19.二人で壁掃除
「透。優花ちゃん。一昨日の雨でお店の外の壁に泥はねしちゃってねぇ~。洗ってきてくれるかしら~?」
というわけで僕は今、水入りバケツとブラシを持ち、優花と二人で店の前に立っている。
「結構、思いっきりはねてるね」
「うん。そうだね」
壁には、水たまり大の範囲内にポツポツと泥の跡がついている。形状からして、自転車が水たまりの中を突っ切った際にはねたのだろう。
まあ、このくらいなら三十分くらいあれば終わるか。
僕と優花はどちらともなくブラシを握り、壁掃除を始める。
「そう言えばさー。透って掃除の時いっつも黒板消ししてたよねー」
「うん」
黒板消しって一人でやるから誰とも話さなくて済むからね。チョークの粉が制服に付くのを嫌がってか、積極的にやる人も少なかったから、黒板消しは僕の特等席だった。
「知ってた? 透が消した黒板すっごくきれいだったから、先生たち、透が黒板を掃除した後の授業は気分がいいって評判だったんだよ」
「そうなの?」
「そう! 先生たちの間で透、『職人』なんて言われてたんだよっ?」
「なにそれ……過大評価しすぎじゃない?」
「そんなことないよっ? 透が磨いた黒板がきれいすぎて、他の掃除当番の生徒もみんな黒板消しは避けてたもん!」
「そうなんだ……」
壁を磨きながらクスクスと肩を揺らす優花は天使みたいにかわいい。
「優花は、よくモップやってたね」
「うん。まあいっつも余ってただけなんだけどね」
優花は掃除の時、友達と二人で話しながらモップをかけていた。その眩しい光景に同じ掃除グループの男子二人がニヤニヤと耳打ちし、廊下を通りかかる男子生徒が鼻を伸ばすまでがセットだった。
懐かしいな……。
大学では掃除なんてないし、こうやって優花と二人で掃除していると高校に戻ったような気がしてくる。
ブラシから垂れてくる泥水の冷たさが、不思議と高校時代のスッと透き通った気分を思い出させてくれた。
「あれ……この泥、取れないっ!」
優花は凛とした目を細め、ブラシを持つ手に力を込める。けれど一向に泥は落ちず、優花は全力で壁を擦り続ける。
「優花、それは後で洗剤使って落とせばいいよ」
僕の言葉も、落ちない泥を落とすことに集中した優花には届かない。
「そんなに力入れたら服とかにはねる──」
「わっ!?」
案の定、泥水は優花の頬っぺたにはねた。
「……透。もしかしなくてもわたしの顔に泥付いた?」
「うん。岐阜県みたいな形で思いっきりついてる」
「そっかぁー……」
分かりやすく落ち込む優花に、ダメだと分かっているのに口角が上がりそうになる。
「とりあえず、上で顔洗った方がいいんと思うけど」
「そうするー」
顔にはねた泥を手で隠しながら、優花は店へと入っていく。
そう言えば、優花は学祭の時もペンキ塗りで自分の顔にペンキはねさせてたなぁ。
クラスの中心でからかわれる優花を思い出し、つくづく住む世界が違うなーと思った。
しばらく一人で泥を落としていると、優花が戻ってきた。
「ごめんお待たせー!」
優花の頬は、日光を反射して輝くほどツルツルになって戻ってきた。
「後はさっきの落ちない泥を洗剤で取るだけだから、優花はもう店に戻ってもいいよ」
「えー! だったらそれわたしがやる! 負けたまま終われないよっ!」
何と勝負してるんだ……。
洗剤とブラシを渡す際、僕は優花にジト目を向けたが、優花は全く気にしない。
「またはねさせないでよ?」
「分かってるって!」
そう言って優花はしゃがみ、泥汚れに向かい合う。
その様子を後ろから眺めているとふと、袖を捲った優花の左肘辺りに泥汚れが残っていることに気付いた。
あのくらいならティッシュで拭けば取れそう……。
僕はポケットからティッシュを取り出し、手に持つ。
「とれたっ!」
僕は、壁の汚れを落として喜ぶ優花にティッシュを差し出した。
「優花、左肘のところ、まだ泥付いてるよ」
「えっ? あっ、ホントだ」
優花はしゃがんだまま「えへへ」と照れ笑いを浮かべ、頬を掻いた。髪と一緒に、鳥のヘアピンが揺れる。
本当に、何で僕なんかが優花と一緒にいられてるんだろ……。
クラスの人気者で、今も昔も片想いしている高嶺の花である優花。彼女と一緒にいられる奇跡に、僕は表情を少しだけ緩めた。




