10.ユージン・エチェベリア
カレンの傷に応急処置を施してから、エルシーの後を追った。彼らの居場所は拍子抜けするほど簡単に見つかった。靜かな屋敷のそこだけ煌々とした明かりが燈り、話し聲が聞こえるのだから。
そしてそこでは、想定していた最悪の事態がまさに起ころうとしていた。
「馬鹿野郎」
気づいたら飛び込んでいた。自分でも不思議なほど迷いなく、ジーンはエルシーの目を自身の手で覆い、そのまま背後から抱きしめた。
「大、尉……」
エルシーの掠れた聲と、手のひらに伝わる涙の溫度が、彼女の張り詰めた精神狀態を物語っていた。
「殺人犯と、その幇助をしようとした人間のために、人殺しになんてなるな」
馬鹿げていた。ただ生け捕りにして軍に突き出せば全て解決するような案件で、これ以上無駄に死人を出す必要性なんてまるでない。
従兄妹だかなんだか知らないが、エルシーが手を汚さなければいけないだなんて間違っている。
「お前はそんな解決をするために、俺にコイツを預けたのか?」
エルシーは瞳から涙を溢れさせながら、首を大きく橫に振った。
ジーンは右手にエルシーから預かった銃を構え、クリスの方へ向ける。
「もう泣くな。お前が涙を流さなくて済むように、自分でしっかり考えろ。思考停止をするな。お前はガーネットとは違うだろ?」
エルシーをこちらに向かせ、その濡れた瞳をじっと見つめた。
「大尉……ありがとうございます」
鼻水をすすりながら小さく禮をし、エルシーはジーンの背後へと退いた。
ジーンはエルシーを庇うようにして雙子の前に立ちはだかった。
「やっぱりカレンじゃ駄目だったか。さすがだ、スズキ大尉」
「まぐれだ。あいつは強かった」
一歩何かを間違えていれば、恐らくジーンはカレンに殺されていた。彼女はそれほどに強い。
「あんたたち雙子がどうなろうと、俺には関係ないが……エルシーを使って下らないことをするな」
「隨分と橫柄な物言いだなぁ。一応俺、中佐なんだけど」
「そんなことはどうでもいい。どうせこの事実が明るみに出れば、あんたらの肩書きはなくなる」
メグは言わずもがな、直接的に何か罪を犯したわけではないクリスも、無事ではいられないだろう。
「とりあえず、そこを退いてくれ。スズキ大尉。俺たちは行かなければならない」
「斷る」
「なら、押し通るまでだ」
クリスがジーンに銃口を向けた。その時だった。
柔らかい音色が、響き渡った。
チューニングがされていないその楽器の音は、決して心地よい音色というわけではなかった。それでも何かを伝えるのには充分なほど、しっかりとした音を奏でていた。
「エルシー……」
最初に口を開いたのはメグだった。その曲に聞き覚えがあるのか、口元で歌詞のような言葉を消え入りそうな聲で紡ぐ。
曲は何かの流行歌だろうか。ジーンには心當たりがない。しかし、それはこの雙子にとっては大きな意味を持つようだった。
「……興醒めだ」
クリスはそう一言呟くと、手にしていた銃を床に放り投げた。がちゃがちゃ、という無機質な音をたてて、それは床にぶつかった。
エルシーによるコルネットの演奏は、それから三分ほど続いたのだった。
***
「よくやったな」
最早懐かしくも感じるスキンヘッド頭の彼が、優しく笑いかけてきた。
「ご迷惑をおかけしてすみません、大佐」
ジーンは深々と頭を下げた。この一連の件の後始末は全て、フレディに丸投げすることとなった。近衛師団所屬のジーンは管轄外であるため、彼が全てを引き受けてくれたのだ。
それだけではなく、昨日のキャロルの件も含めて、フレディには色々と尻拭いをさせてしまった。いくら信頼できる元上司とは言え、ジーンは自分の人遣いの荒さに自己嫌悪していた。
「中心地の様子はどうですか」
「ああ、それだけどな。もう大分落ち著いた。拍子抜けだ」
「……どういうことです?」
怪訝そうな表情を浮かべるジーンに、フレディは白い歯を見せて笑った。
***
「お前の言う通りだったな」
「……何がですか?」
イル伯爵家の応接室にて事情聴取を終え、疲れ切った様子のエルシーに水を出しながら、ジーンはそう聲をかけた。
「平和ボケした民衆は、戦力にはならなかったらしい」
「ああ……その件ですか」
あれから首都の中心地では軍や王家に対するデモや集會が多く開かれた。しかし、実際に牙を剝くような猛者はほとんどおらず、テロも小規模なものが彼方此方でぽつりぽつりと起こるのみであった。住民や軍への被害は少なく、怪我人もそこまで多くは出なかった。
「もちろん、軍も王家もまったくの無傷というわけにはいかなかったが。とりあえず、騒ぎは沈靜化に向かっているそうだ」
「そっか……それなら、良かった」
エルシーは安堵の表情を浮かべた。
「でも、大尉に言われた、私の方が平和ボケしてる、っていうのも……今なら少し解る気がします。あの時の私は、まさか隣國の革命に乗じて國が覆るなんて可能性を、まるで考えてはいなかった」
結局それは未遂に終わったものの、革命が起こったとされる隣國、アルマニング帝國の情報は未だ少なく予斷を許さない狀況には違いなかった。
エルシーは何かを憂うような目をしながら、コルネットの黒いケースを大事そうに抱えた。
「そういえば、あの曲はなんだ」
「あの曲……?ああ、さっきのですか」
エルシーは困ったような笑みを浮かべながら、コルネットをケースから取り出す。
「名前はありません。昔、三人で遊んでいた時に作ったオリジナル曲です。一応、歌詞も作ったんですけど……まあ、子どもが作れるレベルなんで、たかが知れてます」
そう言って、エルシーはコルネットにマウスピースをはめ込み、軽く音出しをしてから、先ほどの曲を演奏し始めた。
どこかで聞いたような流行歌に似ているメロディーは、年端もいかない子どもが精一杯考えた努力の結晶に違いない。ゆったりとした旋律が、コルネットの柔らかい音によく合っていた。
エルシーがワンコーラスを吹き終えたところで音楽は終わった。
「私、軍を辭めようと思います」
その聲に迷いはなかった。
「……そうか」
引き止める理由は別にない。確かに彼女の『能力』は強力であったが、それを軍に居続ける理由にするのは本人にとっても苦痛でしかないはずだ。
「今回の騒動で、大尉やおねーちゃんみたいな、軍人の鑑みたいな人たちを見てきて、やっぱり私はそこまでの覚悟はできないと思いました。……大尉は、母から聞いてるんですよね?私が初めて殺したのが、本當はブラッドベリー少尉じゃないことも」
「ああ」
噓をついても仕方がないと、ジーンは肯定の言葉を返す。病院で彼女の母ルヴィアに呼び出された折に、エルシーの能力については一通り聞かされていた。
「使用人を殺した私はもう、穢れてしまったんだと思ってました。だから軍に籍を置くことになって、もしそこで人を殺すことになっても、もう平気なんだと言い聞かせてきました。……でも、実際に少尉を殺したあの後、私は冷靜ではいられなかった。人を殺す覚悟なんて、まるでできてなかった」
「そんな覚悟は、別に持たなくていい。躊躇うことができるのは、まだ人として生きている証拠だ。俺やカレンやあの雙子の妹は、もうすっかりその感覚を忘れてしまった」
引き金を引くのを迷わなくなったのは、いつからだろう。そこまで昔ではないはずなのに、すっかり記憶は抜け落ちてしまった。それほどに忘れたい事実なのだろう。
「これは自惚れかもしれませんが……おにーちゃんとおねーちゃんを救えたみたいに、私は自分のコルネットで人を救いたいんです。ううん、そんな大層なものじゃなくてもいい。誰かの胸を打つような演奏がしたい。ただの自己満足かもしれないけど。だから、私はもう銃やナイフを持つのはやめます。代わりに、コレを武器にするので」
コルネットを誇らしげに掲げるエルシーの表情は、清々しかった。
いくら綺麗事を並べても、結局は銃もナイフも人を傷つけることしかできない。彼女はそんな武器を捨てる道を選択したのだ。
「お父様とお母様の後を追うのは、もうやめます。でも今度こそようやく、両親の自慢の娘になれる気がします」
エルシーは笑顔を浮かべながら、その瞳から一筋の涙を零したのだった。




