違う
もつれた足で部屋に入った私は布団のヘリにつまずいてそのまんまうつ伏せで倒れ込んだ
襖を閉めた環さんが、肩にかけていたバックをドサッと布団に平行に置いてあるテーブルの横に置いた
そして起き上がろうとしている私の右肩を押さえつけ、セーターをめくった
背中側の
「ぎゃあうあうっ」
「何するんですかっっ!」
水揚げされたエビみたいに勢い良く跳ね起き部屋の隅までいざってゆき、くるっと振り返り正座して環さんに向き合う
自分の持てる全ての攻撃性をオーラに出して
なぜか環さんもテーブルの横で正座している
「いいじゃん別に」
「あんた、俺の彼女になる気満々じゃん?」
「普通ついてくる?家に」
そう言いながら近づいてきて手を伸ばして今度はセーターの前の裾をつかんだ
しまったぁっ
部屋の奥のコーナーに追い込まれた形になっている!
思わず叫ぶ
「ち、ち、違う」
「順番が違うっ!!」
環さんがきょとんとした顔をした後、「ああ」と言っておもむろに自分の服を脱ぎ始めた
生成りのボートネックのカットソーを
あ、やっぱうっすら腹筋割れてる…
いや、鑑賞している場合じゃないっ
あっ?
違う!!
順番が違うってお前が先に服脱げやーってことじゃない
「そうじゃなくって!」
「こっ、こっ、こういうことはっ、普通一緒にご飯食べたり、映画見たり、テデニーランドに行ったりした後にっ」
私がそう叫んだのを聞いてアハハと乾いた声で笑ったあと環さんは
「ほら、彼女になる気満々じゃん?」
って言った
なんだか私は自分が罠にはまった哀れな小動物に思えてきた
私がっ、ノコノコついてきた私が悪うございました!
ナンパしてきた男の部屋に入る
もしかしたらそれはあらゆることをOKしたととられてもしかたがないのかもしれません
でも本当に私はただの経験不足で迂闊な女子なだけなんです!
「と、とりあえず服着てください…」と額を畳にこすりつけて蚊の泣くような声で懇願した
ここはもう相手の良心に訴えかけるしかない
環さんがふっと短いため息をついた
その後シャリシャリと布の擦れる音がした
私の頼みを聞いて服着てくれている…多分
畳に額つけたままだから見えないけど
少しほっとしたら汗がどっと出てきた
「なんか、違う」
「間違えたかもしれない」
「あの時、前の彼女と同じ空気感を感じたんだけど…」
土下座している私の上の方でそう言う環さんの声がした
ああ、あの時元カノさんと似てるかもと思って、それで私に声かけたんだ…
もしかしてもしかして元カノさんの名前が繭だった?
偶然名前まで同じだったものだから勢いに乗って部屋に連れ込んだの?
土下座を解いて額を畳から離してうなだれている私の視界にすっと環さんの足が入った
あっまた近づいてきたっ
私は慌ててアルマジロみたいに手でたたんだ足をを抱えその膝におでこくっつけて丸くなった
これが正しい防御姿勢なのかはわらないけど、とにかく腕に力を入れまるまる
その私の肩をポンポンとたたいて
「今日は帰っていいよ」
「リリースしてやる」
と環さんは言った
リリース?
私は丸まっていた汗だくの体を解いて恐る恐る環さんの顔を見た
なんの力みもない顔
これっぽっちの欲情も感じられない
女の子を襲おうとした後の顔には見えない…
「なんか間違いだった気がするけど、背中を見てしまったから…しかたない…責任取って少し付き合ってやってもいいけど」
「どうする、繭?」
っていうありがたいお言葉を環さんは私にかけて下さった
あんた、何様?
自分に自信ありすぎて絶対感持っちゃってる?
ここでお願いしますって言える素直さがあったら、私はもっと幸せな人生を歩んで来れたんですけどね…
なんだかんだ言っても、素敵ですもの、あなた
クール系の肉食男子は魅力ありますね
不思議なことを言うところも少し外した感が出て味を与えてます
だからこそ愚かにもフラフラ家についてきちゃったんだろうけど
でも…私は私だから
「…背中ぐらい海水浴に行った時不特定多数の方にも見せてますからお気になさらずに」
「襲うの止めて下さってありがとうございます」
「それでは、さようならっ」
そう言って勢い良く立ち上がったら環さんはその場でヒラヒラと手を振った
バイバイと言う意味なのか、しっしっと言う意味なのか…
私は古い環さんの部屋を出てドタドタと大きな音を立て階段を下りた
玄関で靴を履こうとしたけれどなんか震えてうまく履けなかった
靴の踵を踏んでとにかく外に出る
とりあえずアピ○に戻ろう
そこからバスに乗ろう
全速力で走ってアビ○に向かっているとき、ああ、私は自分のお気に入りの書斎を失うことになるなと思った
もう下島コーヒーには行けない
家にたどり着いたときにはひどい頭痛に襲われていた
お母さん、今日はお茶のインストラクターとしての仕事があるから出かけていない
キッチンで頭痛薬飲んで自分の部屋に向かう
部屋に入った途端力が抜けて部屋のカーペットの上で横になって寝てしまっていた
まるでマラソンを走り終えたランナーのように泥のように眠った
あの家で力んですごい消費カロリー使ったから
夕方、お姉ちゃんどうだった〜って学校から帰って来た雛が寝ている私に声をかけてきた
この頃には頭痛は治まっていた
私はむくりと起きて雛に報告した
「なんかえらく痛い人だった」
「私の名前を知ってたわけじゃなかったみたい」
「…多分前の彼女の名前が繭だったんだろうな」
「それで繭って呼びかけたみたい」
「あー?それはそれで偶然だねえ」
「うん、彼女にしてやるって言われたけど断った」
「ハハッ、なにそれせっかくだから彼女にして貰えばよかったのに」
「いや、あんたには話してなかったけど、店員さんは私の苦手なイケメンだったし…なんか疲れたよ、もう寝る」
だいぶはしょった報告を雛にして私は二段ベッドの下の段に入った
私突然襲われたよ…なんて話せない
その前に家について行っちゃったことを話さなきゃいけないじゃん?
その私らしくない軽率な行動をどんだけ叱られるかわかんない、雛に
「お姉ちゃん、まだ7時になってないよ」
「ご飯もまだでしょ、先にお風呂入りな」
そう言ってしっかり者の雛に肌がけを剥がされた
そうだね、お風呂に入ったらこの肩に残っている押さえつけられた時の不快な感覚が薄らぐかもしれない
うーと変な声を上げつつ着替えを持ってお風呂場に向かう
お風呂に入ったら指の関節あたりがしみた
見れば擦り傷ができている
環さんの部屋の畳で擦って出来た傷…