44日前 宝石より民を ②
夕食の席でも、話は避けられなかった。
エリオットがいつもより口数が少ない。
リゼットはそれに気づいていたが、しばらく何も言わなかった。
セシリアも同じだった。
レオンハルトは食事を続けていた。
先に我慢できなくなったのはエリオットだった。
「父上」
「何だ」
「城の壁に書いた人間は捕まえないのですか」
レオンハルトが手を止める。
「何で知ってる」
「兵たちが話していました」
「口が軽いな」
「父上」
「捕まえない」
「なぜですか」
「壁に字を書いたからだ」
「王を侮辱しています」
「俺は壁じゃない」
「そういう話ではありません」
言い方が少しオルフェンに似ていた。
レオンハルトはそれについては触れなかった。
「腹が立つか」
「立ちます」
即答だった。
「父上が宝玉を惜しんで断るはずがありません」
「そうか」
「なのに、何も知らない人たちが勝手なことを言っています」
「エリオット」
セシリアが静かに止めた。
だが、エリオットはまだ納得していない。
「間違っています」
「何が?」
今度はリゼットだった。
エリオットが姉を見る。
「姉上まで何ですか」
「町の人が」
「父上のことを何も知らないのに、勝手なことを言っている」
リゼットは少し考えた。
「私たちは知ってるからね」
「何をです」
「父上を」
エリオットが眉を寄せる。
リゼットは食卓の向こうにいる父を見る。
「どういう人か。何を考えるか。困ってる人を見たら余計なことまでやることも」
「余計なことはやらん」
「やります」
「お前まで言うのか」
「事実です」
セシリアが僅かに笑った。
リゼットは弟へ視線を戻す。
「でも、町の人たちは知らないでしょ」
「国王なのだから知っているでしょう」
「国王として何をしたかはね」
エリオットが黙る。
リゼットも少し迷った。
「だから、分からないのも仕方ないんじゃない?」
「でも」
「エリオット」
今度はレオンハルトが呼んだ。
「何ですか」
「食え」
「今の流れでそれですか」
「冷める」
リゼットが吹き出した。
少し遅れて、セシリアも笑った。
レオンハルトだけが笑わなかった。
昨日ノアから聞いた言葉が、頭に残っていた。
王様のことを、そもそもよく知らないだけだ。
◇
その頃、ギルドでも王の話は続いていた。
昨日より声が大きくなっている。
「王城の壁に書かれたらしいぞ」
「何て?」
「宝石より民を守れ」
誰かが口笛を吹いた。
「よくやるな」
「捕まったのか?」
「いや」
「嘘だろ」
「消しただけだって」
別の冒険者が杯を置いた。
「それ、逆に怖くねえか?」
「何が」
「王を批判しても捕まらないってことだろ」
「それのどこが怖いんだよ」
「知らん。何となく」
ミレイが受付から声を飛ばした。
「喋るなら邪魔にならないところで喋って」
「ここ酒場だぞ」
「ギルドです」
「酒出してるだろ」
「金取ってるからね」
その横で、フィンは依頼書を眺めていた。
ガルドが横から覗く。
「何か行くのか」
「見てるだけです」
「昨日も見てただろ」
「昨日見た依頼が今日もあるかもしれないじゃないですか」
「残ってたら人気ない依頼だな」
フィンは依頼書へ目を戻した。
少しして言う。
「王様、どんな人なんでしょうね」
ガルドが肩をすくめる。
「知らん」
「ですよね」
ノアは近くの椅子に座ったまま黙っていた。
フィンがぽつりと言う。
「王様も、レオンさんみたいな人だったらいいのに」
ノアの手が止まった。
それだけだった。
「どうしました?」
「何が」
「今、止まりましたよ」
「手ぐらい止まる」
「そうですか」
「そうだ」
フィンはそれ以上追及しなかった。
ガルドも気にしていない。
ノアだけが、しばらく杯へ手を伸ばさなかった。
◇
帝国使節団は王国領を離れつつあった。
補佐役から新しい報告を受け取った使節代表は、馬車の中で短く目を通した。
王都で国王への批判が増えている。
壁への落書き。
兵士への問い詰め。
王が理由を隠しているという不満。
「予定より早いですね」
補佐役が言った。
「王国側が告知を出しましたから」
「かえって疑問が増えたようです」
「そうだろうな」
使節は紙を折った。
「こちらから、もう少し押しますか」
「何を」
「宝玉一つで戦争を選んだ王だ、と」
使節の視線が上がる。
「それは事実ではない」
「印象の問題です」
「嘘を混ぜる必要はない」
補佐役は少し黙った。
「では、今まで通り?」
「今まで通りでいい」
宝玉一つを求めた。
王が拒否した。
戦争の可能性がある。
それだけでも十分に人は考える。
「王への不満が広がれば、国内が割れる可能性もあります」
「あるだろうな」
「暴動に発展するかもしれません」
使節は窓の外を見た。
しばらくして答える。
「それをこちらから止める理由はない」
補佐役が見る。
「よろしいので?」
「王国が自分たちで割れるなら、帝国兵を使うより安い」
声に喜びはなかった。
ただ計算していた。
「兵が治安維持へ回れば、国境へ出せる兵は減る。内側で争えば物資も減る」
「死者が出ても?」
「帝国がこの国を抱えることになれば、人間も食わせなければならない」
補佐役は黙った。
「我々にも土地と食料の余裕はない」
「では、人口が減ることも」
「帝国にとって不利益ではない」
言葉はそこで切れた。
少しして、使節が付け足す。
「だが、こちらが虐殺を命じる必要もない」
「はい」
「王を強欲だと決めつける話もいらん。事実だけで割れるなら、それで十分だ」
補佐役が頷く。
「宝玉が手に入ればよい」
「それが第一です」
「王国そのものは?」
使節は一度だけ考えた。
「残るなら使う。壊れるなら、その後を使う」
それだけだった。
馬車はそのまま進んだ。




