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9.クリストファー・ヴィー・イル

「スズキ大尉、覚えていますか?俺があなたの後輩だった時、あなたは俺に聞きましたよね。『どうしてそこまでストイックになれるのか』と。そして俺は答えました。『守らなきゃいけない人がいる』と」

「妹、か……」

「その通り。俺にはたとえ軍に反したとしても守らなければならない双子の妹がいる。そのために俺は強くなった」

クリスの声は落ち着いていた。まるでいずれこうなることを予期していたかのようだった。

「大好きだ、メグ。この世界の誰よりもメグを愛している」

「クリス……」

クリスは何の躊躇いもなく、メグに近付き彼女を抱き締めた。

「使用人たちは?君が殺したのか?」

「……ええ」

「成る程な。それはまた、随分と派手にやったものだ。これじゃあ言い逃れも出来そうにない……とりあえず、混乱に乗じて隣国にでも逃げるか?荷物を纏めないと」

そう言いながら、クリスは妹のメグの身体をいとも簡単に抱き上げた。

「え、ちょ、クリス……?」

「おにーちゃん……!?」

さすがのメグも動揺を隠せないのか、エルシーと共に焦った声を漏らす。

「大丈夫、メグを一人にはしない」

クリスはメグに最上級の笑顔を見せた。彼が今まで落としてきた女性は全て、この表情に騙されてきたのだろう。メグは返す言葉もなく、口をポカンと開けたままだった。

「じゃあ、後は頼んだよ。カレン」

そう言うが否や、彼はメグを抱えながら足早に階段を上って行き、広い屋敷の中へと消えていった。


「と、言うわけなんだけど。どうする?」


若干呆れた声で、カレンがジーンに問うた。

「私としては、ジーンにはこの件を見逃してもらいたいところなんだけど」

「護衛対象に間接的とはいえ危害を加えた人間を見逃せ、なんて随分と傲慢だな。それに、さっき聞き捨てならない事実も聞いた。あの女はれっきとした殺人犯だ」

「まあ、普通に考えたらそうなるわよね」

カレンは始めからいい返事など期待していなかったようで、ジーンの言葉をすんなりと受け入れた。

「あんたこそ、このままあいつに従っていたら罪になる。それでもいいのか?」

「それでもいい、って言ったら嘘になるけど。なんていうか、従う以外の選択肢を選べないのよね。そういう風に仕込まれちゃってるから」

カレンの言い分に、ジーンは露骨に嫌そうな顔をした。少なくとも、ジーンの知っているカレンは、そんなことを言うような人物ではなかったはずだ。

「とりあえず、私はあなたをこの先に通すことはできない。どんな手を使ってでも止めるわ」

カレンは剣の切っ先をジーンに向けた。

「ちょうどいいわ。数年ぶりに、あなたとの一騎打ちができる。士官学校時代に負けた相手はあなただけ。リベンジマッチといきましょうか?」

カレンの目は笑っていた。まるでジーンとの再戦を待ち望んでいたかのような、そんな表情だ。

「俺はあんたとは戦いたくない。あの時勝てたのもまぐれでしかない。俺の『能力』を知らなかったあんたが、『能力』を使って俺に止めを刺そうとした時に、俺がそれを『無効化』して銃口を突きつけた。それだけの話だ」

「あら、勝負の前から負けを認めるなんて、あなたらしくない。そんなに殿下のことが大事なのかしら?安心して、彼女を傷つけるなんて無粋な真似はしないわ。というか、傷つけたら私が中佐に殺されかねない」

クリスにとってエルシーも大切な家族であることに違いなかった。


「そういうわけだから、早く行きなさい。ジーンに気を取られている隙にあなたを通してしまった、ってことにしてあげるから」


ジーンの後ろで震えていたエルシーに、カレンは優しく語りかけた。

「え……?」

突然自分に話題を振られたことに、エルシーは動揺していた。

「あの双子を止められるのは、あなただけよ。違う?アリソン・ラルフ・ハイピスリタ・ユレ殿下」

カレンは目を細めながらそう促した。

「あんた……一体何を考えてる」

「別に?私だって犯罪者にはなりたくないもの。でも、中佐に対しての体裁もあるから……そこのところ、上手く折り合いをつけたいだけよ。それに、純粋にあなたと戦ってみたい気持ちも大きいわ」

「……俺にとってはいい迷惑なんだがな」

「そうかしら?今のあなた、とてもいい表情をしてるわよ」

まるで士官学校時代に戻ったかのような、そんな屈託のない笑顔で、カレンはジーンに笑いかけた。

「大尉、これ……」

震える脚で立ち上がりながら、エルシーはカレンに見えないようにこっそりと、ジーンの手に何かを握らせた。

「私が持っていても仕方ないので……大尉に託します」

「エルシー……お前……」

「大丈夫です、私にはコレがありますから」

そう言って、エルシーは黒いケースを抱えながら力なく笑った。



***



「随分と、得物が物騒になったな」

ジーンと士官学校時代に対決した時のカレンの武器は、ただの棒であった。それが今では立派な剣になっている。

「あなたに負けてから、必死にお金を貯めて買ったのよ。『能力』だけに頼っていたら勝てない相手もいると気付かされたから。打撃技と見せかけて、不意をついて相手の急所を刺すのが得意技だったんだけど……ジーンには効かなかったから」

「自身が触れているものを『刃物化』するなんて特異な『能力』は、学校中の話題だったからな」

ジーンはエルシーから預かったものをカレンに気づかれないように仕舞い、自身の銃をカレンに向けた。


「愛してるわ、ジーン」

「ああ、俺もだ」


そんな軽口を合図にして、カレンとジーンは互いに動き出した。

ジーンの銃の発砲音が木霊するが、カレンには一発も当たらない。彼女の俊敏性と並外れた反射神経は健在だった。

対するカレンは自身の剣の切っ先をなんとしてでもジーンに当てなければならないため、隙あらばとにかく間合いを詰めにかかる。ジーンは彼女から距離を取りながら、その斬撃を避ける。

「その太刀筋、付け焼き刃ではないみたいだな」

「当たり前じゃない。この数年間、遊んでたわけじゃないのよ」

カレンの得物は当時より重く繊細になっていたが、それをまるで感じさせない身のこなしだった。それどころか、当時よりも身軽に感じるほどには洗練されている。

ジーンは間合いを詰めようとするカレンの足の爪先に向けて銃弾を放ち、一旦距離を置く。いくらカレンより体力はあると言っても、逃げ回り続ければ消耗もする。肩で息をしながら、カレンの目を見据える。

「弾の無駄使いもいいところね。何発残ってるの?」

もちろん無闇矢鱈に撃ったわけではないが、弾数には限りがある。士官学校時代トップの成績を誇った射撃も、ライフルとハンドガンでは勝手も違うし、動く標的にはそう簡単には当たってくれない。

対してカレンの剣に使用上限はない。加えて、彼女も銃を所持しているはずだ。剣と併用することは考えにくいが、用心に越したことはない。

「ちょこまかと逃げ回られるのは好きじゃないの。いい加減捕まえられてくれないかしら?」

「お断りだ」

ジーンはそう即答して、再び彼女に向けて銃弾を放った。カレンはいとも簡単にそれを避けてみせ、再びジーンとの間合いを詰める。その時、僅かに隙ができた。ジーンはその隙を決して逃さない。迷いなく引き金を引いた。

しかし、発砲音は鳴らなかった。


「弾切れでしょう?」


次の瞬間には、薄く笑みを浮かべるカレンが目の前に立ちはだかり、彼女の剣が降りかかってきた。ジーンは右手に握っていた弾の切れた銃を投げ飛ばし、すんでのところで体勢を低くして避けたものの、肩に刃が服を突き破った切り傷を作った。

カレンはそのまましゃがんだジーンの脚を蹴り倒して、その上に馬乗りになった。

「数えてたのか」

「大体はね。こうも上手く行くとは思わなかったけれど」

ジーンの喉元に剣の切っ先を突きつけながら、カレンはそう告げた。

「やっぱり、あなたは強いわ」

「あんたに言われると、馬鹿にされてるように聞こえるがな」

皮肉を言えるような状況でないことは理解していた。ジーンとカレンはお互いに決して目を逸らすことなく、見つめ合っていた。

「剣を教えてくれたのが、中佐なの。彼は幼い頃から手ほどきを受けていたらしくてね。剣術はかなりの腕前よ」

「なるほどな。だからあいつに下ったのか」

「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。私は私の意志で、彼のもとで働くことを決めたのよ」

「でも、セックスはしたんだろ?」

「それの何がいけないの?あなただってエルウィーナ大佐に風俗連れてってもらってるでしょう」

「……待て、どうしてあんたがそれを知っている」

「さあ、どうしてでしょう。それより、殿下にはもう手を出したの?」

「出してないし、出すつもりもない」

「あら、そうなの。まあ、あなたの好みとは違うわよね。いつも指名してるのはスレンダーで大人っぽい女の子だったし」

「おい、あんた一体どこまで……」

「全部よ。だって私、あなたのストーカーみたいなものだもの。自分の卒業祝いと称して、可愛い後輩の童貞を半ば無理やり奪うような碌でなしよ?」

「……あんたが俺に執着する理由がさっぱりわからない」

ジーンは何の生産性もないこの一連の会話に大きく溜息をついた。カレンという人物の記憶は、ジーンの中でかなり美化されていたのかもしれない。今思えば、散々な仕打ちを受けてきたように感じる。

「あなたのファーストキスも、童貞も、命も、全部私が奪うわ」

「随分と、強欲だな」

「ええ。だって、あなたを愛しているから」

そうにっこりと笑いながら、カレンはジーンの喉元目がけて剣を振りかざした。


その時、乾いた銃声が玄関ホールに響き渡った。


「っ……!!」

声にならない呻き声を上げたカレンが、剣を放り出した。

「ジーン、あなたいつの間に……!」

「エルシーから借りた銃だ。俺が考えなしに弾を消費すると思うか?プロだぞ?」

ジーンは身体を起こして、腹部から血を流すカレンをそのまま抱きとめる。

「急所は外してある。まあ死にはしないだろう。念のため、脚にあと二発くらい撃たせてもらうがな」

「何が念のためよ!この人でなし!鬼!」

喚くカレンを無視して、彼女の脚に銃弾を二発お見舞いした。もちろん、直撃させたわけではない。掠る程度だ。

これでカレンは完全にこの場から動けなくなった。後で腹部の止血をしてやらなければ、などとジーンは頭の中で考える。

「信じられない……これが惚れた女にする仕打ち?」

「惚れた男を本気で殺そうとしてた奴がよく言う」

此の期に及んで往生際悪くナイフを取り出そうとしていた彼女の右手を軽く捻ってやると、ひっ、という短い悲鳴が聞こえた。


「また『最強の矛』は『最強の盾』に勝てなかったのね……」


抵抗することを諦めたのか、カレンは自分の両手に武器が何もないことをアピールしてから、そのままジーンの身体に体重をかけて凭れかかった。その息は荒く、額には汗が浮かんでいる。

「その二つ名も、随分と大仰だけどな。あんたに勝ってしまったばかりにそう呼ばれるようになったが、実際俺の『能力』は銃弾にもナイフにも勝てない欠陥品だ」

「それでも、私に勝ったわ。一度ならず二度までも。『最強の矛』に勝てるんだから、やっぱりあなたは『最強の盾』なのよ」

そう言ってみせるカレンは、なぜかとても誇らしげだった。


「ありがとう、私を生かしてくれて」


不意をついて殺すことなど容易かった。今だって隙だらけの彼女を仕留めることは難しくない。それでもジーンは、カレンを殺そうとはしなかった。

「俺はあんたの気持ちを尊重してやれるほど、出来た男じゃないからな。死に顔よりも、痛みに苦しむ顔の方が見るに値する」

「前から思ってたけど、あなた割とサディストよねぇ……?」

「マゾヒストのあんたには、丁度良いだろ」

「この傷、ちゃんと治るまで責任取りなさいよね」

そう言いながら、カレンはジーンの胸板に顔を埋める。

「治るまででいいのか?」

「……馬鹿」

彼女の赤毛を撫でたのは、随分と久しぶりだった。



***



この家のことはよく知っていた。小さい頃に何度も何度も遊びにやってきた、思い出深い場所だった。

クリスとメグの母親は、ブロンドの美しい髪の女性だった。元軍人で、二人の父親であるカルヴィンの副官だったらしい。父親のカルヴィンは北部地方の総司令官を長い間務めており、単身赴任状態であまり家には戻ってこなかった。

クリスとメグが士官学校に入学した時に、母親もカルヴィンの住む北部の街へと居を移した。その辺りで、エルシーと双子が互いの家に行き来することはなくなったように思う。

エルシーにとってクリスとメグは本物の兄と姉のような存在だった。メグは口うるさくも良く面倒を見てくれたし、クリスは頼れるお兄さんとしてエルシーのことをいつも気にかけてくれた。

しかし、そんな双子との関係に違和感を覚えることも少なくなかった。

例えば、エルシーとメグが喧嘩をすることは日常茶飯事で。そんな時、クリスはいつだってメグの肩を持った。年少のエルシーに対して、メグに気を遣うように言い聞かせることもあった。

幼い頃はクリスのその贔屓とも取れる行動によく腹を立てていたが、年齢が上がるにつれて違う考えを持つようになった。


ああ、クリスはメグのことが好きなんだ。


それは兄妹という関係においてはあまりにも大きすぎて重すぎる感情なのだろう、と。

クリスは決して特定の女を作らなかった。プレイボーイで噂も絶えなかったが、正式に誰かとお付き合いするようなことは一度もなかった。あのカレンとかいう副官も恐らく手を出されているだろうが、本気ではないはずだ。

そんなクリスの歪んだ愛に、メグは恐らく気づいていない。

メグは真面目で誠実で規律に厳しく、まさに軍人の鑑とも言えるような存在だった。クリスと比べてしまえばその実力は劣るが、年齢にして彼女の出世スピードも中々のものである。

そんなメグは色恋沙汰にはまるで興味を示さず、決してプライベートを職務に持ち込むこともない。兄であるクリスにはコンプレックスこそ感じていても、彼に向けられる愛情に心当たりなんてないはずだ。

この二人の歪んだ関係を、エルシーは薄々感じ取りながらも、どうにかなるとも考えずに、見て見ぬ振りをしてきたのだった。


「いけない子だな、カレンは」


エルシーがメグの自室の扉を開けると、クリスが開口一番にそう言った。

「スズキ大尉との一騎打ちにかまけたふりをして、エルシーを逃すなんて、馬鹿なことをする。飼い犬に手を噛まれるとはこのことか。後でお仕置きだな」

いくら広いと言っても所詮は屋敷だ。クリスの『能力』を持ってすれば先ほどのエルシーとカレンの会話くらいは『聞こえ』ていたはずだ。

「おまけに、すっかりしてやられたみたいだ。『最強の矛』が聞いて呆れるな。安心するといい、エルシー。スズキ大尉は無事だ」

「……元からそんな心配なんてしてない」

エルシーにとってジーンは信頼に値する優秀な軍人であった。負ける姿など、まるで想像がつかない。

「おにーちゃんはこれから、おねーちゃんを庇いながら逃げるの……?」

「まあ、そうなるだろうなぁ。エルシーに危害を加える未遂だけだったらなんとかしたけど、うちの使用人殺してるし。加えて、テロ組織と繋がっていたなんて事実はかなり不味い」

「別に私はクリスに庇ってもらいたいなんて言ってない」

ベッドの上で膝を抱えるメグはすっかり不機嫌な様子だった。

「わかってくれ、メグ。俺はメグと離れるなんて耐えられない。何人殺したかは知らないが、投獄されるのは間違いないわけだし」

「私は出て行けって言ったのに、お嬢様を残しては行けないとか、旦那様に示しがつかないとか、鬱陶しかったのよ。ただでさえ気が立ってたから。不味いことをした自覚も罪悪感もある。もし捕まるなら甘んじて受け入れる覚悟はできてる。その前にちょっと、王家と軍を引っ掻き回したかっただけ」

メグはこの一連の流れで幾分か落ち着きを取り戻したのか、受け答えは冷静だった。

「テロ組織に加担したのだって、本当に国がひっくり返るなんて思わないからよ。こんな平和ボケした民衆にそんな力が出せるわけないじゃない。軍の力を舐めてもらったら困る。でも、あの軍隊記念日の日、テロ組織に軍人が関わっていたことが明るみに出て、軍内には衝撃が走った。あの少尉でさえそこまで不安を煽る材料になるんだもの、王家の血を引く伯爵令嬢の私が同じことをしたら、もっと面白くなりそうだって思ったの」

「でも、おねーちゃんは私のことが憎いんでしょ?テロ組織に引き渡そうとか、殺そうとか、本気で考えたんでしょ?」

エルシーの言葉に、メグは包帯が巻かれた目をこちらに向ける。

「憎いわよ。殺せるもんなら殺してやりたいくらい。でもそれが逆恨みだってこともわかってるし、今この状況であなたを殺せるとも思わない。作戦は全て失敗に終わってる」

ひどく投げやりな様子で、メグは唇を尖らせながら自分の膝に顔を埋めた。


「ならいっそ、心中でもする?」


その台詞に似つかわしくない軽さで、クリスは言った。

「自暴自棄で取り返しのつかないことをしたメグに、メグがいない世界に興味のない俺。エルシーはそうだな……初恋の相手に振られたってことで」

「ちょっと、私の失恋を同列に扱わないで!」

あしらわれているだけで正式に振られたわけではない。もちろん、ジーンが自分に振り向いてくれる可能性がほとんどゼロに等しいことは理解している。

「私は死ぬ気なんてないし、おにーちゃんとおねーちゃんを死なせる気もない。止めに来たの」

エルシーは双子に向けて、そうはっきりと言い放った。


「そんな物騒な『能力』をぶら下げて、よく言えるな」


クリスの言葉はどこまでも平坦で感情が篭っていなかった。

「本当はわかってるんだろ?『能力』の発動条件も何もかも」

クリスの言葉に、膝に顔を埋めていたメグが驚いて顔を上げた。エルシーも大きく目を見開いた。

「どうしてそれを……」

「図星か。確信を持ってるわけじゃなかったんだがな。まあ、軍隊記念日のアレが初めてじゃなくて『二回目』なら、本人もある程度の察しはついてると思って」

「二回目……?どういうこと?」

問いかけるメグにエルシーはばつが悪そうに目を背ける。

「メグは知らないだろうが、エルシーは昔、あの『能力』を使ったことがある」

「……なんでおにーちゃんがそのことを、」

「『聞いた』から。父と叔母さまが、スズキ大尉と病院で話しているのを」

「……盗み聞き?」

「そういうことだ」

なんて汚いことを、とエルシーはクリスを睨み付けた。そして同時に、その事実を既にジーンがルヴィアたちから聞かされているという現実に、なぜだかとても虚しくなった。


「五年前、エルシーはラルフ公爵邸に勤めていた使用人を二人、殺している。その忌々しい『能力』を使って」


嘘、と先に声を漏らしたのはメグだった。包帯のせいで表情は窺えないが、こちらを見つめる目は恐らく軽蔑に満ちていることだろう。メグだって同じことをしたはずだが、そんなことはもう忘れてしまったに違いない。人間とは都合のいい生き物だから。

「気になったから調べたんだが、どうやらその時のことは事故として処理されているらしい。まあ物的証拠は何も残っていないしな。死因は心不全、倒れているところを家主が発見。気の毒だった、と言ってしまえばそれで終わりだ」

「やめて……」

「その時たまたま父カルヴィンがラルフ公爵邸を訪ねていて、ルヴィア叔母さまと一緒にその現場を目撃していた。なぜ父がエルシーに士官学校へ入学することを勧めたのかずっと疑問だったが、ようやく納得したさ。その時開花してしまったエルシーの『能力』を、エルシー自身が正しく扱うことができるように訓練を積ませるためだった……まあ、当の本人は自分の『能力』の発動条件もわからず、士官学校時代を過ごしたみたいだったが」

「やめてってば……!」

クリスの推理は大方当たっていた。必死に忘れようとしていたトラウマが、エルシーの脳内に蘇る。

五年前のあの日、確かにエルシーは人を殺した。故意ではなかったにしろ、自分自身の『能力』によってそれを引き起こしてしまったのには違いない。

「ひた隠しにしていた理由は、軍上層部に知られるのが不味かったからだろう?そんな反則的な『能力』を、上が欲しがらないはずがない。一切の痕跡も残さずに人を殺める『能力』なんてものは、存在しているだけで軍内部のパワーバランスを崩しかねない」

その通りだった。軍のお荷物だったエルシーが今、休職をしていても肩を叩かれないのはそこに理由があると言っても過言ではない。エルシーの能力が公に知られたことで、軍が自らエルシーを手放すことはなくなった。このテロ騒動のほとぼりが冷めたら、必ず何か動きがあるはずだ。

「何なら試してみたらいい。エルシーが薄々気づいている発動条件を、今」

「なに、言って……」

「言っただろう?俺はメグのいない世界で生きるつもりはない。メグの次に大切なエルシーに殺されるなら本望さ」

「……意味、わかんないんだけど」

「わからなくていい。その方が幸せだから」

クリスはよくわからない感情を、その顔に浮かべながら笑っていた。恐らく自分が他の人間とは違うのだと、彼は自覚しているのだろう。


「クリスが死ぬなら、私も死ぬわ」


そう言葉を発したのはメグだった。

メグは座り込んでいたベッドから立ち上がり、クリスの側に歩み寄った。そしてぴたりと肩を並べる。

「クリスが言ってること、正直何も理解できない。私はクリスに双子の兄以上の感情は抱かないし」

「知ってはいたけど、改めて言われると傷つくな」

「仕方ないじゃない。兄妹なんだし。そっちこそ、愛を語るのはいつも口先だけで、行動に示すことはなかったくせに。それなのに今、こんなことされても……正直反応に困る」

メグの言い分にはエルシーも心当たりがあった。クリスはいつもメグのことを口では大事にはしていたが、自分はふらふらと他の女と遊び回っていた。二人暮らしのこの屋敷に帰ってくることもあまりなかったと聞いている。

「それこそ、仕方ないだろう。行動に示したところでメグと結ばれるわけじゃない。それなのに一緒にいるのは虚しいだけだ」

「……虚しいかどうかなんて、勝手に決めないでよ」

メグはクリスの腕を掴んで引き寄せた。そして、その胸元に飛び込み、顔を埋める。


「せめて、いい兄妹でいられる方法くらい、一緒に探させて欲しかった」


メグは消え入りそうな嗚咽交じりの声で、そう呟いた。

クリスはハッとしたような表情を浮かべてから、胸元で涙を流しているメグをしっかりと抱きしめた。

エルシーはその光景を真正面から眺めながら、目を潰されても涙は出るんだは、と場違いなことを考えた。

「……と、いうわけだ。やっぱり俺はメグを手放せない。見逃してくれないなら、エルシー、お前を撃ってでも逃げる。それが嫌ならお前の『能力』で俺たちを殺してくれ」

クリスが銃を取り出しながら、エルシーに条件を提示する。

「銃はスズキ大尉のもとに置いてきたんだろう?俺たちを力尽くで止める方法は『能力』しかない。さあ、どうする?」

クリスがエルシーに銃口を向けた。

「おにーちゃん……」

目の前の双子は、エルシーにとっても大事な人たちだったはずだ。互いに信頼できる数少ない人物だったはずだ。たくさんの時間を共にし、生きてきたはずだ。

それなのに、彼らはエルシーの前に立ちはだかってエルシーに銃口を向けている。その事実は、あまりにも残酷だった。

ふと、先ほどメグと対峙していた時の彼女言葉が頭を過ぎった。


あなたを助ける必要なんて、なかった。きっとガーネット王女も、同じ気持ちだった。

この二人を助ける必要なんて、ない。きっとガーネット王女も、同じ気持ちだった。

ああ、そうか。これが、思考停止。

ここで私が全てを終わらせよう。


エルシーは自分でも驚くほど冷静に、自分自身の意志で、涙を流した。そう、これが、発動条件。


「……さよなら」


大好きだった、おにーちゃんとおねーちゃん。

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