第五話 名残の黒
五月の眩しい日差しが、校舎の廊下に長い影を落としていました。
連休が明けると、英和女学館には「冬夏併用期間」という、少しばかり自由で、それでいて少女たちのセンスが問われる季節がやってきます。
冬服のセーラーのままでもいいし、一足早く夏用の半袖に着替えてもいい。そして足元も、黒タイツから指定の白ソックスへと、各自の判断で切り替えていく時期でした。
「……みんな、もう白ソックスなんだね」
朝の教室。一時間目の授業が始まる前。
窓の外では、体育の授業に向かう下級生たちが、眩しいほど真っ白なハイソックスを弾ませて校庭を走っています。クラスのほとんどの女子も、初夏の陽気に誘われるように、今日から軽やかな足元に切り替えていました。
沙也加は、自分の膝を見つめました。まだ重厚な「黒」に包まれたその足元は、どこか季節外れで、周囲の軽快な空気から浮いているようにも見えます。
「沙也加ちゃん」
不意に声をかけられ振り返ると、そこには春奈が立っていました。彼女もまた、クラスで数少ない、依然として「黒」を纏っているひとりでした。
「春奈ちゃん。……よかった、春奈ちゃんもまだタイツだった」
「うん。今朝ね、お母さんに『もう暑いからソックスにしたら?』って言われたんだけど……どうしても、これじゃないと嫌だったの」
春奈は沙也加の隣に腰を下ろしました。二人の足元が並ぶと、そこだけが周囲の陽光を吸収し、静謐な夜が残っているかのような錯覚に陥ります。
「ねえ、沙也加ちゃん。約束しない?」
春奈が少しだけ身を乗り出して、いたずらっぽく、でも真剣な瞳で言いました。
「併用期間が終わって、全員が夏服に切り替わる期限の日まで……私たちだけは、このタイツでいようよ」
沙也加はその提案に、胸がすっと軽くなるのを感じました。
白ソックスを履けば、みんなと同じ「可愛い小学生」になれる。でも、この黒タイツを履き続けることは、二人が見つけた「自分たちの美学」を守り続けること。
「うん、約束する。……衣替えの最後の日まで、私たちは『黒』を脱がない」
二人は、机の下でこっそりと小指を絡めました。
タイツ越しに伝わる体温は、少しずつ高まっていく初夏の気温とともに、確かな絆として刻まれます。
「暑くない? って聞かれたら、なんて答える?」
「『これが一番、落ち着くの』って、笑って答えよう?」
それからの日々、二人は「季節外れの二人組」として少しだけ目立つ存在になりました。
初夏の風にセーラーの襟をなびかせながら、足元だけは凛とした黒を保ち続ける。それは、大勢の中に埋もれることを拒んだ、二人だけの小さな反抗であり、誇りでもありました。
「……ねえ、見て。今日の光、タイツの黒をすごく綺麗に反射してる」
「本当だね、沙也加ちゃん。白ソックスじゃ、こんな風に光を捕まえられないもん」
廊下を歩くたび、二人の足音は重なり合い、お揃いの黒い残像を残していきます。
衣替えの期限まで、あと一週間。
初夏の輝きが増せば増すほど、二人の足元にある「黒」は、より深く、より美しく、二人の友情を繋ぎ止めていました。




