ハッピーハーピィ⑧
私とエリ、そしてグールの群れとの追いかけっこはしばらく続いた。
グールに関しては単純に足が遅いし、エリは私が走るより早く飛べるけれど、先程までの私の攻撃を警戒して、迂闊に近寄らない。あれだけ怒り狂っていた割に、今は無言で私を睨みつけるだけで、それが逆に不気味だった。でも、そんな私の気持ちとは裏腹に、特にないも起こらずに、しばらく膠着した状態が続いた。
「ねえ、今言うことではないのかもしれないけれど、ひとついいかしら?」
『幽霊』は、膠着状態に焦れたのか、私にそう話しかける。
「なに?」
この身体で走る事にも少し慣れてきた私は、エリに警戒しながらもそう聞き返した。いつの間にか上野の方まで来ていて、狭い路地を通るうちに、後方から私を追いかけているグール達は、狭い路地を通るたび、途中でバラけたのか、最初よりも数が少なくなっているような気がする。そんな状態で、私もどこか緊迫感が薄れていたのだろう。
すぐ左に高架橋が見える、いつもは人がごった返して走る事もできないような場所に、ほとんど人がいないのはやはり気味が悪いけれど。
「貴女は、今『フリークス』の姿になっている訳よね?」
「そう聞かれても分からないけれど、急に太刀が出てきたし、きっとそうなんじゃない?」
少なくとも、今まで生きていて、カッターナイフが太刀に変わった事なんてないし、そもそも太刀を持ったことすらない。
「まあ、そうね。けれど、それなら貴女は何の『フリークス』なのかしら?」
「『何の』って、どういう事?」
彼女の問いかけの意味が分からずにそう聞き返したが、彼女は呆れたように、憐みを込めた目で私を見つめてため息を吐くので、私は少し苛立ちを覚えた。
「あのね、そんな風にするけれど、私はこの世界に来たばかりだし、説明も飛び飛びで、正直全く状況を理解出来ていないの。今分かっているのは、私がエリに殺されそう、って事と、とにかくここが異世界だって事くらい」
その苛立ちをぶつけるように私は言い返す。
「まあ、そうね。確かに、色々と説明不足だったわね。状況が状況ではあったけれど、それは私も反省しているわ」
渋々といった様子ではあったけれど、思っていたより素直に彼女が認めたので、私は思わず拍子抜けして、先程まで抱えていた苛立ちはあっさりと霧散した。
この世界に連れてこられたのはどう考えても彼女のせいだ。
けれど、妖しい雰囲気を纏っているのに、どこか素直な少女のようでもある彼女を、私はどうしても憎む事ができない。何より顔がタイプ過ぎる。
「状況が落ち着いたら、もう一度詳しく説明させてもらうわ」
「う、うん。ありがとう……」
感謝をするような事ではないのに、思わずその言葉が口をついた。
そういえば、何故彼女は私を逃がそうとしてくれているのだろう?
ふと、そんな疑問が頭を過ぎった。『開演』した時も私を逃がしてくれたし、エリが激昂した時も、逃げ道を探してくれた。
何か理由があるのか、訊ねようとした時、『幽霊』が口を開いた。
「それで、話を戻すけれど。『フリークス』は、自らの心を表す化物に姿を変えることができると言ったでしょう?」
「ああ、確かに言ってたかも」
詳しい事は覚えていないけれど、『化物に姿が変わる』と言っていたし、きっとそういう言い方をしていたのだろう。
「そしてその姿は、元となる伝承の化物がいるの。細かい見た目とか能力は、異なる点があったりするけれど」
「へえ、そうなんだ。……あ」
そう呑気に返してから、彼女の言いたい事を理解した。
「けれど、貴女の能力に当てはまる化物を私は知らないわ。外見関しては、変化も見られないし。貴方はどうかしら?」
確かに、エリは腕から羽根を生えているし、明らかに人とかけ離れた姿をしている。一方私は太刀を手にして、コントロールできていない『怪力』を手にした。けれど、そんな化物は知らない。『鎌鼬』とか、人型だから『小豆洗い』とかがよぎったりもしたけれど、そのどちらも違うような気がする。
「そう言われても、そもそも日本の妖怪くらいしか知らないし……」
「貴女のその外国嫌いはどこから来ているのよ……。とにかく、あなたにも心当たりがないのなら、貴女の『フリークス』としての力は、まだ何か隠されているある可能性が高いわ」
期待がこもっているのか、少しだけ熱を帯びた彼女の声に、私は辟易する。そう言われても、私はどうすればいいのか分からないし、そもそもそういった期待に応えられた事などまるでない。
ただ、先程手首を切ってから、『フリークス』の力を手にしてから、普段より心が落ち着いている実感がある。普段の感情の起伏が荒れた海だとすると、さざ波程度で落ち着いているような感覚。もし、この力に続きがあるのならば、もう少し、私は心の平静を取り戻せるのだろうか。そんな望みの薄い願望を、思わず自分にしてしまう。
『フリークス』の姿は、『心を表す姿』らしい。ありのままの自分の姿になる事が出来れば、受け入れる事が出来れば。
私は、今日仕事場に向かうまでに見た、看板の女の子の絵を思い出す。あんな風に、自分を肯定出来れば、私は生きたいって思えるかもしれない。そんな淡い期待が芽生えたが、すぐにそれを否定する。そんな事、できるわけがない。自分を受け入れられなくて、私は今、こうなっているのだから。
「……ずいぶん楽しそうに、お話してるね?」
頭上から、エリの声が聞こえて、驚いて見上げた私は思わず転びそうになった。引っかかったつま先がアスファルトをバターのように削るが、なんとか立て直す。驚いたのは、彼女の声が苛立っているというより、むしろ感情の希薄な、無感情な声だったから。
私を殺したい、けれど殺す手段がない。そんな感情を、必死に殺しながら私の後を追いかけて、殺す手段を考え続けた。そんな殺意を押し殺したら、全ての感情が薄れた、そんな彼女の無機質な声に、寒気がした。
どうやら『幽霊』も同じ気持ちだったのか、緊迫した表情でエリに目線を向けると、静かに唾を飲み込む。私達の弛緩していた空気は、その音が聞こえる程に再び張りつめた。
「キャハッ、今度は、黙っちゃうんだ?……ねえ、何か気が付かない?」
彼女から漏れた喜びの感情は、殺意そのものだった。
言われて周囲に意識を向ける。遠くに、ここに移動するまでに逃げた『モブ』達の悲鳴と、グールの呻き声、私たちを照らす街灯。何ら変わりはない。そう思った。
「……ねえ、グールの声、前からも聞こえるような気がするのだけれど」
『幽霊』の震える声で、私は初めて気が付いた。というより、今は狭い道を通っているから分かりづらいけれど、前だけではなく、右からも左からも、四方八方から聞こえる。私達を囲うように。
冷や汗が溢れた。
「キャハッ、その顔、もしかして気が付いたぁ?」
嗜虐趣味が混じるエリの声、私はずっと彼女をリョウの被害者だと思っていた。あくまで彼女はリョウに言われているから私を殺そうとしている、彼女は操り人形なのだと、そう思っていた。
グール達の呻き声と、足音が徐々に大きくなる。やっぱり、私の気のせいじゃない。
「これでもう逃げられないよね?ね、ウチ、頭いいでしょ」
広い道に出る。踵を返そうにも、後方からも追われているせいで、それも出来ない。左右に開けた道、高架橋の下を何車線もあるような、開けた場所。
人がいた。先程まで見当たらなかった人が。正しくは、『人だった化け物』が、グールがいた。数百人の包囲網が、開けたその場所に敷かれていた。
遮るものが少ないからか、一層大きく聞こえる呻き声と足音に、恐怖からか、私は走っていた足を止めた。
どうしよう、どうすれば、ここを切り抜けられるだろう?思い切り突っ込めば、もしかしたら、先程のように切り抜けられるかも。けれど、グールとなった彼らを殺してしまう。できるだけ、殺したくはない。でも、どうすれば私が生きて帰れるかが思い当たらない。
そう考えて、私はあれ?と疑問を覚えた。
そもそも、私って死にたくないんだっけ?
「ふふっ」
絶望的なはずなのに、思わず吹き出してしまう。化物になったらしいけれど、それでも私は何も変わってない。
行きたいのか、死にたいのか。化物になったらしいけれど、結局そんな事も分からない程、変わっていない。それに気が付いて、思わずため息が出た。結局私は私のままなのか。
「ほら、グールにぶっ殺されちゃえ!!」
エリの叫び声に、呼応するようにグール達は私めがけて駆け出した。怒号のような足音は、普段の上野の人混みを思い出させた。
変わっているのか、何も変わっていないのか、私にはよくわからなかった。




