6、利益還元
かれこれ、一週間。
井芹手芸店に残っていたものは、順調に売れていた。売れるということは、売り上げが私のアプリにチャリンと入ってくるということである。最初はそんなに思わなかったんだけど、数が出て、売り上げがどんどん増えていくのを見ると、ちょっと怖くなってきた。
これって、この金額って、ほんとに私がもらっていいものなんだろうか。
不安になった私は、清ちゃんに相談することにした。
「清ちゃん、ちょっとお話したいことが」
和室に清ちゃんを呼び出して、私は改まって話す。
「なに」
「あのですね、一週間たちまして。その、売れたものの収入が、がっつり入金されてるのですが、ご覧ください」
私がアプリを開いて見せると、清ちゃんもわかりやすく大きく瞬きをした。
「え、これ丸ごと利益?」
まだアプリ上ではペイなんだけど、少額の手数料で銀行に振り込んで現金に換えることもできる。もちろんペイのままでいろんなところで使うこともできる。
「思った以上に稼げてる気がして」
儲けたいなとは思ってたけど、売れないのが嫌なので、かなり安いお値段にしていた。そのおかげでどんどん売れて、積み重なった利益がこれである。
「まあでも、一週間バイトしたらこんぐらいはもらえるだろ?」
言われて、私はこの一週間の自分の労働時間を振り返る。朝から夕方までなんだかんだ動いてはいたから、それを時給に換算すると……まあ、たしかに、このぐらいはもらってもいいのかもしれないけれど……。
「でも、私、そんなに働いてる感なくて」
どうしても比べてしまうのは、やめたバイトのこと。接客業だったし立ち仕事だったし、なんやかんや、働いてる間しんどかったもんな。楽しいこともあった……けど……。
私はうっすらと思い出しかけて、慌ててその考えを振り払う。
「おばーちゃんの店のものを、元手なしで私、売ってるだけだから。売れたらうれしいし、この作業結構楽しくて。けど、だから、楽しいのにこんなに売り上げがあったら申し訳ないっていうか」
改めて口に出して、私は実感する。この一週間、すごく楽しかった。そして楽しいのに、こんなに儲けちゃっていいのかなっていう罪悪感がわくのは、なぜだろう。
清ちゃんは私の気持ちに気づいたように、さらりと言い放つ。
「店に残ってるものは、ばーちゃんがぜんぶ美裕にくれたんだから、いいんだってば」
「そう言ってもらえるのはうれしいんだけど」
「ばーちゃんは、遠慮のない欲張りな美裕が好きって言ってた。だから、素直に受け取ってやれって」
遠慮のない欲張りな私。それを気に入ってくれてたのは、おばーちゃん。
でも今、私の前にいるのは清ちゃんだ。おばーちゃんが遺したものを、正しく引き継ぐべき人。
「清ちゃんも、そう思ってる? 急にのこのこ現れた私が、店のもの売り払って、横取りしてんのに、平気?」
ああそうだ、この罪悪感は、清ちゃんに対してのものなんだ。
うなるように伝えたら、清ちゃんは簡単に返事する。
「平気」
あまりにもあっさりした答えで、私はなおも尋ねる。
「清ちゃん、欲とかないの? 自分でやってたらこれだけ儲けてたんだよ?」
私が欲張りだからこんなふうに思うんだろうか? 自分が手に入れてたかもしれない利益を、他人に譲っても平気だと言えるのが不思議でたまらない。
清ちゃんは、少し考えて、静かに言う。
「俺には無理だって。仕事があるし、ってのを別にしても、俺が美裕みたいに暇してたとしても、同じように売るのは無理。手芸用品の知識も興味もぜんぜんないし、店のもの売りさばけって言われても、ほんとに、めんどくせーとしか思えねえの。これは、美裕だからできたこと。だから堂々と、出た利益は給料だと思って、もらっといていいから」
清ちゃんは、とても大人だと思った。
私はぐっと、眉間にしわを寄せる。
「清ちゃん、ほんと、欲がないんだ。お金嫌い?」
私が欲張りすぎるのかな。それとも清ちゃんが人間的にできている、とかそういう感じ?
尋ねてみたら、清ちゃんはすぐに答えてくれた。
「お金は好きだし、……ほかの欲もある」
「え?」
清ちゃんが呟いた言葉を聞き返したら、清ちゃんはそうだ、と話を逸らす。
「んじゃ、その金でうまいもんでも食わせてよ。それで俺の分け前はオッケーってことで」
そう言われてしまったら、私も引き下がるしかない。
清ちゃんには思いっきりうまいもんを食べてもらって、それで還元させてもらうことにする。
「清ちゃん何食べたいとかある?」
「あー、じゃあ、焼き肉? 肉おごって」
「結構遠慮ないね」
「酒も飲むから、よろしく。美裕まだ飲めないだろ?」
なんとなく勝ち誇ったように言われて、私はむっと言い返す。
「飲めないですね」
二つの歳の差を突きつけられた気持ち。私は成人しているけどお酒とたばこはまだだめな年齢で、清ちゃんはオッケーなんだよね。
お店を決めなきゃと私が言う前に、清ちゃんがちょいちょいと指で示しながら言った。
「そこの奥の焼肉屋にしよ。いつ行く? 夜でもいい?」
商店街の中に、昔ながらの個人経営の焼肉屋さんがある。私はもう何年も行ってないところだし、昔行ったときは家族と一緒だった。まだやってんだーっていうのが、正直な気持ち。
お酒を飲むなら夜のほうがいいんだろうなあ。歩いて行ける場所だし、夜に出かけてもちゃんと帰れるはず。
「今日でもいいけど」
「じゃあ今日な。やったー、肉。なに食おう」
清ちゃんに欲がないわけがなかった。ちゃんとあったことに安心する。
さっき清ちゃんが呟いたほかの欲っていうのもきっと、食欲のことなんだろう。
……たぶん、そうだよね?
*
お昼に家に戻ったときに、今日は清ちゃんと焼肉行くと母に話したら、行ってらっしゃいとのことだった。
私が男の人と夜出かけるとかそういう話なんだけど、まったく気にしてない様子。
母にとっては清ちゃんは、いつまでもこどもで、無邪気で無害な、私の幼なじみなんだろう。
*
いつもは夕方になると、清ちゃんちから帰るんだけど。今日は「そろそろ行くかー?」って、二階から下りてきた清ちゃんに声をかけられて、私はうなずく。
「清ちゃん、その格好で行くの?」
「おー。すぐそこだし、いいだろ」
清ちゃんは髪は結んでたけど、服装は甚平のままだ。自由だな。
さすがに夜だし、留守にするしと、清ちゃんも自宅の玄関に鍵をかける。
そこから徒歩数分のところに、目的の焼肉屋さんがある。のれんをくぐる前から、肉の焼けるにおいが道路までただよってた。
「いらっしゃいませー」
中から聞こえてきた店員さんの声に、清ちゃんが先に進んで、「ふたり」と言ってる。出入口の引き戸を閉めて顔を上げたら、席を案内してくれる店員さんと目が合った。
にこり、と微笑まれて、私も会釈する。
美人な人だな。看板娘、ってたぶんこういう人のことだな。
そしてなんだか、私は、この人のことを知っているような気がした。
けど、はっきりとは思い出せないまま、案内された席に着く。四人掛けのテーブルに清ちゃんと向かい合って座った。
清ちゃんはメニューを広げて、すごく機嫌がよさそうだった。
「美裕何食べる?」
「カルビ食べたい。あとご飯」
「俺は飯は後がいいな。まずビールかな……、キムチ頼んでいい?」
「なんでも頼んでいいよ」
そんな会話をしてたら、さっきの店員さんがお冷とおしぼりを届けてくれた。
そして、清ちゃんにとても気安く声をかける。
「清助くん、生中でいい?」
「おー」
「ふたつ?」
「あ、ひとつ。こっち飲酒まだだめだから。美裕、ウーロン茶とかにする? ジュース?」
「……ウーロン茶で」
「はーい」
なんだろう。なんか胸がざわざわするな。清助くん、とかふつうに清ちゃんのこと呼んでたからかな?
清ちゃんがこの店を選んだのは、近かったから、ってだけでなくて、なんかほかの理由――例えばあの美人な店員さんが理由だったりするのかな。
それからすぐにテーブルに飲み物が届けられて、清ちゃんがあれこれ注文をして、それからは頼んだものが続々と運ばれてきて、忙しかったから。
だから、私は一瞬胸に浮かんだざわざわしたものを、忘れようとしたんだけれども。
「人の金で食べる肉はうまい」
「もとはおばーちゃんの財産だよ」
「でも美裕の金だから。ごちそうさまです」
清ちゃんは幸せそうに肉を食べている。以前、私のことを「うまそうに食べる」と言ってたけど、清ちゃんだって、おいしいものを食べるときは「うまそうに食べて」いる。
私も今、そんなふうに食べれてるのかな。お肉もご飯もおいしいけど……。
結局清ちゃんは生中をお代わりしたし、私もせっかくだからとお店おすすめの焼き芋アイスまで食べておなかいっぱい。
支払いは無事にペイが使えた。それでも私にとっては大金がアプリに残ってて、まだあと何回かは清ちゃんにうまいもんを食べさせなくちゃいけないような気持ちになる。
お会計が終わったところで、さっきの店員さんが清ちゃんに話しかける。
「清助くん、おばーちゃんのことは……」
「あーもう落ち着いた」
「そっか。また食べに来てね」
「おー」
ご近所さんだから、おばーちゃんのことを知ってても当然。清助くん、なんて呼ばれてるぐらいだから、親しいんだろうな。やっぱり。
なんとなく、清ちゃんの言ってた別の欲のことがまた頭をよぎる。人間の三大欲求は、食欲、睡眠欲、それから性欲……、うう。そうだよね、清ちゃんだって大人の男だ。いい関係の人がいてもおかしくはない。私が知らないだけで。
それが当たり前のことなのに、やっぱりなんか、胸が苦しい。胃も苦しい。
……食べ過ぎちゃったかも。
そんなことを考えて、清ちゃんとまだ話してる美人の横顔に、私はあることを思い出した。
そうだよ、この人。中学校のときの、清ちゃんの彼女だった人だ――。
*
話は過去に遡る。
私と清ちゃんは、地元の、同じ公立中学校に進学した。
清ちゃんは二つ年上で、私が中一のときに、中三だった。
ほんの数日前まで私服でランドセル背負ってた小学生が、中学校に上がると制服を着せられる。
着慣れない制服姿の同級生には違和感が残る一方で、先輩たち――今思うとたった一つや二つ年上な人たちは、ちゃんと制服を着こなして、しっかり、中学生だった。大人に見えたっていうのも変だけど、そのときはそう思えた。
清ちゃんも、そうだった。
入学して数日後、校舎内で偶然清ちゃんに会って、清ちゃんは「おー」って、私に向かって手を振った。
それまでも制服姿の清ちゃんを見たことはあるし、近所で会っても同じ感じだったけど。自分も制服姿で、校舎内でっていうのは初めてで、ちょっと変な緊張感があった。
それでも私は今までどおりに、彼に、「清ちゃん」って話しかけて……そのとき、何の会話したかとかはぜんぜん覚えてない。どうでもいい話だったんだと思う。週刊連載漫画の内容とか、そんな話。
でも、それが、まわりの先輩には、どうやら気に食わないことだったらしい。
「桃生さんってこのクラスだよね?」
突然私のいた一年の教室にやってきた見知らぬ女の上級生に呼び出され、私は人気のない体育館裏に連れていかれた。
え、これヤンキー漫画で見たことがあるやつだ。ほんとに体育館裏とか呼び出されるんだ、って、他人事のように感動してたのは覚えてる。
呼び出しに来た上級生数名と合わせて、体育館裏にはさらに数名の女子がいた。
「先輩に対して生意気なんだけど」
「井芹くんのこと、あんなふうに呼ぶとか」
「井芹くん、彼女いるんだし」
「馴れ馴れしくしないほうがいいよ」
口々に言ってくる数名の後ろで、じっと私をにらんでた女子と目が合った。なんかそのとき、ピンと来たんだよね。その一番きれいな人が、清ちゃんの彼女なんだって。
――清ちゃん、趣味悪い。
と、心の中で毒づいたけど、もちろん、口にも顔にも出せない。
私は先輩方の迫力と数の暴力に負けて、こくこくとうなずいて、逃げるようにその場から去った。
清ちゃんは幼なじみだけど、これが中学生のルールなら、私はそれに従うべきだ。
彼と話すたびにこうやって目をつけられて、呼び出されたらたまらない。
今回だって、教室に戻ったら、同級生に「美裕呼び出し? 告白? リンチ? どっち?」みたいにおもしろがられたし、それもめんどくさい。
「んー、なんか言葉遣いに気をつけろみたいな?」
「わー、先輩怖っ」
結局それから、私は学校で清ちゃんを見かけても、こちらから声をかけることはなかったし、うっかり会うことがあっても、目をそらして気づかないふりをした。
学校行事で、ほかの子たちが、「なんちゃら先輩かっこいい」とか言いながらきゃいきゃい言ってるのを聞いても、私は仲間に入らないようにした。
とにかく私は清ちゃんには近づかないでおこう。そのほうが平和な学校生活を送れそうだから。
それに、清ちゃんはあの人と付き合ってるんだから、ああいう子が好きなんだろう。だったら、私はもう関係ないよね。
そう、思うことにした。
そんなこともあって、清ちゃんと同じ学校だったにもかかわらず、中学校時代はお互いの関係は薄く、彼が卒業後はほとんど思い出すこともなくなっていたのにな。
それが今、こうして毎日会うようになり、一緒に焼肉を食べたりもしたんだけど。
でも結局、あのときと一緒じゃないか。
清ちゃんの選んだ店には、あの人がいた。
*
焼肉屋さんを出たら、すっかりあたりは真っ暗だった。空には夏の星が輝いている。
清ちゃんちの前を通り過ぎても、彼は私についてきた。
「いいよ一人で帰れるよ。近所だよ」
「いいって俺もコンビニ行くし、ついで」
ここから一番近いコンビニは、私の家の向こう側。
「まだスーパー開いてるからそっち寄ったらいいのに」
話しながら歩いているうちに、スーパーマーケットの前を通り過ぎる。
一応大通りではあるけれど、ほとんど車は通らない。貸し切りみたいな状態で、ふたりてくてくと歩いてく。
「美裕けっこう食細い? 遠慮してた?」
そんなことを尋ねられて、私はおなかに手を当てる。
「してない。食べた」
だいたい、自分のペイで払うんだから、遠慮する意味が分からない。まあ、なんかもやもやしたものが、渦巻いていたのも確かだけど。
それを清ちゃんに言ってもなあ、という気持ち。だけど清ちゃんは納得できないみたいに絡んでくる。
「ほんとかー? なんかあんまりうまそうに食べてなかった」
その言葉に、私は顔をしかめる。我慢してたものが、とうとう口からこぼれた。
「焼肉屋の店員さん。あの人、清ちゃんの彼女じゃん」
「は?」
私の言葉に、清ちゃんは素っ頓狂な声を上げる。動揺してる。
「中学校のときの、彼女だよね」
そして今も?
と、私が付け足す前に、清ちゃんは慌てるように言った。
「なんでそれ知ってんの」
知ってんの、ってことは、事実だったってことか。私はなぜかふふっと、笑っていた。
もう時効だよね? 全部バラしちゃえって。
「中一のとき、体育館裏に呼び出されて、先輩たちに注意されたから。清助くんに慣れ慣れしくしないで、とか。彼女いるんだから、とか」
「……えー?」
清ちゃんは呆れたような声を上げる。そして、がっくりと肩を落とした。
「あー……、なんか、美裕が急によそよそしくなったの、そのせいかって、今。腑に落ちた……。てか、付き合ってたの、実質二週間っていうか」
「は?」
今度は私が変な声を上げた。二週間!?
「俺さあ、自分で言うのもなんだけど、中学なってもあんま、恋愛とかそういうの、わかんなくて。だから、好きとか告白されても、よくわかんないまま、おう、とか答えてて。でもさあ、女子ってあれじゃん、少女漫画的なときめきを求めてくるから、なんか……悪いけど気持ち悪くて」
「気持ち悪い!?」
私はさらに変な声を上げた。こいつ、何言ってんの?
「手つながれても、うれしいとかじゃなくて、べたべたすんのやだなあ、って思ったし。彼女だよ! ってアピールされても、で、俺はどうしたらいい? みたいな感じで……いやー、まじで、俺がガキすぎたんだけど」
なんだか、ちょっとだけ、あの人に同情してしまうな。
「で、二週間で、もう清助くんとは付き合えない、ごめんね、って言われて。終わり」
「そりゃ、終わるよね……」
呆れた言葉をこぼした私に、清ちゃんがはっきりと言う。
「それに、今はあの子、既婚者だし。あの焼肉屋の奥さんだし? ただのご近所さんだよ。ほんとに」
なんで私は清ちゃんに、こんな言い訳みたいなことを言わせてんのかな。
別にそんなことどうでもいいし、って、言い返せばいいのに。できなくて……。
黙ってたら、ふいに清ちゃんから別の質問。
「美裕さあ……バイトやめたのって、なんか理由あんの?」
それはうちの両親だって、詳しく聞いてこなかったやつだ。なのに清ちゃんに尋ねられて、私はぐっと息をのんだ。
「ほんとは戻ってくる予定じゃなかったんだろ、この夏休み。バイトやめた理由知りたい」
「なんでそんなこと」
「そりゃ、心配だから」
「なんで」
「気になるから」
もう少し距離があったら、私は気持ちを整えられたかもしれない。そして、自分の素直な気持ちを、清ちゃんに伝えられたかもしれない。
でも、もう、私の家の前まで来てしまった。家の中には両親がいる。その両親にも言ってない話を、ここで、これ以上、清ちゃんに話すことはできなかった。
「……じゃあ」
私はそれだけ言って、玄関に向かう。送ってくれてありがとうとか、そんな言葉も言えないままだ。
さっき食べたおいしいお肉が胃の中でぐるぐるしてる。気持ち悪い。気持ち悪い。
けど、もったいないから絶対に吐いたりするもんか。
私は口を閉じて、その代わりみたいに少しだけ、なぜだかにじんだ涙を手のひらで拭う。
清ちゃんはもう、何も言ってはこなかった。




