6日前 包囲
翌朝。
王都の城壁から見える主要な道のすべてに、帝国軍の旗があった。
街道。
橋へ続く道。
森沿いの細い道。
荷車が通れる農道。
昨日までわずかに残っていた荷車の通れる道にも、騎兵や見張りが置かれている。
城壁の外へ出ていた斥候が戻ってきた。
「荷車が通れる道は、すべて押さえられました」
レオンハルトが尋ねる。
「森側は」
「人が数人なら抜けられる場所はあります。ただ、部隊や荷車は通せません」
「他は」
「確認できる範囲ではありません」
隣にいた指揮官が言った。
「これで完全に囲まれました」
「ああ」
レオンハルトに驚きはなかった。
城門を閉じれば、こうなることは分かっていた。
昨日までの戦いは、ここへ入るための戦いだった。
今日からは、この城壁を守る戦いになる。
見張りの兵が声を上げた。
「陛下。帝国軍が何か運んでいます」
レオンハルトが目を細める。
兵ではない。
荷車に、太い木材、大きな車輪、縄、鉄の金具が積まれている。
その後ろにも、同じような荷車が続いていた。
「……待つ気はないらしいな」
◇
帝国軍の中央陣地。
王都を囲んだ地図の前に、数人の将校がいた。
補給担当の男が紙を置く。
「現在の規模を維持する場合です」
上官が数字を見る。
若い将校が横から覗いた。
「足りないのですか」
「足りなくなる、という話ではない」
補給担当が答える。
「運び続けなければならない」
食料。
水。
馬の飼料。
薪。
武器。
矢。
負傷者を後ろへ送る荷車と、その荷車を守る兵も必要になる。
軍が大きくなれば、前で戦う人数だけが増えるわけではない。
後ろも増える。
「周辺から取れる物は」
若い将校が尋ねる。
「少ない」
上官が答えた。
「王国軍が持っていった」
「村に何もないわけでは」
「住民が生きるための物まで全部あると思うか」
若い将校は黙った。
空になった倉庫。
連れていかれた家畜。
減った荷車。
住民が持ち出せる収穫物も、かなり王都へ運ばれている。
帝国軍は土地を取った。
だが進むほど、その土地だけで大軍を食わせることは難しくなっていた。
「逃げたのではありませんね」
若い将校が言う。
「ああ」
上官は王都を見る。
「下がった」
少し間を置く。
「しかも、早くな」
負けて崩れた軍なら、兵も荷物も人も置いていく。
王国軍は違った。
まだ戦える場所からも下がった。
守備線を破られる前に、人を戻し、兵を戻し、物を戻した。
「王都に集めたか」
「おそらく」
補給担当が答える。
「短期で飢えるとは考えない方がいいでしょう」
若い将校が王都を見る。
「なら、待ちますか」
上官が見返した。
「半年か」
誰も答えない。
「一年か」
帝国にも灰化がある。
別の国もある。
別の宝玉もある。
大軍をここへ置くということは、その間、別の場所へ送れないということでもある。
補給担当が紙を指した。
「三か月もこの規模を張り付かせれば、補給だけの問題ではなくなります」
「他の作戦か」
「はい。輸送用の馬車も人員も取られます。灰化地域への物資も必要です」
続けることはできる。
だが続ければ、別の何かを止めなければならない。
上官が頷いた。
「三か月で食料が消えるわけではない」
「はい」
「だが、三か月も使う戦いではない」
「はい」
若い将校が少し黙ったあと、尋ねた。
「降伏勧告は」
「出さない」
上官はすぐに答えた。
「前の条件は終わっている」
帝国はすでに、宝玉を渡せば一定数を受け入れ、保護すると提示していた。
レオンハルトは断った。
王国はその後も戦い、ここまで来た。
「今、門を開けば降伏そのものは受ける」
上官が言う。
「だが、早く宝玉を渡した国と同じ扱いにはしない」
「敗戦国民として」
「ああ」
安全な土地も、食料も、水も帝国には足りない。
まず自国民。
次に、早く宝玉を渡した国。
最後まで抵抗した国は、その後になる。
若い将校が聞いた。
「罰ですか」
「それもある」
上官は否定しなかった。
「だが、同じ待遇にすれば、次の国も最後まで戦う」
若い将校はそれ以上聞かなかった。
上官が陣地の外を見る。
工兵が木材を降ろしている。
「待って落とす戦いはしない」
「では」
「壁を落とす」
◇
王城では、エリオットが帳簿を睨んでいた。
昨日まで確認していたのは、王都へ何人入ったかだった。
今日は違う。
どこへ置いたか。
何をどこへ運んだか。
「この倉庫、帳簿では十二箱です」
役人が棚を見る。
「十箱しかありません」
「二箱は?」
「昨日、城壁側へ回した可能性が」
「可能性では困ります」
エリオットが振り返る。
「物はあります。でも、どこにあるか分からなくなったら、ないのと同じです」
役人が姿勢を正した。
「城壁側を確認してきます」
「お願いします。なければ移動記録を全部見直してください」
「はい!」
役人が走っていく。
入ってきたオルフェンが、その背中を見送った。
「進み具合はいかがですか、殿下」
「物はあります」
エリオットは帳簿へ目を戻す。
「だから、失くさないようにしています」
オルフェンが少し笑った。
「その通りです」
「笑うところですか」
「いえ」
次の帳簿が届いた。
エリオットはすぐに開いた。
◇
城壁近くの空き家では、リゼットが救護用の布を分けていた。
戦いが始まれば、城壁から運ばれてきた負傷者を一度受け入れる場所になる。
「これ、全部ここですか?」
「半分は奥へ。残りは城壁側へお願いします」
「分かりました」
リゼットが束を抱えようとする。
護衛が先に持ち上げた。
「今度は私が行きます」
「でも」
「朝から何回目ですか」
リゼットが少し考える。
「……分かりません」
「でしょうね」
近くで布を切っていた女性が笑った。
「王女様、怒られてるよ」
「怒られてません」
護衛が言う。
「怒っています」
「怒ってるそうです」
女性がまた笑った。
リゼットも少しだけ笑う。
その横では、ミアが包帯用の布を畳んでいた。
「リズ、これでいい?」
護衛が一瞬だけそちらを見る。
リゼットは何事もなかったように頷いた。
「うん。それはこっち」
ミアが少しだけ笑った。
外から槌の音が聞こえた。
二人とも手を止める。
だが、すぐに作業へ戻った。
◇
昼を過ぎる頃。
冒険者ギルドからも、城壁へ物資を運ぶ人手が出ていた。
矢束。
水。
救護用の布。
正規兵の代わりに戦うためではない。
城壁で戦う兵たちへ、必要なものを届けるためだった。
フィンとガルドが荷物を抱えて階段を上る。
「これ、どこですか!」
フィンが矢束を持ったまま聞く。
兵士が振り返った。
「そっちの壁際! 水はその奥!」
「分かりました!」
ガルドが水桶を置く。
「重い仕事ばっかり俺に来てないか」
「盾持てるんだから大丈夫でしょう」
「関係あるか?」
「ありそうです」
「ない」
フィンが少し笑った。
その時。
城壁の向こうを見た手が止まる。
「……何ですか、あれ」
遠くの帝国軍陣地で、大きな木枠が組まれていた。
まだ骨組みにしか見えない。
ガルドも城壁越しに見る。
「でかい何か」
「見れば分かります」
「なら聞くな」
「何を作ってるか聞いたんです」
そこへ、斥候への報告を終えたノアが階段を上がってきた。
フィンが指をさす。
「ノアさん、あれ分かります?」
ノアが目を細める。
「壁に使うんだろうな」
「壊す方ですか」
「たぶん」
さらに向こうには、長い梯子や車輪付きの木組みも並び始めている。
ガルドが言った。
「たくさんあるな」
「こっちの壁も長いからな」
「そういう問題ですか?」
「知らん」
「最近それ多くないですか」
「便利なんだ」
フィンがまた少し笑った。
その時、後ろから声がした。
「攻城塔だ」
三人が振り返る。
レオンハルトだった。
フィンがもう一度外を見る。
「あれが?」
「まだ骨組みだけどな」
レオンハルトが別の場所を指す。
「向こうは破城槌だろう。投石機も組んでる」
ガルドが顔をしかめる。
「全部来るのか」
「全部来るつもりなんだろ」
フィンが聞いた。
「今のうちに壊せないんですか」
「外へ出てか?」
「……はい」
レオンハルトが帝国軍を見る。
攻城兵器の手前には歩兵。
その横には弓兵がいて、さらに後ろには騎兵もいる。
「壊せるかもしれない」
フィンが見る。
「でも」
「あそこまで行って、戻ってこられればな」
フィンも帝国軍を見る。
答えは分かった。
「囲まれますね」
「ああ」
「じゃあ、完成するのを見てるしかない」
「そうだ」
レオンハルトは城壁へ手を置いた。
「完成させる」
フィンが驚く。
「その上で、ここで壊す」
城壁の下では、兵が石を運んでいた。
矢束。
水桶。
砂。
補修用の木材。
負傷者を運ぶための担架。
王国側も、何もせず待っていたわけではない。
フィンが外を見ながら聞いた。
「勝てますか」
ガルドが横を見る。
ノアも何も言わない。
レオンハルトはしばらく黙っていた。
「三か月持たせれば、勝てる目はある」
フィンが帝国軍を見る。
「三か月……」
「だから向こうは待たない」
遠くから、木を打つ音が響いていた。
◇
夕方。
帝国軍の陣地では、攻城塔の骨組みが朝より高くなっていた。
一つではない。
別の場所にも、そのさらに向こうにもある。
破城槌には屋根が付けられ、投石機も組まれている。
梯子が束になって積まれていた。
兵だけではない。
工兵。
職人。
工具。
部材。
王都を落とすためのものが、一つの場所へ集まっている。
オルフェンが城壁へ上がってきた。
「予想以上ですね」
「ああ」
レオンハルトが答える。
「向こうも分かったんでしょう」
「何を」
「こちらが待ちたいことを」
レオンハルトは少しだけ笑った。
「だろうな」
王国は長く守ればいい。
帝国は長く待ちたくない。
互いに相手の狙いが分かっている。
オルフェンが建造中の攻城兵器を見る。
「城壁が持てば」
レオンハルトが続けた。
「こっちに勝機がある」
「だから」
二人の視線の先で、また一つ木材が持ち上げられた。
「壁を壊しに来る」
◇
夜。
王都では食事が配られた。
水もある。
救護所には薬があり、倉庫にはまだ食料が積まれている。
今日包囲されたからといって、明日王都が干上がるわけではない。
子どもが食べる。
兵が交代で食事を取る。
負傷者を受け入れる準備が続く。
エリオットはまだ帳簿を見ている。
リゼットとミアは救護用の布を畳んでいる。
セシリアは王城の救護所で寝台の間を歩いている。
城壁の上には兵がいる。
そしてその外では。
夜になっても、帝国軍の作業は止まらなかった。
木を打つ音。
縄を引く声。
車輪を組む音。
松明の下で、攻城兵器の形が少しずつ出来上がっていく。
王国は、長く守るために早く下がった。
帝国は、長く待たないために攻城兵器を集めた。
王国が欲しいのは、時間だった。
だが帝国が壊そうとしているのは、城壁だけではなかった。
その時間もだった。




