鉢の表面を覗き込んだ。


「私、こういうの向いてないのかな」


「向いてない人は、二回も失敗したら、もう来ないんじゃないの」


「そうですかね」


「三回目を考えてるんだから、向いてるんじゃない?」


緑川は鉢を棚に戻した。


「ただ、これはちょっと気をつけないとね。暖かい時期は水を欲しがるけど、土が乾いていないうちに次の水をやるのはよくない。寒い時期は水をかなり控える。冷えているのに土が湿ったままだと、根も傷みやすい」


「乾かし気味がいいんですよね」


「乾かし気味と、ずっと水をやらないのは違うよ。そこが難しいところだね」


「風通しも大事なんですよね」


「そう。蒸れるのが苦手だからね。暖かくて、明るくて、風が通るところ。水は季節と温度を見ながら。毎日同じように世話をすればいい植物じゃない」


理恵は真剣な顔で聞いていた。


「温室があったらいいんですけどね」


「家に温室を作るの?」


「無理ですよ。そんなスペースないです」


「じゃあ、まずは家にあるもので何とかするしかないね」


緑川は少し考えてから、棚の下に置いてあった小さな鉢を取り出した。


「これはどう?」


理恵は鉢を覗き込んだ。


「小さいですね」


「まだ小さいけど、形はいいよ」


「いくらですか?」


「三千五百円」


理恵は少し迷った。


「前に失敗したのも、このくらいの大きさでした」


「そうだったんだ」


「今度は失敗したくないなあ」


「失敗しない方法は、私にも分からないよ」


緑川は鉢を手に持ったまま、理恵の顔を見た。


「でも、育て方は教えられる。置き場所も、水やりも。あとは家で様子を見るしかないね」


理恵は返事をせず、もう一度植物を見た。


「緑川さんって、毎日心配にならないんですか?」


「何が?」


「植物のこと。昨日と変わってないかなとか、調子が悪くなってないかなとか」


「心配はするよ」


「そうですよね」


「でも、毎日見ていると、何でも気になってくるからね」


理恵は少し笑った。


「私、何回も見ちゃうんです。朝も見て、帰ってきてからも見て。水をやった方がいいのかなって、鉢を持ち上げてみたり」


「今日も、さっきから同じ鉢を三回見てるよ」


「あ、見てました?」


「見てたよ」


二人は笑った。


しばらくして、理恵がぽつりと言った。


「娘にも、同じことをしてるのかもしれません」


緑川は何も言わず、続きを待った。


「娘が一人いるんです。もう二十歳を過ぎて、東京で一人暮らしをしていて」


「そう」


「ちゃんと食べてるのかとか、仕事は大丈夫なのかとか。つい連絡しちゃうんですよね。返事がないと、何かあったのかなって」


「心配なんだね」


「そりゃあ、心配ですよ。小さい頃からずっと見てきたんですから」


理恵は苦笑した。


「でも、この前、電話で言われちゃって。『もう少し放っておいてよ』って」


「そうか」


「心配してるだけなのに、って思ったんですけどね」


理恵は鉢の縁を指でなぞった。


「でも、娘からしたら、うるさいんでしょうね」


「うるさいと思う時もあるんじゃないの」


「やっぱりそうですよね」


「親の心配が嫌なんじゃなくて、心配されるのがしんどい時もあるんだろうね」


緑川は、棚の端に置いてあった小さな霧吹きを片づけた。


「植物だって、毎日見ていると、ちょっとした変化が気になるだろ。でも、気になるからって、毎日土を掘って根っこを見ていたら、そりゃ弱るよ」


「それはそうですね」


「根っこが見えないからって、何も起きていないわけじゃない。見えないところで、ちゃんとやってることもあるんだよ」


「人間も、そうですかね」


「どうだろうね。私は植物のことしか分からないから」


緑川はそう言って、いつものように笑った。


理恵は少し黙っていた。


「この前、娘から写真が送られてきたんです」


「何の写真?」


「料理。自分で作ったらしくて。焦げたハンバーグでした」


「それはなかなかだね」


「そうなんですよ。『食べられる?』って聞いたら、『たぶん』って返ってきて」


理恵は笑った。


「私、すぐに作り方を教えようとしたんですけど、やめました。もう大人ですからね」


「うん」


「そしたら、『次はうまく作る』って」


「いいじゃない」


「そうですね」


理恵は、もう一度ミギウルティヌスを見た。


「これ、買います」


「いいの?」


「はい。三回目の挑戦です」


「じゃあ、今度は焦らずにね」


「植物の話ですよね?」


「もちろん」


緑川はそう言って、鉢を新聞紙で包み始めた。


「水やりは、家に帰ってすぐ?」


「いや、今日はやらなくていいよ。まずは置き場所を決めて、環境に慣らしてあげて。急に水をやったり、置き場所を変えたりしない方がいい」


「分かりました」


「それと、何かあったら持っておいで。写真でもいいよ」


「ありがとうございます」


理恵は鉢を受け取り、紙袋を両手で持った。


「また来ます」


「うん。今度は元気な姿を見せてよ」


「私も、娘もですか?」


「どっちもだね」


理恵は笑って温室を出ていった。


その日の夜、理恵は買ってきた鉢を窓辺に置いた。


日当たりと風通しを考えて、棚の上に小さなスペースを作った。ほかの鉢との間隔も少し空けた。


いつもなら、帰宅してすぐ水をやるかどうか考えるところだが、今日は何もしなかった。


スマートフォンを手に取り、娘とのメッセージ画面を開いた。


最後のやり取りは三日前だった。


理恵はしばらく画面を眺めてから、短く送った。


「この前のハンバーグ、今度はうまくできた?」


しばらくして、返信があった。


「まだ作ってない笑」


「そうなんだ。今度、帰ってきたら作ってあげるよ」


送信してから、少し考えた。


それでは、いつもと同じだ。


理恵は続けて打った。


「今度、うちでご飯食べない?」


今度は、すぐに返事が来た。


「いいよ。日曜なら行ける」


理恵は画面を見て、少しだけ口元を緩めた。


「何食べたい?」


「カレー」


「分かった」


それだけ送って、スマートフォンを置いた。


窓辺のミギウルティヌスは、何も変わらず、石のような顔でそこにあった。


理恵はもう一度だけ鉢を見て、それから台所へ向かった。


翌週の日曜日、娘は昼過ぎにやって来た。


玄関を開けるなり、「お母さん、何か食べるものある?」と言った。


「カレー作ってあるよ」


「やった」


娘は靴を脱ぎながら、部屋の中を見回した。


「あれ、また増えてる」


窓辺の鉢を見つけたらしい。


「これ、プセウドリトスっていうの」


「何それ。石?」


「植物だよ」


「へえ。変なの」


「育てるのが難しいんだから」


理恵が少し得意げに言うと、娘は鉢に顔を近づけた。


「これ、枯れてるんじゃないの?」


「枯れてないよ」


「ほんとに?」


「そういう植物なの」


娘は「ふうん」と言って、興味を失ったように台所へ向かった。


理恵はその後ろ姿を見ながら、笑った。


夕食のあと、娘は帰る前にもう一度、窓辺の鉢を見た。


「これ、まだ水やらないの?」


「今日はやらないの。様子を見てるところ」


「へえ。お母さん、ちゃんと我慢してるんだ」


「何よ、それ」


娘は笑いながら玄関へ向かった。


「また来るね」


「うん。気をつけて」


理恵は、いつものように「着いたら連絡してね」と言いかけて、少しだけ間を置いた。


「じゃあね」


娘は振り返って、軽く手を振った。


玄関のドアが閉まる。


理恵はすぐにスマートフォンを手に取らなかった。


窓辺に目をやると、ミギウルティヌスは相変わらず、石のような顔をしていた。


その週末、根の庭では緑川が温室の鉢に水をやっていた。


棚の端に置かれたミギウルティヌスの鉢を持ち上げ、土の乾き具合を確かめる。


「まだだな」


緑川は鉢を元の場所に戻した。


急ぐ必要はない。


温室の外では、風が少しずつ冷たくなり始めていた。

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