第四話 黒の思い出 ※挿絵あり
春奈の部屋は、お香のような微かな甘い香りに包まれていました。
二人はふかふかの絨毯の上に座り込み、大きな革表紙のアルバムを広げました。それは私立英和女学館幼稚園の卒園アルバムでした。沙也加も同じアルバムを持っていますが、見るのは久しぶりのことです。
「これ、幼稚園の年少の時の遠足かな」
春奈が指差したのは、満開のチューリップの前でピースサインを作る、まだ幼い自分自身の姿でした。
「わあ、春奈ちゃん、面影あるね! すっごく可愛い」
沙也加も身を乗り出して覗き込みます。
ページをめくるたび、お遊戯会、運動会、そして卒園式式……。同じ英和女学館の伝統に守られながら育ってきた二人の軌跡が、色鮮やかに蘇ります。
ふと、沙也加が指を止めました。それは、年長の時の秋の遠足の写真でした。
「ねえ、春奈ちゃん。これ見て……」
集合写真の中、セーラー服の上に紺色のスモックを着た園児たちが並んでいます。周りの女の子たちはみんな、白い三つ折りソックスやハイソックスを履いて、元気に足を投げ出していました。
でも、前列の端っこに座る春奈だけは違いました。
小さな足をきゅっと揃え、膝の裏にシワひとつない、漆黒のタイツを履いていたのです。
「あ、本当だ。私、この頃からタイツが大好きだったんだ……。ソックスだと、なんだかスースーして落ち着かなくて」
春奈が照れくさそうに笑うと、沙也加は自分の鞄から、スマホを取り出しました。
「実はね、私もなの。見て、これ」
そこには、同じ遠足の、別のアングルから撮られた沙也加の姿がありました。
彼女もまた、周囲の賑やかな白ソックスの波の中で、ひとりだけ静謐な黒タイツに包まれた足を伸ばしていたのです。
二人は息を呑んで、それぞれの写真を見比べました。
「信じられない……。同じ園庭で遊んでたのに、一度も話したことなかったよね」
「うん。クラスも別々だったし。でも、私たち、五年も前から同じ『黒』を選んでたんだね」
沙也加の言葉に、春奈の瞳が潤んだように輝きました。
広い学舎の中で、誰に教わったわけでもなく、ただ自分の感覚だけを信じて「黒タイツ」という正装を選び取っていた孤独な幼女たち。その二人が、五年の歳月を経て、今こうして同じ部屋で白タイツを履いて笑い合っている。
「なんだか、運命みたいだね、沙也加ちゃん」
春奈がそっと、自分の白いタイツに包まれた膝を、沙也加の膝にこつんとぶつけました。
「本当だね。もっと早く、春奈ちゃんを見つけたかったな」
沙也加も、柔らかい白の感触を跳ね返すようにして微笑み返しました。
「でもね、今だから良かったのかも」
春奈がアルバムをゆっくりと閉じ、真っ直ぐに沙也加を見つめました。
「五年生になって……一番美しくタイツを履きこなせるようになった今だから、沙也加ちゃんに出会えたんだと思うの」
「……そうだね、春奈ちゃん」
二人は窓から差し込む午後の光の中で、互いの足元を見つめました。
今日は特別な「白」を纏っているけれど、その下にあるこだわりは、あの幼稚園の砂場にいた頃から、何一つ変わっていない。
「明日からは、また学校で『黒』だね」
「うん。でも、明日からの黒タイツは、今までよりもっと特別なものになりそう」
お揃いの白い足音が、静かな部屋の中で楽しげに弾みました。それは、過去から現在、そして未来へと続く、二人だけの長い物語の始まりを祝う鼓動のようでした。




