42日前 落書きの跡②
昼前の冒険者ギルドは、いつも通り騒がしかった。
依頼帰りの者が受付で報酬を受け取り、壁際では三人組が地図を広げている。奥では朝から酒を飲んでいる男までいた。
扉が開く。
入口近くにいた冒険者が何気なく顔を向け、そのまま固まった。隣の男も視線を追い、話をやめる。
入ってきたのは革鎧姿のレオンだった。腰にはいつもの剣。違うのは、その後ろに約束通り護衛が二人いることくらいだった。
少し遅れてフィンが気づく。
椅子から立ち上がりかけ、その途中で止まった。
「……陛下」
レオンの眉が寄る。
「やめろ」
「でも」
「ここはギルドだろ」
「そうですけど……」
フィンは言葉に詰まる。
奥でガルドが吹き出した。
「よう、王様」
「お前までやるのか」
「一回くらい呼んどこうと思ってな」
「もう終わりでいいな」
「俺もその方が楽だ」
ガルドは何事もなかったように酒杯へ戻った。
「早くないですか?」
「昨日までレオンだった奴が、今日だけ別人になる方が気持ち悪いだろ」
フィンはまだ納得しきれない顔をしている。
受付の奥から出てきたミレイも、レオンを見て一瞬だけ姿勢を正しかけた。
だが途中でやめる。
「……普通でいい?」
「最初からそう言ってる」
「分かった。努力する」
「努力がいるのか」
「いるよ」
近くの冒険者から小さく笑いが漏れた。
昨日まで何度も一緒に酒を飲み、依頼へ行き、普通に名前を呼んでいた男が国王だった。
一晩経った程度で、全員がすぐ元通りになれるわけではない。
それでも、昨日ほどの騒ぎにはならなかった。
その端で、ノアだけはいつも通り壁へ寄りかかっていた。
フィンが気づく。
「ノアさん」
「何だ」
「一つだけ、まだ聞いてません」
ノアが嫌そうな顔をする。
「昨日あれだけ聞いただろ」
「私、レオンさんの前で王様の話してましたよね?」
「してたな」
「王様もレオンさんみたいな人だったらいいのに、って言ったのも?」
「聞いてた」
フィンが一歩近づく。
「どんな気持ちだったんですか?」
ノアは少し考えた。
「面白かった」
「やっぱり!」
ギルド内に笑いが起きた。
レオンが口を挟む。
「俺が黙ってろと言った」
フィンが振り返る。
「でも、面白がってたのはノアさんですよね?」
「ああ」
「認めるんですか!」
「事実だからな」
「最悪です!」
ノアは笑っている。
レオンがため息をついた。
「お前はあとで話がある」
「何で俺だけ」
「面白がってただろ」
「ずっとな」
「認めるな」
また笑いが起きた。
ミレイが受付台を軽く叩く。
「はい。昨日の続きはそこまで」
フィンがまだ何か言いたそうにノアを見る。
「まだありますけど」
「後にして。それで、今日は何しに来たの?」
「相談だ」
レオンの声が少しだけ変わった。
周囲の空気も、それにつられて落ち着く。
「まだ戦争は始まってない。帝国が国境を越えたわけでもない」
「うん」
「ただ、始まってからじゃ遅いことがある」
近くにいた冒険者たちも、自然と耳を傾け始めた。
「冒険者を兵にするつもりはない。だが、道を見る、村へ知らせる、荷を運ぶ、人を逃がす。軍だけじゃ手が回らないことは出る」
ガルドが酒杯を置いた。
「前線で戦わせる気は?」
「正規兵の代わりにする気はない」
ノアも壁から身体を起こす。
「斥候は?」
「必要なら軍と見る場所を分ける。勝手に国境をうろつかせるつもりはない」
「了解」
ミレイは腕を組んだ。
「正式な依頼にする?」
「必要になれば」
「なら、受けるかどうかはギルドで決める。危険なものは危険だって書く。国王命令だから断れない、はなし」
「ああ」
「本当に?」
「兵にする気はないって言っただろ」
ミレイはレオンの顔をしばらく見たあと、頷いた。
その横でフィンが手を上げる。
「私もできます」
「何が」
「荷物なら運べます。村への連絡もできますし、避難の手伝いも」
レオンがフィンを見る。
「前より周りを見るようにはなったな」
フィンが目を瞬く。
「……今、褒めました?」
「事実を言った」
「それ、褒めてますよね」
「違う」
「違わないです」
ガルドが笑う。
フィンもしばらく笑っていたが、やがて少しだけ声を落とした。
「でも、よかったです」
「何が」
「王様がレオンさんで」
レオンが見る。
「知らない王様だったら、まだ怖かったかもしれません。でもレオンさんなら、何する人か少しは知ってますから」
少しだけ間が空いた。
「買いかぶるな」
「そういうこと言うところも知ってます」
ガルドが鼻で笑った。
「なら話は早いな」
ミレイも受付の紙を一枚取る。
「使えそうな人、先に出してみる。斥候、護衛、荷運び、伝令で分けた方がいい?」
「ああ。それと避難を手伝える奴も」
「了解」
ミレイが名前を書き始める。
周囲にいた冒険者たちも、それぞれ顔を見合わせた。
さっきまで国王をどう呼べばいいのか迷っていた空気は、もう薄れていた。
レオンも普段と同じように受付台の前に立っている。
ただ今日は、依頼を受けに来たわけではない。
これから起きるかもしれない戦いに備えて、自分たちに何ができるのか。
ギルドにいる者たちは、少しずつ同じ方を見始めていた。




