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西国の神  作者: あすかK
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終、神のみぞ

 ——北国ラウグリアが、国境を破らんとして軍の数を倍増させた。西国軍は苦戦を強いられている。至急、応援を求む。

 西国エウリア君主国、首都ケトロにそびえたつ国城の三殿、政治を司る政殿の中に、その文書が届いたのは冬の兆しの見え始めた肌寒い季節のことだった。

 隣国北国ラウグリアは軍事国家と呼ばれ、今や東西南北四カ国の中でも最も軍事に力を入れ、好戦的な国である。その北国ラウグリアが西国エウリアに戦をしかけてきてまもなく一年が経つ。大国と言われた西国エウリアは北国ラウグリアの猛攻に抗戦し、国境で踏みとどまってきたが、ついに現在の兵の数では持ち堪えられなくなったようだ。西国エウリアの国家は、国境に配備する兵卒の数を増やすことを今朝の評議会にて決定した。


 評議を終えて役人たちはそれぞれの持ち場へと帰って行く。午前中の全評議会が終わると、昼の休憩を挟んで午後からはそれぞれの部署に分かれての仕事となる。

 国家戦略を立てることがその主な仕事である国務参謀ワイズ・レヴィンもまた、評議を終えるなり自分の仕事場である書斎を目指して政殿の中を進んだ。

 本来国務参謀の職務はさまざまな分野における国家戦略を立てるためにそれぞれの部署と相談することであるが、西国エウリアの舵を握っているとも言われる彼は、今や国政の舞台において過大なほどの実権を握っていた。——が、そんな彼にも、頭の上がらない人物はいる。

 政殿の端、石塔の上に位置するその場所に、彼の書斎はあった。国務参謀の書斎は主である彼のいない限り施錠されていて、誰も中に入ることはできない。はずであった。——だが、この日、ワイズが自分の書斎に戻ると、何故か施錠したはずの鍵が開いていた。何事か、と驚いて彼が書斎の戸を開くと、その狭い部屋の中、書卓の前の椅子に座ってふわりと欠伸を浮かべていたのは、一人の少女である。

「……巫女君」

 綺麗な黒髪の、幼い顔立ちをした少女であった。年齢は十六と、ワイズよりも一回りも二回りも若い。しかし、ワイズはこの少女に、頭が上がらなかった。彼女は下女の服を纏ってはいるが、巫女という、この国では国王にも匹敵する貴い身分の少女だ。しかも、ワイズはこの少女に救われている——。

「あ、おかえりなさい。今、評議会が終わったところ?」

「そうですが……一体どうやってこの部屋に入ったのです?」

「さて、どうやってでしょうか」

 にやとふざけたように笑って巫女カグワは書卓の上に肘をつく。可愛らしい顔が意地悪くゆがんでいるが、ワイズは表情一つ変えずに書卓の横に位置している窓を見やった。そういえば、部屋の扉の鍵は施錠した記憶があるが、窓の方は施錠した記憶がない。かつて、このお転婆巫女は雨樋を伝ってこの部屋の窓まで登ってきたという前科があるから、その窓から入って来たということで間違いないだろう。

「……締め出すつもりなどありませんから、私が戻ってくるまで書斎の外でお待ち下さい。雨樋など伝って、万が一足を滑らせて落下でもされたら私の責任になりそうで、困ります」

「じゃあなるべく落下しないように気をつけるわね」

 小言は打っても響かない。ワイズは諦めてはあ、と溜め息を吐くと、後ろ手に書斎の扉を閉めて、閉まった扉によりかかった。腕を組んで椅子に座る巫女を見やる。この部屋には書卓の椅子が一つしかないため、彼女が座っている以上、ワイズは立つしかない。

「——で、今日は何用か」

 国の最高権威である巫女に対して、傍目からは随分不遜な態度を取っているように見えるかもしれないが、これはワイズなりの敬意の表れであった。彼はよほど信頼している相手にしか、このようなざっくばらんな態度は取らない。

 そんなワイズの内情を理解しているのだろう、カグワはにこりと微笑むと書卓に頬杖をついたまま、答えた。

「用っていうか……最近ワイズの顔を見ていなかったから。最近の調子はどうかしら、と思って」

「……。……最近の調子は……すこぶる、良好ですよ。おかげさまで。——まるで憑き物が落ちたような気分です」

 ワイズはぼそりと呟くようにして、答えた。

 それは数日前のこと、丁度ケトロの修道院で市民の大暴動が起きた日のことだ。ワイズはこの書斎で転寝をしていて、不思議な体験をした。夢の中で妹と出会い、「もう苦しまないで」と言われた。そして目覚めても尚、妹の姿は消えず、そこで初めて自分が妹の幻影に苦しんでいたことを知った。そして、妹のためにも自分のためにも、前に進まなくてはならないのだと、そう気付いたのだ。

 後々聞いた話によると、あの時見えた妹の姿は、幻でもなんでもなかったらしい。巫力の技の一つに、一度死んだ人間の心と生きた人間を対面させる術があるという。どうやら影に隠れてこの巫女がその術でもってワイズと妹を引き合わせたらしく、「それはそれは高尚な技だ」とエリック・コーエンが言った。巫女と同じく巫力と呼ばれる『力』の持ち主であるコーエンが言うのだから、間違いないだろう。

 あの時巫女があのようにして妹に会わせてくれなかったら、自分は今も妹の幻影を引きずったまま、晴れぬ心地で苦しんでいたかもしれない。

 故に、ワイズにとってはこの若い少女が恩人であった。故に、彼はこの少女に頭が上がらない。

 「それはよかった」と微笑んだ少女は、神の使いと言われる巫女である。神の存在に否定的なワイズであるが、最近では、彼女のいる限り、神の存在を少し肯定的に捉えてみようかと思えるようになった。恐らく、この国にはワイズの他にも、この巫女に救われた人間がたくさんいるはずだ。

「……そうおっしゃる巫女君はいかがですか? 最近、神殿でのご調子は?」

 巫女とは、国城が三殿の一つ、神事を司る神殿の長である。だが、儀礼を無視し、たびたび神殿の外へと飛び出して、破天荒な行いばかりを繰り返す彼女は神殿の中にさえ馴染めてはいなかった。しかし、それも、今は昔の話である。

「そうね……最近は、悪くないわ。私、ゆたやと一緒に首都ケトロに下って、修道院での民衆の大暴動を鎮圧したでしょう? あの一件以来、今まで私に皮肉ばかり飛ばして来ていた神官たちが何も言わなくなったの。今では、私の言葉になら何でも従うようになったわ」

 心の中では何を思ってるかわからないけどね、とカグワは言って笑ったが、本来巫女とはそういうものだ。神殿の中に使える神官たちに、巫女の言葉に逆らう権限など元よりないはずなのである。巫女が神殿に馴染めないなど、本来なら起こりうるはずのない出来事であった。

 しかし、そんなところも彼女らしいなとワイズは笑う。

 巫女でありながら、神殿に使える神官にさえ信頼されず。しかし、その不信感を自らの手で払拭する。それでこその巫女だ。地位だけに縛られた、形式だけの巫女ならば、ワイズとて信頼しない。

「……私も噂は聞いておりますよ。なんでも、すっかりエウリア国の全土に、巫女信仰が広まっているとか」

「巫女信仰? 神信仰ではなくて?」

「ケトロ修道院における鎮圧の一件、あれが今では神話のように飾り立てられて、田舎の果てまで語り継がれているそうです。修道院制度が廃止されて空っぽになった礼拝堂の中に、今は神像ではなく巫女の衣装を纏った少女と、少女の引き連れる獣人の姿を描いた絵が飾られているなど、と」

「えええっ」

 どうやらその話は聞いたことがなかったらしい。カグワは目を丸くして大きく口を開いた。年頃の娘がするにはあまりにも色気のない仕草であるが、違和感はない。

 エウリアの全土に巫女信仰が広まっている、というのは嘘ではない。ワイズの右腕的存在と呼べる、エリック・コーエン軍曹が拾って来た確かな情報であった。

 理性はなく人を襲うとして恐れられる獣人を従え、突如群衆の中に飛び込んで来た巫女の姿は、民衆の心に圧倒的な存在感を残したことであろう。中には、差別の対象であった獣人さえも神聖で恐れ多いものなのではないかと信仰する流れもあるという。獣人が人間を襲うのは、天罰なのではないか、と。獣人は神聖なる巫女の従者であるからには、神の従者と同義ではないか、と。

「結果として修道院制度は廃棄され、修道士たちは皆失業したわけではありますが、民の神に対する信仰心はより深まったと言っていいでしょう。そのきっかけを与えたのが他ならぬ巫女君なのですから、それは神殿に使える神官たちも、貴女には頭が上がらないというものです」

「そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……まあ、いいわ。最近ではこうやって神殿を抜け出しても、あまりうるさく言われることもなくなったし」

「それはよろしいが、あまり無頓着に国城を遊歩なさいますな。最近では巫女君の顔を知る者も多くなり、貴女が通るたびにその場に人々が平伏するので邪魔でしかたない」

「そっかぁ、それは問題ね。今度から巫女だってばれないように、男装でもして出て来ようかしら」

「貴女がそれで良いのなら構いませんけれども……私の書斎に窓から侵入してくるようなことはおやめ頂きたい」

 ワイズの苦言にカグワは舌をぺろりと出して笑っただけだった。恐らく、また窓から侵入するつもりなのだろう。

 ワイズは巫女の威厳も神聖さも欠片も見せない少女に首を竦め、ひとまず彼女が頬杖をつく書卓の上に並べられた書類を手に取った。カグワは退くつもりはないようであるが、ワイズにはやるべきことがある。わざわざ彼女を退けるのも面倒だったので、カグワは書卓の前に座らせたまま、書類の整理を進めることにした。

 カグワは書卓の上にぐいと身を乗り出して、ワイズの整理する書類の山を眺めている。

「……まだまだワイズの仕事って、そんなにあるのね。一つ解決したらまた一つ、って、いつになったら全部片付くのよ」

「まつりごとが全て片付くことなどございません。あるとしたら、それは国が滅亡する時です」

「そうなの? だったら貴方は一生働き続けなくてはならないのね」

「さて、それはどうでしょう。時代は常に変化し続けている。この国が私を必要とする限りは働き続ける所存でございますが、いずれ私が排除される時がくるかもしれない。私が、かつて絶大な権力を握っていた修道院を排除したように——」

 ワイズは、ついには宗教国家と呼ばれた西国の柱であった修道院制度を撤廃した。巫女の力によってこの国における神信仰は途絶えることはないが、大きく時代が変化したことは否めない。ワイズの名前は、修道院を撤廃した男として後世まで語り継がれることだろう。

 そしてまた、この変動の時代に巫女を努めたカグワはどうだろう。歴史にその名を残すのだろうか。

「……そうね。時代は常に変わり続けている。でも、貴方がここに存在したということ、そして私と出会ったという事実は絶対に変わらない。たとえ貴方が国務参謀という地位から離れても、私が巫女でなくなったとしても」

 少女は言って、にこと笑った。その含みのある言い方に、ワイズは眉をひそめた。書類をまとめる手が止まる。

「……何が言いたいのです?」

「さあ? 時代の変化なんて、実は大したことじゃないってことかしらね」

 くすくすと笑う少女の考えていることはよくわからない。たった十六の小娘に翻弄されている自分に最初は戸惑ったものであるが、最近ではそれにも慣れた。この娘の考えていることはよくわからない。

「で? ようやく修道院制度を撤廃した貴方が、次に抱えている問題はなに?」

 少女は自分の言葉の真意を説明せずに、ワイズの書類の中を覗き込んだ。本来、あまり部外者に見せても良いようなものではないのだが、巫女を部外者扱いするのも無粋である。ワイズは淡々と答えた。

「確かに修道院制度は撤廃されたものの、問題はほとんど解決されていないと言えます。結局、内大臣一派が修道院と癒着していたという事実は闇に葬られ、内大臣を罷免することはできませんでした。それでも奴らの財源を絶てたのだと思えば、大きく前進したとは言えますが……廃業した修道士たちへの支援、それから使われなくなった修道院の今後の処理など問題は山積みです。それになにより——隣国北国ラウグリアとの戦は幕を開けたばかりだ」

 ワイズは、今にも国境を破らんとして兵力を増してくる隣国のことを思った。隣国との戦が勢いを増す前に、国内の厄介事を始末してしまおうとして修道院制度の撤廃を急いだが、これからこの国が動乱に巻き込まれるであろうことは変わらない。

 それまで微笑んでいたカグワの顔からもようやく笑みが消え、彼女は「そう」と小さく呟いた。——この少女は、巫女という身分故に隣国に攫われたことがある。今では、結果としてそれが隣国ラウグリアと西国エウリアとの戦の発端になったと言われており、彼女にもこの戦には思うところが多いに違いない。

「時代は変動するのに……戦を止めることはできないのね。私は巫女と呼ばれて神の使いだなんて言われるけれど……神のご加護を民に施せないばかりか、戦の発端となってそれを止めることもできない。あれだけ私を嫌っていた神官たちが私に従うようになったって、腐っていた修道院制度が撤廃されたって、いくら私が巫女と呼ばれて民に崇められたって、平和をもたらすことはできない」

 己の無力を語るかのような彼女のその言葉は、ワイズの胸に強く共鳴する。彼もかつては、己の無力を何度も嘆いていた。その無力を克服するために学習に学習を重ねて政殿に入り、ようやく国務参謀の地位についたわけであるが、果たして今の自分に力があるかと問われれば、肯定はしがたい。なにしろ国の最高権威である巫女でさえ、このように無力を嘆くのだ。人間は結局無力だと言わざるを得ない。そしてもしも望むような「力」を手に入れられたとしたら——それは神にも匹敵する。

「……巫女君、神とは、何なのでしょう」

 ワイズは知らず知らずのうちにぼそりと呟いていた。

 神など存在しないと何度も無神論を語った口で、神の使いと呼ばれる巫女に問う。カグワが巫女である限り、ワイズは無神論を封じることを考えていた。だがしかし、それでも神とは何なのか、その問いの答えは見つからない。

「さあ……私にもわからない。わからないけど——きっと人間が思うほど万能じゃない。そして、縋ったとしても救ってはくれない」

 そう答えたカグワはしかし、毅然としていた。胸を張って臆することなく、神を語る。それが巫女の役目だ。

「神は戦を黙認するわ。飢え死にする人に食べ物を与えてくれることも、災害を止めてくれることもない。あるいは神にとっては、人が死ぬことも殺し合うことも、どうだっていいことなのかもしれない。神は人間を守ろうだなんて、これっぽちも思っていないのよ。——だけど、私には、守りたいものがある」

 言って、彼女はようやくその顔に微笑みを取り戻した。そしてワイズを見上げ、誘うように小首を傾げる。

「貴方も、そうでしょう?」

 ワイズは頷いた。そのために手に入れた地位だ。そのために死にものぐるいで詰め込んだ知識だ。神は人を救ってくれない。それを嘆いたり憤怒することは安易ではあるが、何の解決にもならない愚行だ。ならば、神にさえ守れない大事な物を、大事な人を、大事なこの場所を、この国を、自らの手で守ろうと思った。その想いは今も昔も、変わらない。

「神は人を救ってはくれない。だけど、人に命を与え、人に出会いを与えてくれた。私はここに存在して、貴方もここに存在して、私たちが出会ってこの国がある。だとしたら——これを守る義務は、私たちにこそ課せられているのではなくて?」

「……その通りですな」

 思わず、ワイズもつられたように、微笑んだ。この微笑みはなんだろう、と自分を客観視して思う。なぜだかとても満たされた心地であった。今まで自分の心の奥を固めていた氷晶が溶かされていくような、そんな心地だ。

 冷徹と言われた国務参謀は、この国に生まれついた故にこの国を守ろうとしていた。この国の不浄を嘆き、世の中の非情に絶望し、そして自らの手で世界を変えていくことを、世界を守ることを決断した。その決断こそが、神に与えられた力だ。


 この世界には、東西南北に分かれた四つの国がある。

 西に位置するのはエウリア君主国、広い国土と恵まれた自然、そして人智と信仰心に溢れる豊かな国だ。

 世界には数多の人間がいて、人間の数だけ心があり、動機があり、物語がある。国務参謀ワイズ・レヴィンの描く物語はこれから佳境に差し込むところだ。

 彼の守るエウリアの国へ、戦火が及ぼうとしていた。

 そしてその行く末は、神のみぞ知る——。


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