↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/61

40日前 国境②

前線へ着いた頃には、日が落ちかけていた。


国境守備隊の司令所は、小高い丘の上に置かれている。


王国軍の天幕が並び、兵たちが夜に備えて動いていた。


レオンハルトが馬を降りると、守備隊の指揮官が駆け寄ってきた。


「陛下」


「状況は」


挨拶を返すより先に問われ、男もすぐ報告へ切り替えた。


「帝国軍はまだ国境を越えておりません。前衛が街道側へ移動しています」


「地図を」


「こちらです」


司令所へ入る。


机には周辺の地図が広げられていた。


指揮官が位置を示す。


「帝国軍の主力はこの平野です。前衛は街道沿いに移っています」


レオンハルトが指を置く。


「ここは森か」


「はい」


「人は通れる?」


「徒歩なら。ただし広い隊列は組めません」


「こっちは」


「農道です。荷車なら軽いものだけでしょう」


指が地図の上を移る。


「橋は」


「主街道に一つ。北に古い木橋があります」


「浅瀬は?」


指揮官が二か所を示す。


「ここ。それと下流です。下流側は足場が悪い」


「退路」


男が線をなぞる。


「中央はこの街道。東は農道。西は丘の裏へ抜けられます」


「避難民とぶつからないか」


「国境近くの村は今日中に退避させます」


「まだ残ってる者は」


「一部おります」


「明るいうちにもう一度回れ。夜まで残っていたら連れ出せ」


「承知しました」


レオンハルトは地図から目を離す。


「帝国軍を見たい」


◇


丘の端まで出ると、帝国側の平野が見えた。


夕暮れの向こうに、火が並んでいる。


数が多い。


だが、目についたのはそれだけではなかった。


宿営地の列だけでなく、馬を置く場所や荷車の配置、見張りの位置まで整っている。


人が通るための道もきちんと空けられていた。


王国軍側では、兵が何度も持ち場を確認していた。


忘れ物を取りに戻る者もいる。


仲間と小声で話し続ける者もいる。


帝国側では、見張りが交代した。


同じ人数が出て、同じ人数が下がる。少しすると、別の場所でも同じように交代した。


守備隊の指揮官が呟く。


「静かです」


レオンハルトは返事をしなかった。


あれだけの兵がいるのに、向こうから迷いが伝わってこない。


後ろから声がする。


「陛下」


若い兵士だった。


「何だ」


「あの……本当に、向こうが越えるまで撃たないのですか」


「ああ」


「弓が届くところまで来ても?」


「国境を越えなければ撃つな」


兵士が帝国側を見る。


「あそこまで来ているのに」


「来てるだけだ」


「でも……」


レオンハルトが兵士を見る。


「怖いか」


兵士は一瞬黙った。


「……はい」


「俺もだ」


兵士が顔を上げる。


「怖くない奴がいたら、そいつを前に出すな」


「え?」


「勝手に突っ込むかもしれん」


近くにいた兵が小さく笑った。


若い兵士も少しだけ口元を緩める。


レオンハルトは再び帝国側を見る。


「怖いままでいい。持ち場だけ離れるな」


「はい」


「向こうが越えるまでは、何も始めるな」


「はい」


その命令は、日が沈むまでに各部隊へ伝えられた。


◇


夜が深くなっても、眠れない兵は多かった。


王国軍の陣では小さな声が残っている。


「寝ろ」


「寝られるか」


「明日起きられなくなるぞ」


「どうせ起こされる」


誰かが水を飲む。


別の兵は剣を抜きかけ、やめた。


弓兵が弦を指で確かめる。


「それ、さっきもやってただろ」


「気になるんだよ」


「切れるまで触るなよ」


「縁起悪いこと言うな」


いつもの夜とは違う。



レオンハルトは司令所の外で報告を読んでいた。


帝国軍は多く、経験もおそらく向こうが上だ。


王国兵にも魔物や盗賊と戦った者はいるが、国同士の戦争を経験した者はほとんどいない。

レオンハルトは報告書を置き、遠くに並ぶ帝国側の明かりを見た。


守備隊の指揮官が隣へ来た。


「眠られませんか」


「そっちもだろ」


「私は仕事です」


「俺もだ」


男が少し笑う。


しばらく二人とも黙っていた。


やがて指揮官が言う。


「……勝てますか」


レオンハルトは帝国の火を見た。


「知らん」


男が横を見る。


「やる前から分かるなら楽なんだけどな」


「そうですな」


「明日、来た奴を止める。それだけ考えろ」


指揮官は少し間を置いてから頷いた。


「はい」


夜が過ぎていった。


◇


空が白み始めた頃。


最初に変化へ気づいたのは見張りだった。


「動いた」


近くの兵が起きる。


「どこだ」


「正面」


帝国側の火が一つずつ消えていく。


代わりに、人の列が見え始める。


盾。


槍。


旗。


まだ遠い。


だが、確実にこちらへ近づいている。


伝令が司令所へ走った。


「帝国軍、前進開始!」


眠っていた兵たちが一斉に起きる。


「持ち場へ!」


「弓隊、丘へ!」


「槍、前!」


「走るな! 列を崩すな!」


王国軍の陣が一気に動き出す。


レオンハルトは丘へ上がった。


帝国軍が見える。


前衛の歩兵が街道を進んでいる。


その後ろにも列がある。


さらに後ろにも。


旗が朝の風に揺れていた。


王国軍の弓兵が矢をつがえる。


「まだだ!」


命令が飛ぶ。


弓が下がる。


帝国軍は進む。


国境までの距離が縮まる。


兵たちの呼吸が聞こえるほど、王国側は静かになった。


帝国軍が止まる様子はない。


王国の兵士が槍を握り直す。


隣の兵が唾を飲み込む。


レオンハルトは国境線を見る。


地面に置かれた古い石標。


その向こうから帝国兵の列が近づいてくる。


まだ向こう側。


帝国軍の先頭が石標へ達した。


一歩。


その足が、王国側の土を踏んだ。


見張りの声が響く。


「越境!」


次の兵も入る。


その後ろも続く。


帝国軍の列が国境を越え始めた。


レオンハルトは前を見たまま、右手を上げた。


王国軍の兵たちが武器を構える。


「全軍」


声が通る。


「構えろ」


槍が一斉に前を向いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。