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59日前 十一回目に

朝食の席で、エリオットは妙に静かだった。


普段なら、父が少しでも剣の話をすればすぐに食いつく。


昨日の稽古がどうだった。


どんな剣士が強い。


魔物と人間では何が違う。


そんなことを聞いてくる。


今日はパンをちぎり、黙って口へ運んでいた。


リゼットが横目で見る。


「具合でも悪いの?」


「悪くない」


「眠い?」


「眠くない」


「また夜に剣を振ってたとか」


エリオットの手が止まった。


「振ってない」


「今、止まったわよ」


「止まってない」


「止まったわ」


「姉上は朝からうるさいです」


「元気そうね」


セシリアが笑いを噛み殺す。


レオンハルトは何も言わず、焼いた卵を食べていた。


エリオットは父を見る。


「父上」


「何だ」


「今日の午前は、お忙しいですか」


「午前はな」


「……そうですか」


それだけ言って、またパンへ戻った。


リゼットがすぐに父を見る。


レオンハルトも娘を見る。


リゼットは眉を上げた。


知らないの?


という顔だった。


レオンハルトは水を一口飲んだ。


「十一時だったな」


エリオットが顔を上げる。


「覚えていたのですか」


「ああ」


一瞬、嬉しそうになった。


だが、すぐに表情を引き締める。


「別に、無理をしていただかなくても」


リゼットが言う。


「来てほしい顔してるのに」


「姉上!」


「はいはい」


セシリアが紅茶を置いた。


「午前のお仕事は?」


「それまでには区切る」


エリオットの表情が少し明るくなる。


「相手は誰だった」


「ダリオです」


「警備隊の兵士の息子だったな」


「はい。ラウルの息子です」


「十五だったか」


「はい」


「お前より二つ上だろう」


「二つだけです」


エリオットはすぐ言った。


「二つも、じゃないのね」


リゼットが口を挟む。


「二つだけです」


「そう」


エリオットは父を見る。


何かを待っている。


レオンハルトはしばらく考え、


「怪我するなよ」


と言った。


エリオットの顔が露骨に曇った。


「……はい」


それを見たセシリアが夫へ視線を向ける。


レオンハルトは気づかないふりをした。


◇


朝食を終えると、レオンハルトは執務室へ入った。


机の上には昨日より紙が増えていた。


市場、農村、北部、街道――どれも今すぐ国を揺るがすような数字ではない。


だからこそ判断が難しかった。


「市場管理所の追加分は?」


「カイルが取りに行っています」


オルフェンが答えた。


「農村側も調査を継続中です。街道では、商隊が護衛を増やしている例がいくつか確認されています」


「獣か」


「獣と魔物、両方です。地域差はあります」


レオンハルトは一枚の報告書を閉じた。


「まだ断定はできんな」


「はい」


それ以上は話を広げず、二人は目の前の仕事へ戻った。


紙をめくる音が続く。


やがてオルフェンが時計へ目を向ける。


「陛下」


「何だ」


「そろそろでは?」


レオンハルトも時計を見る。


十一時が近い。


「まだ三枚ある」


「午後にもございます」


「その三枚を終わらせてからでも」


「十三歳の殿下の、本日の模擬戦は午後には残っておりません」


レオンハルトが顔を上げる。


オルフェンは真顔だった。


「そういうことを言う人間だったか?」


「必要であれば」


レオンハルトは紙を置いた。


「一時間で戻る」


「多少延びても、その間に国がなくなることはないでしょう」


レオンハルトが少し眉を上げる。


「どこかで聞いたような言い方だな」


「陛下がお好みの言い回しかと」


「俺のせいか」


「私は何も申しておりません」


レオンハルトは外套を取った。


◇


王城の西側には、兵士や近衛が使う訓練場がある。


広い地面は固く踏み固められ、剣や槍、盾を使う訓練区画が分けられている。


端には木製の人形が並び、さらに奥には弓場もあった。


今日は一角だけ、人が少し多い。


王子の模擬戦を見るためだ。


とはいっても、見物人を集めたわけではない。


指導役の兵士。


訓練に参加する少年たち。


近くで別の稽古をしていた兵。


そこへ王妃と王女まで来たものだから、自然と視線が集まっていた。


エリオットは木剣を握っている。


向かいには、頭一つまではいかないが、明らかに大きい少年。


相手は十五歳のダリオだった。濃い茶色の髪に日に焼けた肌。エリオットより二歳上というだけでなく、腕も明らかに太い。


父ラウルは王城警備隊の兵士で、ダリオ自身も将来は軍へ入るつもりらしく、数年前から城内の少年訓練へ参加していた。剣を握ってきた時間も、エリオットより長い。


「殿下」


ダリオが小さく頭を下げる。


「よろしくお願いいたします」


「お願いします」


エリオットも返す。


だがダリオの顔には少し緊張があった。


視線が一度、周囲へ向く。


王妃。


王女。


そして、ちょうどそこへ歩いてきた国王。


ダリオの顔がさらに硬くなった。


エリオットが父を見つけた。


その瞬間、明らかに表情が変わった。


レオンハルトは手だけ上げる。


「続けろ」


指導役の兵士が礼をした。


「陛下。ちょうど始めるところです」


「俺は見ているだけだ」


ダリオがレオンハルトを見る。


「陛下」


「何だ」


「その……」


何を言いたいのかは分かった。


レオンハルトは言う。


「普通にやれ」


ダリオは戸惑う。


「ですが」


「息子だからと手を抜けば、エリオットに失礼だろう」


エリオットが父を見る。


胸の奥が少し熱くなった。


ダリオは木剣を握り直す。


「分かりました」


二人が向かい合う。


指導役が間へ入った。


「頭部への強打は禁止。倒れた相手への追撃も禁止。勝敗は私が決める。よろしいですね」


二人が頷く。


「始め!」


エリオットが先に動いた。


右足。


左足。


間合いを一気に詰める。


木剣を右上から振る。


ダリオが受ける。


乾いた音。


エリオットはすぐ引いた。


二撃目。


横。


ダリオが半歩下がって避ける。


エリオットは追う。


動きは速い。


十三歳としては十分に鍛えられている。


足も止まっていない。


剣も大きく振り回してはいない。


周囲の兵士の一人が、小さく呟く。


「上手くなったな」


レオンハルトにも聞こえた。


エリオットにも聞こえたかもしれない。


三撃目。


エリオットが前へ出る。


ダリオが受ける。


まだ崩れない。


もう一歩。


エリオットは攻める。


父が見ている。


もっと速く。


もっと強く。


自分はできる。


四撃目。


ダリオの木剣が横から触れた。


エリオットの剣先が少し外へ流れる。


本来なら、一度引くべきだった。


だが前へ出た。


右足を深く踏み込む。


剣を戻す。


胸へ打ち込もうとする。


その瞬間。


ダリオが半歩だけ左へずれた。


エリオットの剣が空を切る。


右足へ体重が残る。


戻れない。


ダリオの木剣が下から上へ入った。


強くはない。


だが正確に、エリオットの胸当てへ触れた。


「そこまで!」


声が飛ぶ。


エリオットが止まる。


ダリオもすぐ剣を引いた。


「勝者、ダリオ」


周囲は静かだった。


誰も拍手しない。


エリオットは胸当てを見る。


それからダリオを見た。


「もう一度」


指導役が眉を動かす。


「殿下」


「お願いします」


「休憩を」


「いりません」


レオンハルトは何も言わなかった。


セシリアは息子を見る。


リゼットも、さっきまでの軽い顔ではなかった。


ダリオが困ったように国王を見る。


レオンハルトは首を横へ振った。


「俺を見るな」


ダリオが姿勢を正す。


「申し訳ありません」


今度はエリオットを見る。


「お願いします」


二人が再び構えた。


◇


二戦目は、一戦目とまるで違った。


エリオットが動かない。


ダリオが少し前へ出る。


エリオットが下がる。


間合いを保つ。


一戦目のように攻めすぎない。


そのつもりだった。


ダリオが剣先を上げる。


エリオットの視線も上がる。


次の瞬間。


ダリオが踏み込んだ。


エリオットは右へ避けようとする。


だが遅い。


来る。


打たれる。


そう思った瞬間、身体が固くなる。


ダリオの剣は振られなかった。


ただ剣先を上げただけ。


誘いだった。


一瞬止まったエリオットへ、ダリオがさらに一歩入る。


距離を潰す。


エリオットが慌てて剣を振る。


近すぎる。


力が乗らない。


ダリオは上体を外へ逃がし、エリオットの剣をかわした。


そのまま木剣の中ほどを使い、エリオットの剣を押さえる。


エリオットが引こうとする。


抜けない。


ダリオが左足を前へ。


身体を回す。


木剣の先端がエリオットの右肩へ軽く当たった。


「そこまで!」


二度目。


また負けた。


今度は誰も声を出さなかった。


エリオットは動かない。


肩に触れた木剣を見る。


ダリオがすぐに下がった。


「ありがとうございました」


エリオットはしばらく黙っていた。


やがて木剣を下ろす。


「……ありがとうございました」


礼をする。


声は震えていなかった。


それだけは守った。


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