教室と出会い(1)
寒さがすこし和らいだころ、ミズリィはスミレの案内で平民区の『教室』へ足を運んだ。
メルクリニも一緒だ。護衛騎士となる約束をしたし、本人もやる気で、今日も快く来てくれた。
「私だってスミレの先生というお方が気になってるんだよ」
「良い方ですよ」
スミレも学院に上がってからは会っていないという。教室の生徒もほとんども顔見知りだから、久しぶりの再会でスミレはすこし浮かれているようだ。
「こちらです」
「……教会がこんなところにあるんだな」
スミレの家の近くだという、小さな教会だ。
小さすぎて、特徴である真円に葡萄の葉があしらわれたレチーフが下がっていなければ、教会だとは気づかなかったかもしれない。
その教会の裏にある空き地が、『教室』だった。
ミズリィたちがその空き地に足を踏み入れると、十数人いた子どもたちと、2人の大人が、いっせいに振り返った。
「先生!お久しぶりです!」
「スミレさん、お久しぶり」
スミレが走っていくのは、一本だけ生えている細い木のところだ。そのそばに女性が立っていた。
年齢は、ミズリィの父くらいだろうか。細い小柄な女性で、穏やかな顔つきだ。色の薄い金髪をきっちり結い上げて、服装はこざっぱりしたワンピース。
「お元気でしたか?みんなも?」
「ええ、今年は誰も欠けることがなかったわ」
「良かったです!」
メルクリニが、隣で息を呑んだ。
「どうしましたの」
「……いや、相当貧しい子どもたちも混じっているようだって」
「え?」
「先生が言っただろう。今年は誰も欠けることがなかったって……去年は寒かったし、もしかしたら寒さや飢えで、家族や本人が亡くなったりして、教室に欠員が出たりしたんだろう」
「まあ……!?」
メルクリニはいたましそうに子どもたちを眺めている。
「先生、紹介します。こちら、学院で仲良くしてくださるミズリィ様、メルクリニ様です」
「ようこそ、ご足労いただきまして、お礼を申し上げます」
普段貴族の屋敷に勤める使用人のような、優雅なお辞儀で先生は挨拶してくれた。
ミズリィたちも、同じく挨拶を返す。
「お邪魔いたしますわ」
「失礼する」
子どもたちは、お姫様だー、や、偉い人?と首を傾げたり目を輝かせたり、中には嫌そうな目で見たりしている。
「ミズリィ様、メルクリニ様、こちらは子どもたちに勉強を教えてくださるジェニー先生です」
「今日はよろしくお願いします。しがない指導ですが、なにかの参考になれば嬉しい限りです」
「スミレの先生と聞いて、とても気になっておりましたの。こちらこそ、どうぞよろしくお願いしますわ」
ミズリィがそう言うと、ジェニー先生はすこし目を見開いて、それからにこりと笑う。
「どうぞ、楽になさって。ああ、あと、こちらの方を……」
「僕も見学者ですよ」
少し離れた場所にいた、男性だった。
背が高い、ひょろりとした印象の若い男性だった。身なりは悪くない。平民ではないだろうけれど、貴族にしては着飾っていない。模様の入らない皮のコートで全身を覆っていて、顔立ちも派手なじゃないし、表情は愛想が良い。
「アートといいます。たまにこちらに出入りさせていただいています」
「よろしくお願いしますわ」
「よろしく」
どうやら、このアートという男性は、何度もこの教室に通っているらしく、子どもたちは慣れた様子で彼に手を振ったりしている。
(どういった人かしら)
うまくいえないが、不思議な人だ。
気づいたことといえば、この帝都の人ではないだろうということくらい。
彼の発音はクセがあって、長く帝都に暮らしていたらもうすこし上手いはずだ。
田舎の人間が帝都に来たのか、あるいは、外国の人か。
スミレも彼のことは知らないらしく、初めましてと挨拶していた。
「では、授業を始めましょうか」
挨拶は簡単で、ジェニーは木の枝に黒い板のようなものを引っ掛けた。そこに、手に持った白い石でかりかりと引っ掻いて――そう、黒板だ。
「今日はお客様がいらっしゃいましたので、まずはご挨拶しましょう。こちらは、皆さん知っていらっしゃいますね」
「はーい!アートさん!」
「こんにちはアート兄ちゃん!」
「はーい、こんにちは」
次々と大きな声で挨拶されるアートは、にこにこと彼らに手を振った。
「では、この方は?」
「スミレちゃーん!」
「姉ちゃんまた来た!」
「お姉ちゃん生きてたぁ~」
「こら、こんにちは、は?」
「「「こんにちは!」」」
スミレは人気者らしい。
先生はいっそう笑って、じゃあ、とミズリィとメルクリニを手のひらで示した。
「こちらのお姉様がたは、ちょっとむずかしいわ。司祭様と同じようにね、気をつけをして」
「えー」
「しっ、お姫様だよ」
「キゾクっていうんだろ?」
「はい、皆さん。気をつけ」
足を揃えて、こんにちは!と勢いよく頭を下げられた。
メルクリニと目を合わせると、彼女も苦笑している。
「こんにちは。今日は一緒に勉強をしたいの。よろしくですわ」
「え?お姉ちゃんも勉強するの?」
「キゾクって勉強しないんだと思ってた」
「ねー」
「違うよ、みんなと一緒で大変なんだよ」
スミレが生徒のひとりひとり、肩や手を引っ張ってジェニー先生へと向き直らせている。
ジェニーは何も言わず見守って、それから足元に置いていた荷物から、四角い箱のようなものを出した。
「はい。よく出来ました」
箱から取り出したのは、小さな丸い……食べ物だろうか?ミズリィには飴のようなものに見えた。はしゃぐ子どもたちに、先生やスミレ、アートが手分けしてそれらを配っていく。幼い子供が多くて、その飴を大事そうに口に入れている。
「飴?」
「うむ……」
ミズリィもだけれど、メルクリニも同じように不思議そうな顔をしている。なぜ、飴が出てくるのだろう。勉強をしに来たのではなかったのか。
またジェニーは荷物から物を取り出した。
四角いカードが束になっている。
「では、今日はこんなにたくさんお客様がいらっしゃるので、皆さんのお名前を覚えましょう」
「はーい!」
「おなまえー」
「では、まずは、久しぶりのスミレさんから」
先生がカードを一番手前の子に渡すと、彼女はさっとカードを一枚ずつ子どもたちに配っている。
行き渡った……かと思いきや、数枚を持ってミズリィたちに近づいてきた。
「どうぞ、これを持っていてください」
「これは?」
「『R』?」
「ご覧のとおり、文字のカードです」
スミレが戻ってきて、自分の『T』のカードをひらひらと見せる。
「私達にとってはすごく簡単なゲームですよ」
「ゲーム?」
「授業では?」
「まあ、見ていてください」
ジェニー先生が、すっと手を挙げると、一番小さな子が自分のカードをぐっと上に掲げた。
「――『S』?」
すると、次の子が、またカードを上に上げる。
「『U』?ああ、そういうことか」
メルクリニはニヤリと笑って、自分のカードを上に上げた。『M』のカード。
次は二人の子が同時に上げて……ひとりははっと恥ずかしそうに引っ込めた。
残った子のカードは『I』。
「あ、……ええと」
合っているのかどうか。
ミズリィが自分の『R』のカードを上げると、最後の子が勢いよく『E』のカードを上げた。
「よくできました」
ジェニーが拍手をすると、みんながきゃあきゃあと歓声を上げる。
「ね?簡単なゲームでしょう?」
スミレは笑って、先生の近くにまた駆け寄った。
戻ってきた彼女の手には、飴が3つ。
「ご褒美ですよ」
「ご褒美?」
「ああ、こうやって子どもたちのやる気を上げているんだな?」
メルクリニは飴をつまんで自分の口に入れた。
「レモンの味がする。大丈夫だ」
「わたくしもよろしいの?」
「ええ、全員正解したので」
飴だと思っていたら、柔らかいヌガーのようなもので、レモンの香りと甘い味がした。
「では、次は、アートさんのお名前ですよ」
ジェニーがまた手を上げると、今度はすこし時間があった。無事カードが上がるとみんな嬉しそうに笑う。
「今度も、ミズリィ嬢は間違えられないな」
クスクスとメルクリニが笑ってそう言ってくれなければ、ミズリィはぼうっとしてカードを上げ損なうところだった。




