表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
西国の神  作者: あすかK
PR
7/24

6、神の意思

 西エウリア君主国の西端、首都のケトロにそびえ立つ国城の中、神殿と呼ばれるその空間は、国城の中でも一際異端であった。

 その入り口は不思議な『力』でもって封印されて只人には見えず、外からは高く白い城壁に囲まれた建造物でしかない。その見えない入り口を通り抜けるためには『力』の持ち主であることが求められ、只人の出入りは禁じられていた。

 見えない入り口を巫女の力、すなわち巫力を使ってくぐり抜けたカグワは、仗身のユタヤを引き連れて、自分の住まう神殿の中を歩いていた。巫女の支配下であるその城壁の内側は外界から遮断された聖なる場所であり、同じ国城内である政殿や宮殿とも違う。その中に住まう人間は神を信仰すること、そして神殿の中を美しく保つことが仕事であり、外界との接触は修道院のみを通して行われた。故に、神殿の中には外界とは異質と言える妙な空気が流れている。

 その妙な空気の中で、裾を泥だらけにした下女の服を纏って歩く巫女の姿は、奇妙奇天烈であった。

 巫女と言えば本来、神殿の奥、御簾の向こう側に控える尊厳な存在である。それが下女の服を纏うなど神へ背いているにも等しく、そうそう気軽に外へと出ることも許されるはずはなかった。

 そういうわけなので、たまたまその場を通りがかった神官が、汚らしい巫女の姿を見て苦言を飛ばすことには何ら不思議もない。

「——巫女君、そのようなお召し物でまた外界へ繰り出されたのか」

 神官とは、神殿に仕え巫女に仕え、信仰の世界を護るために俗世を捨てた存在である。一度神官となると俗世へ戻ることは許されず、一生をこの神殿の中で過ごすこととなる。そのため、半年前にカグワが巫女に就任し、この神殿に入る前から彼らはずっとこの神殿の中で働いていた。故に、彼らは神殿の規則に厳しく、新しい巫女がそれをことごとく無視することに良い顔をするわけもない。

「視察よ、視察。今修道院周りが騒がしいでしょ? だからちょこっとね」

 カグワは軽い口調で言い放つと早々にその場を逃げようとしたが、神官の表情はますます険しくなるばかりである。

「視察など、巫女君がなさる必要はございません。修道院周りのことは修道士や大司教を呼びつけてお聞きになればよろしかろう。巫女がそうも神の傍を離れて下界へ下っていては、いずれ神の逆鱗に触れることとなりましょうぞ」

「そんなことでお怒りになるの? 神様って結構短気ねー」

 適当なことを言って逃げようとするカグワに、険しい顔をするのは神官ばかりではない。

「当代の巫女、カグワの君に苦言を申し上げたところで意味などございませんわ、神官殿」

 苦い顔をする神官の後ろからすっと姿を現したのは、一人の世話役の女である。

「カグワの君は自由なお方。神にさえお従いになるおつもりはございませんわ」

 刺のある言い方をする世話役だ。カグワはちらりとその女を見やった。

 巫女の世話役とは、その言葉の通り、巫女の身の回りの世話をすることが役目である。これは特殊な仕事であり、女のみに任された役職で、神官のように志願して俗世を捨てれば誰もが就けるものではない。

 西国エウリアには、巫女に関する複雑なしきたりが多々あった。そもそも、巫女はエウリアの国内にいる全ての少女の中から選ばれるものだが、だからと言って、少女であれば誰でもその対象になるというわけではない。巫女となるためにはまず、「巫力」と呼ばれる不可思議な『力』を持っていることが大前提であった。そして、その中から特に強い「巫力」を持つ十人の少女が国の中から選定され、彼女たちは巫女の予備軍としてしばらく修行をする。さらに、巫女に選ばれるのは、その十人の中の一人のみである。選ばれた一人は巫女に就任して神殿に入り、選ばれなかった九人は「世話役」として、巫女の周囲の世話をするべく神殿に入ることが決まりごとであった。

 つまり、この巫女の世話役の女は、神官のように昔からこの神殿に仕えていたわけではない。半年前、カグワが巫女に選ばれるまでは、カグワと同じ、巫女の予備軍として巫力の修行をしていたのだ。

 彼女は、自分がいずれ巫女になるのだと勇んで修行して、しかし選ばれなかった。巫女として選ばれたカグワへの言葉に刺があるのも、致し方ないといえば、致し方ない。

「カグワの君は巫女に選定されるより前から、慣例になど縛られず、自由奔放にお過ごしでした。それにいちいち苦言など申していたら、こちらの身が持たないというもの」

「しかし……」

 口籠る神官に、世話役の女はふんと鼻で笑った。

「いずれ巫女は時代の流れとともに代替わりを致しますわ。けれども、神は代替わりなどなさらない。ですから我々は、この奔放な巫女に振り回されることなく、ただ神だけに忠誠を誓えば良いのです」

 どうせこんな巫女はすぐに代替わりすることになるだろうと言わんばかりのきつい言い方である。カグワ本人の前でこんな言葉の吐き出せる人間も珍しい。

 とは言え、皮肉をいちいち気にするカグワでもないわけで、少女はにこりと笑った。

「さすがにアネットはよくわかってるわね」

 アネット、というのがこの世話役の女の名前だ。まだ巫女に選ばれる前、カグワとアネットは同じ場所で巫力の修行をしていた。

「他でもない巫女君のことですもの。カグワの君は、何も難しいことはお考えにならずとも、お好きなようにお過ごしになれば良いですわ」

 その言葉が揶揄以外の何でもないことはさすがのカグワにもわかってはいるが、だからどうということもない。

「ええ、そうするわね。ありがとう。それじゃあ私は部屋に戻るから!」

 微笑んで手を振って別れて、カグワは世話役と神官の元より逃げ出した。神官の複雑そうな顔と、アネットのくすんだ笑みは見ないふりをする。

 カグワのすぐ後ろに控えている仗身ユタヤが小さく溜め息を吐いたのが聞こえた。おそらく、この厚い忠心を持った青年は、カグワ以上に世話役の皮肉に傷ついているのだろう。貴方が気にすることはないのに、と思って苦笑しながらも、カグワはそんな青年の思いやりにいつも救われている。

 二人の目指す神殿の奥は、真っ白な神々しい廊下を抜けた先にある。そこまで来れば、そこはカグワの部屋だ。この巫女の支配下であると言われる神殿の中でも、ようやく気を落ち着けることのできる場所は、その一角のみである。



「——カグワ様! また勝手に神殿の外へと外出なさいましたね!」

 カグワにとって神殿の中の唯一の安息の地、神殿の奥に用意された小さな自室の中において、待っていたのは、やはり苦言であった。

 神殿の長、国王に匹敵するほどの高貴な存在である巫女に用意された部屋は、当然一つではない。神殿の奥にはいくつもの豪勢な部屋が用意されてあり、その全てが巫女のものであっていたが、カグワはその中でも最も小さな休憩室を気に入り、そこで寝起きしていた。巫女のための寝室は他にもあるのだが、広すぎるベッドでは少しも体が休まらない。故に、この狭い休憩室が彼女の部屋だ。

「貴女が神殿の外に出ることは、もはや止めようがございません。私はもう諦めました。ですが、せめて外出なさる前には一言お声をおかけくださいましと、いつも言っているでしょう!」

 カグワがこの狭い休憩室への出入りを許可した人物はそう多くない。仗身であるユタヤと、世話役二人のみだ。そして今この休憩室の中で主であるカグワを強く叱責しているのは、その世話役のうちの一人、ロマーナという女性であった。

 ロマーナはカグワにとって、最も近しい世話役だ。他の世話役が皆、かつてカグワが巫女に就任する前、ともに巫女修行をした巫女の予備軍であったのに対し、ロマーナは、その修行時代からカグワ付きの下女として身の回りの世話をしてくれていた。つまり、ロマーナは最も長くカグワの世話役をしていた女性であり、カグワにとっては母代わりであり姉代わりであった。故に、カグワへの叱責も、容赦がない。

「今回は私にも、ユタヤにさえ何もおっしゃらずに外へ出て行かれましたね。どういうつもりです?」

 ロマーナと同じくカグワの休憩室への出入りを許可されている仗身のユタヤは、部屋の端に控えながら、ロマーナの言葉に大きく頷いていた。ユタヤにも、政殿で見つけられた時に「勝手に外に出るな」とやはり叱られたものだ。

「だってちょこっと出ただけよ。すぐに帰るつもりだったし……」

 休憩室に置かれた寝台に腰掛けてカグワが口籠ると、ロマーナは彼女の着ている下女の服の裾を見て、眉を痙攣させる。

「すぐに帰る? ならば一体どこでその泥をかぶって来られたのです? どうせ暑いからとかそんな理由で水遊びでもしてきたのでしょう」

 ぴたりと言い当てられて、カグワは苦笑いした。さすがに付き合いの長いロマーナは、カグワの行動などお見通しだ。

「まあ、ね……。でも、その時にはもうゆたやと一緒にいたんだから、いいじゃない」

「ユタヤがいればいいというものでもございません。神殿の外では誰に見られているともわからないのに……」

「誰が見てたって、下女の服を着てれば私のことを巫女だなんて思わないわ」

「それでも外界では何が起こるかわかりませんわ」

「何も起こらないわよ。それに何か起こったって、ゆたやがいれば大丈夫よ」

「……ユタヤもユタヤですわ。傍にいたなら、カグワ様が水遊びしているのを傍観しているんじゃなくて、さっさと連れ帰ってきなさい! 貴方はカグワ様に甘すぎるの!」

 ロマーナの怒りの矛先は突如仗身ユタヤの方へと向いた。ユタヤは仗身、すなわちカグワ専属の護衛である。そしてロマーナと同じく、彼もまた、カグワが巫女修行をしていた頃から仗身としてカグワの傍に付き添っていたため、カグワとの付き合いも、ロマーナとの付き合いも長い。カグワにとってロマーナが姉代わりであるように、ユタヤにとってもロマーナは姉代わりであった。二人の姉は、勝手な振る舞いをする弟妹たちに怒り散らしている。

「昔っから、いっつも貴方はそう! カグワ様の姿が見えなくなると、『すぐに探して連れ帰ってくる』とか言いながら、いつまでたっても帰ってこないんだから! 結局私が探しに行くことになって、大抵そういう時は二人で遊んでるのよ!」

「……どうしてもすぐに帰る用事のある時は、すぐに連れ帰るようにしてる。今日は、特に用事もなかったから……」

「そういうことじゃないでしょ! 巫女はそもそも神殿から外に出てはいけないんだから!」

 ロマーナの怒声を聞きながら、カグワは彼女の矛先がユタヤの方へ向いているのをいいことに、寝台の上にころりと転がった。そしてふと、寝台の横に置かれた台の上に、見たことのない本が積まれていることに気付く。今朝部屋を出た時はこんなものはなかったけれど、と思いながらカグワはころころと転がってその台へと手を伸ばした。一番上に積まれた本を手に取ると、仰向けになったままその本を開く。新しい紙の臭いがした。

「あーもう、カグワ様! 貴女の話をしているんですよ! 聞きなさい!」

 いつのまにやら寝台の上に転がって本など開いているカグワに気付いて、ロマーナが声を荒げた。カグワは本からちらと目線をあげると、ロマーナを見やる。

「そんなことより、この本なあに?」

「そんなことですってっ?」

「だってロマーナ、私この本知らないわ。今朝はなかったもの。私の知らない間に誰か知らない人がこの部屋に入って本を置いて行ったんだとしたら、それって一大事よ?」

「……本当にそれだけの警戒心があるのなら、気軽に手に取ってみるものじゃありません。それは、私が置いたんです。神官から渡されて——巫力の高等術について記された本のようですわ」

「へえ……」

 巫力の高等術、と頭の中で繰り返して、カグワはぱらぱらと本のページをめくった。

 巫女に選ばれる大前提として「巫力」と呼ばれる『力』を持った少女であることが条件としてあげられる。すなわち当代の巫女に選ばれたカグワも必然的に「巫力」の持ち主であるのだが、しかし、だからといって「巫力」を用いたいかなる技術も使いこなせるというわけではなかった。技を扱うためにはそれなりの修行が必要で、その修行のやり方を知る必要がある。そのために巫女となる前に巫女予備軍として数年巫力の修行をすることが慣習となっているわけであるが、巫女となった今でも、カグワの扱えない巫力の技は多い。故に、巫女の仕事の一つとして巫力の修行が今でも義務づけられているのである。

 神官がくれたというこの本には、まだカグワがそのやり方すら知らない巫力の高等術の方法論が記されているようだった。いろいろな技があるんだなぁと思いながらカグワは本を流し読みする。

「巫女君はちっとも修行にもお越しにならないから、せめてその本を枕元に置いて寝る前には音読してさしあげろ、と神官に言われましたわ」

「睡眠学習ってやつね。本当に身に付くのかしらねー」

「神官どもの厭味ですわ! 私に向かって、『子守りは大変だろう』などと!」

「まあ実際、この神殿の中で一番苦労してるのはロマーナかもしれないわね」

「そう思うのでしたら少しはお労り下さいまし! 挙げ句、今は世話役となったダイアンやアネットに、『当代の巫女は今の戦乱の世を抜けるための捨て駒の意味で巫女に起用されたに違いない』などと言われましたわ!」

「あー、私もさっきアネットに会ったわ。『巫女は代替わりするけど神は代替わりしないから、巫女に尽くさず神に尽くすべき』って言ってたわよ。正論よねぇ」

「カグワの君! 悔しくないのですかっ!」

 ロマーナはぱんっと、自分の太ももを叩いて金切り声をあげた。カグワは本から目をあげて、寝台の前に仁王立ちになっている彼女を見上げる。彼女の癖のある赤毛から、怒りの湯気がもうもうと立ち上がっているように見えた。

 ロマーナはこれでもかというほどに目を吊り上げてはいるが、だからといってカグワに対して本気で怒っているわけではない。もちろん、巫女らしからぬその素行を奨励してはいないだろうが、カグワを嫌って言っているわけではなかった。——彼女は、悔しいのだ。

 カグワの幼い頃から、ずっと世話役の女官長として傍に付き添ってくれたのは、ロマーナだった。母のように叱り、姉のようにともに遊び、辛い時も楽しい時も、常に傍にいてくれた。カグワにとっては育て親だ。また、ロマーナにとってカグワは娘であり妹だ。カグワが巫女に就任し、最も喜んでくれたのは他でもないロマーナであった。故に、巫女となったカグワが神殿の中で軽んじられていることが我慢ならないのだろう。そしてそれは、ロマーナの後ろで同じように苦い顔をして唇を噛み締めているユタヤにも言えることである。

「……私は、悔しくはないわ」

 カグワはぱたんと本を閉じて寝台の上に置くと、ゆっくりと起きあがった。そして目を吊り上げているロマーナと、その後ろで唇を噛み締めるユタヤを交互に見やる。二人はどんな時でもカグワに味方をしてくれる、最も信頼のおける家臣であった。

 二人を自分の家来だなどと思ったことはないけれども、血のつながりのない彼らに「家族」という言葉は使えないので仕方なく、「家臣」と呼ぶ。とにもかくにも、最も近しい存在だった。

「私は悔しくなんてない……。私は、まだ巫力の修行をしていた頃から、巫女予備軍の中でも最も巫女から遠い存在だったわ。私が巫女に選ばれた時、一番驚いたのは、私自身よ。私なんかを巫女に選ぶなんて神は正気かしら、と思った。今でも、もしも慣例通りに巫女らしい巫女を演じることが正しい巫女としてのあり方なら、私なんて巫女になるべきじゃなかったと思う。アネットや神官たちの言う通りよ」

「……カグワの君!」

 そんなことを言うものではない、と諌めるようにロマーナが首を振る。だが、カグワは本気でそう思っていた。

 カグワが、他の九人の巫女予備軍の少女たちとともに、巫女選定の儀に出たのは今から一年ほど前のことだ。カグワはその神聖なる場所で、「神の意思」と呼ばれる不思議な『力』によって、巫女に選定された。誰がカグワは巫女に向いていないと言ったところで、その決定は覆らない。カグワ自身がどんなに嫌だともがいたところで、巫女を辞めることはできないのだ。これは西国エウリアを支配する「神の意思」なのである。

「正直、私には『神の意思』なんてものが本当に存在するのかどうかさえわからないわ。今日、ワイズに……レヴィン国務参謀に会ってきたのだけど、彼は神を信じていない。だから恐れもなく修道院を敵に回せるのよ。だけど彼が間違っているとは私には思えない。だって、私は神に会ったことなんてないもの。どうやって神が存在すると、信じればいいの?」

「カグワ様、滅多なことを言うものではございません!」

「わかってるわよ、巫女は神の使いだものね。……でも、全て本心よ。私には、正直言えば信仰心なんてないの。神を信じる気もなければ、神を崇める気もないわ。こんな私が巫女ですって? 神の使いですって? ちゃんちゃらおかしいと思っているのは、他でもない私自身なんだから」

 ロマーナは閉口した。呆れたわけではない。怒ったわけでもない。付き合いの長い彼女には、カグワの言わんとしていることが、嫌というほどわかってしまうのだ。

 かつて、まだカグワが巫女ではなかった頃のことである。ロマーナは「まかり間違ってカグワの君が巫女にでもなったら国が傾くんじゃないかしら」とふざけ半分に言ったことがあった。カグワは「そうかもね」と言って笑った。ロマーナは、カグワが格式張った「巫女」になど向いていないことを、重々理解しているのである。

「だから、神官やかつて私と同じ巫女の予備軍だったアネットたちに何と言われたって、私は悔しくなんてない。その通りだと思うから。——それにね、本当に悔しいのは、彼女たちなのよ」

 カグワは目を瞑って回想した。いつでも思い出せる、巫力の修行をした楽園のこと。たった半年前のことであるが、とても昔のように思えた。

 その楽園のような場所で、カグワは他の予備軍の少女たちとともに十数年をかけて巫力の修行をしていた。カグワは巫女になることにそれほどのこだわりはなく、自分の仗身であるユタヤと楽園の中を駆け回ることだけが毎日の楽しみであった。だが、他の少女たちは違う。誰も彼もがいずれ自分こそが巫女になるのだと胸に希望を抱き、そして巫女予備軍としての矜持を持って、生きてきた。彼女たちには、自分が巫女に選ばれない未来など、想像もできなかったに違いない。

「私なんかが巫女に選ばれて……きっと彼女たちは悔しくて悔しくて、この半年夜も眠れずにいるに違いないわ。——だから、私が立派に巫女をやり遂げるよりも、彼女たちにとってはこの方がいいはずよ。やっぱりあんな子に巫女をやらせるから、って堂々と不平を言えるもの」

「……ですが、それでは、私やユタヤの気持ちに収まりがつきませんわ! 私たちにとってはカグワ様こそが巫女で、無二の主なのに……!」

 俯いて吐き出したロマーナを見上げて、カグワは笑んだ。こんな自分に尽くしてくれる、彼女たちには感謝してもしきれない。彼女たちのおかげで今の自分があるのだ。

 ゆっくりと寝台から下りて立ち上がったカグワは、自分より少しだけ背の高いロマーナを真正面から抱きしめて「ありがとう」と呟いた。

「——なんだかんだ言っても私は『巫女』だから、面と向かって言われる皮肉なんて高が知れている。きっと神官たちのこぼす不平不満だって、私の耳に入るものなんて大したことないんでしょうね。ロマーナたちはいつも、私が聞くのとは比べ物にならないようなえげつない悪口を聞いているんでしょう」

 ロマーナは何も言わなかった。肯定も否定もしない。しかしそれがどちらの意味であるかなんて、考えるまでもないことだ。

「私の所為でいつも気苦労をかけること、それは本当に申し訳ないと思っているわ。ロマーナにも、ユタヤにも、ね」

 言いながらカグワはロマーナから離れ、今度は何も言わないユタヤの前に立った。獣人ゆえに標準より背の高い青年を見上げ、カグワは微笑む。

「だけどね、もしも本当に『神の意思』なんてものが存在するのであれば……私なんかが巫女になったのには、きっと意味があるんだと思うの。私は何かを託されているのかもしれない。それは、私にしかできないこと。だとしたら巫女らしい巫女である必要なんてない。他の誰にもできない、私らしい巫女を演じるべきじゃないかしら」

 カグワはユタヤの大きな手のひらを取って、撫でた。いつもこの手が自分を護ってくれるのだと知っている。撫でられたユタヤの方は居心地悪そうにしているが、逃げようとはしなかった。

「これからもきっと二人にはたくさん迷惑をかけると思う。だけど、私は私らしくなくちゃ。ねっ?」

 そのどこか複雑そうな表情を見つめて笑うと、カグワは青年の手を離した。名残惜しそうな、それでいて戸惑うように青年の手が離れる。

 カグワは寝台の上に戻ると、転がった巫力の高等術の本を膝の上に再び広げた。義務的に行われる巫力の修行は好きではないが、この本には興味がある。本を読み始めた彼女を見つめて、ロマーナとユタヤは互いに顔を見合わせたようだった。

 まだ巫女に選定される前、巫女修行をしていた時代から「変わり者」と呼ばれ続けたカグワは、巫女となった今でも「風変わりな巫女」と言われ続けている。彼女の思惑を理解してくれる人は少ない。それでも、確かに自分を受け入れてくれる人がいるのだという安心感は、ずっとカグワを支え続けている。そして、これからも。

 「とにかく」と言ってその場を仕切り直したロマーナは、本に没頭しはじめたカグワの頭に向かって言った。

「これからは、神殿の外に出る際は、私かユタヤにきちんと一声かけてくださいまし。私たちが本当に恐れているのは、神官たちの厭味なんかよりも、カグワ様の身に何かが起きることですわ。『神の意思』が貴女に何かを託しているのなら、尚更、御身を大切になさってください」

 お願いしますね、と言って、ロマーナは一礼すると、カグワの休憩室を去って行った。巫女の世話役の数は多いが、カグワにとって信頼のおける世話役の数は少ない。故に、その数少ない世話役の一人であるロマーナには仕事が多いのだ。主に苦言を呈すのもその仕事の一つであるが、そればかりに構ってもいられない。

 残されたユタヤはカグワがすっかり本に没頭してしまったことを確認すると、部屋の端にこっそりと腰を下ろした。それは仗身である彼に用意された特等席である。この隔離された神殿の中で危険の起こることなどそうそうないが、それでも何か起きる前にと、彼はカグワの傍に控えている。

 音もない、この空間が、カグワはとても好きだった。様々な人とすれ違い、刺激のある外界を歩くことも堪らなく好きではあるが、何もない、この安息の場所で、近くにユタヤの気配を感じながらぼんやりと時間を過ごすのも心地良い。——しかし少女は、その傍に控える仗身が何を想っているのかについては、未だ気付かないままだ。

 ぱらりとカグワの本のめくる音だけが静寂の中に響いた。本に記された様々な高等術の詳細を読みながら、カグワは目を細める。

 ふと、とあるページの文字が、目に留まった。

 ——「死想」の技。

 そう題された高等術の名前が、不意に、気になった。

 ——死想の技とは、死んだ人間の心をのみ蘇らせる技である。幾多の条件があるが、この技を使えば死んだ人間と会話をすることが可能となる。

(「死想」の技……)

 初めて聞く名前であった。

 声を使わず直接人の心に語りかける「感応」の技、近付いて来た人間の姿を見ずともその正体を当てる「気感」の技、未来を予知する「先見」の技、巫力には様々な技があるが、その中でも特に巫力を要すると言われる高等術には、巫女でさえ聞いたことのないものが多々ある。この死想の技とやらも、その一つだ。中には、命の危険を伴うため、巫女には禁じられた高等術まで存在した。——例えば、死者を蘇らせる「蘇生」の技など。蘇生の技は、死者を蘇らせる代わりに術を使った者が命を落とす危険があるという。故に、巫女には禁じられ、カグワはその方法を知らない。

 カグワは「死想」の技と名付けられたその技に興味を持って、そのページをじっくりと眺めた

 死者の心と会話をすることができるという「死想」の技に関しては、特に術者に命の危険が及ぶようなことは書いていなかった。故に神官が本をここに置いて行ったのであろう。高等術ではあるが、巫女に禁じられたものではない。

「へえ……」

 思わず小さく感嘆の声を漏らすと、部屋の端に座って刀を研いでいたユタヤがふと顔をあげた。「なにか?」と言わんばかりにこちらを見てくるので、「なんでもない」と首を横に振る。彼らの間に言葉は必要ない。その程度に深い絆で、彼らは結ばれている。

 だが、まだ一度も言語化されたことのない仗身の想いは、いくら巫女と言えど、読み取ることが困難であった。青年がちらりと見上げるその熱い視線の意味に、少女は気付けていない。

 これだけ傍にいながら、青年の心を知らないカグワは黙って本のページをめくり続けた。刻々と時間だけが過ぎて行く。それは、外界から遮断された神殿と言う、奇妙な世界の中での出来事だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ