43日前 王であるということ ①
翌朝、ギルドは妙に静かだった。
依頼板の前にも人がいない。
いつもなら朝から鳴っている椅子を引く音も、酒を頼む声も、受付で報酬に文句を言う声もなかった。
扉には一枚だけ紙が張られている。
本日、昼前まで受付休止。
ミレイが最後に戸締まりを確認した。
「本当に誰もいないですね」
フィンが中を振り返る。
「昨日言ったでしょ」
「でも、一人くらい残るかと」
「残って何するの」
「留守番とか」
「誰も来ないのに?」
「そうですね」
ミレイが鍵をかける。
ガルドはすでに通りの先を見ていた。
「急がねえと後ろになるぞ」
「もうそんなに?」
「朝から人が流れてる」
普段なら市場へ向かう者。
仕事場へ向かう職人。
荷車を引く者。
今日はその多くが、同じ方向へ歩いていた。
王城前。
フィンたちも人の流れへ入る。
ノアだけが少し後ろを歩いた。
「ノアさん」
フィンが振り返る。
「何だ」
「昨日から変ですよ」
「昨日だけか?」
「そういう逃げ方する時は、大体何かあります」
「朝から元気だな」
「誤魔化した」
ガルドが前から言う。
「放っとけ。こいつは昔から何か隠してる顔だ」
「顔で決めるなよ」
「じゃあ性格だ」
「悪化したぞ」
ミレイが振り返らずに言った。
「歩いて。置いてくよ」
四人はそのまま王城へ向かった。
◇
広場へ着いた時には、すでにかなりの人がいた。
国王が出る時刻まではまだ間がある。
それでも広場の中央から周囲の通りまで、人が埋まり始めていた。
市場の商人。
麦を運んでくる農夫。
職人。
荷運び人。
子どもを連れた女。
兵士の家族らしい者もいる。
城壁近くには兵が並んでいたが、槍先は上を向いたままだった。
人を押し返すためではない。
通路を空けるために立っている。
「多いですね」
フィンが背伸びをした。
「お前が小さいだけじゃねえか」
ガルドが言う。
「人の身長の話してません」
「前見えるか?」
「見えます」
「嘘つけ」
「見えます!」
ミレイが二人の間から前を見る。
「私もあんまり見えない」
「ほら」
「ミレイさんは味方してくださいよ」
近くにいた者が少し笑った。
その横では別の話をしている。
「王様って、どんな顔だった?」
「知らん」
「お前、王都生まれだろ」
「王都生まれなら王様と飯食うのかよ」
「即位の時は見なかったのか?」
「あれ何年前だ」
近くにいた年配の男が口を挟んだ。
「十五、六年くらいじゃないか」
ガルドがそちらを見る。
「そのくらいだな」
フィンが顔を上げた。
「ガルドさん、見たことあるんですか?」
「ああ。即位の時にな」
「じゃあ顔分かるんですね」
「分かるわけねえだろ」
「何でですか」
「あの時でも人だらけだ。俺は後ろの方で、知らんおっさんの頭越しに見てたんだぞ」
「じゃあ何が見えたんです?」
ガルドが少し考える。
「王冠」
「顔は?」
「若かった」
「それ顔じゃないです」
「二十そこそこだったからな」
ガルドは鼻を鳴らした。
「今会っても分からん」
隣にいた男も頷く。
「俺も祭りの時に見たことはあるけど、遠かったな」
別の女が言った。
「行列なら何度か」
「近くで話したことは?」
「あるわけないでしょ」
国王が民の前に一度も姿を見せなかったわけではない。
式典や祭事、行列で、遠くから王を見たことのある者ならそれなりにいる。
だが、目の前で顔を見て、声を聞き、言葉を交わしたことのある者となれば話は別だった。
「でも今日、本人が出てくるんだよな」
誰かが言った。
周囲の声が少し減った。
フィンも王城を見る。
昨日まで、王は遠い人間だった。
自分たちの知らないところで何かを決める人。
今日は、その本人が何を考えているのかを聞きに来た。
◇
王城の中では、オルフェンが紙を持っていた。
「最後に確認します」
「まだやるのか」
正装を整えたレオンハルトが言った。
普段の革鎧ではない。
濃い色の上着に、王家の紋章。
腰には剣。
王冠だけは机の上に置かれていた。
オルフェンがそこを見る。
「王冠は」
「いらん」
「本日の話題は、その王冠の宝玉ですが」
「だからだ」
オルフェンは一度黙った。
「なるほど」
「納得したなら置いとけ」
「最初から持たせるつもりはありませんでした」
レオンハルトが見る。
「なら聞くな」
「確認です」
「便利だな、その言葉」
セシリアが横からレオンハルトの襟へ手を伸ばした。
「動かないでください」
「自分でできる」
「できていないから触っています」
「さっきまでできてた」
「今は曲がっています」
レオンハルトは諦めた。
少し離れたところで、リゼットが笑っている。
エリオットは父を見ていた。
「父上」
「何だ」
「私も行きます」
「駄目だ」
即答だった。
「なぜですか」
「人が多い」
「姉上は?」
「お前も駄目」
リゼットが口を閉じた。
「まだ何も言ってません」
「言う顔だった」
「ずるい」
セシリアが二人を見る。
「今日は城の中からです」
エリオットは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
レオンハルトが扉へ向かう。
「陛下」
オルフェンが呼び止める。
「何だ」
「原稿は」
「置いていけ」
「やはり」
「昨日言った」
オルフェンは紙を畳んだ。
「では、順番だけはお忘れなく」
「覚えてる」
「都合の悪い部分も」
レオンハルトが足を止めた。
「ああ」
それだけ答えて、扉を出た。




