8、思惑
そして始められた会議は、セレストから報告された通り、今秋の国王の城下での仕事についての詮議であった。
国政の長である国王には、城内での立ち回りの他にも様々な役割がある。例えば、国内の要所を訪れてその働きを見ることや、城下で行われる由緒ある儀式に参加することである。国王の体調や他の仕事との兼ね合いを見て、いつその仕事をこなすべきか、予定をたてるのは中務の役目であった。特にまだ三歳になったばかりという幼い王の体調を慮ることは重要である。
「——では、今秋における最も大きな城下における儀式についてですが、来月の初頭、東ケトロ大聖堂において大掛かりな収穫祭が行われる予定です」
議会進行役が、そう告げた。
「東ケトロ大聖堂」という言葉が出た途端に、議事室の空気が張りつめる。
今、修道院制撤廃を訴えているワイズと、それに対抗する内大臣が、水面下で対立していることは周知の事実であった。特にこの中務内でそれを知らない人間などいるはずもない。
「東ケトロ大聖堂」と言えば、このエウリア君主国の首都ケトロの中でも最も大きな聖堂だ。国の中でも最も有名で、誰もが知る聖地となっている。当然、その聖堂も、修道士たちの直轄地だ。
部屋の空気が緊張するが、当の内大臣と国務参謀は眉一つ動かさず、涼しい顔をしていた。これが冷戦といわれる所以だ。誰もが顔を強張らせる中、話の続きを促したのは、内大臣であった。
「……で? 陛下はそれに出席するべきであると?」
「あ、はい。例年この収穫祭には国王陛下かあるいは巫女君がご出席なさるのですが、昨年は巫女君がご出席なさいましたので、今年は陛下がご出席なさるべきかと」
「ふむ。具体的には?」
「収穫祭は五日間かけて行われ、首都ケトロの民だけでなく、国の遠方からも豊作や安全などを祈るために大勢の民が大聖堂を訪れます。特に祭りが盛り上がるのは最終日の五日目なので、陛下がご出席なさるのも五日目でよろしいのではないかと」
「なるほど。——これについて意見のある者はいるか?」
内大臣の声に、議事室の中は静まり返る。此処まですでに事が決定されていては、意見のしようもない。誰も声をあげない議事室の中を目線のみでぐるりと見回して、静かに声をあげたのは——ワイズであった。
「……一つ質問があるのだが、よろしいか」
その冷静な声色に、再び議事室の空気が緊張する。
内大臣と敵対するこの男が一体何を言うつもりなのかと全会の意識が彼に集中する中で、進行役が「はい、どうぞ」と対処した。ワイズは内大臣には一瞥もくれず、進行役をまっすぐ見つめる。
「五日間、遠方からの礼拝者も受け入れて行われる祭りというからにはかなり大掛かりなものだと予想されるが……その費用は一体どこから出ている?」
進行役は一瞬ちらりと内大臣たちの顔色を伺ってから、言葉選びを違えないようにと丁寧に答えた。
「祭りとは言っても、収穫祭は神に祈りを捧げるための儀式の一つであります。故に通常の礼拝が少し大掛かりになった程度で、遠方に住まう人々に大聖堂まで足を運ぶ動機を与えるようなもの……さほどの費用はかかりません」
「ほう? それでも連日連夜礼拝者が訪れて賑やかすのだから、常に大聖堂を開いておくためには多少の費用はかかるだろう?」
「それは……修道院が自費で賄っているのでは」
頼りない返答である。首を竦めたワイズを見て、口を開いたのは、内大臣であった。ますます空気が張りつめる。
「……参謀は、つまり、修道院が民から金を巻き上げて、その費用を使って大掛かりな祭りを開催しているのではないかと危惧しておられるのだな」
ワイズは黙って内大臣の顔を見つめる。「そうだ」とも「そういうわけじゃない」とも言わずに、ただ相手を見つめた。無言で表情なく見つめられることほど居心地の悪いことはなかろうに、しかし内大臣もまた表情一つ変えずに、言葉を続けた。
「確かに、民が大聖堂を訪れて神に捧げる貢ぎ物は少なくない。それを祭りの開催費にあてているかもしれないことは否めないであろう。だが、それでも、祭りは民のために、必要なのだ。進行役の言ったように、この祭りは遠方の民が大聖堂を訪れる動機となる。遠方に住まう民はこの時に大聖堂を訪れて、神に祈りを捧げ、心を救われる。——要はこの祭りは、民の心の救いなのだ。それをなんだかんだと理由付けして民から取り上げることは、民の心を悪戯に苦しめることになる」
すなわち、ワイズの掲げる修道院制撤廃の法案は、民の心を踏みにじるようなものであると、内大臣は言外に伝えた。
ワイズはしばし無表情のまま内大臣をまっすぐ見据え、やがて目線を落とした。そして低い声色で答える。
「——なるほど」
両者のやり取りを息を呑んで見守っていた議事室の役人たちは、さらに息を詰めてワイズの言葉を待った。美論にさえ聞こえる内大臣の主張に対して、冷徹な傑物と言われたこの参謀がどう切り返してくるのか、身構えているようである。
ワイズはゆっくりと目線をあげると、全会が自分に注目していることになど気付いていないかのように涼しい顔をして、呟くように言った。
「……私は、そのような礼拝も、礼拝のために開催された祭りも実際に目にしたことがないため、それが誰にとっても無益な行いなのではないかと誤解してしまうのかもしれませんな」
いつも強気な参謀からは考えられないほどの殊勝な台詞に、議事室の空気が動揺する。ワイズは切れ長の瞳をますます細めて、まっすぐ内大臣を見つめる。
「祭りが民にどのように受容されているのか……私にはどうやら知る必要があるようだ。——今秋の収穫祭には、私も視察のために参加しようと思う」
なんだって、と議事室が一斉にどよめいた。無神論者として有名な国務参謀だ。そんな彼が一年の中でも最も信仰の厚くなる儀式の一つである収穫祭に参加すると言うのだから、どよめかないはずがない。
そんな騒がしい議事室の中で唯一表情を変えないのは内大臣と参謀のみであり、じっと黙って参謀の言葉を聞いていた内大臣は、静かに答えた。
「——しかし、収穫祭には陛下もご参加なさることに決定致した。政殿から国王陛下ばかりか国務参謀までもが出張なさると、政殿が手薄になる」
内大臣は尤もらしいことを言うが、国王陛下はたったの三歳の幼子だ。実際には彼が抜けたところで政殿が手薄になることなどない。
内大臣は、国王と参謀がともに収穫祭に出かけることにより、さらに国王と参謀の距離が縮まること、そして幼い国王に参謀が余計なことを吹き込むのではないかと危惧しているのだ。
その心が透けて見えてもワイズは気付かぬふりをして、「なるほど」と納得したように頷いた。
「ならば、私は陛下とは異なる日に祭りの視察へ出かけましょう。陛下は最終日にご参加なさるのだったな……セレスト、他の日にうまく予定を組み込んでおけ」
隣に腰掛け無言で記録をとっていた秘書が「はい」と頷いた。
内大臣の傍に座る次官や判官が、ワイズの意図が読めずに訝るような顔をする。内大臣は相も変わらず読めない表情を浮かべるばかりだ。
これで会議の中における収穫祭の話にはひとまず終止符が打たれ、話題は次へと進んだ。ワイズも次の話題へと耳を澄ませる。そして己の意図は決して口にはしなかった。
やがて会議が終わると、これでワイズの視察も終わりである。ワイズは儀礼的に内大臣達に挨拶を告げると、颯爽と中務を後にした。
共に中務を出た秘書のセレストとも必要最低限の事務的な会話のみをかわすと、政殿の途中で道を分かれて一人で書斎を目指す。セレストには他の秘書たちのとりまとめを頼み、ワイズには己の書斎に積まれた山のような書類に目を通すという地味な作業が残されていた。すでに日は沈みかけ、夕刻であるが、まだ政殿を出て家に変えるには早い。
たった一人で政殿の長い廊下を歩くワイズの先には、暗い道が続いているだけで、人っ子一人いなかった。そろそろ政殿務めの下働きたちがやってきて、廊下の灯火に明かりを灯す頃合いである。
ワイズは黙って口元を手で覆うと、少しだけ考えを巡らせた。
——東ケトロ大聖堂で行われる収穫祭。
それが今日の視察で得られた最大の獲物である。
首都ケトロに跋扈する腐った修道士たちのかき集めた汚れた財は、全て「東ケトロ大聖堂」の中に収納されている。そうワイズに報告したのは、盗み聞きの『力』を持つエリック・コーエン軍曹であった。すなわち、「東ケトロ大聖堂」は、修道士たちの隠し金庫になっているのだと、そう聞いた。
国民はそうとは知らずに、年に一度の収穫祭を目指してはるばる遠くから祈りを捧げるためだけに首都へと足を運ぶのだというから、馬鹿げた話である。民の誰もが己の愚行にまだ気付いていない。
——ならば、この愚かな循環に、終止符を打たなくてはならない。
ワイズは暗闇の中、そう決意していた。口元を手で覆ったまま、彼はぼそぼそと呟くように声を漏らす。廊下には当然、誰もいない。彼の呟きは、その場にいる誰かに聞かせるためのものではないのだ。彼の言葉は、不思議な『力』を通じて遥か遠くに控えている男へと伝えられる。
「——エリック。話は聞いていたな。収穫祭の視察の日、俺の周りに目立たぬように軍を配備しろ。そうだな、数は……二十から三十くらいがいい。軍であることを気付かれぬよう、あたかも礼拝者であるかのように民の平服を纏わせろ。いいか、頼んだぞ」
遠くにいる男はワイズの言葉を聞き取ることができるが、ワイズは遠くにいる男の声を聞くことができない。故に、彼が了解したのか否か、ワイズにはわかる術もなかったが、当然了解したであろうと結論付けて口を噤む。それが、奴の仕事だ。
ワイズにとって、政殿における表立った右腕が秘書のセレスト・アンダーソンであるならば、エリック・コーエン軍曹は軍事における影の右腕だった。不思議な『力』を持つあの男には、頭の切れるセレストとはまた異なる利用価値がある。ただ、厄介なのは——コーエンはワイズの過去を知っているということであった。
——確かに、お前の政略的な思惑はわかるし、きちんと理解しているつもりだ。だが俺にはお前自身が本当に何を思っているのかがわからない。
かつてそう告げた彼は、ワイズとは二十年来の付き合いだ。ワイズがどのような想いを抱えてこの政殿へと入ったのか、彼だけには隠し通すことができない。
——俺は、強くなりたい。
そう言って、コーエンの前で思わず涙を流したのは、まだ政殿に入る前、すなわち十五にも満たない少年の頃の話だ。まだあまりにも無力だったあの頃、ワイズはひたすら力に飢えていた。
神になど縋る必要もない、己の意思でもってどんなことでも可能にできる、そんな力がほしい。
ワイズは、ずっとそう思ってきた。
そして今——ワイズは政殿の頂に立って、地上を見下ろしている。それはまるで、神が如く。
(……馬鹿馬鹿しい)
ワイズは己の考えに思わず毒吐くと、暗い廊下を踏みしめた。そのように力を欲していたのも、今は昔、まだ若かれし時代の話だ。今の彼には、そんなことを考えているような暇はない。やるべきことは散在している。
暗い廊下に、下働きたちが一つずつ明かりを灯し、そっと闇を照らし始めた。足下が見えるようになり、幾分歩きやすくなる。ワイズはまっすぐと前を見据えた。
彼の目指す書斎はすぐそこにある。その中には山のように積まれたこの国の政治的問題が待っているはずだ。彼には迷っている暇など、残されていなかった。




