22、安楽
——帰る場所があるというのは、とても幸せなことだ。
セレストに別れを告げ、参謀の書斎の前を離れたカグワは、政殿の中を抜けて国城の庭へと踏み出した。夜闇の中、足下を照らすのは建物から漏れる光と、ぽつりぽつりと不規則に置かれた松明のみである。
今日一日、国城を出て街に下り修道院で『力』を使って、再びこの国城へと戻ったという一連の流れの中で、ずっと纏っていた巫女装束は、すっかりくたびれていた。純白であったはずの色も薄汚れて、こんな姿で神殿に戻ろうものなら神官たちに何と言われるかわからない。
さすがに今日は疲れたな、とカグワは欠伸を漏らす。これから神官に捕まって説教をされるのは御免であった。神殿の入り口から入れば、自室に戻るまでの間に必ず誰かしらに見つかってしまう。そう考え、カグワは窓から自室に戻ることを決め、巨大な神殿の建物の外をぐるりと回った。
巫女であるカグワにとって、「帰る場所」と呼べるのは、この神殿の他にはなかった。此処か巫女の住処であり、神殿はそのために建てられたものと言って過言ではない。しかし、「帰る場所」というのは、必ずしもそのような物理的な空間を差すわけではなかった。例えば、ワイズの妹が兄であるワイズのところへ帰ったように、例えばセレストがワイズの帰る場所を用意して待つように、自分のことを大切に思う誰かが待っていてくれているというその事実が重要だ。——カグワの帰る場所は、この神殿の中にある。
神殿の外をぐるりと回って、裏の方にある開け放された窓からこっそりと中へ侵入したカグワは、そこに誰もいないことを確認して足早に自分の部屋へと向かった。
この窓を開け放しているのはカグワ自身だ。神の司る神殿にそうそう侵入者が現れては困るため、当然神殿にも警備は敷かれているし、窓や扉も全て閉め切られているのであるが、この窓だけはカグワが自分の出入りのために開け放していた。ぴたりと閉めておけば一見施錠されているかに見えるため、神官や世話役の女たちも恐らく気付かないのだ。これは、カグワだけの秘密であった。
(……とは言っても、ゆたやは気付いていそうだけど)
カグワは誰にも会うことのないようこそこそと留意しながら、ふと自分の仗身の顔を思い浮かべる。
街へ下りるとカグワが言った時に一緒に付いて来てくれた彼は、国城に戻るなり先に神殿に帰ったはずなので、今はこの神殿のどこかにいるはずだ。ワイズのところへ行く前に、「私は最後にちょっとだけやることがあるから」と言って無理矢理帰らせると、彼はもの言いたげな表情をしながらも、渋々従った。
さて、今彼はこの広い神殿の中のどこにいるだろうか、とカグワは思う。仗身のために用意された小さな部屋があるから、そこに戻っているだろうか。今日は一日動いて体は疲弊してしまっているが、寝る前に一目彼に会って話がしたい、と思いながら角を曲がった先が、巫女の部屋であった。
白一色で彩られた廊下、煌煌と廊下を照らす松明、そして、その神聖なる巫女の部屋の前をうろつく上背の男の姿が一つ。
(……なんだ、探す手間が省けた)
カグワは広い白の廊下の上をそわそわと行ったり来たりするその男の姿を見やって、思う。そもそも、巫女の私的な空間であるこの区域までの出入りを許可した人物はさほどいない。落ち着かない様子で右往左往しているその男と、世話役のロマーナくらいなものだ。
「……ゆたや」
カグワはその男の名を呼んだ。
男ははっとしたようにこちらを振り返り、「かぐわの君」と小さな声で呟く。
彼は一瞬見慣れたはずのカグワの顔を見やったが、すぐに戸惑うように視線を泳がせた。どうにもこうにも、挙動不審である。
ここ最近、彼、ユタヤはずっとこうであった。カグワをまるで避けるような素振りをし、挙動不審になる。一体何があったのだろう、とカグワも妙に思っていたが、その謎もつい先日解けたばかりである。
——どうしたらいいのかわからないんだ、この感情を……押しとどめる術が俺にはわからない。
それは先日、たまたまロマーナとユタヤが話しているところを立ち聞きしてしまった際に、耳にした台詞だ。
この男は、カグワにあらぬ感情を抱いていると言った。そしてそんな自分が許せないのだと言わんばかりに自己嫌悪に陥っている。カグワを見るなり挙動不審になり、カグワを避けるように行動するのは、その自己嫌悪のためであると、今ではカグワも知っていた。
しかし、そんな些細なことで避けられていては、カグワも堪ったものではない。
カグワは目線を逸らした彼の前に一歩踏み出すと、その顔を覗き込んでにこりと笑った。
「ただいま」
俯いた彼と、目が合う。青年はその黒い瞳を大きく開かせて、カグワの目を見つめるなり若干頬を赤く染めて、「おかえりなさいませ」と呟いた。今までとは異なる、また新鮮な反応だ。
「どうしたのよ、こんなところでうろうろして」
至極当然な問いかけをすると、青年はぼそぼそとぼやいた。
「かぐわの君のお帰りを……お待ちしておりまして」
「それなら先に部屋に入って待っていてくれればよかったのに」
「それは、ちょっと……」
「せっかく貴方とロマーナには入室の許可を与えてるんだから」
今更遠慮なんかしなくていいのに、と肩を竦めて笑うと、ユタヤはますます困惑したような顔をした。彼は、許可を得ているとは言え、主のいないときにその部屋に無断で入ることは気が引けると思っているのだろう。
とにもかくにも廊下に突っ立って立ち話をしていても仕方がないのでとりあえず部屋に入ろうとカグワは扉の取っ手に手を伸ばす。と、それに被せるようにして、背後に立つユタヤが呟いた。
「かぐわ様……先ほどのご無礼、お許し下さい」
「……え?」
突如彼の口から繰り出された謝罪の言葉にその意味がわからず、カグワはちらりと後ろを振り向く。背後に立つ男は、言い難そうにもごもごと口籠らせながらも、言葉を選んで、言った。
「あの……ケトロの修道院で……あのようなことを」
「……」
そこまで言われて、ようやく彼が何を後ろめたく思っているのか、ようやく理解した。
今日の昼間のことである。市民の大暴動をなんとか鎮めたケトロの修道院の中、礼拝堂の祭壇の裏側で、彼らは人目を盗んでこっそりと、口付けを交わした。
もう十年以上も傍に寄り添う二人だが、あんなことをしたのは初めてだった。なんでもできる間柄だとは思っていたけれども、さすがにああいうことをするのは気恥ずかしいものがある。——とは、カグワも思っていたが、まさかユタヤがこんなにそのことを気に病んでいるとは思わなかった。彼は恐らくそれを謝罪したくて、カグワの部屋の前を右往左往していたのだ。
「別に……謝るようなことじゃないわ。そもそも、私の方からしたんだし……」
言葉にすると、途端にカグワの中にも羞恥心がこみ上げて来た。その羞恥が伝染するかのように、ユタヤはますます頬を紅潮させて気まずそうに目線を泳がせている。カグワはそんな彼を見て、思わずふっと笑ってしまってから、再び部屋の扉に手を伸ばした。
「とにかく、中に入ろう? こんな所で立ち話をするのもあれだから」
取手を捻ってがちゃりと扉を開けると彼の方を伺う。青年は表情の乏しい顔を照れたように赤く染めながらも、頷いて彼女の後ろに従った。
ずっと見慣れていたはずの彼の顔がまるで別人のように見えると、思った。
——どうしたらいいのかわからないんだ、この感情を……押しとどめる術が俺にはわからない。
その言葉を誤って立ち聞きしてしまってから、カグワはカグワでとんでもなく悩んでいた。悩みに悩んで頭を痛めていたのはユタヤの方かもしれないが、そんなことを彼が思っているなどとは露程も知らなかったカグワとて、その事実を知ってしまった以上は悩まずにはおれない。
カグワにとって、ユタヤは家族も同然の存在だった。幼い頃からずっと一緒で、カグワのことなら何でも知っている。カグワも、ユタヤのことなら何でも知っていると思っていた。なのに、どうだろう。自分は彼の想いになど、少しも気付かなかったではないか——。
ユタヤは、昔から、カグワにとても献身的であった。それはかつて、死にかけていた獣人の彼を、カグワが救ってあげたことがあったから、その感謝の気持ちのためであろう。カグワはそう思っていた。
ユタヤは、ずっと、カグワにとても献身的であった。それは、カグワが主であり、ユタヤが従者であり、その主従関係ゆえであろう。カグワはそう思っていた。
ユタヤは、自らの命を捨てることができるほど、カグワに献身的であった。それは、彼が、巫女を護るために生きると定められた、仗身であるためであろう。カグワはそう思っていた。
カグワは、夢にも思わなかったのだ。ユタヤが献身的である理由が、その胸の奥に抱えた思慕の情のためだったなんて。
カグワは悩み、悩みに悩み、悩み抜いて、最終的には、悩むことをやめた。考えても致し方のないことだと達観したのである。彼はカグワのことを想っているのだと言った。それはやましい感情であると、彼はその想いを後悔していると、そう言った。カグワはその感情にどう答えていいのかがわからなかった。だが、彼が何を想っていたところで、ユタヤはユタヤではないか。何も身構える必要はない。自分は自分らしく、自分のやりたいように、彼と接すればいいのだ。——そういう結論に達したカグワは深く考えることをやめ、あの修道院の中、礼拝堂の祭殿の裏側で、本能の赴くままに、彼に口付けをしたのだ。
口付けをされた方のユタヤは、面食らっていた。どうしようもないほど、動揺していた。それでも、彼女の口付けを厭うことはなかった。彼女を受け入れて、今度は幾度も自分から口付けを繰り返した。だから、カグワは、これで全て解決したと思っていたのだ。これでユタヤは悩む必要もなくなり、いつも通りの二人に戻れるであろうと、そう単純に考えていた。
そう考えていたのだが——。
カグワの寝室として使われているこの部屋は、巫女の部屋にしては狭い。ベッドが一つと卓が一つ、そして箪笥がいくつか並べられ、その隣に鏡台が置かれているくらいだ。神殿の中には他にもっと広い寝室が巫女のため用意されているのであるが、カグワは広すぎて落ち着かないからという理由でこちらの部屋を寝室として使っている。
その狭い寝室の中に、カグワは自分の仗身であるユタヤと二人きり、無言のまま並んでいた。
カグワは自分の寝台の上に座り、床に付かない足をぶらぶらと遊ばせる。ユタヤはその向かい側の卓の前の椅子に座り、硬直したまま床を睨みつけていた。二人の間に会話はない。重い沈黙がその場を支配している。
幼い頃から一緒に育った二人の間には、普段からそれほど会話の飛び交うわけではなかった。会話をせずとも意思の疎通ができるくらいには、二人で過ごした時間は長い。なので、こんなに沈黙が重いのは、珍しかった。互いに気まずくて、目を合わせることもできない。
カグワはぶらぶらと足を動かしながらも、ちらりと目の前に座っている男の顔を伺った。その男、ユタヤは先ほどからぴくりともしない。もしかして眠ってしまっているんじゃないかしら、とさえ思うが、そんなことはなく、青年はしっかりと目を開いて床を睨みつけていた。
(……床なんて見てたって、何も面白くないでしょうに)
そう思うが、言葉にできない。言葉にすることを躊躇するような仲でもないのに、あまりにも沈黙が重すぎて、口が開かなかった。
向かい側に座っている男は、膝の上で拳をぎゅっと握り締めて、目に見えて緊張している。その緊張が、この重い沈黙の中を伝わって、まるでカグワに伝染するかのようだった。
そしてようやくその沈黙が破られ、
「ゆたや、……」
「かぐわ様、」
口を開いたのは、こともあろうに、二人同時である。思わず二人でともに口を閉ざして、互いに「なにか?」と相手の言葉を探った。従者であるユタヤがカグワより自分の言葉を優先させるわけがなく、彼は再び完璧に閉口する。カグワは困惑しつつも、彼に問うた。
「特に、私は何を言おうとしたってわけでもないんだけど……ゆたやが何か言いたいことがあるんじゃないかなって思って、それを聞こうと思っただけ」
だから話して、と誘導すると、彼はぎゅっと結んだ唇をゆっくりと開いた。彼の唇が震えているのは、緊張のためであろうか。何を言うつもりだろうと彼を見つめるカグワに向かって彼は、か細くも低い声で、呟いた。
「では……その……触れても……」
「え……?」
「触れても……よろしいか?」
そのあまりにも奥ゆかしい問いかけに、カグワは目を見開いた。
寝台に座るカグワと、椅子に座るユタヤの間にはたった一歩ほどの距離しかない。しかし、この距離には、彼の遠慮が表れていた。青年は、カグワの許可がなければ彼女に触れようとさえ、しない。
許可なんていらないのに、と思わず苦笑してしまいながらも、カグワは頷いた。
「いいに決まってるじゃない……今までだって、ずっと、触れ合ってきたでしょう?」
そう言ってカグワがそっと彼に手を差し伸べると、青年はその手に引かれるように立ち上がって、そっと少女の手のひらに自分の手のひらを重ねた。体の大きさが一回りも二回りも異なれば、当然手のひらの大きさも異なる。ユタヤの大きな手のひらが少女の手のひらを包み込み、青年は彼女の前に跪くとそっとその手を自分の頬にあてた。
カグワはそのまま跪く彼の頬を撫でて、小首を傾げる。
「今更、触れてもいいか、なんて、問う必要ないじゃない……急に遠慮されると、困っちゃう」
ユタヤはぴくりとその言葉に反応し、目線をあげた。そして寝台に座る自分の主を見上げ、首を振る。
「今までとは……異なります。私の言う、『触れる』は、これまでのような、邪気のない触れ合いではございません」
彼の切なそうなその表情を見て、何故か胸の奥の締め付けられるような想いがする。
カグワは「わかってるわ」と頷いた。
「どんな意味合いでもいい……」
言って、少女は青年の顎を持ち上げ、そっとその額に自分の唇を押し当てる。
「貴方にされることで、嫌なことなんて、ないもの」
そう告げると、青年は大きく目を見開き、一瞬泣きそうな顔をして、それからすぐに膝立ちになるとカグワの体を引き寄せて口付けをした。まるで今までそうすることをずっと堪えていたみたいに、荒々しい所作である。
思わず、う、と唸りをあげると、カグワの体を抱く彼の腕の力が抜けた。カグワはそれによって自由になった腕で、自分も青年の頭を抱く。修道院の中で口付けした時にはよくわからなかったその感触や、胸を締め付けるような感覚が、脳髄まで痺れさせていくようだった。
長い口付けの後、呼吸をするためにようやく、唇が開放される。酸素を求めて思わずはあ、と大きくカグワが溜め息を吐いたが、ユタヤは呼吸の苦しそうな様子は見せない。
(あ、そうか、鼻で息すればいいんだわ……)
痺れる頭でぼんやりとそんなことを考えて、カグワはなんとなく、引かれるままに彼の唇をぺろりと舐める。すると、ユタヤの黒い瞳がますます黒く広がった。それが、獣と同じような興奮の証であると、カグワは知らない。再びぐいと引き寄せられて、また口付けをするのかしら、と思うと、今度は彼の方から唇を舐められた。
その辺りから、なにがなんだか、よくわからなくなった。
舐めたり舐められたりしているうちに自分が何をしているのかもよくわからなくなって、鼻で呼吸すればいいと気付いたはずなのにそれさえ忘れ、息苦しさの中で必死に彼に縋っていると、突如彼の方から体を突き放された。
「ゆた、や……?」
強くぐいと体を押し戻すようにして離されて、なんだろうと思う。ぼんやりとする視界の中で捕えた彼の顔は、頬を紅潮させながら戸惑うようで、初めて見る表情をしていた。
「これ以上は……やめましょう」
「……どうして?」
また彼が身分だとか、獣人であることだとか、そういったことを気にしているのではないかと思ってカグワは青年にそっと手を伸ばすが、彼はそれから逃れるように身を引いて、首を横に振った。そして、呟く。
「申し訳ございません……」
「なにが……?」
「私は……貴女のことを、お慕いしております」
低く囁くようでいて、しっかりと呟かれたその言葉は、初めてユタヤからカグワに向かって言語化された、彼の想いであった。
その不意打ちのような告白に、カグワは拍子抜けする。そしてその隙を見計らったように青年は立ち上がり、くるりと踵を返した。
「少し、頭を冷やして参ります……」
いつかこの部屋で似たような台詞を聞いたことがある。あの時は彼はまだ一度もカグワにその想いを告げたこともなく、悶々とただ悩んでいたはずだ。今はその時とは違うはずなのに、一体何故逃げるのかと慌てて追おうとするカグワに、彼は言い放った。
「かぐわ様、私は獣人とは言えこの姿の際には人間の男であります故……少し頭を冷やさないことには、なんとも……」
カグワには、その言葉の意味がよくわからなかった。ただ「辛い」と言われてしまっては、深追いすることもできず、ぽかんとしたまま頷く。
青年はそれを見て安心したように少しだけ笑うと、早々にカグワの部屋を出て行った。ばたんと閉じられた扉の内側で、取り残されたカグワは重い沈黙から一転、妙に甘ったるくなった空間の中で一人溜め息を吐く。
お慕いしております、と、彼の呟いた言葉だけがカグワの頭の中で幾度も響いていた。
脱力し、ころりと寝台の上に横になったカグワは、そのままぼんやりと白い天井を見上げる。
お慕いする——すなわち恋慕と呼ばれるその感情が、カグワにはよくわからなかった。今までにたくさんの人間と出会ってきたけれども、特にその中でこれといった感情を抱いたことはない。カグワは出会ったどの人間も平等に好きだった。だが、その「好き」は、いわゆる恋慕とは違うと思う。
では、ユタヤはどうだろう——。
正直なところ、カグワにはそれすらよくわからなかった。
ユタヤのことは当然好きだ。嫌いなわけがない。しかしその想いがどういうものなのか、カグワにはわからないのだ。ただ一つ言えることがあるとすれば——ユタヤと接吻したり、過剰なほどに触れ合うことに嫌悪感は全くなかった。それどころか、触れ合えば触れ合うほどにもっと、と求めなくなる。故に、彼の想いに応えることに何ら抵抗はない。
(私の気持ちはよくわからないけれど……応えたら、きっとゆたやは喜ぶわ)
カグワは白い天井の中に、彼の顔を思い浮かべた。いつも無愛想な表情をしている彼であるが、少しはにかんで、困惑したように、喜んでくれたらそれでいい。そんな彼の顔が見られるならば、カグワはそれで満足だ。
カグワはごろりと寝台の上で寝返りを打ってうつぶせになった。今頃どこかで熱を冷ましているであろう彼のことを想う。すると安堵感からであろうか、波のような睡魔が押し寄せてきた。
考えてもみれば、今日は朝から動きっぱなしだ。神殿を抜け出し、政殿でワイズとその秘書たちと出会い、連絡用通路の出口を使って国城からさえ抜け出すと、首都ケトロの修道院へと向かった。そこで、未だかつてないほどの巫力を使い、民衆の暴走を食い止め、そして、ユタヤと口付けをした。
長い長い一日だった。体が疲れていないわけがない。睡魔に抗うことができずに、カグワはそのままゆっくりと夢の世界へと落ちて行く。
目が醒めたら、ユタヤの喜ぶ顔を見に行こう。
眠りに落ちる寸前、そう決意し、カグワは完全に意識を手放した。包み込まれる夢の世界は、安楽の場所だ。優しく彼女を受け入れてくれる。
お慕いしておりますと言ってくれた彼は、間違いなく、カグワの帰る場所だ。やがて目覚めた彼女を迎えてくれることだろう。
神殿に住まう巫女は獣人と恋に落ちた。これは青天の霹靂、過去に事例を見ぬ事実である。だがその事実を知る人はまだ、少ない——。




