34.ライム交換、恵美子お婆さんのお節介
「ねぇ透。ちょっといい?」
「うん。何?」
午後一時過ぎ。店内に客が途絶えたタイミングで優花が話しかけてきた。
「透って今スマホある?」
「あるけど」
そう言って僕はポケットからスマホを取り出す。すると、優花は何の前触れもなく肩を寄せてきた。
「ならライム交換しよっ?」
だから、近いって……!
半歩でもずれると肩が当たる距離で、スマホに表示されたQRコードを見せてくる優花。ミドルロングの艶やかな黒髪からは、シャンプーのいい匂いがする。
「わ、分かった」
僕は自分のスマホに視線を落とし、優花のスマホに映されたQRコードを読み取った。
「ありがとー!」
「うん……」
「いやぁー、ずっと透とはもうライム交換したって思ってたんだよねー!」
「そうなんだ……」
弾んだ声でそう言って、優花は一歩離れる。比較的正常な距離感へと戻った優花は、嬉しそうに微笑みスマホを操作し始めた。
優花のライム……。
優花のアイコンであるデフォルメされたテニスラケット──その下に表示された友達追加ボタンをタップすると、腹の底から高揚感がこみ上げてきた。
間も無く、ポコンっと優花から猫のスタンプが送られてきた。僕は「よろしく」とだけ打って返信する。
「ふっ……! 透っぽい!」
「そう……?」
「うんっ! 透って全然スタンプ使わなさそーだよねっ?」
「まあそうだけど……」
そもそも、父さんと母さんと従妹の乃亜くらいしかライム繋がってないし……。
「そう言う優花は結構スタンプ使ってそうだよね」
「うん! わたしのトーク画面八割スタンプっ!」
「それは使いすぎでしょ」
「あははっ! そうかもっ!」
そんなくだらなくも楽しい話をしていると、カランカランとドアベルの音が鳴った。
「いらっしゃいませー!」
すぐに接客モードに切り替える優花。対して僕は、まだ優花と話していたいという欲求を抑えるので精一杯だった。優花の切り替えが早いところ、すごく大人っぽくて憧れる。
「優花ちゃん。透ちゃん。こんにちは」
入ってきたのは、ミステリー好きの常連客──恵美子お婆さんだった。
「こんにちわっ!」
「今日もミステリーですよね?」
「えぇ。今日も透ちゃんのおすすめ、期待しているわ」
僕はカウンターから出て、恵美子お婆さんのそばに行く。そしていつものように、おすすめの本格ミステリーを紹介し、恵美子お婆さんは本を手に取った。
「じゃあレジ行きますか?」
「ああちょっと待って透ちゃん。今日はね、他にも欲しい本があるの」
「分かりました……?」
恵美子お婆さんがミステリー以外を読むなんて珍しいな……。
恵美子お婆さんはミステリーコーナーを離れ、「恋愛・文学」コーナーへと移動する。
「ふふっ……年甲斐もなく恋愛小説を読みたくなってねぇ」
「そうなんですか?」
「えぇ。二人を見ていたらねぇ。あたしも恋愛を疑似体験したいなって思っちゃったわ」
……ん!?
僕は一瞬、恵美子お婆さんがいう「二人」が誰を指しているのか分からなかった。けれど、僕と恵美子お婆さんの共通の知り合いは母さんと優花だけ。
恵美子お婆さんの言う二人って僕と優花のこと……!? 僕と優花を見て恋愛小説を読みたくなるってつまり──。
「僕と優花はただのバイト仲間ですから! そんな関係じゃないですよ……!」
店内の体感温度が五度くらい上がった気がして、慌てて優花との関係を否定した。レジにいる優花に聞こえないように声を抑えるのが大変だった。
「あらあら。そんなこと言って、透ちゃんは優花ちゃんのことが好きなんでしょう?」
「それは……」
「ふふっ……アオハルねぇ」
「なんでそんな若者の言葉知ってるんですか……」
完全に年の功にしてやられた僕は、恵美子お婆さんから目を逸らした。
なんでこうも僕の周りには鋭くてからかい好きな人が多いんだよ……!
「あらあらごめんなさいね。ちょっとからかいすぎたわ」
人好きのする柔らかい微笑みを浮かべ、招き猫のように手を振る恵美子お婆さん。やっぱりお年寄りにはかなわない。
「いえ……いいですよ……」
僕はこれが一応接客だということを思い出し、大きく息を吐いた。そうして顔の熱を逃がし、心を落ち着かせる。まあ、完全に落ち着けるかと言えば無理だけど。
恵美子お婆さんは僕が恋愛小説を読まないことを知っているから、無言で背表紙を追っていく。話さなくて済むのが唯一の救いだった。
あっ、そう言えば……。
ちょうど恵美子お婆さんが本を選び終えた時、僕は取材のことを思い出す。
「恵美子お婆さん。一つお願いがあるんですけど」
「なぁに?」
「今度ローカルテレビで──」
店がテレビに出るから常連客にインタビューをお願いしているということを話すと、恵美子お婆さんは穏やかな笑顔で頷いてくれた。
「合計で千九百十六円になります」
恵美子お婆さんがレジに行くと、優花が対応した。支払いが完了し、優花が本を差し出す。その受け取る前に、恵美子お婆さんの口元が動いた。
「あなたも苦労するわねぇ」
「ええっと……?」
恵美子お婆さんがなんて言ったのかは聞き取れなかったが、優花は何のことか分からないという顔をして僕を見た。
えっ……!? 今優花になんて言ったの……? 変なこと言ってないよな……?
僕と優花が視線を絡ませる様子を見て、恵美子お婆さんは孫を見守る祖母のように優しく笑った。
「ふふっ……若いっていいわねぇ」
何はともあれ、これで常連客インタビューの準備は終わった。残る準備は、僕たちの分の取材準備と店の掃除と、後は他に何かあるかな……?




