37日前 帝国の反撃②
王都と国境を結ぶ街道では、前線とは別の戦いが続いていた。
開戦後、王城警備隊の一部は輸送と避難を支える後方任務へ回されている。
通用門を担当していたハインも、その一人だった。
王都へ向かう避難民と負傷兵。
前線へ向かう食料、水、矢、包帯。
荷車はひっきりなしに行き交っていた。
ハインは戻ってきた荷車の中を覗く。
「この二人は先の救護所へ。歩ける奴は降りろ」
腕を布で吊った兵が顔をしかめた。
「王都まで乗せてくれよ」
「お前は歩ける」
「痛いんだぞ」
「歩ける痛みだ」
「門番のくせに偉そうだな」
「今日は門がないからな」
負傷兵が一瞬きょとんとし、それから笑った。
「意味分かんねえよ」
「俺もだ。降りろ」
兵は悪態をつきながら荷車を降りた。
その横を、老人や子どもを抱いた女、背負えるだけの荷物を持った男たちが通っていく。
昨日より人が増えている。
前線が下がったからだ。
若い兵が走ってきた。
「ハインさん!」
「何だ」
「下流側の線が下がっています。こっちへ抜ける道が近い」
ハインの顔から笑いが消えた。
「帝国兵は」
「一部が横へ出たという報告があります」
「数は」
「分かりません」
ハインは街道を見た。
避難列はまだ長い。
負傷者を乗せた荷車も、こちらへ向かっている。
ここを塞がれれば、人だけではない。
前へ送る物も、後ろへ戻す負傷者も止まる。
「列は止めるな」
「でも」
「歩ける負傷兵は降ろせ。動けない奴を乗せろ。避難民を先へ流せ」
「護衛は?」
「残せるだけ残す」
「残りは」
ハインが林を見る。
「俺も残る」
若い兵が何か言おうとした時、林の向こうから鳥が一斉に飛び上がった。
二人とも黙った。
枝の間で金属が光る。
帝国兵だった。
大軍ではない。
それでも街道を止めるには十分な数がいる。
「……来ました」
「ああ」
ハインが槍を取った。
「列は止めるな!」
周囲の兵が振り向く。
「荷車を先へ! 子どもと歩けない奴から行かせろ!」
若い兵が聞いた。
「俺たちは?」
ハインは槍先を林へ向けた。
「仕事するぞ」
「持ちますか」
「知らん」
若い兵が苦笑する。
「陛下みたいなこと言いますね」
ハインが横目で見る。
「それ本人に言うなよ」
「言いません」
「俺にも言うな」
「もう言いました」
帝国兵が林から走り出した。
ハインは槍を構える。
「前見ろ」
最初の矢が飛んできた。
◇
荷車は進んだ。
一台が曲がり角を越え、その後ろをもう一台が追う。
避難民も続いていた。
道が林を回り込むと、後ろの戦いは見えなくなる。
槍がぶつかる音と、人の叫び声だけが木々の向こうから届いた。
「ハインたちは?」
御者が尋ねる。
護衛についていた伝令が振り返った。
道は曲がっていて何も見えない。
「確認してくる」
馬の向きを変えようとしたところへ、前方から別の伝令が来た。
「戻るな!」
「後ろに兵が残ってる!」
「前線が下がってる! この道も塞がれるかもしれない! 輸送列を先へ!」
「でも――」
「先へ!」
伝令は歯を食いしばった。
一度だけ後ろを見る。
林の向こうでは、まだ戦う音がしている。
それでも馬を前へ向けた。
「……行け!」
荷車が再び動き出す。
戦いの音は、少しずつ遠くなっていった。
◇
午後。
王国軍は朝いた場所からさらに後ろへ下がっていた。
だが、崩れてはいない。
盾を向けたまま指定された場所へ入り、そこでまた列を組み直す。
帝国軍も昨日の敗北を忘れてはいなかった。
森へ斥候を入れ、丘を見て、道端の資材まで確かめながら進んでくる。
慎重だからこそ、速度は落ちる。
それでも王国軍が土地を渡す限り、帝国軍は前へ出る。
泥だらけの守備隊指揮官が戻ってきた。
「下流側、所定位置へ入りました」
「中央は」
「あと少しです」
「第三隊は」
「西の農道へ入りました。森の裏を回っています」
レオンハルトは戦場を見る。
橋から入った中央。
下流から上がった側面。
王国軍を二方向から押すため、帝国軍も大きく広がっていた。
橋から前衛までの距離は伸び、浅瀬から上がった兵も渡河点から離れている。
負傷者を後ろへ送る兵。
前へ向かう兵。
その間を走る伝令。
まとまっていた帝国軍が、少しずつ長く伸びている。
「後方街道から報告は」
「まだありません」
ハインたちのいる方向だった。
レオンハルトは一瞬だけそちらを見た。
「もう一度取れ」
「はい」
伝令が走る。
すぐに視線を戦場へ戻した。
「中央、もう少し下げろ」
指揮官が驚く。
「まだ下げますか」
「ああ」
「この先は森と丘の間です」
「知ってる」
「それ以上は平地が減ります」
「だからだ」
指揮官はそれ以上聞かなかった。
命令が伝わり、王国兵はまた盾を向けたまま後退する。
「どこまで下がるんだ!」
兵の一人が吐き捨てた。
「陛下が止まれと言うまでだ!」
「昨日は押し返しただろ!」
「だから今日も生きて帰れ! 前見ろ!」
帝国軍が追う。
森や丘を警戒しながら、それでも確実に王国領の奥へ入ってくる。
レオンハルトは待った。
第三隊は森の裏へ。
弓兵は尾根の裏へ。
正面からは見えない。
やがて西から伝令が戻った。
「第三隊、位置につきました」
「見つかったか」
「いえ。森の裏で待機しています」
「尾根裏は」
別の伝令が答える。
「弓兵、待機しています」
レオンハルトが頷いた。
目の前では、帝国軍が王国兵を押している。
昨日勝った兵たちが、今日は自分たちの土地を渡しながら下がっている。
それでも誰も走ってはいない。
レオンハルトが右手を上げた。
「中央」
伝令が身構える。
「ここで止めろ」
馬が走り出す。
「下流もだ。これ以上は下げるな」
別の伝令が続く。
角笛が鳴った。
一歩ずつ退いていた王国軍の盾が止まる。
「ここだ!」
兵たちが踏ん張った。
帝国軍の前衛も速度を落とす。
昨日の記憶がある。
王国軍が止まった。
なら、何か来る。
帝国兵は森を見る。
丘を見る。
街道を見る。
斥候も走る。
だが、正面から見える場所には何もない。
しばらくして、帝国軍の盾が再び前を向いた。
守備隊の指揮官がレオンハルトを見る。
今度は何も聞かなかった。
レオンハルトは、目の前まで伸びてきた帝国軍を見た。
そして短く言った。
「始めろ」
待っていた伝令が二方向へ走る。
一人は西の農道へ。
もう一人は尾根の裏へ。
帝国軍の後方で、斥候の一人が何かに気づいた。
木々の間。
朝から誰もいなかったはずの森の裏で。
王国の旗が、静かに上がった。




