8、ご理解のある方に
八月はもうすぐ終わる……けど、大学生って夏休み、九月も続くんだよ。すごいよね。休み放題だよ。
今年は大学から逃げちゃったから、夏期講習なんかの予定もまったく入れなかったんだけど、来年からはもう少し、がんばらないといけないかもな。
でも、今年の夏はもう、実家で過ごすって決めたことに後悔はない。
「かなりきれいになったよな」
今日、私は清ちゃんと一緒におばーちゃんの店にいる。
正式に、業者さんに来てもらう日取りが決まったのだ。私がこの店を物色できるのも、それまでになる。とはいえ、もうあらかた、売れそうなものは出品したし、そのほとんどがご購入いただけた。清ちゃんちの和室には、まだいくつか出品中の品物が残ってるけど、実家の私の部屋に持ち帰っても邪魔にならないぐらいの量だ。
よく売ったよなあ、としみじみ思う。
「調べてたら、什器とかも売れるみたいなんだけど。掃除と梱包が大変そうだし。もうそれは業者さんにお願いしたほうがよさそう」
「そうだよなあ。これ、移動させたりなんかしてたら、美裕の見たくないものもごっそり出てきそう」
「だよねえ。私の精神的ダメージを考えたら、諦めたほうがいいと思う」
ぐるりと店を見渡した清ちゃんが、まだ荷物が詰まった棚に気づいた。
「このへんのは?」
それは、布関係が並んでる場所だった。そのあたりも、私はもうチェックした後。
私は清ちゃんに説明する。
「布は、売るのが難しそうだから後回しになってる。デットストックな柄とかだったら、売ろうかなって思ってるんだけど……たぶんほとんど、今も市販されてる布っぽいし」
布類は傷みが目立つし、そもそもかさばるから送料が高めになるので、価格も上げることになる。その値段で買ってもらうのは、申し訳ないんだよね。
レースを検品したときみたいに、あのアレとかが間に挟まってたら、私もつらいし。
「業者さん来る前には、整理しとくね」
清ちゃんはうなずいて、視線を棚から私に向けた。突然目を見据えられて、とくん、と心臓が跳ねる。
こうやって毎日過ごすうちに、慣れたはずの彼の癖。じっと目を見られることにもそろそろ、慣れたらいいのに――だめだなあ。
わざとらしく目をそらすのもどうなのかなと思って、そのまま見つめ返してたら、清ちゃんが先に口を開いた。
「美裕って、明日ひま?」
「うん、明日も作業する」
「いや、夜」
「別に?」
なんだろう、また焼肉でもおごれって言うのかな。別にいいけど、と思ってたら、清ちゃんから思いがけない誘いの言葉。
「花火大会、一緒に行かねえ?」
「え?」
そういえばこの街の花火大会は夏の終わりにあるんだったな……、と、思い出しながらも私は腕組みをする。
「屋台はペイで払えないかも?」
花火大会といえば屋台もたくさん出るし。そこで清ちゃんが何か欲しがっても、私はおごれないかもしれない。
けど、私の言葉に清ちゃんは苦笑いを返す。
「俺が出すって。てか、何でも買ってやるけど?」
なるほど、清ちゃんのおごりで屋台と花火大会。まったく予定には入れてなかったけど、今年の夏の思い出って今のところフリマサイトのことしかないから、ちょっと夏らしいイベントがあってもいいのかもしれない。
「行ってもいいけど。なんで私? ほかに行ってくれる友達いないの?」
ここ一か月、私はほとんど毎日清ちゃんちに来てるけど、清ちゃんはずーっと二階に引きこもってる。友達の話も聞いたことない。
元カノも結局ほんとに、今はただのご近所さんらしいし。自分のことは横において、清ちゃんにかわいそうな目を向けたら、ちょっと強めに言い返された。
「友達はいるけど俺は美裕と行きたい……って、言ってんの」
友達がいるの部分にも、美裕と行きたいの部分も半分以上怪しみつつ、まあ、だけど、悪い気はしないよね。
「いいよ、行ってあげても」
上から目線で返事をしたら、清ちゃんはにっこりと笑った。
そんなうれしそうな顔されたら、私もどういう反応したらいいか、わからなくなるじゃないか。
照れのにじんだ困り顔を浮かべつつ、おばーちゃんの店が薄暗くてよかったな、なんて、思ってしまった。
*
花火大会の会場は私たちが住んでいる地域からは少し離れた場所で、清ちゃんが車で送ってくれることになった。清ちゃんからうちの母に電話して、一緒に花火見に行きますって話してるのを横で聞かされて、なんか変な感じだった。もしもダメって言われたらどうするんだろ? と、思ったけど、母はハイハイ、よろしく、ってめっちゃ気軽な返事してた。
電話を切った清ちゃんが、ふう、ってため息をついてから呟く。
「……緊張した」
清ちゃんはうちの母とは全然ふつうに会話する仲なのに。そんなわけある?
「うそー?」
私の疑いの言葉に、清ちゃんは苦笑する。
「したし。許してもらえてよかった」
ほんと、もし、ダメって言われたら、清ちゃんが母をどう説得するつもりだったのか。はたまたすぐに、諦めたのか。聞いてみたかったな。
*
家に帰ると母に尋ねられた。
「仲良しに戻ったんだね」
「別にもともと悪くないよ」
ただ、縁が離れてただけだって、今は思ってる。
花火大会の準備は、私よりお母さんのほうが張り切っちゃって、浴衣あるから着てけばと言われた。
「いいよ、ふつーに、服で。清ちゃんと行くんだよ?」
「清ちゃんも甚平でしょ。それで一緒に歩く子が服なの浮いちゃうって」
「浮かないよ。知らないし。だいたい、甚平着るのは清ちゃんの勝手じゃん。なんで私が合わせないといけないの」
ぶうたれる私を無視して、母はクローゼットからうきうきで浴衣を一式持ってきた。
「浴衣も着てあげないとかわいそうでしょー」
それは高校の授業で、浴衣の着付け方を習うことがあって、そのときに買ったものだ。持ってない人は買わなくていいって学校からは言われてたのに、母はせっかくだから、と用意してくれた。
使ったのはそのときだけ。そして私は高校時代から体型が変わっていない。
「せっかくだし着て、着て」
「めんどくさいって」
と言いながらも、母に逆らうことはできず。
私は翌日の夜、花火大会に向かうときには結局浴衣を着せられるのだった。
*
「下駄は無理だよ。足痛くなるし。サンダルでいいって」
浴衣を着ると可動域が制限される。せめて足元は安全でいたい。
髪も結ってもらって、うなじがすーすーする。清ちゃんには昼まで会ってたけど、浴衣を着ることは言ってない。
なんか浮かれてんなとか思われるのも恥ずかしいし。
「まあ夜だから足元はどうでもいいか」
と、お母さんも適当なことを言う。
迎えに来た清ちゃんはほんとに予想通りに甚平だった。ていうか、この人いっつも甚平なんだってば。
清ちゃんはうちの玄関前に車をとめて、わざわざ降りて、母にあいさつして行った。
「じゃあお借りします」
「いってらっしゃい」
母ににこにこと見送られ、私は清ちゃんに車のドアを開いてもらって助手席に乗る。
なぜ助手席かというと、清ちゃんの車、ツーシーターなんだもん。
「食べ過ぎないのよー。おみやげはいいからね」
「はいはい」
車が発進してから、清ちゃんがぼそりと言った。
「かわいーじゃん」
それはどうもありがとうございます。私のお礼の小さな声は、エンジン音に紛れていった。
臨時の無料駐車場に車をとめて、会場まで歩く。その道すがらにも屋台が並んでて、すでに気持ちは楽しい。たくさんお客さんが来てた。
清ちゃんに何おごってもらおうかな、って、屋台を順番に眺める。
何個までとか、いくらまでとか、そういう制限がないと、けっこう選びづらいかも。
「いちご飴かブドウ飴を食べたいんだけど」
「いきなり甘いやつ? まずは肉とかからじゃねーの?」
「おまつりでそんな順番、あんまり気にしたことないんだけど?」
「あー、ビール売ってる……、美裕、免許持ってたっけ?」
え、清ちゃん、私に運転させて自分は飲むつもり?
「まだ」
「いつ取んの?」
「まだ先ー」
「こっち戻ってくんなら、車絶対いるぞー」
「……うん」
今、なんかさらっと、卒業後はこっちに戻って来いと言われたような気がするな。そういう意味じゃ、ないのかな。
「たこ焼きと焼きそばとお好み焼きとはし巻きとどれがいい?」
「たこ焼き」
ソース味のものは確保して、それからしっかりブドウ飴も入手した。瓶入りラムネを二本、清ちゃんが袋に入れたのを提げて持ってくれる。
「くじ引きとかやんねーの?」
「当たらないし」
「わたあめは?」
「もう持てないよ」
清ちゃんがいつの間にか、春巻きの皮でチーズを巻いて揚げたやつを買ってた。あ、からあげもセットだ。
いったんどこかに座って食べちゃおう、ということで。
このあたりに座ろうって、屋台の列から離れて、堤防に腰を下ろす。
「浴衣汚れない?」
「大丈夫だよ、たぶん」
川を挟んで向こう側に、小さく仕掛け花火の舞台が見えた。ああいう花火を楽しむには、角度が悪くてちょっと残念な位置かも。
そのせいもあって、わりと周囲は人も少なかったから、ゆったりと座れてそれはいい感じ。
「食べ終わるぐらいには、花火始まるんじゃない?」
「そだなー」
堤防沿いにある照明のおかげで、お互いの顔も食べ物もちゃんと見えてるけど、もう空は暗くなってる。
お互いこわごわラムネの栓を押し込んで、どちらからともなく乾杯した。
「私が免許持ってたら、清ちゃんビール飲めてたのにね」
「まあ、それはまた次でいいや。来年とか?」
「来年かあ……」
免許取る気はあるけど、どうなることやら。っていうか、来年もこうして花火大会に清ちゃんと一緒に来るってことなんだろうか。
「あ、でも来年だと。もう美裕も酒飲める年だなー」
「そうだねえ」
「友達とハメ外して飲んだりすんなよー」
「しないよ」
友達、と言われて、一瞬思い浮かんだのは、やっぱり、忘れたくても忘れられないあのふたり。
そんなことを考えたせいなのか、すぐそこを歩いている一組の男女が、なんだか、友達に見えてきた。
ぼんやり見てたら、相手が立ち止まり、私と視線を合わす。そして明らかに、驚いた顔。
「美裕ちゃん?」
声をかけてきたのは、本当に友達だった。私はえ? と思って目を凝らす。
幻じゃないし。本物だし。私も声が出ないぐらい驚いた。なんでここに……?
質問が口から出てこない私に、ふたりは、目と目で合図して、それぞれに言った。
「そっか、美裕ちゃん、地元こっちだって言ってたね」
「ここの花火大会、すごい有名だし。一度来たかったんだ」
友達は、ふたりともふつうに洋服姿で、浴衣の私のほうが気合い入ってる感じ。
私はなんとかがんばって、ふたりに笑顔を向ける。
「すごい偶然だね。会えてびっくり」
ふたりが私より、なんだか清ちゃんのことをじろじろ見てる。そりゃまあ、気になるよねえ。私は何か言ったほうがいいんだろうか。
ええと、この人は、この夏私を稼がせてくれてる人です……いや、おかしいな。ていうか、誤解しか生まない言い方になっちゃうな。
「美裕、友達?」
清ちゃんが聞いてきたから、私はうなずく。清ちゃんはそれで、その友達が、例の、友達だと理解したみたいだった。
そのとき、清ちゃんは私の腰をぐっと抱き寄せた。おい、何をする、やめろ、という気持ちより先に、慣れない浴衣が私を清ちゃんの体に添わせる。
清ちゃんがふたりにどんな表情を見せたのかは知らない。
でも、ふたりが「あ、じゃあ、また学校で」と、言って離れていくのが聞こえた。
私はちゃんと顔も見られず、小さく手を振る。
少しして、清ちゃんが言う。
「もう行った」
「うん」
私は清ちゃんに腰を抱かれたままだ。離れようと思ったけど……思ったけど、嫌な気持ちじゃなかった。むしろ、清ちゃんがつかまえててくれなかったら、私はここから逃げ出してたかもしれない。
「あれが、前話してた友達?」
私は小さくうなずく。
清ちゃんのため息が聞こえた。
「俺のほうが勝ってる」
「何が」
「どう見たって俺のほうがいい男だろ」
あまりにも堂々と言うから、私は笑ってしまった。
「何でそんな喧嘩腰かなあ……」
そんなことを言っているうちに、どおん、と花火が打ちあがる音。
私たちは黙って、それを眺めた。
清ちゃん、なんで私を誘ってくれたの。なんでさっき、私を抱き寄せたの。……なんでいまもずっと、くっついてんの?
そしてそのすべてが私は嫌だと思わなかった。
私はあの友達のことが好きだったのかな? もうそれも、わかんなくなっちゃった。
さっき、ふたりに会って、驚きはしたけど嫉妬みたいな気持ちはもうなかった。
私はそれから、問いの相手を変えて、もう一度自分に尋ねてみる。私は、今、清ちゃんのことはどう思ってるの?
……夜でよかった。黙って、花火見てたらいいからよかった。私が変な顔してるのも、自分の質問に自分でうわあ、と変な声を上げてしまったのも、清ちゃんには気づかれなかったはずだから。
ひときわどーんと、おっきな花火が夜空に咲く。
きらきらと闇に光のかけらが消えてって、それからざわざわと、周囲の人たちが帰り支度を始める。
花火大会はもうおしまい。
「立てる?」
清ちゃんに手を取られ、私も立ち上がる。
「ケツ汚れてねえ?」
ってお尻をのぞき込まれて、私はあわてて清ちゃんの視線から逃げる。
「大丈夫!」
片手でほこりを払い、確かめる。大丈夫だよね、大丈夫。なんかじろじろお尻見られるの恥ずかしいじゃないか。
「どうせ混むし。ゆっくり帰ろ」
「うん」
私は清ちゃんと手をつないだままなのに気づいて、あ、と思ったけど。この人混みの中で離したら、はぐれてしまうような気もして。清ちゃんが離さなかったから、私もずっと握ってた。清ちゃんの手は大きくて、そっか、大人の男の人だよなあ、と思ったりもした。
私はまだ学生で、ちょっと友達のことで心を弱らせたりしてるけど。
清ちゃんはおばーちゃんを亡くしたり、それでも自立して働いて、私のことまで気を遣う余裕がある。たった二歳の年の差なのに、ものすごく頼れるというか。大人だ。
なんか意識しちゃうよな。なんだろう、自覚したら。
困った、私はどうやら、清ちゃんを好きになりかけている。
というか、好きかもしれない。
というか、好き……?
駐車場まで手をつないで歩いて、車についたら清ちゃんはぜんぜんふつうに手を離した。手をつないでたのって、こどもが迷子にならないように捕まえてたみたいな気持ちなんだろうな。
私が自分の気持ちに気づいたとしても、清ちゃんは清ちゃんのままだもんな。
車の中でも清ちゃんはふつうだった。帰り道は多少は混雑してたけど、遅くなりすぎない時間に私の家に送ってくれた。
「おやすみー」
ってお互い手を振って、清ちゃんの車を見送って、それから家に入った。
私の両親はまだ起きてて、お土産に清ちゃんが買ってくれた、たい焼きを渡したらよろこんでた。おみやげいらないからって言ってたくせに。お母さんはさっそく夜食にしようってお茶を入れ始めたから、私はお風呂に向かう。
浴衣、疲れた。一応脱いで確認したお尻は、汚れてなかった。よかった。
湯船につかって思い出すのは、たっぷり見た花火より、なんだかんだと、清ちゃんのこと。
たこ焼きを半分こしながら、ラムネ瓶で乾杯して笑いあったこと――。
*
私がスマホのメッセージに気づいたのは、眠り支度を整えたあと。
おまつりの会場でも車の中でも、そういえばずっとスマホ、見てなかったな。
フリマサイトのアプリの通知かと思って見たら、友達からのメッセージで、一瞬、うえ、と思ってしまう。
『あれ、美裕ちゃんの彼氏?』
まあ、でも、質問したくもなるよね。
めんどくさいな、と思いながらも、既読をつけてしまった手前、スルーしちゃいけない気がして。
うんうんと考えて、私はもう、はっきりと、言ってしまうことにした。
「幼なじみのおにーちゃん。今こっちでバイトしてて一緒にいる人。まだ彼氏じゃない」
まだ彼氏じゃないし、清ちゃんのことだから、まあ、一生彼氏にはならないだろうけど。
今年一夏、ちょっと好きだった相手ぐらいには、思い出の中に残してやってもいいかもしれない。




