5日前 四人で笑った夜
夜が明ける前から、城壁の上には人がいた。
交代で休んだ兵が持ち場へ戻り、夜番の兵が降りていく。そのすれ違いの間にも、矢束や石、長槍、梯子を押し返すための道具が次々と運び込まれていた。
兵たちは声を掛け合い、最後の確認を続けている。
やがて朝日が城壁の上へ差した。
その直後、鐘が鳴った。
「来るぞ!」
声が城壁全体へ走る。
◇
最初に飛んできたのは石だった。
帝国軍の投石機から放たれた大石が空気を裂き、城壁へ叩きつけられる。鈍い音とともに石片が飛び散った。
「損傷確認!」
兵が駆け寄る。
「表面が欠けただけです!」
「次が来るぞ!」
二発目が壁を揺らし、続く三発目も石壁の一部を削ったが、崩れる気配はない。
王国兵は予定どおり、それぞれの役目へ動いた。
壁の状態を見る者。
矢を補充する者。
飛び散った石で傷ついた兵を下へ運ぶ者。
投石機を見たのは初めてでも、やることは決めてある。
城壁の下では、フィンとガルドが矢束と水を運んでいた。
「もう一束!」
上から声が飛ぶ。
「はい!」
フィンが矢束を抱え、ガルドは水桶を持ち上げた。
「なあ」
「何ですか」
「俺だけ重くないか」
「盾持てるんだから大丈夫でしょう」
「昨日も聞いたぞ、それ」
「便利なので」
「俺の台詞取るな」
フィンが少し笑い、二人で階段へ向かう。
その途中、城壁の上から別の声が上がった。
「梯子!」
外を見れば、帝国兵が長い梯子を何本も運んでくる。
弓兵はすぐに構えたが、隊長の手はまだ下りない。
「まだだ!」
帝国兵が近づく。
「撃て!」
矢が一斉に降り、梯子を担いでいた兵が倒れる。だが、その後ろから別の兵が代わり、一本が城壁へ掛かった。
登り始めた帝国兵ごと、王国兵が長い棒で梯子を押す。
「押せ!」
数人で力を掛けると、梯子はゆっくり傾き、そのまま外側へ倒れていった。
別の梯子にはすでに兵が取りついている。上から石を落としても止まらず、熱湯を浴びせられてようやく登る手が離れた。
「矢!」
兵士の声に、フィンがすぐ振り返る。
「今行きます!」
二人はまた階段を駆け下りた。
◇
城門側では、分厚い屋根に覆われた破城槌が進んでいた。
巨大な丸太を何十人もの帝国兵が押し、ゆっくりと門へ近づいてくる。
レオンハルトは城壁の上から距離を見ていた。
「来たな」
隣の守備隊長が石を積んだ場所を見る。
「落としますか」
「まだだ。近づけろ」
弓兵の矢は屋根へ突き刺さるだけで、破城槌の歩みを止められない。
距離がさらに縮まった。
「今だ!」
大きな石が屋根へ落ち、木材が悲鳴のような音を立てる。続けて二つ目が端を割り、三つ目が落ちた時には中の兵が逃げ始めた。
破城槌が止まる。
王国兵から歓声が上がった。
「まだ見るな!」
レオンハルトの声が飛ぶ。
「次が来るぞ!」
歓声はすぐに止まった。
帝国側には、まだ兵がいる。
◇
昼前。
昨日まで骨組みだった攻城塔が、完成した姿で動き始めた。
城壁と同じほどの高さを持つ木の塔が、三基。さらに後ろにも、準備中のものが見える。
「大きいですね」
フィンが呟くと、少し前まで別区画の帝国軍を見て回っていたノアが答えた。
「的も大きい」
ガルドが塔を見上げる。
「燃えるか?」
「木だ」
「なら燃えるな」
「たぶん」
「それ昨日も言ってたな」
ノアは答えなかった。
塔が近づくにつれ、城壁の兵が火矢を構える。
「まだ!」
隊長が引きつける。
板張りの側面がはっきり見える距離まで来たところで、手が下りた。
「撃て!」
火矢が飛び、何本かが塔へ刺さった。その一本から炎が広がると、帝国兵が消火へ回り、押す人数が減る。
そこへ城壁上から石が落ちた。
車輪近くへ直撃し、塔全体が大きく揺れる。
「もう一度!」
次の石で車輪の一つが壊れ、最初の塔が止まった。
別の塔にも火が回り、帝国兵が後退を始める。
残った一基だけが、城壁へ近づいてきた。
「来るぞ!」
兵が構える。
レオンハルトもその区画へ向かった。
塔の上には帝国兵が並び、橋を倒せる距離まであと少し。
そこへ矢が集中した。
塔を押していた兵が倒れ、速度が落ちる。
「石!」
大石が正面へ落ち、塔が大きく傾いた。
橋を下ろす前に動きが止まり、さらに矢を浴びた帝国兵たちは後退していく。
三基とも、城壁へ接続できなかった。
今度こそ歓声が上がった。
レオンハルトも止めなかった。
「よし!」
兵たちが声を上げる。
梯子。
投石機。
破城槌。
攻城塔。
帝国が王都を落とすために持ち込んだものを、王国は城壁で迎え撃つために準備してきた。
少なくとも今は、その準備が通用していた。
◇
午後になると、帝国軍は攻撃地点を変えた。
一か所へ梯子が集中し、王国兵もそちらへ寄っていく。
城壁の上から外を見ていたノアが、すぐに首を振った。
「違う」
フィンが振り返る。
「何がですか」
「左だ」
梯子を担ぐ隊とは別に、壁際へ走る兵がいる。
「下!」
ノアの声でガルドが先に動いた。
少人数の帝国兵が死角へ入り込み、その一本だけが城壁へ掛かる。
最初の兵が縁へ手を掛けたところへ王国兵の槍が伸びたが、相手は身をひねって避け、そのまま上へ出ようとした。
そこへガルドの盾がぶつかる。
「戻れ!」
押し返した直後、その後ろからもう一人が上がってきた。
フィンは剣を抜く。
一瞬だけ、手が止まった。
男の顔が見えた。
ロイではない。
知らない人間だ。
それでも、人だった。
帝国兵の剣が来る。
フィンは受けた。
金属音が鳴る。
今度は止まらない。
受けた刃を外へ流し、崩れた体勢へガルドの盾が入る。男は梯子側へ押し戻された。
「右!」
ノアの声。
別の兵が上がってくる。
フィンが振り向いた時には、その間へレオンハルトが入っていた。
振り下ろされた剣を一撃で弾き、帝国兵を押し戻す。
「陛下!」
「話は後だ!」
さらに一人が縁へ出る。
レオンハルトが前へ出たが、危ないのはこの一角だけだった。
すぐに王国兵も集まってくる。
長槍が伸び、梯子へ棒が掛かった。
「押せ!」
何人もの力で梯子が外側へ倒れ、帝国兵たちは壁から離れていった。
短い攻防が終わる。
ガルドが息を吐いた。
「結局、四人揃ったな」
ノアは短刀を納める。
「俺は仕事してただけだ」
「俺もだ」
フィンは手の中の剣を見た。
「私も……です」
レオンハルトがその顔を見る。
「動けるか」
一度だけ息を整え、フィンは頷いた。
「はい」
「なら矢を運べ」
フィンが目を丸くする。
「戦わなくていいんですか」
「兵は足りてる。お前らは元の仕事に戻れ」
ガルドが笑った。
「王様に言われたぞ」
「ガルドさんもですよ」
「俺は水だ」
「重い方ですね」
「やっぱり俺だけおかしくないか?」
ノアはもう歩き出していた。
「早くしろ」
三人も後へ続き、レオンハルトはその背中を見て少しだけ笑った。
◇
夕方。
帝国軍は、その日の攻撃を終えた。
城壁に掛かっていた梯子が外され、破城槌も引かれていく。三基の攻城塔は、一基が焼け、一基は車輪を壊され、残る一基も城壁へ届かなかった。
投石機も止まった。
王都の城壁に、大きな崩れはない。
「帝国軍、後退します!」
報告と同時に歓声が広がった。
盾を叩く音が重なる。
「守ったぞ!」
「壁は無事だ!」
「これなら持つ!」
今度はレオンハルトも止めなかった。
城壁の外では帝国軍が退いている。
崩れたわけではない。
今日の攻撃を終えただけだ。
それでも。
今日は王国の勝ちだった。
◇
城壁近くの救護場所では、負傷者が運び込まれていた。
想定していたよりは少ない。
もちろん、ゼロではない。
リゼットは肩を負傷した兵のために毛布を広げた。
「こちらへ。水、飲めますか?」
「はい」
水差しを渡す。
少し離れた場所では、別の兵の腕へ布が巻かれていた。
朝から何度も大きな音が響いた。
それでも城壁は残っている。
外から届いた歓声に、近くの子どもが顔を上げた。
「勝ったの?」
リゼットも少しだけ耳を澄ませる。
「今日は」
子どもを見る。
「今日は、守れたみたい」
子どもが笑った。
リゼットも笑った。
◇
夜。
城壁の内側、階段の下に四人が座っていた。
次の交代までの、長くはない休息だった。
ガルドの盾には新しい傷が増え、ノアの服には土と煤がついている。フィンの頬も汚れていて、レオンハルトさえ王城にいる時とはずいぶん違う姿だった。
フィンが三人を見回す。
「……なんか」
水を飲んでいたガルドが眉を上げる。
「何だ」
「ちょっと前に戻ったみたいですね」
レオンハルトが見る。
「何が」
「四人で戦ってた時です。私が、レオンさんを普通の冒険者だと思ってた頃」
「普通ではなかっただろ」
ガルドが鼻で笑う。
「強い冒険者だとは思ってました」
「怪しかったけどな」
ノアまで口を挟んだ。
レオンハルトが眉を寄せる。
「何がだ」
「全部」
「雑だな」
「王様が普通の冒険者やってる方が雑だろ」
ガルドの一言に、フィンが吹き出した。
城壁の向こうには帝国軍がいる。
怪我人もいる。
明日も、また攻撃が来る。
それでも今日は、攻城塔も破城槌も梯子も止めた。
ほんの短い時間だけ、四人の間から戦場の空気が薄れた。
「不謹慎かもしれないですけど」
フィンが言った。
三人が見る。
「今日、ちょっと嬉しかったです」
「何がだ」
「みんなと一緒に戦えて」
ガルドもノアも何も言わなかった。
フィンは自分の剣へ目を落とす。
「怖かったですけど……なんか、これなら」
少し迷い、それでも笑おうとした。
「このまま死んでも、あんまり後悔しないかもって」
レオンハルトの表情だけが変わった。
ガルドが先に口を開く。
「馬鹿言え。そういうのは年上からだ」
「順番あるんですか」
「ある」
ノアが即答した。
「本当ですか?」
「今できた」
「適当じゃないですか」
「だからお前にはまだ早い」
「じゃあガルドさんからですね」
「待て。俺が最初とは言ってない」
「でも、さっき年上からって」
「俺より上なら探せばいる」
「急に範囲広げましたね」
ノアも平然と続ける。
「城中探せばいくらでもいる」
「そういう話じゃないでしょう」
フィンはとうとう声を上げて笑った。
レオンハルトも口元を緩める。
「くだらない順番だな」
「レオンさんが言います?」
「俺は何も言ってない」
また笑いが起きた。
ほんの少し前まで、王も兵も関係なく四人で依頼へ出ていた頃と同じだった。
遠くから、帝国軍の陣地で木を打つ音が聞こえてくる。
笑いが静まると、フィンが城壁の方へ目を向けた。
「まだ直してるんですかね」
レオンハルトも外を見る。
「だろうな」
今日壊した攻城塔も、破城槌も、梯子も、明日にはまた来る。
四人とも、そう思っていた。
◇
帝国軍の陣地では、その日の損害が報告されていた。
「攻城塔二基、使用不能。破城槌一基損傷。梯子は補充可能です」
上官が尋ねる。
「城壁は」
「大きな損傷はありません」
誰も驚かなかった。
王都は籠城を選んだ。
当然、それだけの準備もしている。
「通常の攻城では、時間がかかります」
補佐官の言葉に、上官は松明の並ぶ王都の城壁を見た。
「時間は使わない」
「では」
その時、陣地の後方から声が上がった。
大型の荷車が、列を作って入ってくる。
通常の補給隊より遅れて到着した一団だった。
一台では運べないほど巨大な部材が、幾つもの荷台へ分けられ、厚い布で覆われている。周囲には工兵とは違う装束の人間たちが付き添い、近くの帝国兵まで足を止めてその列を見た。
補佐官が言う。
「到着しました」
「道は問題なかったか」
「はい。ただ、重量があるため予定より遅れました」
上官は王都へ視線を戻す。
国境で王国軍に押し返された頃には、こんな兵器を据え付けて狙う固定目標などなかった。
その後も、王国軍は広い土地を移動しながら守備線を下げ続けた。
重く、遅く、据え付けなければ使えない兵器を運んでも、到着する頃には狙う場所が変わってしまう。
今は違う。
王国軍は王都へ集まり、その城壁を最後の防衛線に選んだ。
目標は、もう動かない。
「組み上がるまで」
「明朝には」
上官が頷いた。
「魔導砲を前へ出せ」
厚い布で覆われた部材が、次々と荷台から降ろされていく。
今日、王国は城壁を守った。
そして帝国はその夜、初めてその城壁を壊すための切り札を王都の前へ運び込んだ。




