60日前 ギルドの夜①
翌日の昼前。
午前の政務を終えたレオンハルトは、再び冒険者レオンの姿でギルドへ来ていた。
昨日、フィンに「明日もう一度見ろ」と言ったからだ。
ギルド裏手の小さな訓練場。
「もう治ってます」
「走れ」
フィンは目を瞬いた。
「え?」
「走れ」
「どこを?」
レオンは訓練場の端を指した。
土を踏み固めただけの長方形の空間。
端には木剣や練習用の盾が積まれ、その向こうに低い石壁がある。
「向こうまで行って戻ってこい」
「それだけですか?」
「ああ」
フィンは疑わしそうにレオンを見る。
「何ですか」
「いや」
「絶対何か見ようとしてるでしょう」
「足を見る」
「やっぱり」
「そのために来たんだろう」
昨日巻き直した包帯は、先ほど診療室で外した。
踵にはまだ薄く赤みが残っているが、歩く分にはほとんど痛みはない。
少なくとも本人はそう思っていた。
「本当にもう大丈夫ですからね」
「なら走れる」
「走れますよ」
「走れ」
「分かりました!」
フィンは地面を蹴った。
最初の数歩。
痛くない。
速度を上げる。
中央を越える。
石壁の手前で身体を反転。
右足で踏ん張る。
その瞬間。
ほんの少しだけ身体が左へ逃げた。
フィン自身にも分かった。
嫌な予感がする。
戻る。
レオンの前で止まった。
「どうです?」
「今日も討伐依頼は禁止だ」
「何でですか!」
「切り返す時、右足に体重が乗ってなかった」
「乗りました!」
「乗ってない」
「乗りました!」
横で壁にもたれていたノアが首を振る。
「乗ってないな」
フィンが睨んだ。
「ノアさんは黙っててください」
「俺、何も悪くないだろ」
「どうして二人ともそんなに見てるんですか!」
「見せてるのはお前だろ」
レオンが言った。
「私はレオンさんに見せてるんです!」
「だから見た」
「じゃあ大丈夫って言ってください!」
「大丈夫じゃないから言わん」
「もう!」
フィンはその場で右足を何度か踏みつけた。
「ほら。痛くないです」
「それと戦えるかは別だ」
「昨日も聞きました!」
「なら説明しなくて済むな」
「そういう意味じゃないです!」
訓練場の入口から笑い声がした。
「朝から元気ねえ」
声の主は、紙束を抱えた二十代後半ほどの女性だった。肩のあたりで切り揃えた栗色の髪。ギルドの受付をしているミレイだ。
愛想が悪いわけではないが、冒険者相手に必要以上の愛想は使わない。十年近くここで受付をしているだけあって、下手な新人よりよほど魔物や依頼にも詳しかった。
「ミレイさん」
フィンが振り返る。
「聞いてください。レオンさんがまた依頼に行くなって」
「じゃあ行かない方がいいわね」
「まだ何も聞いてないじゃないですか!」
「足でしょう?」
「何で分かるんです?」
「昨日から同じ話してるからよ」
ミレイは紙束を抱え直した。
「それに、右足庇ってたわよ」
フィンの顔が固まる。
ノアが吹き出した。
「三対一」
「ずるい!」
「多数決じゃない」
レオンが言った。
ミレイはレオンを見る。
「で?」
「何がだ」
「また新人泣かせてないでしょうね」
「泣かせてない」
「泣いてません!」
フィンが言った。
ミレイはフィンを見る。
「聞いてないわよ」
「……」
ノアが腹を抱えた。
「このギルド、私に厳しくないですか?」
「新人には優しい方よ」
「これで?」
「本当に厳しい時は笑ってくれないから」
ミレイはそう言ってギルド内へ戻っていった。
フィンはその背中を見送る。
「今の、どういう意味です?」
「そのうち分かる」
ノアが言った。
「分かりたくないです」
レオンが歩き出す。
「今日は採取か配達ならいい」
フィンが振り返った。
「討伐は?」
「駄目だ」
「護衛」
「駄目」
「害獣駆除」
「内容による」
「牙鼠」
「駄目だ」
「じゃあ何ならいいんですか!」
ノアが笑った。
「ギルドの掃除」
「冒険者の仕事じゃないでしょう!」
「報酬出れば冒険だ」
「絶対違う!」
◇
昼を過ぎても、フィンは依頼掲示板の前にいた。
腕を組む。
睨む。
その姿を、ノアが少し離れた卓から見ていた。
「まだ見てる」
レオンは水を飲んでいる。
「見れば傷が治ると思ってるんだろう」
「そんなわけないでしょう!」
聞こえていたらしい。
フィンが振り返る。
「採取依頼ならあるぞ」
ノアが言う。
「薬草十五束」
「昨日見ました」
「じゃあ配達。東門の鍛冶屋から南区まで箱二つ」
「それも見ました」
「迷子の猫」
「見ました!」
「いいじゃん。猫」
「私は冒険者です!」
近くの卓に座っていた若い男が笑った。
「新人って最初みんなそう言うんだよな」
フィンがそちらを見る。
二十歳ほどの青年だった。明るい茶髪に細身の身体、腰には片手剣。革鎧はフィンのものより明らかに使い込まれている。
名はティオ。ギルドへ登録して二年目で、本人はもう新人を卒業したつもりでいるが、ベテラン連中はそう見ていなかった。
「何ですか」
「俺も最初、討伐しか冒険者の仕事じゃないと思ってた」
「私はそこまで言ってません」
「顔に書いてある」
「書いてません」
「じゃあ猫探してこいよ」
「何であなたに言われなきゃいけないんですか」
「足痛いんだろ?」
「痛くないです」
レオンが横から言う。
「痛い」
「レオンさん!」
ティオが笑った。
「ほら」
フィンはしばらくティオを睨んだ。
「あなた、何の依頼行くんです?」
「俺?」
ティオは得意そうに紙を一枚持ち上げた。
「西街道の護衛」
フィンの顔が変わる。
「護衛!」
「ああ」
「何人で?」
「四人」
「魔物出ます?」
「出ない方がいいに決まってるだろ」
「でも出る可能性は?」
「あるから護衛なんだよ」
フィンは羨ましそうに紙を見る。
ティオが口元を上げる。
「行きたい?」
「別に」
「顔に書いてある」
「書いてません!」
「フィン」
レオンが呼ぶ。
「何ですか」
「猫」
「嫌です!」
ギルド中から笑い声が上がった。
◇
結局、フィンは猫探しを受けなかった。
代わりに、ギルド内で依頼書の整理を手伝った。
報酬はない。
ミレイに、
「暇ならこれやって」
と押しつけられただけだった。
「何で私が……」
「新人教育」
「絶対違いますよね」
「字読めるんでしょう?」
「読めますけど」
「じゃあ分類して」
討伐、採取、護衛、配送、捜索、雑用。
フィンは種類ごとに依頼書を机へ並べていった。
その中に、フィンは妙なことに気づいた。
「護衛、多くないですか?」
ミレイが帳簿を書きながら答える。
「最近ね」
「前は?」
「こんなにはなかった」
一枚、二枚、三枚と分けていくうち、護衛の束だけが目に見えて厚くなった。
街道護衛、荷車護衛、商人同行。行き先も農村から王都、王都から南の町まで様々だった。
「魔物が増えてるから?」
「それもあるんでしょうね」
「灰化ですか?」
ミレイの筆が止まる。
フィンも止まった。
ミレイは少し考え、
「さあね」
とだけ答えた。
「北の方で作物が悪いって話は聞くし、街道に獣が増えたって話も聞く。でも、何でも灰化のせいにする奴もいるから」
「違うこともあるんですか?」
「雨が少ない年もある。森で魔物同士が縄張り争いしただけのこともある。山火事で獣が降りてくることだってある」
「なるほど」
「分からないものを、分からないままにしておくのも大事よ」
フィンは依頼書を見る。
「レオンさんみたいなこと言いますね」
ミレイが顔を上げた。
「嫌なんだけど」
「何でですか」
「本人に聞いて」
少し離れた卓で、レオンがくしゃみをした。
◇
夕方。
一度城へ戻ったレオンハルトは、家族と夕食を済ませた。
「また出るのですか?」
セシリアが訊いた。
「ああ。ギルドへ」
「依頼?」
「今日は違う」
「飲みに?」
「まあ、そんなところだ」
セシリアは少しだけ意外そうな顔をした。
「あなた、お酒を飲みに行くこともあるのですね」
「俺を何だと思っている」
「飲んで騒ぐより、横で静かに食べている人かと」
「間違ってない」
向かいに座っていたリゼットが笑った。
「父上、友達いるんですね」
レオンハルトが娘を見る。
「どういう意味だ」
「そのままです」
「いる」
「何人?」
「何故数える」
エリオットが興味を示す。
「冒険者の友人ですか?」
「ああ」
「強い人?」
「色々だ」
「父上より?」
「世界には俺より強い奴はいくらでもいる」
「この国にも?」
レオンハルトが少し考える。
「いるかもしれん」
「誰ですか?」
「知らん」
「探したことは?」
「ない」
エリオットは不思議そうだった。
「一番になりたいと思わないのですか」
「剣でか?」
「はい」
レオンハルトは芋を一つ口へ運ぶ。
「思わんな」
「どうして?」
「一番になって何をする」
エリオットが止まる。
考える。
答えが出ない。
リゼットが言った。
「格好いいからでは?」
「それはお前の理由だろう」
「私は剣なんて振りません」
セシリアが夫を見る。
「今日は」
「何だ」
「泥も血もつけずに帰ってきてください」
「飲みに行くだけだ」
「あなたの場合、一応言っておいた方がいい気がします」
「信用がないな」
「実績です」
レオンハルトは反論できなかった。




