37日前同日 勝利①
王国の旗が、森の裏で上がった。
最初に気づいた帝国兵が声を上げる。
「西だ!」
前線の後ろで、何人もの顔が同時に動いた。
森の陰から現れた王国兵は多くない。西の農道へ回されていた第三隊だった。
だが、出てきた場所が悪かった。
帝国軍の正面ではない。
前へ送る兵、負傷者、伝令、弓兵が行き交う途中だった。
「荷車を出せ!」
王国兵たちが農道脇に残されていた荷車へ肩を入れる。
車輪が土を削り、何人もの力で荷車が街道へ倒れ込んだ。積まれていた木材が転がり、続けて柵と太い杭が道へ放り出される。
帝国兵の反応は速かった。
「敵は少ない! 道を開けろ!」
盾兵が第三隊へ向く。
だが第三隊は戦わなかった。
「戻れ!」
兵たちが森へ消える。
追おうとした帝国兵の頭上で、弦が鳴った。
矢が降る。
「上だ!」
尾根の裏へ隠されていた王国弓兵が、一斉に姿を見せていた。
伝令馬が跳ね、騎手が振り落とされる。
弓兵が散り、帝国兵の盾が丘へ向いた。
その瞬間。
正面で王国の角笛が鳴った。
長く。
強く。
朝から下がり続けていた王国兵たちの足が止まる。
「止まれ!」
隊長たちの声が重なった。
盾の下端が土へ突き立ち、後ろへ向いていた足が前を向く。
帝国兵もそれを見る。
さっきまで土地を渡しながら下がっていた兵たちが、もう下がらない。
王国兵の一人が、息を切らしながら隣を見た。
「……ここなのか」
「何がだ」
「ここで戦うために、下がってたのか」
返事の代わりに後方から声が飛んだ。
「槍、前!」
盾の間から穂先が並ぶ。
「弓兵、二射!」
丘から矢が上がる。
「中央!」
伝令の声が戦場を走った。
「前へ!」
一瞬、兵たちは動かなかった。
二日間、前へ出れば帝国兵がいた。
一人倒しても、その後ろから次が来た。
昨日ようやく押し返したと思えば、今朝には別の道から現れた。
その相手へ。
今度は、自分たちから行けと言われている。
若い兵が盾を握り直した。
「……行くぞ」
隣が笑う。
「昨日も聞いたぞ、それ」
「今日は前だ」
「ならいい!」
王国軍が動いた。
「押せええええ!」
何百もの足が一斉に地面を蹴る。
盾と盾がぶつかった。
音が重なり、地面そのものが鳴る。
帝国兵が受ける。
その頭上へ王国の矢が降り、上を向いた盾の隙間へ槍が伸びる。
帝国の列が一歩下がった。
「下がった!」
王国兵がさらに押す。
もう一歩。
今度は正面だけではない。
西を見る兵。
丘を見る兵。
下流を気にする兵。
帝国軍の視線が散っている。
「押してるぞ!」
「俺たちが押してる!」
歓声に近い声が戦場へ混じり始めた。
◇
丘の上で、レオンハルトは戦場を見ていた。
正面が押している。
下流でも王国軍が反転を始めていた。
帝国軍はまだ崩れていない。
命令も通っている。
後方の障害物へ兵を回し、尾根の弓兵へ弓を向け、正面では盾を並べ直している。
それでも昨日までとは違った。
距離だ。
帝国前衛は深く入りすぎている。
橋から離れた。
浅瀬からも離れた。
中央と下流も広がっている。
どこかを助ければ、別の場所が薄くなる。
さっきまで帝国軍がこちらへやっていたことを、今度は王国が返している。
「中央、もう一歩」
レオンハルトが言う。
守備隊の指揮官が伝令を出した。
「左は止めろ。追うな」
「右は?」
「半歩だけだ」
「西の第三隊は」
「もう一度出せ。戦うな。見せるだけでいい」
指揮官が横を見る。
「見せるだけ?」
「向こうが勝手に兵を割く」
森から再び王国兵が姿を見せる。
帝国軍の後方で、盾兵がそちらへ回った。
その分だけ正面が薄くなる。
レオンハルトの右手が上がった。
「中央、押せ」
角笛が鳴る。
王国軍が前へ出た。
帝国の盾列が下がる。
一歩。
二歩。
後ろへ避けようとした兵同士がぶつかり、列の一角が乱れた。
「穴だ!」
王国兵がそこへ食い込む。
帝国側の隊長が怒鳴った。
「詰めろ!」
新しい盾兵が後ろから入る。
まだ消耗していない兵だった。
裂けかけた列が戻り、王国軍の勢いが一度止まる。
守備隊の指揮官がレオンハルトを見る。
「陛下」
「ああ」
レオンハルトは腰の剣へ手を掛けた。
「今だな」
「……まさか」
剣が抜かれる。
「中央を頼む」
「陛下!」
レオンハルトは丘を下り始めた。
前線の王国兵がその姿に気づく。
「陛下だ!」
一人の声から、次々に顔が上がった。
「中央だ!」
「陛下が来たぞ!」
「勝手に出るな! 列を崩すな!」
隊長が怒鳴る。
それでも兵たちの顔は変わった。
疲れ切っていた男が盾を握り直す。
「またやる気か、陛下」
隣が笑った。
「昨日見ただろ」
「だから言ってんだよ」
「道を開けろ!」
前列がわずかに左右へ割れる。
その間をレオンハルトが走り抜けた。
若い兵が叫ぶ。
「陛下!」
レオンハルトが横目だけ向けた。
「俺だけ見てるな。前を見ろ」
「はい!」
近くから笑い声が上がる。
すぐ目の前に帝国兵がいる。
それでも、さっきまでとは違った。
◇
帝国兵の間にも、その名はもう広がっていた。
「レオンハルトだ!」
王家の紋章を見た兵が叫ぶ。
昨日の橋にいた兵の肩が強張った。
「槍を集めろ! 王を止めろ!」
帝国の槍がレオンハルトへ向く。
だが今度は、王国兵もすぐ横にいた。
レオンハルトが最初の槍を逸らした瞬間、盾兵が前へ出る。
「陛下、左!」
別の穂先を王国兵の盾が受け止める。
「そのまま押せ!」
レオンハルトが盾列の縁へ身体を入れる。
帝国兵が押し返そうとしたところへ、王国の槍が脇から伸びた。
一枚の盾が傾く。
「今だ!」
王国兵がそこへ入った。
帝国兵がレオンハルトだけを止めようとすれば、その横を王国兵が押す。
王国兵へ向けば、レオンハルトが入る。
昨日とは違う。
王一人が穴を開けているのではない。
開いた場所へ、兵たちが迷わず続いてくる。
「陛下に続け!」
「押せ!」
盾列が下がった。
その動きが隣へ伝わる。
「下がるな!」
帝国側の隊長が叫ぶ。
だが、別の場所から声が返った。
「西にも王国兵!」
「丘の弓兵を止めろ!」
「下流が押されています!」
帝国軍の正面がもう一歩下がる。
王国兵の声が大きくなった。
「行け!」
「帝国を下げろ!」
レオンハルトも前へ出る。
その右には盾兵がいた。
左には槍兵がいた。
後ろから矢が飛ぶ。
若い槍兵が息を切らしながら笑った。
「陛下についてくの、きついんですが!」
「なら遅れるな」
「無茶ですよ!」
それでもついてくる。
隣の兵まで笑った。
怖くないわけではない。
槍を受ければ死ぬ。
実際に隣で兵が倒れている。
それでも、自分たちだけで戦っているのではない。
王が同じ列にいる。
「陛下を一人にするな!」
盾兵が前へ出る。
槍兵が続く。
王国軍の中央が、レオンハルトを中心に大きく前へ膨らんだ。
帝国側から角笛が鳴る。
「第二列へ下がれ!」
その命令を聞いた王国兵が叫んだ。
「下がったぞ!」
「帝国が下がる!」
「追え!」
「まだだ!」
レオンハルトの声が飛ぶ。
「列を崩すな! 逃げる敵ほど怖いぞ!」
兵たちが我に返る。
走り出しかけた足を止め、盾を揃え直す。
その間にも左右へ命令が飛んだ。
丘の弓兵が射る。
森から第三隊がもう一度姿を見せる。
下流側でも王国兵が押し始める。
朝に叔父の畑を見ていた兵が、盾を前へ出した。
踏み荒らされた畑の中を、今度は帝国兵が後ろ向きに下がっていく。
男が叫んだ。
「返せ!」
何人もの声が重なる。
「返せ!」
畑。
柵。
小道。
朝、渡した場所を一つずつ取り返していく。




