33.思い出話
「つ、疲れたぁ……」
橋本という名の嵐が過ぎ去り、優花はぐったりとカウンターに倒れ込む。
「お疲れ様」
「もぉー! 見捨てるなんてひどいよ透っ!」
カウンターにうつ伏せで上半身を乗せた優花は顔だけを横に向けて、僕に抗議の目を向けてくる。頬をぷくっと膨らませているところもかわいかった。
「しょうがなかったんだよ……ああなった橋本さんは、宇宙空間に放り出されたって話すのをやめないから」
「ふっ……! なにそれっ! 想像したらちょっと面白──ってはぐらかさないでよっ!」
いや、別にはぐらかしたつもりはないんだけど……。
カウンターに突っ伏したままじっとこちらを見つめてくる優花。その視線は、お詫びを要求しているように見えた。
「じゃあとりあえず、閉店作業は僕がやるから優花は休んでていいよ」
「……イス」
レジの確認をしようとした僕のすぐ隣で、優花が何か呟いた。
「ん? 何?」
「アイスちょうだい」
「えっ……今? だって今夕飯前──」
「いいじゃん! 疲れすぎてわたし、甘い物食べないと動けないもん!」
「分かったよ……」
おもちゃを買って欲しいとわめく子供のように駄々をこねる優花。その意地らしい魅力に抗えるはずもなく、僕は苦笑してアイスを取りに階段を登った。
***
「そう言えばさ。橋本さん見てたら高校の時の若井先生思い出したのってわたしだけ?」
僕がレジの確認作業をしている横で抹茶味の棒アイスをチロチロと舐めながら、優花が聞いてくる。
「あー、確かに言われてみれば……似てるね」
「だよねっ! カップル見るたびに『私は結婚できないのにぃー! 見せつけるなんて酷いじゃない!』って暴れるところとか、永遠に語り続ける橋本さんにそっくりだもん!」
「確かにそうかも……」
「あっ、若井先生と言えばさ。わたしたち一回だけカップルと間違われて大変だったよねー」
「そ、そんなことあったっけ……?」
いや、本当は覚えている。覚えてはいるんだけど、あの時のことを思い出すとなんだか照れくさくて、思わず誤魔化してしまった。
「えー忘れたのっ!? あの時だよあの時! 二年生の時に透が──」
***
「こんなに遅くなったのかぁ……」
午後六時近く。僕──桐山透は夕暮れ色に染まるだれもいない教室で独り、ため息を吐く。早く帰ってラノベを読もうとカバンを持ち上げたその時、ガラガラと教室のドアが開かれた。
「あれっ? 桐山くんが返ってないなんて珍しいね」
鳳さん……!?
教室に入ってきたのは、部活ジャージの上着を羽織り、短パンから艶やかな足を露出させた鳳優花だった。
普段は挨拶と授業中のペアワークでしか話さない鳳さんとの突然の遭遇。しかも、普段の制服姿とも体育で見るジャージとも違う部活服姿の鳳さんに、僕の目は泳ぎまくった。
「お、鳳さんはどうしてここに……?」
「わたしは部活の休憩中ー。桐山くんこそどうしたのっ?」
「僕は係の仕事……今日回収した化学のノートを出しに行ったら、明日の実験の準備を手伝わされたんだよ」
「あちゃー。それは災難だったねー」
「うん……」
鳳さんは僕の隣の席に座り、手に持っていたスポーツドリンクを飲む。夕日に煌めく汗が伝う彼女の首、その喉仏がゴクゴクと動く様子から、なぜか目を離せなかった。
さっきまでは「一番仕事少ない係って聞いたのにこんな長い時間居残りさせられるなんて聞いてないって!」と心が荒れていたが、今は心臓の音がうるさくてそれどころじゃなかった。
何この状況……? 夢?
放課後の教室で美少女と二人きり。ラブコメみたいな非現実的な展開に、外から聞こえてくる運動部の叫び声が遠のいていく。そんな時だった。
突如ドンッ! っと机を叩く音が響いた。僕と鳳さんが一斉に音のした方を向くと、いつの間にか担任の若井先生が目の前にいた。
「二人っきりで何やってるのよっ! 放課後の誰もいない教室で二人で談笑? 学校でイチャイチャイチャイチャ! ねぇこれ、結婚できない先生への当てつけだよねっ!? ひどいよ!」
涙目になってヒステリックに叫ぶ若井先生。僕も鳳さんも、呆気に取られて声が出ない。
「どうせ桐山くんも鳳さんもアラサーになっても結婚できない私のことバカにしてるんでしょ! こうなったら明日のホームルームでみんなに二人が付き合ってること暴露してやるー!」
暴走した先生がとんでもないことを言い出した。僕と鳳さんは先生の言葉を理解するのに一瞬固まり、すぐに焦った声を上げる。
「……はっ!? ぼ、僕たちは付き合ってないですよ!」
「そうだよ若井先生っ! 一回落ち着いて!」
「ほら二人とも息ピッタリじゃない! リア充許すまじぃ!」
「待って若井先生っ! わたしたちは本当に何もないって! たまたま会ったからちょっと話してただけだよっ!」
「そうですよ。僕が鳳さんとなんて吊り合わないですって!」
「ふーん! 私を言いくるめようったって、そうはいきませんからね!」
聞く耳を持たない若井先生をなだめるまで、僕と鳳さんと若井先生の三人の騒がしい声が、夕暮れの教室に響き続けた。
***
「そんなこともあったな……」
やっぱり、優花とカップルに間違われたこと思い出すと、優花とどうやって顔を合わせたらいいか分からなくなるんだよなぁ……。
そうして僕が照れを感じている隣では、優花はただただ楽しそうに、食べ終えたアイスの棒をプラプラさせていた。
「透も思い出した? いやぁ、若井先生を止めるのすっごく大変だったよねっ!」
「うん。もう二度と絡まれたくない」
「あははっ! 透トラウマになってるじゃん!」
無邪気に髪を揺らして笑う優花を見ていると、照れ臭さなんてどうでもよくなってくる。
「……そういえば、若井先生ってもう結婚できたのかな?」
「絶対まだだよっ! だってわたしたちが卒業してからまだ二か月だよっ?」
「それもそうか……閉店作業終わったから上戻らない?」
「うんっ!」
他愛のない思い出話をしながら、僕たちは階段を登る。
高校の時からずっと片思いしていた相手とこうして大学生になった後も思い出話をできるなんて、高校生の時には全く想像もつかなかった。
僕は前を歩く優花の横顔を見上げる。やっぱり優花はかわいい。シャンプーのいい匂いも漂ってくるし、明るくて優しくて、一緒にいるだけで楽しい。
「ん? どうしたのっ?」
「あ、いや……何でもない」
「そぉ?」
それに声だって澄んでいて、ずっと聞いていたくなる。
やっぱり好きだなぁ……。
けれど告白はしない。絶対にしない。この関係が少しでも長く続いて欲しいと、改めてそう思ったから。




