39日前 開戦②
午後になると、戦場の様子は朝とは変わっていた。
森側から矢が飛べば、王国軍はそちらへ弓兵を向けざるを得ない。空いた街道側では、その分だけ帝国の盾が厚くなる。
倒木にも、もう兵は不用意に近づいてこなかった。
盾を重ね、その陰から伸ばした縄を数人が離れた場所で引く。
軋む音とともに、朝から道を塞いでいた倒木が僅かに動いた。
止めようと王国兵が身を乗り出した瞬間、そこへ矢が集中する。
一人が倒れる。
仲間が引きずり、代わりの兵が前へ入る間にも、倒木は少しずつ位置を変えていった。
「ここを抜かれると、第一線が持ちません」
守備隊の指揮官が言う。
朝から守ってきた場所だった。
街道が狭く、帝国軍の数を一度に出させない。
だから持った。
だが相手は、もう朝と同じようには攻めてこない。
レオンハルトは倒木から目を離した。
「第二線へ下げる」
指揮官が一瞬黙る。
「今ですか」
「今だからだ」
「まだ持ちます」
「持たなくなってから下げたら遅い」
地図の上を指が滑る。
「槍から下げろ。弓は残って間を作る。槍が第二線へ入ったら弓も下げろ」
「森側も?」
「同時だ。勝手に残すな」
「承知!」
角笛が鳴った。
「後退!」
「第二線へ!」
「走るな! 順番に下がれ!」
倒木と杭の後ろから、槍兵たちが列を崩さないまま離れていく。
「まだ戦えるぞ!」
「命令だ! 下がれ!」
その声を追うように帝国軍が前へ出た。
丘に残った弓兵が矢を浴びせると、追撃する盾が持ち上がり、勢いが鈍る。
その隙に、槍兵たちは第二線へ滑り込んでいった。
「槍隊、入った!」
「弓隊、下がれ!」
最後の弓兵が丘を離れた直後、帝国軍が倒木を越える。
朝から守ってきた場所が奪われた。
振り返る兵もいた。
歯を食いしばる者もいる。
それでも、戻る者はいない。
レオンハルトも指揮位置を下げた。
次の防衛線は街道が曲がる場所にある。片側には斜面、反対側には浅い窪地が続き、正面から来る敵が横へ広がりにくい。
「第二線、前!」
槍が揃った。
第一線を抜いた勢いのまま、帝国兵が踏み込んでくる。
待ち構えていた槍が正面から受け止めた。
押し合いの中で王国兵が一人倒れ、列に人ひとり分の隙間が開く。
そこへ帝国兵が身体をねじ込もうとした瞬間、レオンハルトの剣が鞘を離れた。
踏み出したのは、わずか一歩。
伸びてきた槍を外へ払い、倒れた兵の前へ身体を入れる。
「そいつを引け!」
仲間が兵の腕を掴んだ。
帝国兵がもう一歩詰めようとする。
振り切るほどの大技は使わない。
レオンハルトの剣先が相手の槍を逸らし、そのまま前へ押し返す。
負傷兵が列の後ろへ消えたのを見届けると、自分もすぐに戻った。
「陛下!」
「俺を見るな。前見ろ!」
指揮官が正面へ向き直る。
その目の前で、再び槍と盾が噛み合った。
◇
日が傾くまで、帝国軍の攻撃は続いた。
守る場所を変えれば、相手も攻める場所を変える。
それでも王国軍は、第二線から先へは下がらなかった。
朝より防衛線は後ろにある。
帝国軍も、すでに王国領へ入り込んでいる。
だが、そこから先へは進ませていない。
やがて帝国側から、それまでとは違う角笛が鳴った。
前へ出ていた兵たちが、盾を王国側へ向けたまま下がり始める。
「下がるぞ」
「追うか?」
「出るな!」
レオンハルトが叫んだ。
帝国軍は国境の外へは戻らない。
王国領内に隊列を残したまま負傷者を運び、見張りを立て、陣を整え始めている。
今日の攻撃は、ここまでらしい。
それを見届けてから、王国側の槍もようやく下がった。
膝からその場へ座り込む者がいた。
息を吐きながら笑う者もいる。
「止めた……」
誰かが呟いた。
隣の兵が顔を上げる。
「止めたぞ」
その声が、疲れ切った列の中を少しずつ広がっていく。
「止めた!」
歓声と呼ぶほど大きくはない。
今日一日を生き残ったことを、互いに確かめるような声だった。
守備隊の指揮官がレオンハルトを見る。
レオンハルトは止めなかった。
しばらく兵たちを見たあと、口を開く。
「よくやった」
声が少し静まる。
「飯を食え。怪我してる奴は先に見てもらえ。見張り以外は休め」
一人の兵が、おそるおそる尋ねた。
「陛下」
「何だ」
「今日は、勝ったんですか」
レオンハルトは帝国軍の方へ目を向けた。
敵は国境の向こうへ戻っていない。
まだ王国の土地にいる。
「今日は止めた」
兵たちは黙って聞いていた。
「それで十分だ」
少しして。
「はい」
疲れた声が返った。
◇
夜。
司令所の机には、一日の報告が並んでいた。
レオンハルトの指が地図の上を動く。
「最初の攻撃で、予備はどこから来た」
「主街道です」
「次は?」
「同じです」
「午後は」
指揮官が報告をめくった。
「……これも主街道ですな」
その言葉で、レオンハルトの指が止まった。
正面の兵を入れ替えた時も。
森側へ動かした時も。
倒木を崩しに来た時も。
必要な兵は、同じところから出ている。
しばらく地図を見たあと、レオンハルトは顔を上げた。
「もう一回だ」
「何をです?」
「今日の動きを最初から並べる」
指揮官が椅子を寄せた。
外では、王国軍の見張りが交代している。
そのさらに向こう。
国境の外ではない。
もう王国の土の上に。
帝国軍の火が灯っていた。




