9、専用出品
花火大会の翌日も、私は清ちゃんちを訪れた。
朝あいさつを交わした、清ちゃんの態度は特に変化なし。
私も特に変化なしのつもりだけど……なんとなく、ちゃんとメイクをしていった。まあ、清ちゃんは気づいてないでしょうけれども。
「お母さんたちが、たい焼きごちそうさまって」
「そっか」
会話したのはそれぐらいで、清ちゃんはさっさと自分の部屋に戻って行こうとした。
なんだかそうなると、私もちょっと、物足りないというか。もうちょっと何かないですかねえ、って、絡みたくなる。
「ねえ」
だから、階段を上がる清ちゃんの背中に、私は咄嗟に声をかけていた。
清ちゃんは立ち止まり、私を振り返る。こちらを見下ろす清ちゃんに、私はずっと抱えていた疑問を投げた。
「清ちゃんて、何の仕事してるの?」
私はこの人のことを好きかもしれないと自覚したら、一緒にいられる時間はこの人のことを知りたいと思った。
知らないままで離れたら、必要のない妄想までして悩んでしまうかもしれない。だったら今のうちに答えが欲しい。
この家に来た一か月前、清ちゃんは私の質問をはぐらかしたけど、さすがに、もう隠さずに教えてくれる気になったらしい。
「ネット関係」
いや、それは範囲が広いんですけど。
私は一番に思いついたことを彼に伝える。
「株とか?」
すると清ちゃんはにやりと笑って、緩く首を横に振った。
「ウェブライター」
そういう仕事があるということは、私も知っているけれど。けど、はっきりとはイメージできない仕事だなあ……。
「食べてけるの?」
「食べてけるよ」
「家にずっといるのに?」
「家にずっといてても。便利な世の中」
「はー」
いまいちよくわかってない私に、清ちゃんは階段の途中から、二階を指さして言った。
「上がる?」
私は好奇心で、すぐにうなずく。
これまで上がったことのない、井芹家の二階……いや、遠い昔には、上がったことがあるはずだ。清ちゃんと一緒に遊んでた頃、彼の部屋にお邪魔したことがあるから。
けど、どうぞ、と招かれた部屋は、私の記憶とはあんまり重ならない。設置された本棚には、いろんなジャンルの本がぎっしりと並んでた。
「これ、資料だったり?」
「まあ、そんな感じ」
清ちゃんの部屋にあるのは、パソコンデスクに作業台。それからゲーマーの人が座ってるみたいな椅子と、ベッド。エアコンはほどよく部屋を冷やしてた。窓のカーテン越しに日の光が入ってきてて、けっこう明るい。ずっと閉じこもってる部屋だから、もっとジメジメうつうつしてる空間を想像してたけど、意外と、居心地の良さを感じた。
なるほど、清ちゃんはここで毎日仕事してるのか……。
ふと、本棚を眺めてたら、同じ単行本が何冊もあるのを見つけた。私は思わず、その中の一冊を本棚から引き抜く。
「清ちゃんこの人のファン? 同じの買いすぎ」
「ほしいなら、一冊やろっか?」
「……売れるかな?」
おばーちゃんの店のものを出品するようになってから、私はあらゆるものをフリマサイトに結びつけるクセがついていた。実家にある不用品も売れるのかな、みたいな目で見てしまうぐらいに。
すると清ちゃんはくくっと笑った。
「サイン付きとかにしたら売れる?」
「偽のサインは価値下がるでしょーが」
「本物」
「え?」
私は表紙の著者名を見る。清ちゃんの名前とはまったく違うカタカナの造語……、あ、でも、これはペンネーム?
まさかと思って本の折り返し部分を見たら、著者近影。そこに写ってた部屋の写真は、今私が見てる部屋のまんまだった。
「清ちゃん、作家さんなの?」
清ちゃんがにやにやするので、私はほえーと思うしかない。
「でもまあ、本出したところで、一生食えるわけじゃないし。いろいろやってんの。メインの収入はこっちのほう」
清ちゃんがパソコンを指さす。
「本出したら印税ウハウハ生活なわけじゃないんだねえ」
「そういう人もいるだろうけど、俺は違うから。地道にやってく」
「もしかしてうちのお母さんとかも知ってたり?」
「知ってるんじゃないかな。ばーちゃんから聞いて」
ということは、おばーちゃんも知ってて、清ちゃんを見守ってたのか。
あのおばーちゃんが許してた……っていったら変だけど、清ちゃんを止めたりはしなかったってことは、それなりに、やっぱり「いける!」とおばーちゃんも思ってたってことだよなあ。
おばーちゃんのことを思い出したついでに、前から清ちゃんに尋ねてみたかったことをもうひとつ、聞いてみる。
「清ちゃんはおばーちゃんの店継いだりとかは……ないか」
でも、質問の途中で、私は自分で答えを出していた。
清ちゃんも、私の答えが正しいって、大きくうなずく。
「ないね。うちの父親も全然関係ないほかの会社に就職したけど、ばーちゃん、気にしてなかったし。ばーちゃんも別に、誰かに店を継いでほしいとかはなかったんじゃないかな。ただ、残ったものはもったいないなとは、思ってたはずだから、美裕に渡せて、大満足だろ」
「そうだといいんだけどねえ」
おばーちゃんの店のものを、私は世界中に売り飛ばして、ペイで儲けさせてもらった。
そのことに対しての罪悪感みたいなのは、もう、ないんだけど。
でも、ほんとはもっと、できることがあるんじゃないかなって、ずっと考えてたりもする。
「んじゃ、俺、仕事あるから」
清ちゃんはそう言って、椅子に座って私に手を振った。バイバイ、ではなくて、シッシッって、追い払う感じ。
「はいはい。お邪魔しましたー」
私も今日の作業に取り掛かろう。
*
私はひとり、おばーちゃんの店に入る。残ってるのは出品しようかどうか迷ってるものと、もう諦めることを決めたもの。
布系はやっぱり出品するのが難しそうで、諦めて処分するつもりではあったんだけど……その中に、気になる布が一巻。
それはリップルの和柄の生地で、店の棚で発掘したときに、清ちゃんに似合いそうだなって思っちゃったんだよねえ。そしたら、そのまま処分するのも忍びなくて。
私は店の中で、布をロールごと、見えないように大きなポリ袋で包んだ。そしてこそこそと、和室に持ち帰る。
これまでは清ちゃんに見られても困らないものばっかりだったけど、ちょっとこれは、見せたくないっていうか……。
畳の上で広げてみたら、外側になってた部分は色褪せやほこり汚れもあったけど、中の巻きはきれいな感じ。汚れの目立つ部分は切り取って処分しても、まだ十分な長さがある。
私はそれを芯から取り外してざっくり折り畳み、自分のエコバックに忍ばせた。
お昼ご飯を食べに実家に戻って、ついでに布を洗濯する。水通し兼、長年の汚れをここでリセット。
それをベランダに広げて干して、午後、清ちゃんちに行く前に地元の図書館に寄ってみる。手芸本のコーナーを探してみたら、いい感じの本はすぐに見つかった。
持ってた利用者カードを更新して、その本を借りることにする。
そして再び清ちゃんちの和室。今、ここにあるのは、出品したけどまだ売れてないものと、過去に出品したセットに、送料の関係で入れられずに残った端数の品などだ。
最終的にはごちゃまぜの裁縫道具おまとめセットで出品するか、家に持って帰って母に使ってもらおうかなとか思ってたものだ。
だから、残していたミシン糸は、母がよく使いそうな色を選んでいた。黒とか紺とか白とか、汎用性が高いもの。
それはあのリップル生地を縫うのにも、ぴったり使える色だった。
それから、これも家に持ち帰ろうかなと思って置いといたパンツのゴム――平ゴム。これがあれば一生パンツのゴムには困らない、なんて思った大巻のやつ。これも使える。
あと必要そうな道具は、実家に置いてある私のお裁縫道具箱、こちらは小学校の時から使ってるセットが現役だから、それで全部賄えそう。
図書館で借りた本を眺めて、道具が揃うことを確認したら、私は今日はいつもより早めに、清ちゃんちを出ることにした。
「もう帰んの? 早くね?」
「そんなことナイヨ」
と、明らかに怪しい態度で、私は肩にかけたエコバックを抱えなおす。中にはまだ清ちゃんには秘密にしたいあれこれが入ってるんだけど、それは見せずに、帰り道で発送する予定の紙袋なんかを、ちょっと触って示したりしておく。
「荷物送んなきゃだし。じゃ、また明日」
と言って、私はそそくさと清ちゃんちを出た。
*
家に帰ると、昼に洗って干した布は、すっかり乾いていた。
アイロンとアイロン台を持ってきて、低温でアイロンをかけておく。せっかくの布の風合いをつぶさないように気をつける。
お風呂と夕食も早めに終わらせて、私は自室に閉じこもった。
クローゼットに封印していたミシンと、数年ぶりのご対面。どうぞよろしくお願いします。
図書館で借りた本には大人用甚平の実物大型紙の付録もばっちり付けてくれていた。
型紙を大きい紙に写したいところなんだけど、大きい紙がそうそう、都合よく家にはない。あるのは最大でA3サイズのコピー用紙。それをテープでつぎはぎしながら、型紙を作った。
清ちゃんの身長や幅は、この夏休みに見てたからだいだいわかる。ひょろ長いけど、私よりずっとたくましい人。
写した型紙を、今度は布にのせる。柄合わせが必要ない柄で助かる。だいたいで大丈夫そう。
しっかり縫い代も確保して、小学生のときから愛用しているすっかり角の丸くなったチャコでしるしをつけていった。
布裁ちばさみも相変わらずの切れっぷりで気持ちいい。こういうのって大事にしたら一生ものだよね。
コスプレの時は、既製品の型紙をアレンジしまくって、知識もないのに縫う順番も変えながら、試行錯誤しながらなんとか作ってったけど。
今回はこの、型紙のままに布を切ればいいし、縫い方も本に書いてる通りにやればいい。
簡単すぎるじゃないか。
へただったとはいえ、何度も衣装づくりに取り組んだ経験は、確実に私の裁縫スキルを上げていた。手芸本ならではの専門用語も、縫い方も……なぜそうするか、がわかっているから、するする作業が進んでいく。
私はとても欲張りだけど、自分の時間を誰かのために使うのは、もったいなくはない。
というか、清ちゃんはきっと、これ以上のペイを受け取ってはくれないだろう。現金化して渡しても、逆に嫌な顔をされそうだ。
数年かけて焼肉で還元するのもいいけれど、それ以外のものでも、清ちゃんに感謝の気持ちを伝えたい。
おばーちゃんの店にあった布は、すごく扱いやすかった。やっぱり、ちゃんとした布なんだ。
ミシン糸も一度も絡まなかったし、途中で切れたりしなかった。ジグザグミシンもきれいに決まる。布になじんで、縫い目も美しい。
私は夢中で、裁縫の楽しさを久々に味わった。
「できた……!」
完成したのは、夜中を通り過ぎて朝だった。
イベント前のコスプレ制作も徹夜でやったりしてたなあ、なんて、思い出す。
私は床に広げたまんまの型紙や布の切れ端を寄せながら、できたわずかな空間に、ごろんと横たわってみる。
窓から見える空はだんだんと明るくなって……ああ、今日もきっといい天気。
前にこうやって、床に転がって空を見たとき。私はすごくからっぽで、虚無だったのに。
今は胸がいっぱいで、それから、やりたいこともいっぱいある。
今年の私の夏休みって、けっこう、いい感じだよ。
きっと一生忘れないんだろうなって、思った。
満足した私は一瞬目を閉じて、眠りかけたけど――。
「美裕、朝ごはんはー?」
母の声に、まぶたはすぐに持ちあがる。
「食べる!」
*
私は徹夜明けのままで、清ちゃんちに向かった。一回寝たら起きられなくなっちゃいそうだったから。それより、渡すものを渡して、それから安らかに眠ろうと思ったのだ。
「おはようございます」
玄関を開けたところで、出迎えてくれた清ちゃんにあいさつをする。清ちゃんは私を見て、眉をひそめる。
「大丈夫かよ? なんかふらふらしてない?」
そんなにひどい自覚はないんだけどねえ……。
私はごそごそと、エコバックの中から畳んだ甚平を取り出した。
「これ、清ちゃんに」
「え? 甚平? ありがと……てか、なんで?」
清ちゃんは素直に受け取ってはくれたけど、不思議そうに首をかしげてる。
私はへへへと照れ隠しの薄ら笑いを浮かべて答えた。
「おばーちゃんの店に、布があったから。作ってみた。糸とかもね、店にあったやつ」
「へー、いい柄。こんなのあったんだ?」
「そう。いい柄だったから、捨てるのもったいなくて……」
「てか、美裕が作ったんだ? すげえな。ちゃんと甚平だし」
「ちゃんとできたよ。ミシンも久しぶりだったんだけどねえ」
「それで、徹夜したとか?」
「そう。作るの、楽しくて」
清ちゃんがため息をつく。
「無茶するよなあ。……もう俺徹夜とか無理」
「まだ若いのに」
「美裕も二十歳越えたらわかるよ」
そんなことを言いながらも、清ちゃんの視線はずっと手に持った甚平に向いている。なんだか愛おしそうな眼差しで、見られているのは私でないのに、くすぐったい気持ち。
よろこんでもらえて、よかった。
「じゃあ、そういうことで。今日は帰って寝ます」
「え、帰んの? 渡すためだけに来たんだ?」
「うん。清ちゃんに早く渡したかったから……」
よく考えたら、そんなに、急いで作る必要も、今日だって、すぐに渡さなくても良かったんだろうけど。私は自分にわき上がった衝動を抑えられなかったんだよね。
勢いだけで動いてるところ、あるもんな。欲にまかせて、みたいな。
でも私は、そういう自分は嫌いじゃないなっていうのも今感じている。
「美裕ふらふらだし。寝るならここで寝たら? わざわざ家帰んの危なくない?」
玄関のドアに手を伸ばしたところで、清ちゃんに言われて私は足を止める。
振り返ったら、清ちゃんが土間のスリッパを踏んで、がちゃん、と玄関に鍵をかけた。
これまで、日中はずっと鍵開けっ放しだったのに、なんで、と。私が問う前に、廊下に戻った清ちゃんが言う。
「美裕が寝てるときに、誰か入ってきたら危ないだろ。ほら、和室。布団とか出そうか?」
清ちゃんは私の答えを待たずに、和室のふすまを開けて、寝床を準備しようとしていた。私は慌ててサンダルを脱ぎ、廊下に上がる。
「いいよ、布団とか。もう、そのへん転がってたらすぐ寝られそうだから」
「ほんとかよ、遠慮すんなよ。準備してやるって」
「いいってほんとに……」
睡魔と家に戻るめんどくささと、清ちゃんの申し出の誘惑にすっかり私の心は、もうここで寝ちゃおう、に傾いていた。けど、わざわざそのために準備させるのも申し訳ない気がして――。徹夜明けの変なテンションと、眠たいのとで、私はふだんなら言わないようなことを清ちゃんに言っていた。
「じゃあ、清ちゃんのベッド貸して」
それなら清ちゃんもわざわざ用意しなくていいからいいはずだ。簡単。
「俺の部屋で寝んの?」
清ちゃんが驚いたように言う。
「だめかな」
「だめじゃないけど……」
けど、何? 清ちゃんの言葉の続きを少し待ったけど、彼は言葉を発さない。
「寝てるから仕事の邪魔はしないよ」
私のだめ押しのような言葉に、清ちゃんはため息をついた。
「好きにしろ」
*
清ちゃんの部屋に上がって、私は遠慮なくベッドを借りることにした。とすん、と横になったら、睡魔が一気に押し寄せてきた。
あ、もう、限界だな、私。
清ちゃんに引き止めてもらってよかった。もしかしたら居眠り徒歩で、家に帰る途中で溝とかに落ちてたかも。
清ちゃんはすぐさまうとうととし始めた私に背を向けて、パソコン前の椅子に座ってる。
私が渡した甚平は、すぐそばの作業台の上にそっと置かれてた。
清ちゃんがよろこんでくれて、よかったな。渡せて、よかったな。
そして私は目を閉じた。
*
遠くでお昼のチャイムの音が聞こえる。お昼……そっか、もうお昼。
私は薄く目を開き、見慣れない景色に一瞬戸惑う。でも、顔を動かしたら、パソコンに向かう清ちゃんの後ろ姿が見えて、ものすごく安心した。
もう少し眠ってたいけど、そろそろ起きなくちゃ。
私はもぞもぞと起き上がると、ぐう、と伸びをした。
その気配に気づいて、清ちゃんがこちらを振り返る。
「起きた?」
「おなかすいた」
「もう昼」
「うん。お昼食べに帰……あ」
私はそこまで呟いて、思い出した。今朝、母とした会話。朝ごはんの時、母に言われたんだよなあ。今日はお母さんお昼いないから、勝手に食べなさいよ、って。
「今日お母さんいない日だ」
まあでも、帰って何か食べるか、そこのスーパーで買ってもいいな、なんて思ったんだけど。清ちゃんが少し考えてから私に言う。
「じゃあうちで食べる? なんか作る」
こういうときって、いったん、遠慮するふりをしたほうがいいんだろうか。そっちのほうが奥ゆかしくて感じいい?
けどなあ、私の性格はもう、清ちゃんにはすべてばれている。
「やったー」
私は素直によろこんだ。
「何から何まですみませんねえ」
わざとらしくへこへこと頭を下げたら、清ちゃんが呆れたように笑う。
「美裕も手伝って」
「もちろん」
そして私は寝心地のとてもよかった清ちゃんのベッドからゆっくりと立ち上がる。
*
清ちゃんちのキッチンは、すっきりと片付いていた。
そして彼が選んだ今日のメニューは、そうめんだった。
えー、またそうめん、とは私は言わない。
「清ちゃん、そうめん作れるの?」
「作れるよ。ゆでればいいし」
「そうめんゆでるの、難しくない? 私いっつも失敗する……」
「あれじゃね? お湯、けちんのよくない」
そう言って、清ちゃんは私が思ってる以上の多めのお湯をおっきな鍋に用意した。
「まあ、でかい鍋もないよな、美裕のひとり暮らししてるとことかだと」
「ないねえ」
「うちはこれ、ばーちゃんの愛用のでか鍋」
「なるほど」
「今はまだ、捨てらんないよなあ。こういうのも」
「うん」
清ちゃんが出してきた木箱入りのそうめんを、数束、沸いた鍋にばらばらと入れる。
これぐらいたっぷりのお湯でゆでたら、そうめんがどろどろになることはないらしい。
「美裕、卵焼き作れる?」
「卵焼きは……、できるよ」
しかし、そうめんに合わせる卵焼きといえば、たぶん錦糸卵だろうな。私は成功したことないけど。まあ、やってみる。
渡された卵を割って撹拌し、油を引いたフライパンに流し込む。薄焼き卵だったら合格ラインなのでは。あっという間に火が通り、フライ返しなんかも借りてなんとか裏返す。
「刻む?」
「刻める?」
「刻みますよ」
まな板と包丁を借りて、卵焼きをなるべく細く切ってみる。糸、ではないなあ、これ。紐ぐらい? 紐卵?
私が卵焼きと向き合ってる間に、清ちゃんはゆであがったそうめんをざるに上げて、流水で冷やしていた。
「ほかに何か具、のせる? ネギとか? 切ろうか?」
包丁を振りながら清ちゃんに尋ねたら、「あー」と、考えるような返事。
それから清ちゃんは冷蔵庫を開いて、「ネギない」と答えた。
ネギないのかー。
「きゅうりならある」
清ちゃんから渡されたきゅうりを、私は受け取り水で洗う。
「あとギョニソ」
ギョニソと言われて何のことかと思ったら、魚肉ソーセージだった。
うちではのせない具が出てきたぞ。
「薬味っている? ワサビとかショウガとか? チューブのならあるけど」
「私はなくてもいいかな」
「じゃあなしにするか」
私は受け取ったきゅうりとギョニソの切り方に悩む。とりあえず細切りでいいんだろうか。両方丸く切ったらかわいいけど、そうめんとは絡みが悪い気がするな。やっぱ細切りかなあ。
私ががんばって細く切っても、そんなに細くはならないけれど。
清ちゃんがかまえてくれたガラスの器に、それぞれ食べられる量を盛り付ける。冷やし中華方式で、その場でつゆもかけることにした。
「ばーちゃんはつゆから作ってたけど。市販のつゆでいいよな」
見慣れたパッケージに、私はもちろん、とうなずく。
「うち、お母さんが椎茸煮たの苦手だって、作らないから。いっつもこれだよ。おいしいよね」
「あー、椎茸。たしかにばーちゃん入れてた」
そんなこんなで、二人分のお昼ご飯ができあがり、リビングでごちそうになることにする。
*
清ちゃんちのリビングには、四角いちゃぶ台があった。冬はこたつになるらしい。座ったときに、私はふわりと昔のことを思い出す。こんなふうに、こどものときに、清ちゃんとこのちゃぶ台を囲んだような。それで、そのへんにあったひとり掛けのソファーに、おばーちゃんが座って、笑ってた気がする。
いつだったか。どんな話をしたか。季節すらあいまい。ほかに誰かいたのかも。
けど、うっすらと私の奥底に置いておいた思い出は、とても温かいものだった。
「ちゃんとツルツルだねえ」
清ちゃんのゆでたそうめんは、見事にちゃんとのどごしもよく、おいしかった。
私の刻んだ食べ応えのある大きさの具も、まあ、おいしかった。ていうか、ギョニソ、ありだな……。
なんて思いながら咀嚼してたら、「あ」、と清ちゃんが思い出したように箸を止める。
「そういえば、言うの忘れてた」
清ちゃんの言葉に、私は身構える。
「業者くんの、明日になった」
業者……と言われて、思いつくのは、おばーちゃんの店に残った物の処分を頼んだ業者さん……?
私は目を丸くする。
「え、来週って言ってなかった?」
そのつもりで、私も割とのんびり最後の片付けを進めてたんだけど。明日!?
「なんか台風来てるから、早めにやりたいって。雨の日は作業できないから」
それは確かにそうだろう。暴風雨の中で店の什器を運び出したりするのは、危険だし。段ボール箱なんかは濡らしてしまったらリサイクルできなくなるって聞いたことがある。
しかし、私はちょっと口を尖らせたくなる気分。
「早く言ってよー、それなら朝から片付けがんばったのに」
すると、清ちゃんも口を尖らせて言い返してきた。
「俺もそのつもりで、朝から仕事休んでたんだけど? お前寝てんのに、俺だけで作業すんのとか、無理」
「え? なにそれ。私が寝てる間に働くのが嫌ってこと? 清ちゃんが手芸用品に興味ないのはわかってるけど、ひとりでもできること、やっててくれてよかったのに」
そしてさらに私が言い返したら、清ちゃんは「ちがくて」と、呟いて、それから唸るように言う。
「俺のベッドに、美裕いんのに。……離れるとか無理だろ」
ん? それはいったいどういう意味……?
私は聞き返そうとして、だけどうまく聞き返す言葉が思いつかなくて、だからそのあとは無言でそうめんをすすった。
先に食べ終えて、箸を置いた清ちゃんが言う。
「午後から店、片付けるか?」
私はその質問に、清ちゃんを見ずに何度か首を縦に振る。
もうすっかり目は覚めた。午後からは片付け、がんばろう。




