ハッピーハーピィ⑪
太刀の冷たい感触が首に食い込む。つぷ、という軽い音を立てて皮膚と筋肉が引き裂かれる。痛みはそれほど感じない。代わりに、冷たい感触がした。骨に太刀が触れた瞬間、既に切り離された部位が熱を帯びて、痛みの信号が点滅した。
悠久とも感じる長い時間の後、ゴリッという骨の感触。僅かに引っ掛かるが、私の力では容易に両断出来た。勢いそのまま両断した瞬間、撥ねられた頭は、その太刀の勢いか、首から溢れた血液が押し出したかは分からないが、上空に跳んだ。ゆっくりと回転しながら上昇していく。
血と地が夜の帳で黒に染まっていて、街灯はグール達を照らさない。照らされるのは、私の身体と、上空に浮かぶハーピーのみだった。『幽霊』もいたけれど、彼女はどちらかと言えば街灯に近いように思えた。
今際の際だというのに、心は不思議な程穏やかで、いつも感じていた自身への嫌悪感や、世間からの疎外感は消えていた。
そんな穏やかな気持ちで、私は回る首に映る景色に目を向けると、私の身体が映った。
こうして私の身体をしっかり見るのは久しぶりだ。いつも、私の身体の女性的特徴に嫌悪感を抱いてしまって、どうしても見るのが不快だった。けれど、こうして頭と身体が別の今は、まるで他人の身体のように感じられる。
今際の際だ。しっかりと観察しようじゃないか。そんな思いでまじまじと見る。首からは血が、炎のように溢れて吹き出ていた。けれど、それ以外はいつもと変わらない私の体。
良く実った果実を思わせる豊満な胸と、それと不釣り合いな程すらっとして少し小柄な身体。『幽霊』みたいなすらっとしたモデルのような身体もいいけれど、小柄で柔らかそうな肉体もそそられる。私の身体でなければ。
そんな私の身体の周囲に、長く黒い線のようなものが無数に中空に浮いていた。クルクルと回転しながら広がっていくそれが、私の髪の毛だと気が付くまで然程時間はかからなかった。だが、それが空中で制止しているかのように見えた事に違和感を覚えるまで、少しだけ時間がかかった。
その事に気が付いて、良く考えると、私の首が回っている以外、周囲の景色は何も動いていないとことに気が付いた。
体感ですぐ、実際の時間にすると恐らく刹那の時間程驚いたが、すぐに私はこの現象に自分なりの答えを見つけた。
よく、事故とかで大怪我を負った人が、『時間がゆっくり流れた』と言うような話をしているのを、テレビとかで聞いた事がある。何とか現象って言ったはずだけれど、詳しい事は忘れた。
大怪我で、そうなるのだとしたら、首を両断した今は、周囲の景色が止まっているように感じる程遅くなってもおかしくはない。
もし、こんな風に止まった世界を眺められるようになるのが、せめて首と頭が繋がっているうちに出来ていれば、高速で動く肉体も、自在に操る事が出来たのかもしれない。そうすれば、太刀をバッタバッタと振り回してーーー。
身体を実際に動かすイメージでそんな事を考えた刹那、視界の端で、『それ』だけが、私の身体だけが、動いているのが見えた。首のない、私の身体が、私の想像した通りの動きと、寸分の狂い無く。
振るった太刀は、私の身体の周囲に立ち塞がるグールを切り裂いた。豆腐に箸を入れたような淡い感触。何故かその感触が、頭だけになっているのに、何故か分かった。
ここにきて、また分からない事が増えた。今日一日、こんな事ばかりだ。死ぬ日に分からない事が増えると、それが解決することはない。だから、ただ心にモヤというか、未練のような、そんな荷物が増えるだけで、いい事は何もない。
頭だけでため息をついて、ふと、ある事が気になった。
身体の動きに意識が追い付いているからか、先程までと違い、太刀を振るった私の身体はバランスを崩していない。もしこのまま、私があの身体を動かしたら、あの包囲網を突破できるのではないか?
また一つ分からないことが増えた。けれど、この疑問に答えを出す事は出来る。今私が、身体を動かして、意識が途切れるまで動き続ければいいだけなのだから。
ただ、それを解決する為にはグールと化した彼等を殺さなければならない。自分の命と天秤にかけても躊躇っていたそれを、死んだ今ならやっていい、なんて事はない。
けれど。けれど、だ。
やっぱり、どうせ死ぬんだから、いいじゃないか。そんな気持ちになってしまう。どうせ死ぬんだから、それに、彼等に自我もないらしいし。人の形をした抜け殻を壊すくらい、いいじゃないか、と。
それに、これ以上の荷物は増やしたくない。死ぬ前くらい、好きに死にたい。
だから、私は初めて彼等を殺すつもりで太刀を振るった。グールの身体は内側から爆破されたかのように肉片になり飛び散って、血液は自由な軌跡で宙を舞った。
それは、止まった世界では赤い彼岸花のように見えた。グロテスクなはずのその彼岸花が、何故か私には艶やかで色めいたものに映った。
むせ返るほどの血の匂いが剣圧でこちらまで届いて、鼻腔をくすぐる。脳髄が蕩けてしまいそうな程の血の匂いが私の倫理を薄める。
二度、三度。踏み込みながら太刀を振るう。その度に血の匂いがより濃密になる。その頃には既に躊躇いはなく、頭が上空を見つめる頃には、彼岸花の花畑がコンクリートの上に現れた。
胸の奥で感じていた熱の正体を、今理解した。これは快楽だ。リストカットをした時に感じていたものと似た快楽。人を殺す不快感と、僅かな後ろめたさ。それと、私はまだ生きているという確かな実感。
そうか、そうなんだ。
『人は1人では生きてはいけない』
よく聞くその言葉の意味を、私は初めて理解したように思えた。
他人と自分は、一見すると大きな隔たりがあるように思える。けれど、実際そこには壁なんてものは無くて、私と人は、繋がっている。だから、人間は人と関わり、感情を共有できる。
他人は、自分だ。
だから、この快楽は、私が私を殺した快楽。その快楽に酔いしれる度、魂が肉体から解放されているのを感じる。
私はずっと、こうしたかったのかもしれない。
人を殺すのは、自分を殺す事と同じだ。
頭が再び地表を眺めたその時、地面からは10メートル近く離れていた。それでも私が人と繋がった証である彼岸花の花畑はくっきりと視界に映り、私の身体が見えている間、さらにその花畑を広げるように太刀を振るった。
頭が上空を見上げた頃、エリはことの異変に漸く気が付いたのか、慌てたように頭を下げて私を探す。けれど、その時地面を蹴り上げて、高くは寝た私の体は、彼女の頭上にあった。
そして、喧しくけたたましい声で喚いていたその頭めがけ、斬首するように太刀を振り下ろした。




