化物と幽霊②
「田中さん、今日も会いに来てくれたんだ!ありがとー!」
白い長袖のYシャツと、チェックのミニスカートに着替えた私は、媚びるように笑顔を浮かべ、両手を前に突き出して振った。
「うん、ユキちゃんと話すのって、落ち着くんだよね」
『ユキちゃん』と言うのは、私の源氏名。
30代も後半に差し掛かるであろう田中さんは、照れたようにはにかんでいた。嬉しそうな彼とは対照的に、私の心は沈んでいた。
あまり女性慣れはしていないように見える純朴さをその年にもなって持っている事も人によっては可愛らしいと感じるだろうし、見眼麗しいとは言わないけれど、社会人として最低限は身だしなみに気を付けているし、定期的に来てくれるし、酔って暴れたりもない。もちろんお金もちゃんと払うし。
だから、彼自身には特に嫌悪感はない。むしろ、お客様として好意的に思っている。
けれど、私の胸は固まり始めたコールタールのような、ドロッとした嫌悪感で満たされていく。
その理由は、別にさっき直した化粧のノリがいまいちだった事でも、さっきカッターナイフで切った手首に走るズキズキとした疼痛が理由でもない。それも一因ではあるけれど。
どうしようもない自己嫌悪。それが理由。こればっかりはどうしようもなくて、また手首を切りたくなる。
けれど、さっき同じくキャストのマイカちゃんに「バックヤードで手首切るの辞めてもらっていい?」と怒られたし、流石に今するわけにもいかないだろう。
自傷行為は落ち着くけれど、他人に怒られるのは普通に凹む。そして、それが理由でもう一度手首を切る。負のループだ。
それに、以前別のお店で深く切りすぎて救急車で搬送されてクビになったことがあるから、流石に気を付けないと、とは思っている。衝動を抑えられるかどうかは別にして。
以前、店長に言われたことを思い出した。
「ユキちゃんてさ、別に仕事が出来ないとか、愛想がないとかそういう訳じゃないけれど、なんていうか、人に嫌われるタイプだよね。根本的な所で、人の気持ちとかが分かってないというか」
私が全然指名客かいない、という説教を閉店後長々とされて、いい加減うんざりした私は「そもそもコンカフェで指名は違法ですよね?」と捨て鉢に返した時に言われた言葉だった。
その言葉を言うタイミングは置いておいて、店長の言っている言葉に、確かにそうかもしれない、と思った。
仲の良かった数少ない友人達は気が付くと疎遠になったし、この仕事でお客さんから説教をされる事も他の子と比べてもやたらと多い。
私は自分が女の子しか愛せないから生きづらいと思っていたけれど、もしかしたらそうでなくても、社会から爪弾きにされる存在だったのかもしれない。
あれから、少しして田中さんが私を指名してくれるようになったけれど、それでもそんな気持ちは拭いきれない。
そんなことを考えて、また気分が沈む。
もう既に落ち込み気味だし、田中さんには申し訳ないけど、今日の接客はサボり気味でいこう。そんなふうに最低な決意をして、ふと視界を動かすと、いつの間にか田中さんからひとつ離れた、カウンター席の一番端の席に、1人の女性が座っているのが見えた。
頬杖をついて、何もない壁に顔を向けている。こちらから表情は見えないけれど、きっと退屈そうな表情をしているのだろう。
さっきからいたっけ?と思い返すが、その限りではいなかった、と思う。少なくとも私がカウンターにつくまではいなかったし、入っていたばかりにしては、誰も接客していないのもおかしい。それに、女性が来ること自体はなくはないけれど、流石に初見のお一人様は珍しい。
頭の中に疑問は尽きないが、ご新規のお客さんを放っておくのは気が引ける。店内を見渡しても、今日出勤の他の女の子は全員他のお客さんの接客をしているようだし、位置的にも、どう考えても私が一番近い。まあ、本来なら、席に誘導したキャストがするべきなんだろうけれど、誰か分からない以上、私が接客するべきなんだろう。
「田中さん、ちょっとだけ待ってもらえる?」
「ん?うん、大丈夫だよ」
「本当優しい!ありがとね!」
落ち込んだ気持ちを出さないように愛想を振りまいて、少し横にスライドするように移動して頬杖をついた彼女に話しかけた。
「おねーさん、今日ここに来たのって初めて?」
私の声に反応した彼女は、ゆっくりと顔をこちらに向ける。目が合って、私は思わず息を呑んだ。
生気を感じられない程白い肌に、切れ長で緑色の瞳。白い着物の襟元と手首からは黒いレースが見えていて、どこかコスプレとか、衣装のような装いをしているから同業者かと思ったが、すぐにその可能性を否定した。
こんなに綺麗な子なら、すぐに噂になる。きっと情報に疎い私でも聞いた事はあるはずだ。けれど、SNSでも見た事がない。
「あら、いいの?私の隣に座ってらっしゃるお兄さんの接客は」
黒いレースグローブに包まれた指先を口元に当てて、からかうように言った彼女からは妖艶な色気があった。
蛇みたい。そんな風に思った。なまめかしい彼女の所作に、薄暗い照明に照らされた私の顔は、濃い化粧の下で赤く染まり、思わず固唾をのんだ。
「あれ、聞こえているわよね、私の声?」
思わず見とれていると、不安そうに彼女は私の顔を覗き込む。どこか迷子になった子供のような趣があるその表情のギャップに、私の心は更に大きく跳ねた。
「ご、ごめん。あまりにもおねーさんが綺麗だったから、見惚れちゃってた」
冗談めかして言ったが、本音だった。細身でスレンダーな体型も、レースグローブの下にうっすらと見える細い指先も、艶めかしい声色も、その全てがあまりに魅力的だった。
私の言葉を聞いて、気持ち悪がるでもなく「ああ、そう」と安堵したように返事をするだけで、私も少し安堵する。
「それで、何の話だったかしら?」
そう言われて、私の本来の役目を思い出す。
「あ、そうそう。おねーさん、今日ここに来たの初めてだよね?」
「ええ。初めてよ。お店に来たのも、こういったお店に来たのも。それに、貴女に出会ったのも」
そう言って艶めいた笑みを彼女は浮かべる。もし、彼女がこちら側であれば、私は今すぐボトルを入れただろうが、幸いお客さんは彼女だ。おかげで、私は彼女に貢がずに済んだ。
「あの、ユキちゃん………?」
隣でハイボールを飲んでいた田中さんが、不安そうに私の名前を呼ぶ。傍目から見ていても、私の奇行が目立ったのだろう。彼の目は、まさにそう言った様子だった。
「ご、ごめん、もうちょっと待ってて!」
胸に手を当てて気持ちを落ち着かせ、熱くなった顔を誤魔化すように満面の笑みを浮かべる。
「本当、お姉さんの顔反則過ぎるって」
「ふふ、好きになっちゃった?」
「ん゛ん゛ぅ!!」
彼女の一挙手一投足が、私を魅了する。声にならない悶え声を上げた私に向けるドン引いた目線で、少し落ち着きを取り戻したが、それでも目が合うだけで鼓動が高鳴る。
「お店の、ハアッ………説明、しないとね………」
「え、ええ………」
どことなく魔性のような雰囲気のある彼女だが、何もしていないのに息も絶え絶えな私を見て逃げ出さないあたり、優しい性格なのかもしれない。あるいは、私のあまりの挙動不審さに、私から目を離す事に危険を感じているのか。
ある意味で、お互いに、一挙手一投足を見逃せないわけだ。その理由は、まるで違うけれど。




