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18日前同日 王都の灯り

王城では、朝から荷物と人が行き交っていた。


「西倉庫、残りはどれくらいですか」


エリオットが帳簿を見ながら尋ねる。


役人が紙をめくった。


「麦が――」


「昨日の数字ではなく、今朝の分です」


「あ、はい」


別の役人が駆け込んでくる。


「第三集会所が満員です!」


エリオットが顔を上げた。


「空き家の確認は?」


「南側で二十一軒。使えるのは十五です」


「では先にそちらへ。家族は、できるだけ分けないでください」


「承知しました」


机の上には、食料、毛布、薬、避難場所の一覧が重なっていた。


王都にはもともと備蓄がある。

そこへ各地から運び込まれた物資が加わり、人も日に日に増えている。


不足しているものを探すだけではない。

どこに何があり、誰をどこへ入れるのか。

それを間違えれば、物があっても使えない。


「エリオット」


机の端で布を仕分けていたリゼットが呼んだ。


「何です、姉上」


「この毛布、共同救護所へ回していい?」


「どこの分ですか」


「毛布」


「見れば分かります」


「じゃあ聞かないで」


「そういう意味ではありません」


リゼットが札を見る。


「あ」


「書いてあるでしょう」


「細かい」


「大事です」


リゼットが少し笑った。


「最近、お父様みたいになってきたね」


エリオットの手が止まる。


「それは褒めていますか」


「半分くらい」


「残り半分は?」


「面倒」


「姉上」


近くの侍女が笑いをこらえた。


そこへまた声が飛ぶ。


「共同救護所から毛布の追加要請です!」


リゼットがすぐに束を抱えた。


「これ、持っていく」


「姉上が?」


「ここにあるんだから早いでしょ」


侍女が慌てて近づく。


「リゼット様、そのまま行かれるのですか?」


「そのまま?」


「町へ出られるなら、お召し物を――」


以前なら、髪を変え、町娘の服へ着替えていた。


リゼットは少しだけ考えたが、首を振った。


「今日はいい」


「ですが」


「もう、隠れて行くような時じゃないから」


エリオットが不思議そうに姉を見る。


「何を隠すんです?」


リゼットと侍女の動きが同時に止まった。


「……何でもない」


「姉上?」


「行ってくるね」


「待ってください。せめて護衛を――」


「いるよ」


振り返ると、護衛がすでに諦めた顔で立っていた。


◇


共同救護所は、以前とは比べものにならないほど人が増えていた。


子どもたちが暮らしていた部屋にも毛布が敷かれ、廊下の端には避難してきた家族が座っている。


「毛布、持ってきました!」


リゼットが入ると、世話役の女性が駆け寄った。


「助かります。奥が足りなくて」


「どこへ置けばいい?」


「三枚はそちらへ。残りは二階にお願いします」


「分かりました」


リゼットが毛布を運び始める。


護衛が手を伸ばした。


「王女殿下、そちらは私が」


「もう持ってるからいいです」


その呼び方に、近くにいた避難民が振り返った。


「王女様?」


別の男もリゼットを見る。


「レオンハルト陛下の娘だ」


小さなざわめきが広がった。


リゼットは少しだけ居心地悪そうにしたが、毛布を置く手は止めなかった。


「すみません、足を少し上げられますか」


寝ている老人の足元へ毛布を入れる。


その隣では、若い男の腕から血が滲んでいた。


世話役の女性が振り返る。


「リズ――」


言いかけて止まった。


「……王女様。そこの布を押さえてもらえますか」


リゼットも一瞬だけ彼女を見る。


「今まで通りでいいのに」


世話役は困った顔をした。


だが、別の負傷者が呼んでいる。


「お願いします」


「はい」


リゼットは男の横へ座り、傷口に当てられた布を押さえた。


「少し痛みます」


「もう痛いよ」


「……ですよね」


男がかすかに笑った。


包帯が届く。

言われた通りに支え、巻くのを手伝う。


奥から水を求める声が上がれば、今度は水差しを持って立ち上がった。


王女らしい仕事ではない。


けれど、以前ここへ「リズ」として来ていた時にしていたことと、ほとんど変わらなかった。


◇


部屋の端で、ミアが動けずにいた。


手には、小さな子どもへ渡すはずだった椀がある。


王女殿下。


レオンハルト陛下の娘。


さっきから周囲で聞こえる言葉が、目の前の少女とうまく結びつかない。


ミアが知っているのは「リズ」だった。


薪の値段を知らなくて驚いた。

紙を無駄に使おうとして怒られた。

綴りを間違えれば普通に笑われた。

一緒に焼き菓子も食べた。


そのリズが、王女だった。


リゼットが顔を上げた。


目が合う。


「ミ――」


名前を呼びかけて、止まった。


ミアも口を開いた。


けれど、「リズ」とは呼べなかった。


周りには避難民がいて、護衛がいて、皆が彼女を王女として見ている。


「殿下、こちらもお願いします!」


奥から声が飛んだ。


リゼットが振り返る。


それから、もう一度ミアを見た。


ほんの少しだけ、申し訳なさそうに笑う。


ミアも何か言おうとした。


言葉が出てこない。


リゼットは奥へ走り、また負傷者の隣へ座った。


小さな子どもがミアの服を引く。


「ミア、お水」


「あ……うん」


ミアはしゃがみ、椀を渡した。


もう一度、奥を見る。


そこには王女様がいた。


けれど。


やっぱり、リズだった。


◇


王城の救護所では、セシリアが寝台の間を歩いていた。


戦場から戻った負傷兵。

避難の途中で足を痛めた老人。

熱を出した子ども。


誰から先に診るか。

どこを空けるか。

薬をどこへ回すか。


「入口側は空けておいてください。重い方を運び込めなくなります」


侍女が頷く。


「ここですぐ使える薬は?」


「あと二箱です。予備庫から回す分は手配しています」


「届くのは?」


「今日中には」


「では、それまでこの二箱で繋ぎましょう」


薬そのものが尽きたわけではない。


人が増えれば、必要な場所も増える。

運ぶ人間も必要になる。


戦場にいなくても、戦況はこうして王城の中へ届いていた。


侍女が少し迷ってから言う。


「リゼット様が共同救護所へ毛布を届けに行かれました」


セシリアが見る。


「自分で?」


「はい。そのまま手伝っておられるそうです」


セシリアは小さく息を吐いた。


「……あの子は」


叱るような声ではなかった。


「護衛は?」


「一緒です」


「なら、離れないようにだけ伝えてください」


「はい」


扉の向こうから子どもの泣き声が聞こえた。


セシリアはそちらへ向かった。


◇


夕方になっても、王都の門から人の列は消えなかった。


名前を確認する者。

離れた家族を探す者。

空いている建物へ案内する者。


屋内だけでは足りず、城壁内の空き地にも天幕が張られ始めている。


やがて日が落ちると、その周囲に小さな火が灯った。


鍋を掛ける火。

湯を沸かす火。

子どものそばで絶やさないための火。


昨日まではなかった灯りが、王都の中に増えていった。


◇


レオンハルトが王都へ戻ったのは、夜になってからだった。


前線を離れたわけではない。


守備位置を縮めた後の状況を現地指揮官へ任せられることを確認し、増え続ける避難民と物資の受け入れを見るため、一度戻った。


王城へ入る前に、城壁へ上がる。


下には王都の灯りがある。


その間に、見慣れない火がいくつも混じっていた。


避難民の天幕だ。


後ろからオルフェンが来る。


「今日だけでも、かなり増えました」


「ああ」


「明日も来ます」


「ああ」


レオンハルトは城壁の下を見た。


あの火のそばには、人がいる。


帝国兵が来る前に出せた人間。

道を完全に切られる前に出せた人間。

灰化で水がなくなる前に出せた人間。


「何人いる」


「正確な数は明朝になります。屋内の避難所を含めれば、かなりの人数です」


「備蓄は」


「各地から持ち込んだ分もあります。今のところ、すぐに尽きる量ではありません」


レオンハルトが頷いた。


「救えたな」


オルフェンも城壁の下を見る。


「はい」


しばらく、二人とも黙った。


遠くから見れば、その灯りは祭りのようにも見えた。


だが、火が一つ増えるたび、その向こうには人のいなくなった家がある。


旗を下ろした町がある。


置いてきた畑がある。


「……救えた数だけ」


レオンハルトが呟いた。


オルフェンは答えなかった。


「あっちが空になったんだな」


「はい」


レオンハルトは城壁に手を置いた。


人を先に戻した判断を、間違えたとは思っていない。


あの村に残していれば、もっと多くを失っていた。


それでも。


救えた人間の数と、失った土地の広さは、同じ地図の上に残っている。


レオンハルトはしばらく遠くを見ていた。


◇


同じ夜。


王都から離れた街道で、帝国軍の旗が動き始めていた。


これまで街道や橋、地方拠点へ散っていた部隊が、少しずつ同じ方向へ向かっている。


荷車も、騎兵も、歩兵も。


王国側が守る場所を減らしたことで、帝国側もそこへ兵を残す必要がなくなった。


将校が地図を見る。


王国軍が放棄した拠点。

確保した街道。

使える橋。


そして。


その先にある王都。


「各隊、合流を開始しています」


部下が報告する。


将校は頷いた。


「進路は」


「王都です」


散らばっていた帝国軍が、一つの場所へ集まり始めていた。

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