教室と出会い(2)
授業は一時間ほどで終わった。
さきほどのゲームのようなものばかりで、楽しんだこれがなぜ勉強になるのか、ミズリィにはちょっと分からなかった。
その後教会に入り、隅の席を教会の人に許可をもらってジェニーと話をさせてもらった。
「改めまして。私は平民区の子らに勉強を教えております、ジェニーと申します」
やはり貴族への挨拶は優雅で、もしかしたらと思ったのだが。
「いいえ、平民です。ただ、家は裕福で、数年とあるお屋敷でメイドとして働いたことがございます」
「なぜこのようなところで子どもたちに勉強を?」
「なんてことはありません。ただ、私が彼らにできることをしているだけなのです。文字を書けるだけで商人の下働きもできますし、お屋敷で働くことも出来るのです。見ての通り……明日食べていくのも困難な子どもたちがいます。せめて、働くことができれば、その家族も生き残れる可能性があるのです」
淡々と、ジェニーは語っている。
ミズリィは胸が痛い。
スミレと友人にならなければ、きっと、言葉でそう言われたって、子どもたちが可哀想だとほんのすこし思うだけだっただろう。
どう可哀想なのか、分からないまま。
「それで……ミズリィ・ペトーキオ公女様が、このジェニーにお望みのことは、スミレさんから聞きました。教室を一度見ていただきたかったのですが……来ていただけるとは、本当に名誉なことです」
頭を下げるジェニーは、すこし疑っているようだった。
「けれど、こんな子どもたちを相手に、簡単な読み書きを教える家庭教師にも満たない私に、オラトリオにも在籍される公女殿下のガヴァネスとは……分不相応かと」
「先生!」
スミレがぎょっとしている。
断るとは彼女も思っていなかったらしい。
「いいえ、わたくしは、ジェニー先生が良いですわ」
「理由をお聞きしても?」
「……もしかして、スミレ、先生には……」
メルクリニがふとなにかに気がついたようだった。
そっとスミレが顔を背けた。
「えっと、はい。本当の理由は……私の口から伝えて良いものか分からなかったので……」
少し考えて、ミズリィは、ああ、と声を上げた。
別にいいのに。メルクリニも苦笑している。
「ジェニー先生。わたくしは公爵令嬢で、魔力はそれなりに持ってはいますが、勉学の方はできませんの」
「……はい?」
ジェニーは目を見開いて、一瞬動きを止めた。
「ガヴァネスも、ご自分は教えられないと屋敷を去っていく方ばかりで……わたくしの言っていること、お分かりになります?」
ジェニーは無言でスミレを見た。彼女はしっかりと先生を見て頷く。
「ミズリィ様は、帝国一の魔術師といわれてもおかしくないほどですが、勉学の方は学院でも……下から数えたほうがはやいくらいで……」
「す、スミレさん」
ジェニーはおろおろとしている。
すごく動揺している。
ジェニーははっとなにかに驚いたようにミズリィを見て、失礼いたしました、と椅子に座り直した。
「ご無礼を承知で、把握させていただきますが、つまりミズリィ公女様は魔術師としてはオラトリオにふさわしい方でありがなら、座学の方は難があると……おっしゃられているのですね?」
「ええ、間違いありませんわ。ですので、平民でありながら成績優秀なスミレを教えたという先生に、わたくしの勉強も見ていただきたいのです」
「――そうですか」
ふう、とため息をついたジェニーは額を手で押さえた。
「ですが、私は、この教室を止めることは考えられません」
「ええ、もちろんですわ」
スミレを教えたくらいの確かな知識と実力はあるのに、貴族のガヴァネスもやっていないという。
理由は、先ほど彼女が言った通り、平民の貧しい子たちを少しでも助けようとしているから。
その邪魔をしてはいけない。
「ですので、先生が無理にならないお時間で、わたくしに教えてくださらないかしら。もちろん、ガヴァネスとして相応の報酬はお支払いいたしますわ」
「……」
「先生、どうか、お願いします。ミズリィ様はとても困っていらっしゃって……」
スミレがそう訴えると、ジェニーはふと顔を上げた。彼女を見る表情は、苦笑だった。
「……あなたにそう言われると、弱いわ」
「先生……」
「スミレは私が教えた中で、一番優秀な生徒です。あなたが学院に入学できたのは、紛れもなくあなたの実力よ。公女様に同じ結果が出ることはないでしょう」
「もちろんです。そんなことを公女様は望んでおりません。ミズリィ様は……努力したいだけなんです」
「お気持ち、理解いたしました。数々の無礼、お許しください」
「ええ、もちろんですわ」
無礼のうちにも入らないけれど。
教室があるから、やはり時間を長く取ることが難しいというジェニーは、週に2度、朝に公爵邸へ来てくれることになった。
「私にはオラトリオの水準を教えることはできません。あくまで、基本の語学、算術、歴史が中心です」
「ええ、十分ですわ。あのゲームでもよろしくてよ。面白かったわ」
「それは、良かったです」
満足そうに、ジェニーは笑顔だった。
話が終わり、教会を出ると、そこには先ほど教室にいたアートが佇んでいた。
ジェニーが首を傾げた。
「あら、お忘れ物ですか?」
「いえ、実は、無礼を承知で、公女様とお話ができないかと思いまして」
アートがじっとミズリィを見つめる。
やはり背が高い。ミズリィも低い方ではないけれど、見上げてしまうほど。
頼りなさそうな線の細い男性だった。こざっぱりしていて、着るものも傷んだりしてる様子はなく、やや伸ばし気味の白っぽい髪も整えている。小さ目の瞳は、明るい茶色で、まっすぐにミズリィへ届く。
メルクリニがすっと前に出て、その視線を遮った。
「なんのお話かは知らないが、ペトーキオ公女殿下にあまりにも不躾ではないか」
「お許しを。しかし、このようなところでお会いしたのもなにかのご縁、どうしてもお話したいのです」
「いいですわ」
メルクリニの横から、ミズリィは一歩踏み出す。
「お話しだけなら構いませんわ」
「ありがとうございます」
手振りもなく、頭だけ下げるアート。きれいな礼だけれど、不思議な所作だった。
まだ疑っているメルクリニと、スミレが一緒にもう一度教会へ。
「まさか、このようなところでこの国の公女様にお会いできるとは思ってもおりませんでした」
アートは言葉のとおり、驚いているようだった。
「あなたは、帝国の方ではないのかしら?」
「お分かりですか。ええ、生まれはティルシス王国の、まあしがない子爵家の五男です」
肩をすくめて、アートは笑った。
ティルシス王国とは――
「テクリク・リス教会総本山の隣のお国ですよね?」
スミレが聞くと、アートはそうです、と頷く。
「たいした国ではありませんよ。そこそこ豊かですけど、このホーリースのように特別ないわれもないですし」
やれやれ、と首を振りつつアート。
「弱小貴族の五男なんて、家の援助も見込めなければ、することもない。暇なので見聞を広めるために、旅をしておりました。帝都には1年ほど前からおります」
「まあ、長い間いらっしゃるのね。気に入りましたのかしら」
「気に入ったというより……気になりまして」
小さく笑っていたアートは、ふと真剣な顔になった。
「公女様。この場所をどう思いますか」
「この場所……教会?」
「ええ、そして教室と、先生が子どもたちに必死に教える姿です」
「……とても、可哀想だと、思いましたわ」
スミレが、息を呑んだ。
教室をやめられないと言ったジェニーは、自分のことよりも、子どもたちのことを気にかけているようだった。
メルクリニに教えてもらうまで、どういった子どもたちがここに来ているのか、想像もしていなかった。
平民区に出入りするようになって数ヶ月、けれど、本当に貧しい、といわれているところには行ったことがない。
平民区へ出かけても何も言わない父と、イワンとスミレにも行ってはいけないと言われるのだから、それなりの理由があるのだろう。
いつか聞こうと思う。
(きっと、わたくしが想像もできないところなのだわ)
そして、受け入れられないこともあるかもしれない。
アートは、またじっとミズリィを見ている。
ミズリィを見ているかのようで、実はミズリィ自身を見られている気がしない。
たまに、夜会でにこにことずっと笑って近くにいる貴族がする表情に似ていて、けれど違う。
もっと、いろんなことを考えている目だと思う。
「……やはり、噂は当てになりませんね」
やがて、小さく息をついたアートはそう言った。
「噂とは?」
スミレが、すこしかたい声でそう言って、アートは眉を下げた。
「公女殿下とご友人とのことですが、お分かりでしょう?」
「不敬な」
メルクリニはずっと不機嫌そうな顔でアートを見ている。
「いえ、噂は噂。聞いておくに越したことはないですよ。けれど、鵜呑みにはしません。このようにまったく違う事実であることも多いですし」
「どのような噂かはわかりませんが、良い噂ではないようですわね」
「ええ、公女殿下はご聡明な方です」
にこりと笑ったアート。
ミズリィと、スミレとメルクリニは固まった。
聡明。
ミズリィに向かって聞いたことがなかった。
3人を見て、アートは首を傾げた。
「おや?間違えましたか?」
「……お褒めいただいたのかしら?」
「ええ、もちろん」
アートに悪意はなさそうだ。
スミレがようやく動き出して、ごほん、と咳払いした。
「失礼しました。それで、公女様にお話とは」
「いえ、本当にお話したかっただけです。公女殿下――将来の皇太子妃、皇后となられるお方が、どのような御方か、知りたかったのです」
「つまり、あなたの審美眼にかけたと?」
スミレはじとりとアートを睨む。
彼は真剣な表情で、床に膝をつく。
「数々の無礼をお許しください。そして、出来ることなら、私の言葉に少しでも耳を傾けてくださると幸いです」




